旧き友
森の中に入って、あの端から端まで見渡す限りずっと続いてたレンガの壁も、今はたくさんの木ですっかり見えなくなっちゃった。
この「ヴェンパランキーン」って言うらしい木のかごに揺られながら、俺達は山の中をスイスイ進んでいた。
揺られてるって言っても、船や列車とは全然違ってほとんど揺れてない。ふわふわした感じ、かな。
でも、スピードはかなり出てると思う。列車の時より近くにたくさんの木があってビュンビュン通り過ぎてるから、余計にすごく速く感じるんだ。
「んぅ……」
それでディーは最初、小窓から外の様子を眺めてたんだけど、しばらくして酔ってきちゃったのか今は椅子の上で目を閉じてうなってる。
船の時もそうだったけど、ディーは地面から離れるようなの乗り物だと酔いやすいのかも。
「大丈夫?」
「へーき……師匠のアレに比べればかわいいもんだぜ……」
あー、師匠に気と重力をハチャメチャにされる修行はね……きつかった……。
ちなみに父さんも巻き添えになってたんだけど、「ちょっと魔法が使いにくいわね」って言ってたぐらいでいつもと変わんない涼しい顔で普通にまっすぐ立って歩いてた。ほんとにすごい。
「これぐらい、どうにかできなかったら、またあの修業が……」
ディーはそう呟きながら思い出しちゃったのか、ちょっと青ざめて涙目になってる。そこに触れるとすねちゃうから、俺は黙って背中を撫でてあげた。
ディーは息を細く長くして、体の中を巡っている気の乱れを整えようとしてる。
ふと、父さんを見ると、なぜかエルフの人をジッと見てた。
「……それで、『緑風の駕籠』に運転手なんて要らないのだけど、貴方、何故ここに居るのかしら?」
「え?」
このかごを運転してくれる……って、そう俺達は最初に聞いてたはずのエルフのお兄さんに、父さんが突然尋ねた。
けどその声音と視線は敵意って言うより、心底呆れたって感じで……もしかして、父さんの知ってる人、なのかな?
「そりゃあ、只でさえ短命種で、音信不通になって幾分と経っていたし、とっくにくたばったんだと思ってた友人がさぁ? 実は生きててまた会えるなんて〝風の便り〟で聞いたらねぇ。
出向ける範囲で足を運んだって、別におかしくはないだろう?」
◇
エルフのお兄さんはこちらに振り向くと、ペロッと舌を出して長いまつ毛でぱちりとウィンクしてきた。俺、ウィンクってうまくできな……じゃなくて、父さんってエルフの人ともお友達だったんだ……。
でも俺、この人に会ったこと無かったと思うんだけど……?
「……長の息子は随分暇なのね」
「別に暇じゃあないさぁ。もうダラダラと森に籠もってればいいだけの只の息子じゃあないからねぇ。
まぁ、お陰で今じゃあ外交の代表者として森の外に出ようと思えば出られるってわけ。
ちょ〜っと何年分か溜まってて急かされてた他の用事を片付ける良い切っ掛けになったのは確かだけど。ハッハッハ」
そっか、長の息子さんだから気軽に森の外には……って長の息子さん?!
「コイツはこの辺の森に〝領域〟を構えているエルフ族の長のアホ息子で、ウェンシャンっていうの。覚えなくてもいいわ」
父さんは、ウェンシャンさんのことすごいぞんざいに紹介してくれた。でも長の息子さんって、普通に考えたらすごい偉いんじゃ……?
「初めまして〜今は外交官的なのやってるウェンシャンだよ〜」
「は、はじめまして」
やっぱ外交官ってなんかすごそうな……な、なんか、すごいマジマジと俺を見てくる、なんだろ。
昔のお客さんの人達みたいな感じじゃなくて……何ていうか、こう、自由研究でお世話してるお花がちゃんと育ってるか見てる、みたいな……?
不思議な視線だ。
「何度かさぁ、家に小包が送りつけられてきたんだよ。薬草辞書みたいな厚みの紙束に、ビッシリと魅力が書かれてるやつ。
君があの、〝カイルベッタ〟君なんだねぇ」
……よく分かんないけど、エルフの『薬草辞書』ってすっごく分厚そうだなあ……。
「気持ちは分かるけど何時までその厭らしい目付きで私の愛息子を舐ってるのかしら。惚れたってんなら殺すわよ」
「う〜わ、出たよ親バカ。流石にこんな子供に惚れないさあ」
「こんな……?
