告解 1
〝父さん〟と。
カイルとディルマーは俺をそう呼んだ。
給仕も下がらせている今、この場には俺達とクレイグモア会長以外はいない。
だが師の子孫とは言え目の前の彼はあくまで赤の他人。
彼の前で俺をそう呼ぶことは、つまり俺や息子達の正体を彼に明かしても別に自分達は構わないと。降りかかるあらゆる面倒事を〝息子〟として受け入れると。
そういう意味だ。
────メイとカイルが敵国ごとこの世界から消え、終戦後に帰国した俺は、そのことでグリュオやマイス君にかなり支離滅裂で酷い事を言った気がする。
気付けばマイス君は泣いていたし、俺はグリュオに張り倒されていた。
……戦闘魔導師として前線で戦っていた人間が、殺しも知らない青二才の文官一人に力負けするなど本来ありえないが、目に映るマイス君の涙がカイルの涙に見えて、俺は体に力が入らなかった。
自分で張り倒してきておきながら、床にへたり込んだ俺を見下ろすグリュオの目を丸くして驚く表情ときたら──確かに目の前の“会長”にもその面影はある気がした。
「"父さん"……?」
その会長は、俺の息子達の言葉を呑み込めず、困惑したように疑問形で反芻している。
そりゃそうだ。目の前に座っているのは狼人の婦人。服や振舞いでどうこうというレベルではなく、体形や骨格からして女性のそれだ。たとえ記録としてそのことを知っていたとしても、実際に目にするのとは話が違う。
俺は立ち上がり、衣服を錬金術で再構成しながら骨格、臓器、筋肉、神経等を元の位置、元の形に、変装を解いていく。かつての姿に戻っていく。
体の中で響く肉と骨の動く音は、多少外にも漏れているのだろう。ディルマーが普段立っている耳をぺたんと倒して閉じている。器用なものだ。
「ま、まさかこれは、変身魔法……」
「俺は、ずっと変装魔法と呼んでいたんだがな」
その姿は、250年前の俺と寸分も違わない。
灰銀色の短い髪に紫の瞳、白い肌。一般的なニルギリ北西部の出身に多い見た目だ。
強いて言えば一般に“グレンデール・フロスト”としてよく引用されている肖像画の方が、実物よりも美化されている。
「貴方は、貴方様は……もしや正当なご後裔なのですか」
公式にはグレンデール・フロストは失踪して行方不明。当たり前だが死体も見つかっていない。
ごく一部の好事家が、グレンデールは他国に渡っていて、彼の子孫が世界のどこかに居る可能性もあるのではないかと言い出したり、そういう「もしも」がベースになった小説なんかもあった。
フロスト家の末裔……まあある意味では間違っていないのだが。末もクソも俺しかいない。カイルは──今の肉体は血縁的には赤の他人だ
「いや、違う。俺は──」
カイルは俺の視線に気付いて柔らかく微笑み、ディルマーは頬を僅かに赤らめて目を逸らしながら顎で早く言えと俺を促す。
「俺が、グレンデール・フロスト。そしてこの子達は……俺の最高の息子達だ」
◇
自分がかの偉人の縁戚だと宣う輩は数あれど、まさか本人だと主張するなど余りに馬鹿げている。もし生きていれば300歳近いことになる。ありえない。
しかし、彼女、いや彼が操る魔法──フロスト邸の数多に入り組んだ『状態保存』へと容易く干渉し、呼吸するように行使される魔道具無しの空間魔法──は間違いなく本物だった。
それでも、我々の知る、記録に残されているグレンデール・フロストは人間。高々120年が寿命である汎人種。兵役に当たり詳細な身体検査が実施されていたため、その記録が確かに残っている。勿論改竄されている可能性もあるし、エルフやドワーフといった長命人種との混血という線もあり得ないとは言い切れない。
が、彼ほど卓越した魔導師であれば真っ先に考えられるのは──
「恐れながら、死霊主……ということでしょうか……?」
魔法を極めた果てに己の肉体を己の意思でアンデッドと化した者。死した霊魂を自在に操り“死者の領域”を広げ、生きとし生ける者を侵し脅かす、Aランク強制討伐対象の魔物。
もしそうだとしたら。
それがグレンデール氏のような自在に空間移動できる者であれば、少なくとも命を賭して尽くしてきたにも拘らず、そんな彼の家族を守れなかったこの国は、次の瞬間滅びてもおかしくはない。
「いざそう問われるとどうなんだろうな。今のところ教会でそう判定されたことはないが」
あぁ。少なくとも、聖神教会が対処できる範疇では既にないらしい。
「くくっ、お主、そう迂遠に云ってやるでない。此奴、すっかり怯えてしもうとるではないか」
突然、従者然としたはずの黒髪の少年が独特な言葉遣いで「可哀そうにのぉ」と声を漏らしながら笑い出す。
そういえば、彼は先ほどの紹介で"息子達"に含まれていないようだったが、何者なんだ……?
