入国しよう
(2020/03/28)推敲が足りてないなって思ったので少し手直ししました。話の内容自体は変わってません。
早速、小屋諸共ニルギリの旧家付近まで空間を繋げようとしたところでアカーラから待ったがかかった。
「感知されて大騒ぎになろうが、良いのか?」
…………。
ついいつもと同じ調子で空間移動するところだったが、確かにそうだな。
護衛から暗殺、諜報活動なんかもしていた国家機密レベルの工作員だかなんだかよくわからん元軍人で、当時それなりに最高峰だった魔術師が忽然と姿を消した邸宅。しかも200年以上に渡りその姿を消したはず術師が付与した状態保存が、未だに破壊どころか劣化さえ許さない。
あれは俺が死んでも100年ぐらいは保つように出来ている。つまるところ俺がいつまで生きていたか分かるわけだ。100年後にだが。
まあ、それに気付かれる程粗雑な術式構成ではないが、ものがものだけに冷静に考えて、国からその存在を隠蔽されるだとか常時監視されるだとか、そういう状況に置かれていてもおかしく無い。
「そも、優れた空間魔法の使い手が居ったような国家が、何の対抗策を講じぬ程阿呆の集団ではあるまいて。其処に二百余の年月も有れば、国内への直接転移は最早愚策と云えよう」
ごもっともだ。
ニルギリは大洋の向こうの、こことは別の大陸……いや、アカーラの『庵』がどこにあるものなのかは全く分からんが、俺達の小屋は、最初の山中からディルマーの故郷だった廃村ハルグランに移動してある。
ここセイロニア大陸で、少なくとも俺以上に空間魔法を扱える魔術師はアカーラ以外に見たことがない。
元々空間魔法はそのどれもが術式の構成もその制御も難解で、消費魔力量も他の魔法とは桁が違う。端的に言って費用対効果が悪い。
何らかの組織に属する、それだけに特化した魔術師としてなら居ないわけではないが、そういう者は決まった場所にしか居ない。
まあ以前聞いたアカーラの話から察するに、俗世間から離れた場所にとんでもない使い手が隠れ潜んでいる可能性は大いにあるが、こちらから会いに行こうと思わない限りは考慮しなくていいだろう。
ともかく、目立たないよう人目を避けつつ魔力波と重力波の隠蔽をしてはいるものの、長らく特に躊躇いなく空間魔法を使っていた。
だが、これから向かう場所はそうは行かない。
ニルギリやその周辺、場合によってはニルギリの有るインディアナ大陸全体、ニルギリ領海周辺も警戒すべきか。
なにせ、俺が当時使っていた空間魔法の術式の大部分は魔術学会に登録されているのだから、国内の学者達はそれを元に自由に研究できたはず。
その上、俺が空間魔法として新たに開発した術式など大したものじゃないし数も少ない。
既に多くの術式が登録されていたし、俺にだって……そうだ、師と呼べる存在がいた。軍を退役し指導役となった魔導師──術式を自身で編み、後進へと伝え導くのだから正しく魔導師と言える──その一人だ。
本来移動や運搬用だった空間魔法を直接的な戦闘に使えるようにしてしまった、恐るべきバb──姐さん。確か『平等微塵』の名で敵対国から恐れられていた。俺がその名も引き継いだから間違いない。本人はとっくに土の下で眠っているが。
しかしすっかり忘れていた。息子達のことに記憶力を割いていたから全く脳裏に浮かばなかった。
あの人が居たのだから、俺の存在など関係なく空間魔法が他国よりも普及していて然るべき。いや、あんな殺傷力と殲滅力重視の使い方、一般に出回っていたら問題だが。
◇
セイロニア大陸北西に位置する大陸最古の港市国家、キャンディ。
今俺達がいるのは、その中でも最大規模と言われている港湾都市、ルールコンデラの港だ。
潮風が頬を撫で、陽光が燦燦と肌を……焼かないな。
俺は紫外線ごときで皮膚が損傷することはないし、アンデッドは……アンデッドは一般に日光に満たされた空間では弱る事が多いが、アカーラは当たり前のように日の下を闊歩しているし、息子達もまるで影響を受けず目を輝かせてはしゃいでいる。
「でっけー! 兄ちゃん! まじでずっと向こうまで水! あとなんか変なニオイ!」
「ディーは海初めてなんだよね」
「うん!」
んっふふふふ↓へへぇへ→はははぁ〜〜〜↑↑
……おっと、顔面が緩み過ぎて液体になるところだった。
「俺も、こんなたくさんの人が乗れる大っきい船、初めて見るよ」
微笑ましい会話をする息子達が見上げているのは、大陸間大型高速旅客船『クイーンズベリー』。
旅客定員は700人らしいが、乗組員も合わせれば1000人以上になるだろう。
前世のカイルが生きていた時代では船と言えば近海を航行する帆船か河川を行き来する貨物船が主流だった。
遠洋には強大な魔物が棲んでおり、縄張りに引っかかろうものなら海の藻屑。縄張り自体一定しておらず、そうでなくても目印があるわけでもないため、所詮は陸の生き物である多くの人類にとって大海はまさに世界の果てだった。
それが変わったのはおそらく150年弱前か。
対海棲魔物の効果的な魔物避けが開発され、遠洋航行が実用化された。
調べると、両大陸とも同時期に遠洋航行による開拓が始まり奇跡的に大洋のど真ん中でかち合って、互いに身振り手振りで交流したのが最初の海路だという。眉唾だな。
ともかく、今では大陸間の移動も金さえ積めばこういった定期旅客船で簡単にできてしまう。
無論安い額ではない。
14泊15日、大人1人子供3人の4人で90万セイルほどだと言ったらカイルは固まるだろう。
俺が国を出たときはどうしたか?
