翌朝に治まった
いやあ、人ってあんな100%超えてそうな純粋な好意と善意で大切に思っているだろう身内に「お前を殺す」とか「今はまだ殺せないのが申し訳ない」みたく言えるもんなんだなあ。
アカーラに弟がいるという話は聞いていないが、ムージャはアカーラを「兄」と呼んでいる。
となるとムージャは俺の予想していたものの内、尤もらしいのは〝弟弟子〟辺りか。つまりアカーラと共に道術か何かしらの修行をしていた者だ。
その修行の中でアカーラの悲願──呪われた今の肉体からの解放──を深く知る機会があったとしても不思議ではない。
「で、態々此の法身に『陽神』を集わせ、機を見て相対さんとした、と」
アカーラはその声色からもはっきりと汲み取れるほど呆れているようだが、ムージャはメンタルが強靭なのか狂人なのか全く堪える様子は無く、嬉々としてハキハキと明るく受け答えしている。
「はい兄者! この部屋の時流は外と隔てて那由他に延ばしてありますから、部屋を出て『陽神』を散らせばこの身体は再びルークス・ダニントンとして俗世での生活に戻ります!」
「はぁ……おい、木偶であるまいに、何時まで案山子のふりをしとる。何の為に時を合わせとると思うとるのか。話に入って来い」
「無茶を言うな……竜の話し合いに蟻が口出しなんぞできんだろ」
「ぴゃいっ?!」
「……」
完全に俺の知覚を凌駕した圧倒的な速度でムージャがアカーラの背後に隠れた。
俺も隠れてぇ~~。この場から息子共々雲隠れしてぇな~~~。
「ムージャ、其の人見知りを治さぬまま、よく〝仙境〟を発とうなどと思うたな」
人見知りだったのか今のは。
「だっ……て…………普段、表に出てるのは其々の法身に宿った後天の『神』で、〝俺〟の方はもっと〝上〟で薄く広がってるだけだし……」
「矢張りな阿保め……殆ど天仙の在り様ではないか。我との柵など疾く絶ち、『虚空粉砕』を為せば『虚』に至ろうものを、何をしとる」
「やぁだぁー! 兄者も一緒じゃなきゃやだぁーー!! わぁああーーーん!!!」
袖を掴んで駄々をこねるその姿は生前の幼い頃のマイス(カイルではなくマイスだ。まあすぐに“泣く”から“殴る”に変わったが。カイルは大人しい方だったしかなり素直で優し今もだな! 今も素直で優しい!! フゥゥゥウウウかわいいなぁぁァァア!! イェエエエイ!!!)を彷彿とさせる。
そのうち暴力に訴えかけてきそうだと思ったが、既に「いずれお前を殺す」宣言をしていたな。なら平気か。
「ええいっ、泣き喚くで無い! 地味に痛むわ!!」
飛び散るムージャの涙がアカーラの皮膚のあちこちに付いては煙を上げている。
以前アカーラが完全回復薬の『原石』へ聖属性らしき魔力を注ぎ込んで赤く輝く無色透明の液体を生み出していたが、あれが児戯かと思える。舞い散る涙の1滴1滴が世界中の教会で聖別される聖水3、4年分相当する程の恐るべき力が圧縮されている。
めちゃくちゃだな……。
そもそも人類に用意できる真っ当な手段ではアカーラに傷一つ付けられるとは思えない。俺がアカーラをSランクの魔物相当だと直感的に判断したのはそういう事だ。
そのアカーラの肌を、ただの涙が焼いている。常軌を逸しているのは明らか。
ふるりと顔を振りながらしおらしく俯き、己の胸に手を当てるムージャ。
涙がばら撒かれ、アカーラのあちこちから煙がさらに上がった。
「うゔっ……俺だって、兄者を想うと、いつも胸の奥が痛んでいます」
「喧しいわ。今そんな話はしとらん」
◇
「それで……ムージャが言っていたのは、要は『強くなってお前を殺し、その生まれ変わりを見つけ出して、そうしたら一緒に仙人になる』で、良いのか?」
「概ねはの」
結局アカーラの皮膚を焼くだけ焼いて満足したのか、ムージャはルークス・ダニントンとして何事もなく帰っていった。
床に下半身を埋められていたはずだが、あっさりと抜け出し、床の方も穴どころか傷一つ無い。
全ては極限まで引き延ばされた時間での出来事だ。あの時すぐ傍に居たカイルやディルマーにさえ全く知覚できていなかった。
「正確に云えばムージャは既に〝地仙〟。其れも〝天仙〟の域に半身入っとる程に高位の、な。
『大周天』にて『二帰一』の境地を修め、『炁』を煉り合わせた先天の『神』より、更に陰を除き純なる陽──〝真人の嬰児〟たる『陽神』──を得、身外に放ちつつ養っておる。本来の後天の鼎器を未だ残しとるようじゃが、疾うに理より外れし仙人よ」
「師匠を……殺すなんて……」
「ヤベェ……」
ディルマーが言っている「ヤベェ」は、アカーラの全身からいまだ立ち上っている煙と音だな。本人は「其の内治まる」と言っていたが、さながら調理中の鉄板焼きだ。
