新居を案内しよう
朝、ではないな。まだ日が昇る手前の時間だ。俺は目を覚ます。
まだ息子は眠っているようだ。
昨夜作ったばかりの洗面台で早速顔をすすいで眠気を洗い流す。
折角キッチンも作ったので、コンロで適当なハーブティーを淹れ、ダイニングチェアに座り啜った。
そういえばこのハーブティーはいつ買ったものだろうか。少なくとも十年以上は前か……状態保存のおかげでそのあたりがかなり無頓着になる。
そもそも、これだけしっかりした場所に腰を落ち着かせること自体、何気にウン十年ぶりな気がする。
息子が起きるまでに、体温について検討しておこう。
食物の消化と肉体の成長については、机上の空論だけで組み立てるには無理があるが、熱の生産だけならいくらか考えられる。
要は、筋肉と諸臓器が適度に発熱すればいい。
臓器の温度は健常ならば基本一定、概日リズムで緩やかに波打つ程度で恒常性が高い。組織を熱変性させないよう注意を払わなければならないが、意外とシンプルで済む。
ただし消化時に発生する熱はまだ除外している。そちらは食事の問題の解決時に合わせて考えるつもりだ。
筋肉は運動に応じて発熱する。
今は魔力で肉体を駆動させているようだから、実は筋肉に力が入っていない。カチコチに強張らせているように見えても、ぷにぷにのままだ。魔力駆動に合わせて筋肉に電気信号を与えてやればいいだろうか。生前と同じ理屈で動かしてやれば熱が出るかもしれない。
……あー待てよ。食べ物を消化できないなら、エネルギーになる栄養がそもそも行き渡っていないはず。下手に筋肉に仕事をさせるとむしろ痩せ細る羽目になるのでは……?
それなら臓器と同じように発熱魔法の付与に留めた方がいいかもしれない。変形を条件としてやれば、いくらか自然ではあるだろう。
汗はどうしようか。発熱の事ばかり考えていたが、放熱も気にしなければならない。周囲の気温と体内の温度に応じて発汗し、気化熱で体内を冷却する。
アンデッドに汗をかかせる……なかなか難しいテーマだ。
体内の水分調整と循環という意味で言えば、腎機能も気にしなければならないか。
飲み食いしていない以上、状態保存の魔法の範疇で何とかなっているんだと思うが、肉体が欠けているアンデッドは他者の肉体を捕食して補うのが一般的だ。一見捕食していなくても、眷属に集めさせていることが多い。
──射精は肉体の欠損、ということにならないだろうか……?
などと考えているうちに空が白み、朝日が昇る。
息子の部屋は日当たりがいい南側だ。いや、光など曲げればどうとでもなるのだが、ともかく今頃息子の部屋は朝日で明るくなっているはず。
そろそろ目を覚ますだろう。
◇
キィ……と音がする。息子が自分の部屋のドアをゆっくり開けた音だ。
「あ、父さん、おはよう」
「おはよう、カイル」
俺は息子の額にキスをする。300年ぶりなのに、あの頃の習慣で自然とやってしまう。息子もそれを自然と受け入れているようだった。
「俺が寝てる間に、移動したの……?」
息子からしたらそうか。気付いたらまた見知らぬ部屋に一人で目が覚めたという感じになるもんな。もう少し気を使うべきだった。一緒に寝てやれば良かっただろうか?
