観光しよう
何度か父さんからは、大したことないみたいに聞いてたけど……劇で観た、俺が死んでからの父さんの50年はまさに失意と孤独に満ちたもので、とても胸が苦しくなった。
劇はあそこで終わっていたけど、実際はそうじゃないと、俺は知っている。
あの後も父さんはずっと生き続けたんだ。
ずっと、独りぼっちで。
どれだけ悲しく、寂しいものだったのか。俺には想像もつかない。
勝手にあふれて涙が止まらない俺の頭を優しく撫でてくれて、だけど、ずっと辛かったのは父さんのはずなのに、その目は涙なんてなく穏やかで凛としてて、優しく俺を見つめている。
もしかしたら父さんの涙は、もう、とっくの昔に涸れてしまったのかもしれない。
◇
「つまる処は、彼の者の出奔が幾年かを経て判明し、今年が丁度其れより二百五十年。と云う事で御座いましょう」
「へぇ、そうなの。すごいわねえ」
父さんが師匠の言葉に若干遠い目をしてる。
今俺達は、みんなで劇場の隣の喫茶店で休憩してて、周りの目があるから父さんと師匠は貴婦人と従者さんに完璧に成りきっている。
二人ともとにかく雰囲気がすごくて、ただ遠い目をしてるのすらどこか憂いを帯びた高貴な空気を纏ってる。それでいて目立ってないんだから、もう本当にどうなってるんだろう……。
俺とディーが浮いてるんじゃないかと心配になってくるよ。
「でもまさか観光資源にするとは、随分思い切るものね」
「てか『状態保存』かかってんのに、中に入れんのか? ……ですか?」
ディーが語尾を言い直しながら指差した先には、入場料と「一般公開中」の文字が躍っているポスター。
「あの家に掛かってる『状態保存』は座標を含む空間情報を完全に凍結するような術式じゃないわ。燃費が悪い上、術者自身さえ身動きするのが面倒になってしまうもの」
「へぇー」
「それに単に『状態』と一口に言っても、位置だとか劣化具合だとか色々種類があるでしょう?
それぞれに閾値と時間を適切に設定しておいて、閾値を越えたものをそれぞれ一定時間後に復元するとか、そういう感じよ。きっと」
本の汚れは分単位ですぐに戻るけど、本の位置は半年単位で戻るとかそんな感じらしい。確かにすぐ本棚に戻ってたら読めないもんね。
でも父さんのことだからそこまで色々融通利かせるの自体、たぶんすごいんだと思う。
「だから入れるには入れると思うけれど、仮にも元軍人の家を一般公開するなんて……。
機密文書も、2、300年と経てば只の古文書になるのかしら」
「流石に、卓上に其れ等が広げられたまま、と云う訳では御座いますまい」
「『状態保存』対象設定の更新ぐらい……無理なのかしら」
なんだか話がそれてる気がするけど良いのかな……?
ずっと残りっぱなしの家の様子見て、邪魔になってそうなら片付けるって話だったと思うんだけど……
「それより姉さん、お家、もう公共物みたいになってるってことでしょ……どうするの?」
流石に大きな声じゃ言えないから声をひそめて、父さんに耳打ちする。
すると父さんは何かを口にするわけでもなく、ただ緩やかに微笑んだ。
……?
なんで師匠顔をしかめてるんだろ。
◇
〈間もなく、グレンデール・フロスト邸前、グレンデール・フロスト邸前。お降りの方はお忘れ物にご注意ください〉
なるほど……。250年傷一つなく当時のまま建物が残っていると、その辺の道やら公共交通機関に名前を使われるようになるんだな。地味に心を蝕む。出来の悪いジョークのようだ。
「うわぁ……」
カイルが思わず上げた声に、俺はさらに50000mskを加点した。
俺のために泣いてくれたり閃きが冴え渡っていたりと、今日も息子は絶好調だ。世界よありがとう────!!
カイルがかわいいのは現実だから、これは現実逃避じゃない。そうだろう?
