鑑賞しよう
ニルギリ共和国。
かつては皇族がいたはずだが、俺が国を出て直ぐぐらいに革命があったらしい。
元々その機運は強かった気がするが、今は血族主義よりも能力主義といった形になっている。貴族もその時解体されたらしい。
とにかく優れた者を如何に見つけ、育て上げ、活躍させるかに重きを置いている。
──と、その辺の図書館で目を通した歴史書に書いてあった。
俺達は港町パラヤムからなんか最近できたというニルギル横断高速鉄道とやらに乗り込み、半日程度で中部都市クヌールまで来ている。
様変わりしつつも、どことなく大きい通りの位置には面影を感じる気がするような街並み。
実際問題適当な観光パンフレットに目を通すのでも良かったが、軽い情報収集も兼ねて図書館に足を運んだわけだ。
長く国を離れていただけあって文字や単語や言葉遣いがいくらか変わっているが、そこまで気にはならない。
そう、そこは気にならなかった。
なんせ250年経っているからな。その50年前から引き籠ってたことも考えると300年ぶりと言ってもいい。
「ぜんぜん読めねえ」
「ほー……? へぇーっ」
「兄ちゃんは何してんの?」
「父さんから教わってた言語魔法の『解読』をつけたり消したりして見た目がどう変わるのか見てるんだ」
「ふーん?」
カイルは俺が以前渡した言語魔法の一式をさっそく活用しているようだ。感心感心。
言語魔法はいわば自動翻訳だ。中身は軍事用の暗号解読術式とかアカシックレコードからの情報限定取得とかをちょちょっと組み合わせて弄ったもので、リアルタイムで視覚と聴覚、口と喉、あとは手に干渉する。
「そんなのもあんのか。オレはもらってねえな」
「後でと……姉さんにお願いしてみる?」
「んー……やっぱ字ぃ読めたほうがいいよなあ。そうする」
俺の用途の関係上、俺の言語魔法の全ての術式には“習熟度”を設定することができる。母国語かのように扱うこともできれば、慣れない外国語を必死で話しているようにもできる優れモノだ。
死んでいった同僚からの受けは上々だったと記憶している。
ああ、いかんな。軽く現実逃避している。
まず大抵の歴史書に何故か“あの事”がわざわざ書いてあった時点で嫌な予感がしていた。
いや、一つは分かるんだ。それなりに大騒ぎになっていたはずだし。
当時の俺はそれどころじゃない精神状態だったのもあってあんまり意識に上ってなかったが、結果的に国が丸々一つ物理的に消滅して今でも生き物が碌に寄り付かない湖と化してるんだからな。歴史書に載らないはずがない。
だからそれはいい。
……何故俺の失踪時期(推定)がこぞって書いてあるんだ?
◇
「む? 何も不思議ではあるまい。如何にも好事家が集りそうな話であろう」
常識のような口振りで喋りながらその『悲劇の大魔導師グレンデール ~その半生と謎~』とかいうふざけたタイトルの本を熟読するのをやめろアカーラ。
「我の愚兄とて、後世の市井にて『三大外法邪仙』などと云うものに名を連ね語り継がれとった。時の皇帝を謀ったわけであるし自業自得よ。ざまあないわ。ウケる」
二千年の時を感じさせない瑞々しい感情を伴ったざまぁだな。あと今「ウケる」って言ったか?
「まぁ今では其の名すら残っとらぬがの。所詮は無名凡愚の一人に過ぎぬ。寧ろ此方がざまあと云った処か」
こいつ、仙人の下で修業して俗世の欲が薄くなったとか言っていた気がするが、バリバリに俗世の柵に囚われてやがる。
「我の事はともかくの。
“国同士の謀に家族を奪われ、妄執に囚われた果てに遂には忽然と姿を消した、悲劇の大魔導師。
しかしこれは物語ではない。彼の者は確かに此処に居た。
未だ解けぬ術が嘗ての愛の巣が朽ちる事を決して許さず、証として今もなお静かに佇む──
『必中』、『完全回復薬』とその偉業は望めば『賢者』の称号にも届いたであろう伝説の大魔導師にして魔法薬研究家グレンデールの真実に迫る。”──
ありがちじゃろ。此れなど失踪発覚二百周年記念とか書いてあるの。記念と宣うとはまた。ウケる」
その「ウケる」の言い方めちゃくちゃ腹立たしいな。その手に持っている本ごと灰にしてしまいそうになる。どうせ防がれるだろうが。
思わず顔が引きつってないか確認する。大丈夫大丈夫、許容範囲だな。
「む? 態々特設コーナーまで作られとるの」
アカーラの顔が明らかに笑いを堪えて堪え切れずに口角が上がっている。
はぁー、見た目通りの歳の子供ならまだウザったいなりに受け止められるんだがこいつ俺の6倍以上生きてるバケモンだからな。精神構造がもはや人間のそれと違っていても俺は驚かん。
「ほう……くははっ、成程のぉ……」
……こいつ、『黄丹』だかの力でまた今明らかに碌でもないことを知ったな。
「ふっ、くく……其方、ミュージカル化されとるぞ」
は???