この煙は実のところ霧のようなものらしく、別に吸っても無害らしい。換気はしてもらっているが。
ちなみマイスはカイルに体を返し、席を外している。
弦楽伴奏やバックコーラスの指導準備と、クレイグモア家お抱えの弦楽器製作師と呼ばれる弦楽器専門の技師への依頼をまとめておくのだという。
精力的なことだ。死者に使う言葉として正しいかは知らんが。
相変わらず煙を燻らせているアカーラに、俺は尋ねた。
「仮にお前を殺せたとして、この世界の未来に人間として生まれ変わるとは限らないんじゃなかったか?」
「然り。真の意味で次とは限らぬ」
やはりその認識自体は正しいようだ。
「されど〝魂〟──我等が〝先天の『神』〟〝『元神』〟等と呼ぶものは、存在ではなく、意味を纏った現象に近い。
其れは聖なる炎を薪から蝋、蝋から松明と移すのと似ておる。其れ等は同じ聖なる炎であると捉える。
在り様は変遷しようが、本質は変わらぬ。因果の繋がりも保たれる。
其の上で此の炎は時と世を越える。同時に数多と在る事もあれば、存在せぬ事もあろう」
死んで天に還った魂の移ろいは地上の理屈では推し量れない。
次は遥かな未来かもしれないし過去かもしれない。
この世界ではないかもしれないし、人ではないかもしれない。
「何れにせよ、幾度目かの生まれ変わりには復た再び相見えると云えよう。其れが何時何処かは天上の采配。どのみち悠久の果て迄の長さも我には認識出来ぬ故、問題には成らぬ」
生まれ変わる側からしたら、記憶や自我が普通は継承されない以上、再会までにその魂が経た時間を知覚することはない。
それは再会を待つ側も同じだという。
勿論数百、数千年と間が空くかもしれないが、寿命の枷が無い奴らからしたら関係ない。どちらかと言えば、いかに早く見つけ出すかが鬼門なのだろう。
◇
「生まれ変わり──転生輪廻は、天上の理。故に天下の万事を知り得る『黄丹』の力を以てしても、幾つかの条件が整っておらねば見通せぬ。
例えば、〝前世より縁を持ち、其の『元神』を知っておる〟とかの。まぁムージャであれば我の生まれ変わりを見つけるなど容易かろう」
アカーラでさえそうなのだから、カイルを人として後の世に送り出し俺と再会させた、妻の竜の力による転生のすごさが分かる。まさに理外の力だ。
「とは云え、此れは『道術』が〝理の逆行〟に特化しておる故よの」
「な、なぁ……けむり……」
平然とアカーラは話し続けているが、まだ肉の焼ける音がする。しばらくは煮物か蒸し料理にしよう。
そしてディルマーの健気な指摘は完全にスルーされる。アカーラは一度長話を喋り出すと止まらんようだからな。
「〝生命の反転の果てにて、万物万象の至高の原点たる虚空へ至る〟。
しかし、世には此れに対を成す術理が在る。〝無限の流転の果てにて、万物万象の至高の頂点たる涅槃に至る〟と云う考えよの」
始点か終点か。逆行が順行か。無か無限か。小宇宙か大宇宙か。
だがこの両者の本質は同じものだと言う。
この世界の終わりは次の世界の始まりでもあるから、らしいが随分とスケールの大きな話だ。
『死』という概念そのものを超克しているわけではない、肉体が少々死ににくい程度な俺では、流石に世界そのものの終わりと始まり、その一点ないし虚数的領域は通過できず、情報が全て剥ぎ取られてしまうだろう。
「流派によりけりであったが、うむ……『法術』とでも云おうか。口を開かば「『法』が」「『法』が」と殊に喧しき輩であった」
銀紙を噛み締めたようにあからさまに表情を歪めたその顔と声色は、言外に二度と関わりたくないのだと物語っている。
どうやらアカーラは『法士』──『道術』を究める者を『道士』と呼ぶなら、『法術』を修める者は『法士』と呼ぶのが妥当だろう──のことを相当忌み嫌っているようだ。
少なくとも俺から見ればアカーラは〝仙人〟と呼んで差し支えないレベルまで道術という体系を究めている──本人は「仙人のなり損ない」だといつも言っているが、何がどうなれば真の〝仙人〟たるのかはさっぱり分からない。
ともかく、法士という己の寄る辺とする信念とでも言うべきものからして異なる存在とは、考え方が相容れないらしい。
「そして、彼奴等には生前の行に因る『徳』と『業』を以て輪廻の環を解し、其の往く先を御す術が在る。来世へ渡る法。正しく〝理の順行〟の極致。
尤も、彼奴等が求めておったのは其の先の『解脱』であったが」
そう考えると、『竜の巫女』は『法術』の流れを汲んでいるのか、あるいは源流が同じものなのかもしれない。