墓前にて
クレイグモア家の家紋──丸の中に、既存の花や動物の意匠とは全く異なる、入り組んだ複雑な曲線という他に類を見ない特徴的な紋だ。俺は、これが幼い頃のグリュオが描いた絵に由来していると知っている。「私の似顔絵なんだよ似てるだろ?」とプードル姐さんが自慢してくれた。そして、孤児上がりの下っ端軍人でしかなかった当時の俺には肯定以外の返事は存在しなかった──が刻まれた白灰色の石扉がゆっくりと開かれる。
〈こちらが当家の地下廟です〉
地下廟。
元は地下の共同墓地を指す言葉だったが、当時の金を持っている貴族の多くは、一族の遺骨を納めその偉業やら歴史を讃える専用の建物を敷地内に設けていたらしい。
“らしい”と言うのは、貴族は既にこの国からは消え失せている上、革命の際にその手の富の象徴の大半が接収されたとかで、多くが小さな墓標に作り直され、殆ど現存していないのだという。
あと他人の墓なぞに俺は興味が無い。
死体を掻き集めた事はある。どいつもこいつもほぼ全身が残っていて羨ましい……妻や息子も全身の骨や組織をもう少し見つけられれば、と思った事なら……いや、もう終わった話だ。
マイスの声が俺達の靴音と共に硬質に響くここは、地下だというのに天井がかなり高い。ちょっとした教会をそのまま地面の下に埋めたような感じだ。窓の代わりに換気口があり、魔灯がそこかしこで光を補っている。
正面の壁にはステンドグラスではなく、タイルで描かれた巨大なモザイク画が魔灯の光で柔らかく照らし出されていた。
それは、初代クレイグモア卿──プードル姐さん──を想い起こすのに十分なほどよく似た顔立ちでありながら、しかしその容貌は歳若い青年男性のものだ。
〈元は、若くして戦場に散った祖父セーグル・クレイグモアの小さな墓標でした〉
モザイク画を見やりながら、マイスが説明を続ける。
〈その後、曾祖母が亡くなられた際に「眠る時は息子と同じ場所が良い」という遺言に従って、当時の名誉男爵位に見合う形に建て直したそうです。……と言っても、僕が物心つく前の話ですし、その辺りはおじさんの方がご存知でしたね〉
戦力的にも政治的にも大立ち回りをしてあれだけの戦争から、息子の忘れ形見である孫を護り切った女傑プードル・クレイグモア。
その姐さんが最期に望んだのは、護り切れなかった息子さんと共に眠ることだった。
〈その後……あの戦争が激しくなって……墓所を地下に移し避難シェルターも兼ねる作りになったのです〉
「なるほど。それで今は本邸と地下通路で直接繋がっているのか」
そう、俺達はクレイグモア家本邸から、そのまま地下を歩いてやってきた。
◇
わざわざ地下を通ったのは、俺達が極力人目に触れないようにとの配慮もあるのだろう。
ちなみに地下通路の入り口は、あのマイスの書斎に隠されていた。
マイスが書斎の扉に鍵をかけ、本棚の装飾に隠蔽されたボタンを押すと反対側の本棚の一つがずれて階段が現れる。
だがこれはダミー。進めば罠まみれで、その先にあるのは一方通行の牢屋。
決められた順で本棚のボタンを追加操作すると更に本棚が移動し、ようやく正しい階段が現れる。
わざわざ魔力探知を掻い潜るために動力が圧縮空気になっており、ボタンだってそう簡単に判るような見た目になっていない。しかも、扉を閉めて鍵をかけるという侵入者からすれば退路を塞ぐ行為をしなければ、そもそも押し込めず触れてもボタンだと気付かれない。
その上で、一度目の仕掛けで現れる隠し通路を丸々罠にしているわけだ。
確かに『人は最初に苦労して自分の力で見つけたものを正しいと思い込みやすいし、信じたがる』と、子育てのアドバイスのつもりでグリュオに話した事はあるが、まさかこういう形にしてくるとは思わなかった。富豪の本気ということか。
もっとも──俺の邸宅で妻と息子が攫われた事件で警戒して作ったのだろうが。
そんなことより、動く本棚とその裏から現れる地下への道を目にしたカイルとディルマーの「かっこいー!!」と顔に書いてあるのがよく分かる目の輝き様ったら銀河? 銀河が四つある?! 宇宙の神秘だな??!