「あぁ、折角だから新しく小屋を建て直したんだ」
「夜の間に……?」
「手早くやったつもりだったが、3時間ぐらいかかってしまった。ははは」
「3時間で……ほぇー……」
息子は少し口を開けたまま、きょろきょろと辺りの壁や天井を見回す。かわいい。
「ひとまず顔を洗うか」
「え、うん」
俺は息子を洗面台へと案内する。
「蛇口作ったんだ……」
「井戸を作るほうが面倒だからな」
「そっか……そうなんだ」
水脈を用意しないといけない分却って手間が増える。水魔法の給水器を作った方が早い。
息子は冷水を小さな手で掬ってペシャペシャと顔に当てて洗う。俺はタオルを渡した。模様も染色もない無地のものだが、パイル加工でふわふわに仕上げている。
「これも作ったの?」
「布団とかカーテンと一緒にまとめてな。その辺の植物や鳥の羽や毛皮を材料にすれば、錬金術で大体の衣料はどうにかなる。色を気にしなければそれほど難しくない」
「へぇー……」
もふもふと息子が気持ち良さそうにタオルで顔を拭っていると、小さな異音が聞こえた。
「ぁ……」
「ん?」
くくぅ~~……
「……」
「カイル、お腹空いてるのか?」
「そう、かも……」
どうやら息子の腹の虫の様だ。
息子は困ったように照れた表情で俺を見上げる。うわ、かわいいな、びっくりした。
世の中の飢えたアンデッドは標準的にうちの息子を見習ってほしい。
◇
「そういえば死んでから何も食べてなかった……アンデッドだから平気なのかと思ってたんだけど……」
「鳥肉が丁度ある。適当に炒めて朝食にしよう」
「……俺、やってもいい?」
キッチンを作っておいて正解だったな。俺なら火魔法で炙って、握り潰した岩塩をふりかけるだけで終わりだった。というか俺だけならそもそも食事をしない。呼吸で外界の魔力を体内に取り込み、全身へ循環させれば事足りてしまう。
鳥肉は、布団や枕の中綿の材料となる羽毛を剥いだ後の余りものだ。状態保存をかけてキッチンに放置してある。
「父さん、調味料って何がある?」
寝間着の上からエプロンをそのまま着ながら、息子が尋ねてくる。
「そうだな……」
俺は魔法の袋を漁る。魔力で補っていたせいで、ろくに自炊というか食事そのものをしていなかったから、驚くほど見つからない。
「岩塩と……岩塩だけだな。あとは片栗粉と砂糖ぐらいなら錬金術で何とかなるが……」
「あー、じゃあさっきのハーブティーの茶葉から使えそうなので香りづけしてみるね。岩塩と片栗粉は欲しいかな。ほんとはお酒があれば、ちゃんと臭みとれるけど……お湯ですすげばいいや」
錬金術で砂糖や酒精も作れるが、砂糖はともかく酒は不味い。辛いだけで旨味も風味もへったくれもない。ああいうのはきちんと発酵させないとダメなのだろう。
息子はてきぱきと鳥肉を捌く。
沸かしたお湯で捌いた肉の両面を軽く洗い流し、表面の水気を取る。皮を剥き取り、表面に岩塩とハーブを擦り込んで軽く寝かせる。
その間に皮の方は刻んで先に炒めて、フライパンに脂を出し、炒める直前に鳥肉に片栗粉を軽くまぶして炒める。
キッチンから芳ばしい香りが広がってくる。
俺の方はというと食器の準備、というか錬金術で作成した。
ハーブティを飲むためのカップセットに加え、皿に、ナイフとフォーク。皿はサイズ違いで三種ほどを四枚ずつ作り、必要な皿以外は棚にしまう。
まぁ、こちらは単純作業なので一瞬で終わる。
皿をキッチンに置いておき、使用済みの調理器具を洗っておいた。
「あっ、ありがと父さん」
「構わんさ」
……家族との食事なんて、もう永遠にできないものと思っていた。
「父さん?」
「食べようか」
「うん!」
息子は、あれだけの目に遭っておきながら、食事の前にこの世界の神へ祈りを捧げている。
俺は……随分と昔にそんな信仰心など失ってしまった。
だが、俺も息子と同じように両手を胸の前で軽く組んで目を瞑る。そうだな……息子と再び巡り会う機会を齎してくれた点についてだけは、感謝しなければならないだろう。
「おぉ、美味いな」
「えへへ、ありがと父さん」
俺の言葉に、息子は照れながらも笑顔を見せる。んー、これはあれだ、確かに人間ではないな。天使だ。
「生まれ変わってから初めての料理だったけど、うまくいって良かったぁ……」
そのあとホッと胸を撫で下ろしている。息子曰くマールとして生きている間、料理はしていなかったらしい。
あの男がもうこの世にいないのが残念で仕方がない。
生命力を根こそぎ吸い出されて魔獣に全身を喰い千切られたぐらいで死なないで欲しいものである。
俺の手で、四肢の先から細切れにしてやりたかった……まったく運のいい男だ。