兄が弟で弟が兄で
以前、アカーラはこう語った。
〝魂の巡りは時流に囚われぬ。異なる命、異なる時、異なる世界。我には其れがどうなるか迄は分からぬ。其れは天上の事である故な〟
また、こうも言っていた。
〝ふむ、矢張り別視点の発想が重要と言う事かの。斯様な穴が在る故、気を付けねばならんな〟
つまりこれは、アカーラ自身も当然承知している〝穴〟。
知ろうと思えば天下のあらゆる情報を知り得るという『黄丹』の力。しかしそれは〝全知〟ではない。
例えば〝天上の理〟は知ることができない。
〝天上の理〟だと語られたものは、〝死者の魂の流れ〟、所謂『前世』や『来世』だ。
つまり、普通は前世も分からない。だがカイルの前世については特別。カイル自身が自覚しているのと、直接知っている俺が居るからアカーラも知る事ができるわけだ。
他にも知ることのできない事はあるだろうが、何より一番の大きな〝穴〟は、知ろうとする必要があるという点だ。
あの時、アカーラはこの後に出会う可能性の高い人物について〝知ろう〟として、本当に偶然〝知った〟。
だから驚き、多少強引にでもニルギリに残る方向に話を運んだのだろう。
珍しくあからさまで俺にも分かった。おそらくルークスという少年がそうだ。
ただ、彼が〝誰〟なのかまでは俺には分からない。
アカーラの歩んできた時は、余りにも長い。
俺達に語った両親や兄達、故郷の友人か長か、それとも深くは語らなかった各地を転々としていた時に出会った思い出深い誰かか、同じ仙人の下に居たかもしれない兄弟弟子か。
まあ、なんにせよ。
俺達の事情に付き合ってもらった以上、俺達も付き合えずとも本人達に時間を設けるくらいはすべきだろう。
…………軽率にも、俺はそう判断してしまった。
俺としたことが、アカーラがその力で知る事のできない〝理外の存在〟というレベルを、甘く見てしまった。
◇
我が生を受ける前、齢十四にて早逝……いや、はっきり長兄に毒殺されたと云うべきか。我にはもう一人、ムージャと云う次兄が居った。
我はムージャ兄を直接は知らぬ。兄上の目に如何に映っておったかと云う形でしか知らぬ。
道士の才能に溢れ、他者をすぐに信ずる御し易き少年。
幼き我に似て愚かな──と考えるのは誤り。
我が似ておったのだ。
扱い易かったムージャ兄の性格に似るよう、兄上の手で育てられたのだしの。
悪しき迄に人心に明るかった兄上は、しかし道士としては所詮凡庸。
兄上の目を通してではムージャ兄や父母の『元神』を知るには至らなんだ。
されど幸いにして──悍ましき事に──、我に服された金丹の材料の一部に使われておった故か。
一目見て其奴が〝ムージャ兄〟じゃと感覚的に察せた訳よの。
其れがもう七百年程前にも成ろうか。
今生では名すら与えられぬ捨て子であった其の嬰児を、我は呼ぶ事の叶わなんだ「ムージャ」の名で呼び、師に頼み込み弟弟子とした。
兄であったはずの者に兄の如く慕われるのは、実に稀有な経験であったの。
我と師の下、共に仙人の隠れ里〝仙境〟にて健やかに育ったムージャは、齢十五にして仙薬に頼らぬ純然たる修行のみにて、逆行に因る停滞──則ち〝地仙〟の域──に足を踏み入れおった。
如何に〝仙境〟にて養ったとは云え、其の程度で至れる程容易きものではない。
ムージャの才は正しく凄まじく、此処まで隔絶しておっては、成る程、愚兄には受け容れられまい。
我は我で自害の為、更に五百年前より師に神通力を籠めて戴いとった仙桃の木剣を、仕上げとばかりに朝一番の陽の気に満ちた童便へ浸し込んだのじゃが、ムージャの寝起きに厠より拝借した物と云う訳よ。
最後に日の出と共に暁光を吸わせ、方位・日時にまで考慮し膻中を貫けば、身の内より燃え盛り、〝此れは逝ける〟と思うた。が……結果は全身消炭に成るのみで、半月程で恢復してもうた。
傍らで泣きじゃくりながら介抱するムージャの陽の気に溢れた涙と鼻水が延々と包帯に滲み、死なぬ程度に我の躯を更に焼いて苛んだ。
〝兄者は、ずっと死にたかったのですか……?〟
〝そうとも。
なあに、『虚』へ至る為の道程に過ぎぬ。此の身では永劫に叶わぬ故な。
されど最早、天仙様に滅ぼして戴く事を願う他無しと、師父より『皆伝』を戴いてしもうた。くく、斯様な身で弟子など取れたとて仕方あるまいに〟
〝兄者……〟
我は間もなく〝仙境〟を発ち、再び永き放浪の日々を送った。
異なる術理の門戸を敲き、其の頂に我を斃せしむる者が居らぬかと、道場破り紛いの事をした。
古き原始の龍へ喧嘩を売りに足を運んだりもした。買取拒否され尾で弾き出されてしもうたが……クククッ、空を三周し幾度と大海を跳ね、山岳に減り込んだのは愉快であったな。其の程度で滅ぶ身ならば楽なのじゃがのう。
時ばかりが過ぎ、成す事は悉く上手く行かず、無聊を慰めんと戯れに俗人に紛れてみれば、此の躯を解体されし処で術が解けた。
包丁と我より引き摺り出した臓腑を両手に、目覚めし我を見、唖然と立ち竦んどった無様な女は、愚兄とは無関係であったが気に障った故、其の場で消し去ってもうた。
血の味は、まるで昔と変わらぬものであったの。
そして。
我を斃すには至らぬが、猛者たり得る者と相見えた。
血の味を超える極上の甘露を知り、まだまだ伸びるであろう若人達を導きもした。
同じ師を仰ぎ、共に切磋琢磨し合うのとはまた違った、面白きものであった。
◇
……は?