空間移動の繰り返しと魔力回復の休憩がてらにたまに海面を走った。大体3日間ぐらいだったはずだ。
……俺の方が眉唾みたいに思われるな。だからこそ海を渡ったわけだが。
◇
2週間ほどの船旅は特に問題なく進んだ。
息子達も『精』を『炁』に転化し消費することで、人並みの食事を摂っていたから怪しまれることもなかった。
これには結構な量の魔力消費を求められるわけだが、折角なので大量の魔力が要求される様々な空間魔法や時間魔法を修練させることで解決した。
ただ、ディルマーが酷い船酔いになった。おそらく平衡感覚がただの人間よりも鋭敏なのが影響したのだろう。船旅の最初の三日は何を食っても吐き出してしまい、ベッドでぐったりと横になって「もうなんもくわねえ……」とか言い出してしまう始末だった。
できなくはない提案だけに、子供1人分の食事を誤魔化せば済むしまぁそれでもいいかと思ったのだが、カイルから治してあげられないかと言われたら俺に拒否する理由などないね、お父さん頑張りました。
空間や時間の魔法は重力操作にも繋がる。『踏破』の術式を少しお手軽に再編し、重力方向の変更だけにしたものをディルマーに練習させた。
床の変化する傾きで酔うならそれを打ち消せばいいという寸法だ。
この画期的な酔い止めのために組んだ術式によって、ディルマーの船酔いは見事に悪化した。
視界と噛み合わない重力が却って気持ち悪くなるらしい。
「そこは慣れておいた方が良いぞ。壁とか天井とか走る機会もあるかもしれんだろう」と雑な説得をしたものの、慣れるより前にアカーラが普通に治療してしまった。
「己の気を己自身で常に整え続ければ、何時如何なる時も自然体で居られるものよの。修行が足りぬわ」
そしてアカーラによる体内魔力&重力を掻き乱される地獄のぐちゃぐちゃ空間トレーニングが開催され、俺まで若干気持ち悪くなってしまった。
まさしく鬼教官だ。吸血鬼だけに。
さて、今回も適当な身分を偽造しておいた。俺達はルールコンデラの港で旅客船の乗る時点から身なりも含めて変装している。
カイルは今世の名マールを捩って“マルク”。
ディルマーはまだ慣れていないだろうから単に“ディル”とした。
二人とも銀髪碧眼に揃えているが、比較的元の姿に近い。
どちらかというと服装で見かけの印象を良いところの商家の子息風にしている。礼儀正しいカイルとやや粗暴なところもあるディルマーは特に振る舞いを変えなくてもそれらしく見えるので問題ない。
アカーラは“カール”として黒を基調とした装いで、俺達の従者とした。ついでに少し背を伸ばしてもらい、15歳相当と言ったところの見た目だ。
「最初はディルの船酔いが酷かったけど、身体が慣れたみたいで本当に良かった」
「……」
俺の言葉に反応したディルマーが、俺を視界に入れては苦虫を噛み潰したような表情をしている。
まだ慣れていないんだろう。細かいことは気にせずダミーの荷物の入ったキャリーケースを引いて俺達は船を降りた。
ここはもうニルギリだ。
船内で領海に入った時点では何か検知されたような反応は無かった。上陸した今もだ。ちょっとザル過ぎる気もしないでもない。
流石に入国審査時は注意しないといけない。
「と……姉さん」
「どうしたのマルク」
カイルの声に振り向けば、俺の銀髪が風の中を輝く。ちょっと鬱陶しいな。もう少し毛髪の量を抑えても良かったか。
「う、ううん。えっと、綺麗だなって」
「ふふっ、ありがとね」
そうそう。今の俺は“グレナダ”。
煌めく銀の長い髪を結ってまとめ、季節の花々と星々の刺繍が銀糸であしらわれた濃紺のスカートを纏い、さらに同じく狼の獣耳に、スカートの中には尻尾も装備している。
狼人の妙齢の女性だ。