……今度うちにも動く本棚裏隠し階段、作るか。
セーグル氏のモザイク画の下、石段の上にそびえる俺の背丈の倍はある巨大な墓標と、家紋が白金糸で装飾された青磁器の骨壺。
その両脇に一回り小さいが十分に大きい墓標が三つ並び、それらの周囲を一気に膝下サイズまで小さくなった数多くの墓標が取り囲んでいた。やや大きいものがいくつか混ざってるのは、生前に何か偉業を成したからのようだ。
ともかく、クレイグモア家の子孫はこの250年で随分と繁栄してきた事がよく分かる。
〈右側のこちらが父上と母上の墓標です〉
プードル姐さんに溺愛されていた息子さんの忘れ形見のグリュオ夫妻は、姐さんの巨大な墓標の両脇の内の一つであり、反対側が姐さんの息子さん、セーグル氏夫妻。
カイルとディルマーが一緒になって口を開け見上げている。かわいい。
「父さん、ちゃんと還ってるよ」
カイルが小さく呟く。
マイスと違い、グリュオの魂は既に別の世に旅立っているらしい。そうなると、いや、最初から……か。俺の自己満足だな。
◇
「……グリュオおじさんの隣のって……」
勿論、カイルが言っているのは、圧倒的に大きなプードル姐さんの方ではない。
それ以外の大きな3つの墓標。プードル姐さんの左隣がセーグル氏で、右隣がグリュオ。そしてグリュオのさらに右隣にも同じくらい巨大な墓石がある。
いや、思い切り〝大マイス・クレイグモア〟と書いてあるのだから尋ねるまでもないのだが。ちなみにグリュオも〝大グリュオ〟となっている。奴は小柄な方だったはずだが。
〈さ、最初は僕のだって同じくらいずっと小さかったんだよ。ていうか、そうしないとデカい石碑だらけになるし。だから子供達のも小さくなってるのに、後から僕のだけなんかどんどん大きく作り直されていっただけで……大とか付くし……〉
マイスの声はどんどん恥ずかし気に小さくなっていく。
まぁ崇められて神霊になるくらいだしな。大きくなるのも仕方ない。
墓標に刻まれた内容曰く、俺の出奔に気付くまでの50年以上の間、父親と共に戦後の復興事業を推し進め、戦争孤児の保護や教育支援なんかもしていたようだ。
そのまま孤児達の支援の延長で様々な分野にほぼ打算など無いような投資をした結果、それらが大当たりし、元々持っていた資産を利権付きでさらに莫大に増やしたと。
俺の出奔に気付いた時点で、マイスですら既に70代後半、晩年と言っていい歳だったはずだが、そこからグレンデール作品群とでも言うべきものをパトロンになりつつ、マイス自身も死の直前までの20年近くに渡って作り続けたらしい。
この前に観たミュージカルも、原作はグリュオとマイスが作った歌劇だ。
細かいものも含め50近い数の作品を制作し、最期の未完成と思われた原稿などは死すら通り越し、死後も騒霊な執筆が行われ完成したという逸話まである。
そしていつしか、主人を亡くした原稿で溢れた書斎に、在りし日の少年の姿で現れるようになったマイスは、今に至るまでクレイグモア家とフロスト邸を見守り続ける偉大なる守護霊である、と。
人の事言えたものでは無いが、死んでも諦めていないという意味では、やはり俺以上の執念だろう。
「大マイスだけに……」
〈あ゛?〉
カイルはたまに全く悪気なく喧嘩を売る発言をする事があるが、マイスはマイスで中々凄い声色をたまに……度々、そこそこ、しばしば出していた。神霊だとまた違った迫力があるな。
生前グリュオが「ウチの息子はもうすっかり暴君様だよ。癇癪〝マイス〟ターってな。ハハハ」と笑った所で、まだ4歳ぐらいのマイスに助走付きの全力で脛を蹴り飛ばされて悶絶していたのを思い出す。姐さんの血を感じたものだった。あれはグリュオが悪い。
その後カイルに「おじさんだいじょうぶ……?」とグリュオが覗き込まれていたのを羨ましく思ったのをハッキリと覚えている。
というかさっきのはそれ伝いに今思い出した。
「いやっ、だってそう呼ばれてるんでしょ! 他にもマイスさんいるんでしょここ!」
〈ぐ……〉
確かに、同名のマイスが4人。ミーシャやらマイケルやら他にも微妙に肖っている者はもっと見つかる。グリュオも他に3人いる。
それだけ慕われていると言う事だろう。
「……悪かったグリュオ」
俺の言葉に、先までの騒がしさが嘘のように静まり返る。
俺の声だけが、石造りの廟の中でやけに響いた。
「お前も暴君だなんだと言っていたが、マイスは立派な男になっているな」
〈……おじさん〉
実際200年以上経ってなお忘れ去られるどころか、マイスは神格化されるほどに信奉されている。相当なものだ。
「俺の息子も、超ッ絶ッ、立ッッッッ派になって帰ってきたぞ。凄いだろう」
〈……〉「……」「……」「……」
ちょっと唾が飛んだだろうか。