部屋に入ろう
「わぁ……ほんとに昔のままだ……」
俺が扉を開けて息子達も入っていく。
かつてのカイルの部屋だ。
カイルがいなくなったあの日から今に至るまで、『状態保存』がこの部屋の時を止めていた。
300年。
300年もかかってしまった。
「カイル」
「え、姉、さん?」
ふふ、慌てなくても扉はもう閉めているし、音もちゃんと断っている。元の呼び方で構わない。
俺は両腕を広げた。
「おかえり」
「っ……うん。ただいま、父さん」
駆け寄り、ぽすりと胸の中に飛び込んできたカイルを優しく抱きしめる。
「ディルも、おかえり」
「えっ、あぁ、んん……ただいま……ウワァッ」
はいかわいいです、2人ともかわいい、優勝、かわいいの花束だね、俺の腕で束ねよう。いえーーーい! 息子sフラワーアレンジメント! 俺が花屋だ。誰にも売らないがな!!
もうアカーラの胡乱なものを見てるような視線なんて全く気にならない。
「んあ、もしかしてあれ、兄ちゃんが前に言ってたヒャッカジテンってやつか?」
もぞりと腕の中で動き小さい指で差す先には本棚。
当時カイルのために揃えた本達や玩具が並んでいる。本は文字しかない物より鮮やかな絵が描かれた大判の百科事典が多い。幾つかは俺が製本した奴も混じっていて、百科事典に似せて作った魔物図鑑とか武具図鑑とかがそうだ。
「そうだよ。読んでみる?」
「うん」
と、とうとっ、尊い~~~~~~~~↑↑↑
本棚から取り出した百科事典の内の一冊を広げ、ベッドに座ったカイルとディルマーが覗き込むように読んでいる。
はぁーーーーーーめっちゃお兄ちゃんしとる……たっとい……いとをかし……メイにも早く見せてやらないとな。
この宇宙の神秘を。この世界の奇跡を。
◇
「おれはいいや。ここで待ってる」
「ディー……じゃあ俺も待ってるよ」
本当に久しぶりに自分の部屋に入ったけど、なんて言うかあの頃と何にも変わって無くてびっくりした。
他はなんとなく見覚えがある気がするくらいだったし、ここのパンフレットに載ってた他の部屋は父さんがずっと研究してたときの機材で埋まってて様変わりしちゃってたから。
それはそれでびっくりしちゃったんだけどね。
だけど、次に父さんが行くのは、きっと父さんと母さんの部屋のはずで、だから俺もディーもここで待ってることにした。
「そうか。済まないな」
そう寂しそうに呟く声が返ってきたかと思うと、扉を開けてもいないのに父さんと師匠はフッと姿を消す。空間魔法で移動したのかもしれない。
俺がぽすりとベッドに倒れ込むと、300年経っているとは思えないふかふかの布団からふわりと匂いがした。
父さんのかけた『状態保存』で昔となんにも変わらない空気が、俺の胸の中に入ってくる。
ああ……そうだ。
ここで寝てたんだ。俺。
あの日まで。
布団から顔を開けると、ベッドに座ったディーが尻尾を揺らしながら百科事典のページをぺらぺらとめくっている。集中して読んでるみたい。
そのまま俺はごろりと仰向けに寝転がって天井を見上げる。
白い、シンプルな天井。
そこからぶら下がってオレンジ色に光るランプ。
ふと目に入ったカーテンの隙間から見える窓の外は、もうすっかり暗い。昔の夕食の時間も過ぎてるかもしれない。
師匠と修行してたときはそうでもないけど、こうしてなんてこともない日だとお腹が全然空かないから、夕食のタイミングとかもなくてなんだか時間がすごくゆっくりだ。
ときどき父さんは仕事で居ないことも多かったけど、それでも父さんと母さんと、いっしょに食べてたんだ。
母さんは、なんていうか豪快なところがあって、料理は俺が9歳くらいのときからだんだん手伝っていってて、気付けばほとんど俺がやってたと思う。
よくそれで当然のように父さんが俺を褒めては、母さんとケンカしてた。「なんで私のだと思わないのよ」「どう考えてもカイルのだろ?」「そうよ! でもそういうことじゃないでしょ!?」って。