「混んでおりますな」
「混んでるわね」
「てかめっちゃデカイな、ですね」
別に俺の家が特別大きいわけじゃない。まぁハルグランのディルマーの家よりはずっと大きいが、それなりの給金と地位にいたからな。
ただ、今見えてるでかいのは俺の家の周りの施設だ。
俺の家の土地に直接物を置いたり何かを建てたりしようにも、『状態保存』が次の日には全て外に弾き出してしまう。
だから入場門を含め、屋台やら土産屋やら資料館やらが俺の邸宅の周囲に付け足されている。商魂逞しい。
にしても、入場料とか書いてあるが、何が楽しくて自分の家に入るのに知らん人間に金を払わにゃならんのだろうか。どうせ金は腐るほどあるとはいえ、バカバカしいにも程がある。払うが。
「大人2枚、小人2枚で」
「3200ガーツです」
高いな。
さっきの喫茶店で飲んだ、ミュージカル『グレンデール』上演記念特別限定コラボドリンク『カイルのぽかぽかジンジャーミルクティ(フィナンシェ付き)』10杯分ぐらいするぞ。
ちなみに残念ながら『メイルーアの燃え上がる愛のベリームース』は完売だった。
妻との再会は家の件を片付けてからということだろう。
「……」
「すげー並んでん、ですね」
「五刻待ちとの事で御座います」
暇潰しに皆で入場パンフレットに目を通す。
はは、部屋の間取りも載ってやがる。写真付きだ。プライバシーもへったくれもない。今すぐリフォームしてやろうか。
ん? 『開かずの扉』?
あぁ、これは元々の書庫やら倉庫やらだな。
うっかり息子が危険な薬品や魔道具に触れて大惨事にならないよう、『状態保存』とは別で普段から扉ごと封印してあったからだ。
あと、確か妻と過ごした主寝室や息子の部屋もしんどくなって出奔するよりもかなり前から封印していた覚えがある。
誰も居ないのを直視するのがキツかったんだ。
封印してない他の部屋は、俺の50年の引き籠りで殆ど実験室に様変わりしている。
懐かしすぎてゲロ吐きそうだな。
「姉さん、資料館でスタッフさんに『私たちはグレンデールの子孫なので開かずの部屋を開けられます』って話したら特別に案内とかしてもらえないかな」
……天才! 採用!
なんだ、アカーラ。その胡乱な目は。
◇
久しぶりに面倒な主張をする客がやって来た。
このフロスト邸資料館の代表学芸員として30年以上務めているが、何もこの手の類の客は初めてではない。
邸宅の所有権を主張する赤の他人など、100年以上前から山のようにいたそうだが、最近だとやはりあのミュージカルの効果だろうか。全く頭が痛くなる。
いや、ミュージカルの出来自体は良かった。元になった250年前の歌劇『グレンデール』──グレンデール・フロスト氏に関する文化作品では最古の部類だ──よりも現在判明している事実により近づけられていて、好感が持てる。
ともかく、普段なら門前払いするところだ。
しかし眼前の銀毛の狼人の女性の話は、何故か聞かなければならないと己の学芸員としての勘が囁き、応接室に招いていた。
「まぁ、口で言うだけならなんとでも言えますものね。はいそうですか、とならない事ぐらいは、私も分かっておりますわ。証明できる物があるとよろしいんでしょう?」
「ええ、そうですね」
女性の白く細い指が虚空を滑ると、するりとその指先だけが消え、すぐさま黒の牛革で装丁された二つ折りの書状が出現した。
「空間魔法……!」
私はそれが魔道具によるものではなく、自力で行使されている空間魔法だと即座に気付いた。
氏の術式には空間魔法でなくともその考え方が織り込まれていることが多い。故に氏を研究する者であれば、自身に扱えなくとも空間魔法について造詣の深い者が多くなる。
私もまた例外ではない。
「私共はグレンデール氏より代々、こちらの『状態保存』の対象設定の変更方法も、解除方法も、どこに何があるのかも、全て伝えられております。
ですからこのように、書庫から家屋所有証明書を持ち出す、なんてこともできますわ。他の書物や薬物、貴重品も同様です」
はらりと開かれれば、そこには皇族と貴族制により国が運用されていた事を示す当時の玉璽による魔術印が褪せることなく鮮やかに輝いている。氏の卓越した『状態保存』で300年の時を経ているとは思えない程に新品同様で、一体どれほどの歴史的価値があるか計り知れない。
そして何よりこれは──未だ開ける事の叶わない扉の奥にあるかもしれないとされていた──フロスト邸の家屋所有証明書。
思わず手を伸ばそうとしたところで意識を断ち切るように「勿論……」と声が投げられる。ピクリと手が強張り視線を静かに向ける。
「こちらが模造品や復元品でないと、今ここで検証、判断なさるのは難しいでしょう?」
彼女が口にしたのは間違いなく事実だ。しかし、私の勘が本物だと言っている。今すぐ研究機関に持ち込んで鑑定させてほしいところだ。
「ですが、」
そこで言葉を区切る彼女は、妖艶に微笑む。
「皆様の前で実際に『開かずの扉』を開けてしまえば、考えるまでもなく証明完了、ですわね。いかがかしら?」
かつて聖女に成り済ました氏が、襲来した暗殺者達を言葉と仕草、その色香だけで骨抜きに誑かし無力化したという逸話。
それが自然と私の胸中に浮かんだ。