出国しよう
ここで寄り道をする理由もない俺達は、幾らかの青果を購入しただけで、早々に検問所へと足を運んだ。
「わあ……壁がずっと続いてる。これ、お山に沿ってるのかな」
カイルの感嘆と共に発せられた言葉は、この世界を正しく描画していた。素晴らしい観察力……そう、壁だ。
高さはこの国の成人男性4人分程の、様々な色味のレンガによって組まれただけのような壁。大国の領土と緩衝地帯を線引く防壁と呼ぶには一見すると弱々しい、単なる飾りのようにすら映る。
しかしそんな代物が、山脈の麓を地平線の彼方までどころかこの大陸の端から端の大半や、領土内でも立ち入りが制限された区域との境界にも敷設されている。ニルギリの標準的な防壁だ。
「見かけよりはずっと丈夫よ。山から降りてくる可能性のあるDランク辺りで膂力の高い魔獣の突進程度なら十分に防げるわ。
けれど、あの壁の主目的は時間稼ぎと座標検知。
位置が分かれば超長距離から照準を合わせて幾らでも攻撃を当てられるもの。それができるだけの人も物も技術も、この国には揃っているわ。
斬る、裂く、穿つ、捻る、砕く、潰す……直接的な物理破壊は勿論、弱点が明確なら焼却、凍結、雷撃なんかもありね。魔法耐性次第では脱水や窒息も手堅いわ。事後調査や泳がせる目的で昏睡、幻覚、暗示、監視、追跡の付与も良いわね。
だからこの壁以上の高さで壁を飛び越えての侵入を狙われても別にいいのよ。検知できた時点でどうとでも料理できるでしょうから」
「ふぇー……」
頂きました!! カイルの『1〝ふぇー〟』!!!
何か記念品を考えておこう。
「あの塔で見張ってんじゃないのか?」
ディルが視線を向けた先には、壁の倍ほどの高さの白い塔が1つ見える。
「多少は光学観測に使っているでしょうけど、あれはサブ、というよりダミーね。
あくまでメインは防護壁全体に分散付与された探知術式と成形術式。一つ一つを単純化・小型化にしたものを量産して互いに結合しているの。部分的に破壊も即座に検知、修復される。良く出来ていると思うわ」
「ふぁ~すごいね〜!」
頂きました!! カイルの『1〝ふぁ〜〟』!!!
何か記念品を考えておこう。
「師匠には意味無さそうだけどな」
「そりゃ、師匠や……父さんには、ね」
俺なら、手持ちの補助術具も使い、偽装情報と物理破壊を80万箇所程叩き込んで監視者側の処理能力を瞬間的に飽和させるのを狙うだろうか。手早くリスクも小さくしやすい。
単純に数箇所大きめに破壊したり、成形術式の改竄を既存の結合に乗せて伝搬複製させ自己崩壊というのもいい。
いや、普通に関所からの侵入が一番目立たないが。
アカーラは……大陸中の壁を全部消すだとか何事も無くすり抜けるだとか、普通にやれるだろう。
そもそも俺には空間移動を使わない方が良いと言いつつ、俺の邸宅に『状態保存』で位置が固定されている竜の楽器を、位置の固定を維持したまま瞬間的に移動させるという理解し難い離れ業をしてみせた。幻術だとかと言っていたが、既知の魔法体系と異なる他の移動系の魔法を扱えたとしても不思議ではない。
「あれが検問所の入り口かな」
正解!
カイルが指差す先に見えるのは、遠方の塔と同じく白い石造の3階建て。おそらく古い城塞を増改築したであろう施設。
閑静な佇まいだ。
「……」
「……姉さん?」
「……いえ、行きましょう」
◇
ここから先の山脈を超える際に通る峡谷は、数百人規模の大隊商が一度に通過できる程広くはないが、50人程度の隊商や冒険者のパーティ程度なら殆ど制限無く自由に通行できる。
行き来は絶え間無く、むしろ時間帯によっては混雑している程だ。
にも拘らず、ここから見える国内側の停留所は警備員以外に人の気配が無い。
そのまま検問所の中へ進めば、そこはスタッフがいるだけの完全な貸切状態だった。
「ご出国で宜しいですか?」
「えぇ。私と、子供2人よ」
「かしこまりました。お荷物をお預かり致します」
「峡谷行停留所までご案内致します。こちらです」
スタッフの1人が俺達のダミーの荷物を台車に載せると、別のスタッフが出国口へと俺達を案内する。台車も一緒に並走している。
事故、通行規制の類いの掲示はどこにも見当たらない。
スタッフからもそのような説明は無い。
入国時同様、それなりの下準備を仕込んできたのだが……ボディチェックはおろか、目的の聴取も身分の照会も無く、用意したダミーの荷は結局台車に運ばれただけで一切検査されずに通過。
拍子抜けだとかザルだとかそういう次元の話ではない。
十中八九、クレイグモア家から事前に口利きがあったのだろう。
再会したマイスは、今のカイルと大差ない年嵩の少年の見た目だった。しかし彼は天寿を全うした後も、今に至るまでの250年以上の年月を確かに歩んでいる。