〝カイルには魅力が無い〟って言いたいのかしら?
今ここで死にたいようね」
父さん、流石にそれは理不尽すぎだよ……
「──けど、とても澄んだ、綺麗な種を持っている」
「……理解る──」
わ、分かるんだ……。
ディーはすごい「茶番」って言いたげな目をしてたけど、黙って気を整えるのに集中し直してる。
今度はどんな格好させられることになっちゃうか分かんないもんね。この前のヒラヒラした服、結構似合ってたと思うけど。
◇
──あの頃はまだ若かった。いや、幼かった、と言った方が良いくらいの歳だった。
「ハッ、ハッ、ハァッ…………どこ、だ、ここは……」
周囲には見知らぬ木々、濃厚な緑と土の匂い、聞き慣れない動物の声ばかりが風伝いに届き木霊する。
「まさか、山の向こう側……? どんだけ転移ンでっ……グブッ……! エ゛ハァッ!!」
思わず腹を抱えてえずけば、口から吐き出されたのは赤黒い液体。喉が焼けるように痛み、鉄と酸の臭いが鼻を突く。
視界がぼやけ、地面が歪んだ。いや平衡感覚がイカれて立っていられなくなっただけだ。
(これは、反動、か)
ヒューヒューと間抜けな笛になりながら這いずって、何とか近くの木に背を預ける。
(まだ、『ポーション』はある)
腰のホルダーから震える手でペン型のそれを取り出す。最初〝9〟だった小窓から見える数字は、今〝3〟。
安価さと携行性と保存性を重視し、効果もそこそこ。その引き換えに──針が押し出されたのを確認した俺は、袖の布を噛み締めながら、それを自分の太腿へと振り下ろして打ち込んだ。
「フッ、グゥ……ッ! ンウヴッッ……!!」
肉を抉るような激痛が広がったタイミングで針を引き抜く。
その痛みは広がりながら少し遅れて徐々に薄まり、体内の傷も幾らか塞がったのか楽になっていく。
(これで血は止まった。吐いた血の匂いもスライムパウダーで消せた、はず)
淡黄色の粉の入った瓶の蓋をしっかりと閉める。
残留物の匂い消しだけじゃなく、死体の後始末にも使える便利なヤツだ。うっかり風下にいるとのたうち回る羽目になるのが改善されればもっと使いやすいんだけど。
(けど、今の体力と魔力じゃ、ただのクマやらイノシシやら相手でもキツい、な。地の利も無い森で逃げ切れるかどうか……ッ)
気配を感じ、すかさずもたれ掛かっていた木から距離を取る。
「なぁんだ、ヘンなのが出たって森がさわぐからコッソリ来たのに、短命種の幼木じゃん。なんでこんなのに親父たちゴチャゴチャもめてたんだぁ?」
初めからそこに居たかのように、木の裏から顔を出したのは、俺と同じぐらいの少年。
薄暗い緑の中にあってなお輝く金髪翠眼、そしてその耳は自分のそれと違い、長く伸びている。
(エルフ……なのか?)
「なぁなぁ、どっからどーやって来たんだお前。この辺の木たちはみんな、分かんないって言ってるぜ? あ、てか言葉通じてる? ヘイヘェ〜イ?」
理解不能な掛け声とジェスチャーをし始めているが、言葉自体の意味は取れていた。
(教えてもらった言語魔法で分かるってことは、山の向こう側だけどうちの国の『活動圏内』。直線距離じゃそこまで離れてないのかもしれない)
「ん~腹減ってる? 木の実食う?」
突如、その声は目の前から聞こえ、口の中に固いものを押し込まれる。
「?! むグッ、待、やめ」
「だ〜いじょうぶだって、マジマジ、これホント俺のオススメだからさぁ。はぁいモグモグごっくんなぁ〜」
「ぃ、んぐん、ッ」
その細い腕からは考えられない握力と腕力が、俺の顎を無理矢理咀嚼させる。
「ぅ、あ……」
後で聞いたが、木の実を軽く炒っただけの簡単なおやつだった。香ばしいカリカリの表面の薄殻が砕け、もそりと中身に歯が通り、素朴な甘みが広がる。
それは、薄めた麻痺毒と合わせて口に入れる姐さん流の食い方にやっと慣れてきた、3日に1回で済む、そのまま食えばゲロ味の糧食とは比べられないほど、安心できる食べ物の味。
俺には──劇薬だった。
突然始まった過去話、案の定収まりませんでした〜