俺の口から出たとは思えないほど間抜けな、音のような声。いや、発せていたかは怪しい。
晩餐会が終わり、ルークスとピルールが帰路につき、この部屋の戸が閉まった瞬間。
「『天雷』」
音は無く、目の前に現れたのは不自然な造形。
「『陰火』」
アカーラの胸から子供の腕が生えている。
「『贔風』」
いや、背後から何者かの腕が突き貫いている。
が、そのあどけなさすら残る細い腕は、血の一滴すら付いていない。その異常な窮状に──
────アカーラは確かに笑みを浮かべていた────
「〝三禍渾然〟」
目鼻口耳、アカーラの穴という穴から光が吹き出たかと思えば、そのまま全身が光と化し形が崩れる。
そこには、ルークスが立ってい
いや絶対にルークスじゃないな何だ何だやばいぞこいつ本当にやばい。アカーラに一撃でも入れられているだけで既に人の域に無いが、その一撃で必滅だ。必殺ではない。オーバーキルも甚だしい。
俺は俺で何時だかアカーラにやられた時のように指一本と動けない。しかも時間の流れが信じられないほど引き延ばされている。現にカイル(マイス入り)とディルマーはまだ知覚も反応もできていない。俺の思考や認知が追い付いているのが不可解なレベルだ。
が、身体の自由が戻ってきた時には、ルークスの下半身が床に埋まっていた。
上半身だけが床から生えている。
そして何をどうやったか知らんがアカーラは無傷でルークスの前に立ち、その足元にルークスが抱き着いていた。
「わはぁーー! 兄者ぁ! 兄者兄者兄者ぁ! お久しぶりです兄者ぁ!!」
「息災なのは分かったが、何をしとるムージャ」
「はい! 今は兄者分を補給しています! えへへ~」
先の殺し合いが幻覚だったかのような無邪気さでルークス、いやムージャがアカーラの脚に頬擦りしている。床下に下半身を埋めたまま。
「違うわ阿呆め。〝仙境〟を出て斯様な場所で何をしとるのかと訊いとる」
「師父が、兄者は俗世に降り旅をしているとおっしゃったので、俺もそうしようかと! あ、俺も15年くらい前に『皆伝』戴きました! お揃いですね兄者!!」
「ええい、逢って早々に喧しい! 『虚』への合一を求むる仙人に皆伝もへったくれも無いわ!」
「ぷむぅ」
ムージャの両頬をアカーラが手でプレスしている。
?
……??
俺は何を見せられているんだ。
「兄者は俺よりもずっと永く旅をしてきたと聞いていたので、兄者に追いつくため俺の『陽神』を『身外有身の丹功』で384に分け、色んな修行や俗世での経験を積んで『陽神』をより磨き上げてるんです。俺じゃ兄者の事は良く視えないし……だから会えるなんて思ってませんでした! 嬉しいです!」
「『身外有身』の法身にて、後天の『神』を養っておると……?」
「はい! 分かれてるとこんな弱くなると思ってなくて、俺すごいビックリしちゃいました!
だいぶ慣れてきましたけど、やっぱり力不足で……この鼎器は俗世で理の順行を経て、その最期に『虚』を垣間見れないかと用意した192の後天の法身の一つです。逆行のための先天の法身と違って完全に俗人の鼎器なので、先の通り貧弱な術しか使えませんし……ううん、これじゃ言い訳ですね」
貧弱……?
国を消し去る戦略級の大規模広域殲滅魔法3発相当を、出力はそのままに対人の範囲に圧縮したような圧倒的な力の奔流。それを「弱い」と言い張るのか。
しかもそれが384に分かれて世界各地で修行中……今の口ぶりでは、そのうちの半分はこれよりも強い……?
将来の夢は宇宙消滅とかか?
「ごめんなさい、兄者。未熟な今の俺じゃ、まだ兄者を殺せなくて……でも……必ず殺してみせます。それまでもう少し、待っててくれますか?」
ははは、なるほど。当たらずも遠からずだったな。