「怯える? 俺なんかよりお前の方がずっと……いや、なんで怯えることになるんだ」
「ほれ、お主の家族が攫われたのは、国の責任とも云える故の。そう捉えられても仕方あるまい」
「ああ、それはその時にもう始末したから、今更どうこうは思わない。それに、守れなかったのは俺も同じだ。俺の家族は俺が守るべきだった」
遠くを眺めるように細められた目とは対照的に、その声には未だ薄れぬ悔恨と憂いが色濃く満ちている。
しかしその目が再び私に向けられた時には、それは跡形もなく消えていた。
◇
「俺の不死性はリッチのそれとはおそらく原理が違う。
お前たちが俺の名で呼ぶ完全回復薬があるだろう。あれを生み出す『原石』は、俺の体に溶け込んだ300種程の魔法薬の有効成分と再生魔法をベースに16万種ほどの術式を練り上げて作るものだからな。
そんなものを体内で作っていたら俺の寿命がどっかに行ってしまっていてもおかしな話ではないだろう」
完全回復薬『グレンデール』。
発表から既に200年以上経った今なお、この国で最も有名と言っていい魔法薬。
グレンデール氏が当時論文と共に提出した、たった一つの『原石』。……新たな『原石』を生産する試みは、私の知りうる限り未だ成功していないはずだ。
そこへ、国内トップクラスの魔力量を持つ魔導師を10人近く動員して魔力を注ぎ込み、それでも年間10人分程度しか生産されない。この魔力は必ず人が直接注がねばならず、魔石で代替する試みも現状失敗していると聞く。
そして使用期限は1年。
つまりこれ以上の本数を備蓄することができない、幻の回復薬。
しかしその効果は本物だ。
年に最大10回、期限切れ目前の『グレンデール』を処分する抽選会が行われており、その度に難病患者や重症人がたちまち回復していく様子は一般にも配信されている。
中でも衝撃的だったのは、2年前に配信された双頭の奇形児の回だろう。
先天性の物であるため治癒魔法ではどうにもならない。臓器の大半が歪に共有され、2本の背骨は絡み合いながら途中で融合している。外科的な手法でも手の施しようがなかった。
だが、『グレンデール』を投与した途端、その肉体がみるみると分裂し、二人分の健常な肉体に再構成されたのだ。
まさしくあらゆる傷、あらゆる病、あらゆる状態異常を快癒し、呪いの類すら解いてみせる、奇跡の薬。
それでも老衰、寿命による死は回避できないはずだが……完全回復薬の源となる『原石』を、それこそ試行錯誤の末に体内で作り上げていたのであれば、成程確かにグレンデール氏は通常の人間の寿命を逸脱しうるのかもしれない。
そのような胡乱な言説、勿論普段は歯牙にも掛けない。が、今回ばかりは無視できない。
目の前の現象を、信じ難い、有り得ないと受け止めず切って捨てるほど、私は愚かな学徒ではないつもりだ。
「まあ、ごちゃごちゃ口で説明するより、現物を見たほうが早い」
グレンデールを名乗る男は、そう言いながら手にした魔銀の杖の先端が鋭く針のように変形したかと思えば、躊躇いなく指に突き刺した。
鮮やかな赤がその指先から不自然に空間へと糸を引く。
それは空中でスルスルと小指の爪ほど大きさの球状になった後、磨き抜かれた深紅の紅玉を思わせる質感へと変化し、私の目の前へと緩やかに移動してきた。思わず手に取れば、それは宝石らしくない自ら熱を発しているかのような温もりを帯びている。
「これは……?」
いや、話の流れとしてこれが何であるかなど容易く類推できる。容易くないのはそれを事実だと受け入れる事だ。その証拠に、私は喉が渇き、発した言葉は不自然に掠れていた。
そんな私に彼は、氷が水に浮くように、1+1が2であるように、答えを返した。
「見ての通り、少し小さいが出来立ての『原石』だ」
収まらなかった……