楽器を鳴らそう
「確かに、ヴァイオリンの方が音程の融通は利くだろうが……それなら現物を用意した方が良いだろう」
〈現物、ですか……?〉
「あぁ。家の寝室にあるんだ」
〈そうなんですか……あ、でも許可登録された魔道具を通さないで敷地を跨ぐような空間移動術式を使うと……その、警吏が騒ぎますのでご注意ください〉
なんでも、あの当主が以前やって見せたのもあくまで敷地内での移動だったのと、うちの敷地自体が半ば公共の場と化しているから問題無かったのだという。
……俺やアカーラのは大丈夫だったのか?
まぁ、あれも敷地を跨ぐようなものではなかったが……。
「ほれ」
アカーラの背後には楽器があった。
俺と妻の寝室の片隅に仕舞ってあるはずの、件の物品の数々だ。
「マイスと云ったか。我は把握しておる故、気に病まずとも良い。空間を弄らぬ手段も有るでの」
ははは、気が利くな。
マイスが心配そうに目を向けてくる。俺は黙って首を振った。
……恐ろしい事に、『状態保存』の術式は解かれていない。そのままだ。
これらの楽器は、外部に持ち出されないよう位置情報を固定してある。そしてそれらが何一つ解けていないにも拘わらず、ここに移動されている。手で持てば何事もなく普通に持ち上がる。
「当然であろ。此等の器物も其の周りの世界も、動いておらぬと思っとるからの。動いておるように見えとるのは、此処に居る者等のみ。
そも、観測の目が元より寡少故、此の程度の幻術は容易い」
意味不明だ。幻術?
その言いようだと俺達以外……世界そのものに掛けている……いや、逆か?
……普通なら調べる所だが、相手が相手だ。そういう事もあると諦めるしかない。
さて、アカーラがこの場に持ってきた楽器は全部で4種。俺が勧めるとマイスはおずおずと近寄り、その一つ一つを検分し始めた。
〈こちらの弦楽器は構造や発音原理はヴァイオリンに近いですが、形状がかなり細長い……キーナ大陸渡来の民族楽器で似た物を見た覚えがあります。こちらは鉄琴のよう? でもこれだけ形が不揃いだと調律が難しそうです。大小の太鼓はこの中だと比較的普通に見えますけど、胴が独特な形ですね。曲がった円錐というか……全体的に生命力を感じさせる、有機的なデザイン……非対称な形状が奥行きのある音を生み出すと言われていますし、理に適っているのかも〉
おお、なんだかマイスが興奮している。
カイルも一緒になって楽器をじっと眺めた後、「あ、」と何かを思い出したように手を叩いて顔を上げた。
◇
「なんとなく見覚えあると思ったら、この太鼓、俺叩いたことあるよ。ほんとに小さかった頃、母さんが大きい方を叩くのに合わせて、小さい方を叩いて遊んでたんだ。
この……なんだろ、鉄琴? ぽいのも叩いたことあるかも」
母さんがどこかから持ってきて、いっしょにポンポコ鳴らして遊んでた。俺が5歳くらいまではそんな感じで、でも6歳くらいから料理に夢中になっていったんだよなあ。
〈え、子供がそんな気軽に触っていい物なのこれ〉
マイスの言葉を聞いて、改めて見ると……確かに、ちょっと……はばかられる雰囲気も漂ってるかも……。
明らかに年代物だって分かる質感に、明らかに手間がかかってると分かるかなり細かい文様。
もし、「うっかり壊したり傷を付けたら大変じゃ」「資格無き者が触れれば祟られる」とか年配の人に言われたら、ためらって手を引っ込めちゃうような〝圧〟がある。
「さ、さあ……そう言われると、どうなんだろ」
ふ、不安になってきた。
父さんの『状態保存』があるから、汚れるとか傷付くとか壊れるみたいな心配はきっと大丈夫なんだろうけど……。
「メイも問題無いと言っていたから大丈夫だ。……盗み出されなければな」
それは……今まさに師匠が盗み出したとも言えるような……父さんも分かってて苦々しい顔をしてる。
と、とにかく、俺達が見たり触ったりするのは良いってこと……だよね?
俺はしゃがんで、小さい方の太鼓を太ももで軽く挟んでポコポコと鳴らしてみる。指は力を抜いて、手首のスナップさせる感じで指先で叩く。素早く指を離して響かせたり、離さず音を抑えたり。たまに胴の方を手首で叩くのを混ぜると、低めの違った音が混じって、もっとリズミカルな感じがするんだ。
わ~、そうだそうだ、こんな感じだった気がする。懐かしい……あの頃よりずっとお母さんがやってたっぽく鳴らせてるかも。
「というかマイス、こういうの好きだったんだね」
楽器を見ながら色々とつぶやいてたマイスが、まじまじと俺の手元のを見つめながら、音に聞き入ってた。
さっきのオルガンもすごい上手かったんだよね。
前世の……お互い本当に子供だった頃のマイスは、いい感じの棒を拾っては振り回してて、剣士とか魔術師とかに憧れてた風だったと思う。
俺が知る人ぞ知る酒場の料理長で、マイスが常連の戦帰りの男っていう、よく分からない設定のおままごとをやってたこともあった。
まぁとにかく、マイスに音楽が好きって雰囲気は無かったんだけど……。
〈あぁ、えーと……最初はパトロンやってただけだったけど、ちょっと自分でも作ってみたらなんかハマってっちゃってさ……
ほら、カイルの……お母さんのメイルーアさんって、外国の人だったでしょ?
