処理落ち
そういえば、カイルのアンデッドセンサーとでも言うべきものはマイスに対してどう反応しているのだろうか。
「カイル、身体の方は大丈夫なのか」
〈! ……カイル、どこか体悪いの?〉
「え、いや……? ……っ! あぁ~。もう、父さん! マイスの前で変なこと言わないでよ。
……大丈夫、ちゃんと回してるから」
〈回す?〉
ほう。反応自体はしているが、湧き上がる『精』を『炁』、つまり魔力にうまく転化できている、と。
──危ない所だった……!
もしその技法を習得できていなければ、カイルは再会したマイスを前にしていきなりいきり立つように勃……アカーラには感謝する他あるまい。
「な、なんでもないからっ、ほんと、気にしないで!」
〈……? なら、いいけど……〉
そしてどうやらカイルの基準(?)では、今のマイスもアンデッドの括りに入っているようだ。
神霊。
信仰によりその存在を確立するもの。
アカーラは今のマイスの在り様をそう説明した。
死者の個々の遺志によるものである亡霊や悪霊の類と対照的に表現するならば、生者の集団的な意志によるものが神霊と言える。
ならここでいう『集団的な意志』は何か。簡単だ。
俺達の名を後世に遺すために、結果としてマイスは俺達を題材として多くの作品を生み出し、どうやらこの国の多くの人々の知る処となっている。
そしてこの書斎にはマイス直筆の原稿なんかがそこら中にあることだろう。これ以上なく分かりやすい依り代だ。
つまりこの場所は魔術的な視点で言うと、『神殿』と見做すことができる。
最初は未練による亡霊ないし地縛霊か、騒霊の類だったのかもしれない。
だがそこに信仰がなだれ込んだ。それは今もだろう。
後世のあらゆる『グレンデール作品』がもたらす人々の中の数多の想いが、いまだ生きている俺ではなく、既に死んでいる源流たる原作者へと流れ込む。
その存在を確固たるものにするほどに。
マイスの色濃い後悔は、そのままあの場面の表現の重々しさに繋がっていた。
その一方で以降の描画は暗澹としつつぼかされている。
俺が独り家に籠り狂気の中研究にのめり込み、彼らが気付いた時には家からも姿を消していた。それだけの話だから仕方ない。
ここで肝心なのは、彼自身の描画はあの場面から先には存在しないという点だ。
なにせ俺を主題としている作品。
あの後、俺はもうグリュオやマイスと顔を合わせることは終ぞ無かったのだからそれは当然と言える。
だからマイスは生前の最期の姿でも当主であった頃の姿でもなく──確かに作中での彼自身は、これぐらいの年嵩で描かれていた。
◇
〈というか僕のことはいいんだよ。見ての通りなんだし!〉
「いや、見ての通りってわけでもないと思うけど……全然分かんない……」
俺の長々とした思惟はさておき、マイスが声を荒げ、カイルがそれとなく突っ込んでいる。
時の隔たりを感じさせない自然な掛け合い……感動のあまり鼻の奥にクる。歳を食うと涙脆くなるというのは本当なんだな。
〈それよりカイルだよ! グレンデールおじさんもだけど。あれから200、いや300年くらい経ってるんだよ!
……完全回復薬の事もあるから、グレンデールおじさんは不老不死になってました~とかでもおかしくないんだけど〉
「おぉ……大御館様の御慧眼には敬服するばかり! 矢張り私めの濁り切った眼とは大違いに御座います」
あ? お前まだ居たのかよ。
〈……〉
「……いつも、こうなの?」
〈……まぁ……そう〉
思いっきりドン引かれてるぞ良いのかうっわ喜色満面だな。公共の場でしていい顔じゃないぞ。
ここがお前の家じゃなかったら警察に突き出すところだった。
「そっか…………どんまい!」
〈ッ……〉
ほぉ……実体がなくても顔赤くなったり青筋立ったりするんだな。
おっと、カイルがあまりにナチュラルな笑顔でケンカ売っていたから正しく認識できていなかった。
〈こんのォッ!〉
「うわっ?!」
不自然に絨毯が滑りカイルが足をもつれさせたところに、マイスが馬乗りになる。なんだか見覚えのある不敵な笑みだ。
その手は躊躇なくカイルの弱点に触れる──!