それでボコボコに殴り合うんだけど、結局じゃれ合いみたいなものになって。母さんもいっしょになって俺の料理を褒めるから、ただ俺が褒められて照れるだけのよく分からない時間になるんだ。
そういえば掃除や洗濯は、家も服も父さんの魔法でずっとキレイだったからやった覚えがない。
生まれ変わってからも、それは俺のやることじゃなかった。
大人の相手か、その練習か、身体をきれいにするか、食べるか、寝るか。服は同じか少し小さいぐらいの子たちが替えてたし、部屋も掃除してた。
……。
みんな、あのとき死んじゃったんだと、俺にはなんとなく分かっていた。時間が経ちすぎてるのと、多分俺と同じで、後悔も未練もなくただ「やっと終わった」ってほっとしたんだと思う。だからあの町のどこにもいなかった。
それが良かったのか、幸せなのか、俺には分からない。だけど俺は甦って、幸せだったときのことまで思い出してしまった。今の普通に明るく暮らす人達も知ってしまった。
俺は、みんなの分も生きなくちゃいけない。
だけど同時に何となく汚れていくように感じてた自分が、どれだけ汚くて、合わせる顔がないようなところまで、人として落ちてたのか。じわじわ分かって、ドロドロと心の中を暗くして。
ディーは、全然汚れてなかった。
なのに、汚してしまった。
俺がやさしく、汚した。
師匠からも止められなかったし、みんな責めないし、怒らなかったけど。だけど良くない事だって、俺は分かってたのにやったんだ。
ディーが俺の分も泣いてるみたいに思えて、俺は、掠れた声で「ごめん、兄ちゃん」って何度も繰り返し喘いで体を震わせるディーを抱きしめて、だけど俺はディーを最後まで受け止めて汚した。
無意識に閉じていた瞼を開く。
百科事典を開いたまま、いつの間にかディーは布団に倒れ込み俺の横ですーすーと寝息を立てている。
「ごめんね……」
誰も聞いてない卑怯な懺悔を呟いて、俺は父さんみたく、その小さな額にキスをした。
◇
息子達は遠慮したが、別に変な物がある訳でもない。
結婚指輪や、当時の家族写真──写真と言っても今普及してる感光フィルムを現像するようなものじゃなく、俺が『遠見』と『念写』で顔料を紙上に力業で固定した代物──や、カイルが俺の誕生日に覚えたばかりの文字で書いてくれた〝おてがみ〟なんかを回収しただけだ。
どれもが、この世のあらゆる財宝などゴミカスと思える程の至宝。
そして、妻と息子を喪ってから、見るのも辛くなり、300年近く俺が部屋の中に置き去りにした。
別に当時から『状態保存』の魔法が上手くなったとか下手になったとかそういうのはない。今も昔も変わらず、置き去りにしていた宝物は、その思い出も含めてまるで褪せてはいない。
それは確かに、劇で言っていた口上──〝当時の姿のまま今なお静かに佇み、色褪せぬ彼の悲劇を私達に語り継いでいる〟の通りだ。
だが今はそれどころじゃない……!
俺は今、カイルの部屋に戻ってきている。
そしてこの、これ……ッ!!
「いや、お主が過去に耽り遅々としておったから、二人共寝てしもうただけじゃろ。今迄も宿や船で寝食共にしておったろうに」
は? それも一つ一つが尊い瞬間だったに決まってますが??
違う違う、今はそれどころじゃねえんだよ。
いやいやいや、待って、これ刺激が強い、カイルとディルマーがかつて俺が愛する家族と暮らしたこの家で、同じベッドで寄り添って寝てる……ッカァアーーーー゛ー゛ッッ゛!゛
奇跡!! Miracle!! Θαύμα!! чудо!!
अचंभा!! ආශ්චර්යය!! அதிசயம்!!
「……煩すぎて、魔道具量販店の自動音声の如き様よ」
こ、この光景、今すぐ〝永遠〟にしないと……
Welcome to ヨォドォ○ァシィカァメェラ。亲爱的顾客朋友、你们好。