色々調べてみたんだけど全然資料が集まんなくってさ。結局メイルーアさんの曲は、僕が憶えてる雰囲気から想像で書いたんだ〉
「へぇ〜、そうだったんだ! でも母さんの曲、すごい良かったよ! なんか、こう……初めて聴いたのに懐かしい感じもしたし」
〈カイルにそう思ってもらえたんなら良かった……ってもう聴いたの?〉
「うん。ここ来る前に父さんやみんなと今やってるミュージカル観たんだ」
〈そ、そう……観劇料とか返した方がいい?〉
いや別に、と思ったけどお金出したの父さんだし、俺が返事するのも違う気がする。
そう思って父さんに話しかけようとしたら、師匠が急にとんでもないことをつぶやいた。
「其れにしても、己が體を基に斯様な鳴り物を造るとは、酔狂な竜も居ったものよの」
「〈はぇっ!?〉」
俺は手を止めて、マイスとそろって変な声を上げてしまった。
止めてよ父さん……! 俺、その太鼓、調子よくポコポコ叩いちゃったよ!?
昔叩いてたし、今更なんだけど……!!
◇
4種の楽器は各々、『髭弓』『鱗琴』『爪鼓』『牙鼓』という名だ。そして概ね文字通りで、主な素材がそのまま名前になっている。
精々頭に「竜の」と付くのが省略されているぐらいだ。
さっきからディルマーが遠巻きにして楽器に近寄ろうとしていないのは、本能的に強大な古い竜の気配を感じているからだろう。
この竜は、以前の火炎竜達とは格が違う。
〈やはり民族楽器なのですね、その……奥様の〉
マイスがおそるおそると口を開いた。まあ当然その結論に行き着く。
というか俺達を題材に作品を制作したなら、俺や妻の過去も調査しているはずだ。楽器を見せる前から予測はできていただろう。まさか竜の一部を模しているとかではなく、竜の素材そのもので作られたとまでは流石に思わなかったのだろうが。
「ああ。『竜の巫女』の一族に代々伝わるものの一つらしい。音楽も含め、大半が口伝で面倒だったと妻が言っていた。さて、まずは……」
俺は『髭弓』を手に取る。ヴァイオリンとチェロの間ぐらいのサイズだ。
角や爪を加工して作られた柄と胴。本体に4本、そして弓に束ねて張られているのは、その名にもある通り竜の髭だ。
この手の擦弦楽器では本来、松脂が必要だ。無いと摩擦が足りずに滑るだけで殆ど音が鳴らない。
しかしこの『髭弓』の竜の髭は、その表面に摩擦係数を上げるような特性が付与されたと思われる特殊な魔力を纏っているため松脂が不要だ。おそらく周囲に植物があまり無い環境だったんじゃないだろうか。
「音はこんな感じだ」
それぞれの弦に弓を当てて引く。艷やかな音色だ。
ヴァイオリン同様、抑える弦の位置でも音程を変えるのだが、
柄が長い分、弦1本の音域が広い。
しかしそれ以上に特徴的なのは調弦だろう。
〈……かなり、不均一なんですね。それに、弦ごとでオクターブが一致していないような……?〉
「弦だけじゃない。楽器ごとで調律が違っている。それらが合奏すると全体で独特のうなりを生み出す。
なんでも、それで万物が流転する自然を表現していたそうだ。演奏しながら世界と混然一体になっていくとも言っていた」
『鱗琴』は、文字通り鱗を削った物が髭で結ばれて横に並んでいる。その下には音を共鳴させる筒がある。これも鱗を丸めたものらしい。
その鱗を、先端に竜の髭をこれでもかと巻き付けたバチで叩けば、透明な澄んだ音が響く。鉄琴よりもどこか柔らかい印象の音色だ。
一体どうやったら竜の鱗は丸められるんだろうな。傷一つ付かないか砕けるかの二択だぞ普通。
『爪鼓』『牙鼓』は、どちらも翼の被膜が張られている太鼓で、よく響く。太腿で挟み込み両手で直接叩くのが基本だが、張られている膜だけでなく胴の方を叩く奏法もある。丁度カイルが奏っていたような感じだ
胴がその名の通り爪と牙をそれぞれくり抜いたものだというが、贅の極みとしか言いようが無い。人間はこんなものを作ろうと思わないだろう。
そもそも角や髭、鱗もだが、このレベルの竜の素材は物理的にも魔術的にも強度が高すぎて、人間にはほぼ加工できない。割るなり砕くなり融かすなりして成形というのなら辛うじてどうにかできるかもしれないが、そのまま思い通りの形に切って曲げるというのは不可能と言っていいだろう。鉄板とは訳が違う。
伝承では、これらはその竜が自身で加工し作成したのだそうだ。
相当器用な上に暇だったんだろう。