「いっ、ひゃうっ!? やめっ、ひッ、うひはひゃははははっ! あひっひゃ、や、ひぃはははは!! ひぇぎっ! ひ、ふふひいっ! ひゃははははっ!!」
〈……〉
無言で脇腹をくすぐるマイスと、手足をバタバタさせて爆笑しているカイル。
へぁぁ〜〜この〝景色〟、302年ぶりに見たぁ〜〜〜……
「まひっごめっ、ひふぃ、はひ! ははははっ!! や、やめ、へぇっ! まひしゅっう、ふぐぅっ!! ゆるっい、ひゃははははははっ!!! ひ、ひい、ひひふ、はひっ」
よくよく考えたら、くすぐりで行動不能に陥るのは脆弱性か……?
いや、急所を刺激された緊張とその正体に対する安堵からくる落差で笑いに繋がっていると聞く。それほど問題ではないかもしれない。
「ご……ごめ、ひ……まい、す……ふ、ひっ」
〈よろしい〉
マイスは満足したのか腕を組んでフンスと鼻息を荒げる。霊体でどうやっているんだ?
一方カイルは顔を真っ赤にして息も絶え絶えだ。……息をしなくても大丈夫なはずだぞカイル。
◇
控えめに俺の腰辺りが突かれた。
ちらと視線を向ければ、若干呆れた顔のディルマーが呟く。
「べつに兄ちゃんたちがちちくりあってんの見てんのもいいけどよ、マイスと話しなくていいのかよ」
乳繰り合っている……ふふっ良い響きだな、まさに目の保養……じゃなくて、まぁ、ごもっともだ。
「マイス、少しいいか」
〈っはい、なんでしょう〉
俺が声をかけたことで居住まいを正すマイスを見て、カイルも大人しく椅子に座り直す。
「生前は長い間心配かけた。すまない」
〈いえ、そんな! 謝らなきゃいけないのは僕の方です! 僕は結局、何も……〉
「いや、俺はまだ幼かった君に酷いことを言った。死んだ後まで魂を地上に縛り付ける重荷を君に背負わせてしまった」
〈……しかた、ありません。実際、結果として僕のせいでもあったのは事実です。
仮におじさんの言葉が無くても、いえ、無かったのなら余計に、自分自身を責め続けていたと思いますから〉
「マイス……」
カイルが何か、きっと、自分も悪いんだ、と言おうとしたんだろうな。だがマイスが首を振って、カイルの言葉を止めた。
〈僕は、本当に、幸せな人生を歩み切りました。
愛する妻を得て、子や孫達に囲まれ、やりたいことをやれるだけやって。託せるものを託し、遺せるものを遺し、最期なんて妻を置いて先立ってしまいました。
曾祖母様の時はまだ物心も付いてませんでしたから、僕がきちんと見送ったのは両親や祖母くらいです。僕自身も含めて、皆穏やかなものでした〉
カイルを見るマイスの目が、幼馴染の親友を見るものから、息子や孫、あるいは愛する家族を見守るような眼差しに変わる。
〈大切なものが増えるほどに、僕が奪ったものがどれほどのものか思い知らされ続けました。
“奪った”なんて、傲慢な考えだということは分かっているんです。たかが子供一人の行動で結果がどれほど変わったのかと。たらればの話なんて意味がないと。
それでも、父上とおじさんが、僕とカイルが、妻子や孫同士が、笑い合える未来があったかもしれないのにと、想わずにはいられなかったんです〉
「マイス……と、父さん……? 父さん?」
〈え、お、おじさん?〉
「カイルよ。此奴は今、お主の伴侶やらその子々孫々に至るまでの想像で思考力が焼き切れとる故な。暫し待つ必要があるぞ」