町へ出る準備
思ったよりも早く息子の問題がある程度解決した。
……もしかしなくてもやることがなくなったな。
なんだろう、今までも漫然と惰性で生き長らえてきたのに、なんだか急に燃え尽きてしまったような気分だ。
◇
俺は今、息子に勉強と魔法、護身術を教えている。
特に護身術。まあ魔法も含むのだが、とにかく咄嗟に身を守り、危険から逃げる。誰かを助けるとか敵を捕縛するとかそんなものは後回しだ。
息子は小柄で華奢で、だが男らしく腕白なところもあって、かわいらしく笑う。なのに、そこにはどこか陰があり、純真さと同時に相反する色気を微かに漂わせる。
マールは物心つく頃から殺されるまで、その身を売らされて、大人の欲望の受け皿になっていたからだ。
生きているうちにすぐに助け出してやれなかった己自身が一番腹立たしい。しかし、そうやって俺が自分自身を責めている姿が、却って優しい息子を傷つけてしまうことも容易に想像できる。
俺にできることは、いつか会える妻にボコボコにしてもらうくらいだろう。
ともかく、そんな魅力あふれる息子だ。うっかり、町中で襲われて路地裏に連れ込まれたら大変だ。
俺はその一帯を真っ平らに整地するだろう。
「父さん、これ……」
「ちょっと早いが……いや、前世と合わせれば逆に遅いぐらいだな」
俺は、息子に短剣を手渡す。
かつて俺達の居た国では、齢15を迎えた男子に成人の証として短剣を贈る風習があった。
それは自由と独り立ちの象徴であり、他者を傷つけることに責任を負うことを示すもの。
「どちらかといえば自衛用の物だ。俺は今まで何度もお前を守ってやれなかった。不甲斐ない父親で済まない」
息子は短剣を受け取ると、腰に納めて顔を上げる。
「それでも、父さんは強くて尊敬できる、俺の憧れだよ。だから、不甲斐ないなんて言わないで」
そう言って、息子は俺に抱きついた。
「ありがとう父さん。俺大事にするよ!」
──あぁ、やっぱり心配だ。
この短剣は、形骸化した風習のための宝飾品ではない。
無骨で地味な見た目だが、それなりに実用性を持っている。
魔法の杖としても機能するそれは、手持ちの材料を元に俺が作成した一点物。
刀身は極東の希少金属、魔緋金を芯として、魔銀と魔黄金を異なる割合で混合した2種の合金で包み込んだ。
柄には竜の因子に対する触媒として期待したもののこれっぽっちも役に立たなかったドラゴンの鱗を加工して、息子の手に馴染む形に成型した。
素材の持つ魔素容量の高さもあり、ありったけの魔法を付与してやることができた。
これで失くすことも盗まれることも奪われることもない。
敵性の魔法は解体して吸収するし、物理攻撃も身代わりになる上に状態保存で無かったことにする。こちらが攻撃を放てば、相手の回避行動・阻害要素に関係なく、物理魔法問わず必中。何なら勝手に敵性を切り刻むし、あらゆる弱体化を叩き込む。
これだけやっておけば、ひとまず安全だろう……と作った時はそう思ったが、やはり俺は心配で堪らない。
◇
何故こんな事をしているかというと、人間と区別つかないくらいには人間らしくなった息子を、人の居る町に連れて行こうと思い立ったからだ。
いくらリスクがあるとはいえ、息子をこんな山奥に閉じ込め続けるのが健全だとは、流石に言えない。真っ当な感性の人間であれば、娯楽も何もない、俺しか居ないこの場所が楽しいはずがない。
だが、息子は境遇が境遇故に、俺と居るだけで──毎日他の誰かに怯えないで済むだけで──幸せそうだった。
事あるごとに俺に甘えてくる。
本当にかわいい。
息子はマールとして生まれ変わってから今まで、誰かに甘えるということができなかったのだから、それは仕方ないことだ。
しかしこのままではよくない。共依存状態になる。
俺はともかく、息子は一人で自由に人生を歩んでいけるようにしてやりたい。例えもう死んでいたとしてもだ。
アンデッドとなり肉体を魔力で構成・制御するようになって、俺がその魔力を供給していることもあり、息子の膂力はかなり向上している。
息子に施している訓練は、その膂力をコントロールし武術として適切に運用できるようにするためのものだ。肉体を鍛え上げているというより技を磨き上げていると言えばいいか。
と言っても息子は前世と合わせても20年程度。物心ついてからだともっと少ないだろう。
特製の短剣もあるので、とりあえず大抵のことに対応できる程度に留めて、あとは俺の技から盗みたいものがあれば盗んでみるといいと伝えてみた。