その上俺とは違い、表舞台に出る事こそ控えているが周囲との交流を断たずに己の家を、子孫を、あそこまで栄えさせ見守り続けている。
綺麗事ばかりではなかったはずだ。
そう言った面を俺達、いや、カイルには殆ど見せなかったが、彼は偶像として崇められているだけの単なる神霊ではない。今のニルギリにおいて間違いなくトップクラスの、老獪で強かな権力者のはずだ。
1日で人と物の流れを変え、周囲に騒がれる事無くそれなりの規模の関所1つから完全に人払いする程度、造作も無い。
それこそ俺達の存在を一度知ってさえしまえば、まして今後の予定も知っているのだから、抜かりなく先回りで手配が行き届いていても何らおかしくはない、のだが……。
ただ独りで〝無理だ〟と証明するだけに終わった50年。
無為に過ごした灰色の250年。
俺の時計はずっと止まっていた。周りなど何一つ見ていなかった。俺だけが残ったこの世界に、価値を見出だせなかった。
記憶にある最後のマイスは、当然だがカイルと同年代の少年だった。
そして、戻ってきたカイルはあの頃のまま。俺達だけなら何も問題は無かった。
だがマイスとの会話の端々には、マイスの方が合わせてくれていたが、小さくない溝があった。
300年の溝。
だからこそ、その隔たりは俺が埋めなければならない。
この世界で、息子達がもう孤独を感じないように。
◇
国外側にある峡谷行の停留所には、予約を入れておいた移動手段が既に俺達を待っていた。
「わあ〜、すごい大っきいバスケットみたい」
カイルの感嘆と共に発せられた言葉は、この世界を正しく描画していた。素晴らしい観察力……そう、籠だ。
木の蔓で編み上げた箱のような駕籠。
『緑風の駕籠』と呼ばれる乗り物だ。
風を纏って地から浮き、目印の無い悪路の続く荒野や、滑落や崩落の危険もある急峻な坂道、遭難しやすい入り組んだ森の中と言った一般人には移動が困難な場所も、予め決められた〝風の通り道〟に沿って安全に運んでくれる。
戦争が終結した頃、エルフから互いの友好の証として提案し、亜人連邦の各地を繋ぐ既存の経路から〝風の通り道〟がニルギリの検問所まで延ばされたのだという。
駕籠自体も度々改良され、300年経った今でもニルギリから亜人連邦の各地への移動手段の1つとして利用され続けている。
〝風の通り道〟はエルフの力によって守護された〝領域〟でもある。
その護りは森の中において無類の強さを誇り、経路上に出現しえる魔獣程度は難なく弾き飛ばす。
仮に上手く干渉できたとしても、それは森でエルフに喧嘩を売るのと同義。苗床になるか肥料になるかぐらいは選べるだろうが、それ故に安全性も高い。
本来ならそれなりの人数や貨物をまとめて運ぶものだが、今回のように要人・貴人向けに小型の駕籠を貸し切るサービスもある。
中に入れば、木皮で編まれた椅子が8脚並び、後方には荷物用の網棚が設置されていた。
「フッフッフ、この大きいのはねぇ!
うちの職人が魔法で編み上げた自慢の逸品さぁ。実は僕の伯父が作ったものなんだよ。
おぉと、お荷物はこちらで良いですか?」
「えぇ」
そして馴れ馴れしくもカイルの言葉を拾った男の名は、ウェンシャン。
この駕籠の運転を務めるのだと言う。
金髪翠眼。長髪を木皮のバンドで纏めて留め、長く伸びた耳には赤い木の実を模した飾りが揺れる。
衣服も草木染めの伝統衣装で、300年前と変わっていない。
典型的なエルフだ。
古来より森に棲む長命種。風と樹木に長じた種族、と言うより炎以外の大抵の魔法を高度に扱うことができる。
そんなことより今は息子達の姿に目を向け、声に耳を傾け、心に打ち震える人生に戻ろう。
「中、結構広い……。空間魔法かな」
「めっちゃ森のニオイ」
俺に続いて息子達が駕籠に乗り込むと、カイルはキョロキョロと見回し、ディルが鼻をひくひくさせている。んん〜〜〜かわいいなあ〜〜〜〜!!
「坊っちゃん鋭いねぇ。実は」
「もっと〝源流〟に近いものよ。周囲から切り離された異界を森に作り出すエルフの秘術。古代魔法の応用、というか〝風の通り道〟と同じ簡易版ね。
明確な呪文や文様になっていない、純粋な魔力操作のみによる付与で、高い自由度と引き換えに繊細な技術が求められるの。
エルフでもこれのオリジナルを知るのは、長の一族と守人の一族だけだったはずよ」
「ほぇ〜、そうなんだ」
頂きました!! カイルの『1〝ほぇ〜〟』!!!
何か記念品を考えておこう。
「ハハハ。そうそう、その通り。ん?……あぁ、はいはい、こっちも大丈夫。……では、そろそろ風に乗せますねぇ。少し揺れますから、気をつけてください」