声を出さなかった事を褒めてもらいたいところだが、俺から滲み出た半ば殺気にも近い物騒な空気に反応したディルがカイルを咄嗟に庇うように腕を広げて振り返っただけだった。
──良いもん見れて、お父さん少し心が落ち着いたよ。
息子達の「みゅーじかる?ってなんだ?」「歌やダンスのある劇……歌劇とは違うのかな? どんなのだろ」という純粋な興味と疑問に、お父さんもといお姉さんは敗北しました。
そうだな、前世の息子の時代だとチェンバロや管弦楽を伴った朗唱や詠唱ってのが多かったからな。
そういうのは今だと古典扱いらしい。300年前だしな。
と言うわけで早速演っているという近場の劇場へと足を運んだ。
◇
随分と人が多い……人気なんだな……何とも言えない気分になる。なんかグッズとか売ってるな……
……カイルとメイのグッズは?
無い??
なんで???
売り切れらしい。
人気なんだな。分かる。仕方ない。
第一幕は俺の現役時代、従軍していた頃のエピソードをマイルドに脚色したものだ。
聖女に変装して敵を誑かす話もやっていた。なんか良い話風になっている。多分なんか二人で絡み合うように歌ってたのはなんか夜のアレコレのメタファーだろう。ただどうやら原作から調教はカットされたようだな~。はい。あと聖女や俺が当時幾つかという点にも触れられていないな。まあ、その方が平和なのだろう。
第二幕は愛する妻との出会い、そして息子の誕生と成長。俺が最も幸せで、満たされていた、人間だった時期だ。守るものを得て、俺が一番生き生きしていた。
……原作だと殴り合いからのプロポーズだったはずだが、そこは歌とダンスの応酬に変わっていた。まぁあの膂力を舞台で再現するのは難しいだろう。色々と壊れてしまう。
カイル役、なんか適当じゃない?
もうちょっと純真さとか素朴な愛らしさというか、そういうの表現しきれてなくない??
まぁ、うちのカイルは宇宙の奇跡みたいなもんですから??? 演じきれなくてもしょうがないんですけどね????
で、第三幕だ。
そう、このミュージカルは喜劇ではなく悲劇。
史実に基づいた悲劇。
「……」
カイルは、声を殺して、しかし目を逸らすことなく、その俺にも妻にも似ていない円らな瞳からぼろぼろと涙を零している。
舞台はライティングと煙幕で赤く染まり、そして晴れると、そこには『グレンデール』が何もなくなった舞台上で独り立ち尽くす。
無伴奏の独唱。
その旋律は殊の外明るい。まるで在りし日の幸せに縋り付いているようだ。
緩やかに歩く男の背後に投影機が天へと伸びていく『塔』を映し出す。
あの『塔』は、俺が当時開発中の未完成な『必中の術』を探査術式と併せ、国一つ丸々飲み込んだクレーターやその近辺全体に放ちまくるために作った大型魔力増幅器だ。
安全性も保守性も可用性も何もかもを切り捨て、速度とその場限りの増幅効率だけを限界まで高めたそれは、俺以外が下手に使えば辺りが焦土になってもおかしくはない。
こいつはそんなに……いや、少しは役に立ったか。息子の一番大きな欠片を見つけられたのだから。
幻影術式を使っているのか、歌い歩く『グレンデール』はどんどんと年老いていく。
徐々に旋律が崩れ、音が不安定になっていく。
彷徨うように舞台を左右に繰り返し歩く、転調しながら、老人へと変わっていく。
背後には赤く輝く『原石』が投影される。完全回復薬の元となるそれは、けれど役に立たなかった。
いつしか『グレンデール』の姿は舞台から消え、歌とさえ呼べない呻き声だけが響く。
そして暗くなった中映し出される背景は、見覚えのある邸宅。
それは嘗て幸せに溢れた邸宅。
しかし誰もいなくなった邸宅。
主であった稀代の大魔導師の術により当時の姿のまま今なお静かに佇み、色褪せぬ彼の悲劇を私達に語り継いでいる。
語り部のその言葉を最後に、舞台の幕が下りた。