「……」
「……」
息子が俺を四六時中見つめるようになった。
まあ、暇だもんな。
では魔法の方はどうかというと、息子はかなり吸収が早いように思う。この辺の文字や言葉の勉強の方が掛かったほどだ。
後になって言語魔法を教えたときの、不機嫌そうに頬を膨らませた息子の顔は最高にかわいかった。
俺と息子は魔力供給路が繋がっているので、それを利用して簡単で汎用性のある術式をいくつか渡した。
「『水刃』っ!」
一から構築せず、一言二言発動キーを口にするだけで、渡しておいた出来合いの術式ならすぐに展開できる。組み合わせることも可能だ。慣れれば詠唱せずとも多重展開できるだろう。
息子が放った、鋼鉄の柱を切り刻みなお勢いの落ちない水の刃を、俺は高速で異なる向きに回転する複層の水壁で吸収し、刃が壁を抜ける前に手で触れる。
あの短剣の効果で、放たれた魔法は必ず当たる。こちらから安全に当たらなければ、術は防御を抜けた後で再構成され、防ぐことができない。
──『必中の術』は、国一つ分の広さに散逸してしまった妻と息子の身体を対象として、蘇生魔法と組み合わせてやるつもりだったのだが、完璧な蘇生は魂が散ったあとでは不可能と分かったおかげで大した価値が無くなってしまったものだ。
まあ、こうして息子の役に立てたのだから、僥倖と言えよう。
息子に渡した『水刃』も単なる水の刃ではない。細かな砂粒が高速振動して切れ味が向上している。……こちらはそれだけで特別なものではない。『必中の術』が無ければいくらでも対処のしようがある魔法だ。
「も、もうちょっと、優しいのないかな……」
「ふむ……確かに毎回死体を作るのは目立つ……心苦しいか」
『水刃』は当たると大体の人間は死ぬ。まして、息子の魔法には当たりどころの良い悪いはない。縦にスライスされた後で治癒魔法が間に合った人間を俺は見たことがない。
心優しい息子のことだ。もっと殺傷力の低いものもあったほうがいいだろう。
そうだな……『眩耀』、『射干玉』、『轟鳴』、『静謐』、『転寝』、『白昼夢』、『痺れ雷』、『地溺れ』、『足留め』、『骨抜き』、『節霜』あたりを追加しておこう。
「こんなにあっても、俺使いこなせないよ……?」
「なに、そんなに深く考えなくとも、どれでも適当に放つだけで充分逃げられる。『白昼夢』なんかは認知と記憶を暈して、現実だと認識できなくするからな。上手く使えば相手に情報を殆ど抜かれずに済む」
「そ、そっか……うん、ありがとう」
その後、息子と共に山の獣に対して先ほど与えた魔法を試しながら、町に行った時に交換できる肉を確保する。山から降りてきた猟師親子という設定で行こう。
「と、父さん……この『骨抜き』と『節霜』って何が起こってるの……?」
歪に肉体が潰れたり曲がっている猪。これが『骨抜き』。
「『骨抜き』は見ての通り骨を柔らかくして、相手の自重や力自体で変形させてしまうものだ。効果時間は長くないが、変形してしまった骨は単純な治癒魔法では治せない。一旦砕いて再成形したほうが早いだろうな。時間稼ぎ向きと言える」
もう一方は虫の息で体を硬直させ、身動きが取れない熊。『転寝』や『痺れ雷』と似ているが、起きていて意識は明瞭。呻き声を上げながら、眼球をギョロギョロ動かしている。これが『節霜』。
「『節霜』は、関節に霜を作る魔法だ。無理に動かすと激痛が襲う。こいつも治癒魔法は効かない。単に凍っているだけだからな。無理に動かさず、魔力が抜けるまで待って、自然解凍に任せれば問題無く快復する。動いて中にできた傷はそれこそ治癒魔法だ。体内に生じる魔法の氷だから火魔法で対処すると氷が融けるより先に体に火が通るだろう。それなら砕いて再成形したほうが早い」
俺がそう説明しながら、水魔法で血抜きをする。
文字通り『血抜き』で渡してあるので、息子も一緒になって血抜きを行なう。
これも人間に対して放つとえげつない即死級の魔法だ。
「父さんの魔法、エグいのが多い……?」
「……本気で殺しに来る相手だと自ずとな」
俺に回ってくる相手だ。ぬるいものなど無い。
一番胸糞悪かったのは、俺を狙わない孤児爆弾だな。あれは本当に最悪だった。一人で元気に走り回るようになった息子と同じぐらいの子供だったところに悪意をひしひし感じたものだ。
気分の悪くなる回想はさっさと打ち切って、血抜きの終わった熊と猪を魔法の袋に放り込み、俺達は小屋に戻った。