増築しよう
「あっちは父さんの部屋で、ここが僕の部屋だよ」
そう言って、俺は自分の部屋のドアを開けた。
「さ、入ってディー」
「おじゃましまーす……」
耳をピコピコさせながら恐る恐るって感じで部屋の中に入るディーはなんだか可笑しくて微笑ましかったんだけど……
「どうしたカイル」
「父さんと師匠は入ってこなくても……」
当たり前みたいに父さんと師匠も入ってきた。一人部屋なんだから4人もいると狭く感じちゃう。
べ、別にやましいものが隠してあるとかそういうわけじゃないけど、なんか、こう……抵抗感が……
「作ってから問題がないか一度も確認してなかったから、ついでに見ておこうかと思ってな」
「我は単に暇じゃからな」
うーん……父さんは真っ当な理由だけど、師匠は暇潰しだということを隠すつもりはないみたい。
「……まあ、参考にっていうほど何かあるわけじゃないんだけどね」
ベッドと机と引き出し、あとはちょっとした棚とごみ箱があるぐらい。
父さんとバーノンに通っていた時の買い物の大半は料理関係で、そういう意味では俺の物はキッチンの方が沢山あると思う。
ここにあるのは研究してみたくなった料理のレシピ本(前世じゃそんなの見たことなかったからつい買っちゃった)と筆記具、あとは衣服くらい。
「あれ? ほかに本はないのか?」
「他に?」
「なんかもっとずかん?あるのかと思って。兄ちゃん、昔読んでたって言ってたから。親父は……そういうのもう見なくても知ってるだろうし」
ああ、そんなことちょっと話したね。
前世じゃ小さい頃、父さんからもらった百科事典や図鑑なんかを色々見て、勉強とは違うけど、なんかわくわくしてたなあ。
家庭教師さんとのお勉強とか、料理や家事が楽しくなったりで、なんだか昔の思い出って感じ。
……実際あれから300年経ってるんだから相当昔のことだよね。もう無くなっててもおかしくないし、あっても内容が古すぎると思うんだけど……どうなんだろ?
そう思って父さんの顔を見ると、なんだかすごく目を丸く見開いてた。
ちょっとだけ嫌な予感がする。
「……全部、昔の家に置いてある。建屋と土地全体に状態保存を付与してあるから、侵入くらいはされているだろうが長時間居座られたり物が持ち出されたり取り壊されたり、ということはないだろう。
あの頃と変わってない筈だ」
「そ、そうなんだ……」
「それって、めっちゃめーわくじゃねえの?」
俺には結構気を遣ってくれてる時があるけど、ディーって父さんに対してはあんまりそういうのが無い気がする。
それだけ遠慮なく信頼してるってことかな。ちょっとだけ、羨ましい……かも?
◇
……ディルマーの言う通り、迷惑も甚だしいだろう。人がいなくなった家屋が、取り壊せず移動もできず、250年間ずっとそこに居座っている。再開発もなにもできたものじゃない。
俺もこんな長く生きるとは思っていなかったというか、当時は体内の完全回復薬や老化止めが、そして何より俺自身が、ここまで俺をずるずると生かし続けるとは思っていなかった。
全く後先考えてなかったな。
ただただ嫌だったんだ。
妻や息子と居たという証が地上から消えて、歴史の中の数ある悲劇の一つとして忘れ去られてしまうのが、堪らなく嫌だった。俺の愛した家族は確かにここに在ったんだと遺したかった。
現実から顔を背けて逃げ出す自分を棚に上げて、そんな無駄な足掻きをした。見苦しいものだと、カイルと再会した今だから漸く思える。
妻と再会する前に片付けておいた方がいいか……?
「そう、だな。一度様子を見に行った方がいいな」
「父さんそれって……」
ある意味で息子以上に俺のトラウマの場所と言えるからだろう。カイルが心配そうに俺を見上げる。
優しい……優しさが染み入る…………優しさの圧力鍋だな………………
「あぁ……ディルマーの部屋を作ったら、ニルギリにある、昔の家に行こうか」
◇
「なぁ親父。これ、オレ手伝わなくてもいいやつだろ」
口を尖らせて不満気にそう言っているが、ディルマーの弟ポイントはかなり高いので、その体は勝手に俺の手伝いと称した木材運びを行なっている。
そうだとも! 俺一人でやったほうが早いぞ! 一瞬で終わる!
クソほど面白くもないがな!!
「何をするにしたって家族と一緒の方が楽しいからいいんだよ」
「……ンだよそれ」
こういう会話ですぐ赤面するところとか楽しいぞ!!
カイルは驚くほどに素直に育った。
同じことを問えば、「うん、俺も!」って最高の笑みを向けてくるんだよなあああああーーーーーーー!!(想像)
まっぶしい!!!(想像)
息子の眩しさが直射で突き刺さる!!!!(想像)
カイルに反抗期が来たらギャップに耐えられずに振り返って塩の柱になるな。(想像)
ちなみにそんなカイルは今何をやっているかというと、キッチンでアカーラから何やら料理を教わっているらしい。さっき色々と調理器具みたいな物を作らされたからな。それを使うんだろう。
はぁ~、カイルの手料理が存在するというだけでもういくらでも頑張れてしまうよ俺は。
「あの、さ」
「……ん?」
不意に、ディルマーから躊躇いがちに呼びかけられた。
「べつに、行かなくてもいいんじゃねえの」
ディルマーはそのまま「よく、分かんねえけど」と尻すぼみに声を縮める。見れば、気まずそうに視線を逸らした。
こう見えてディルマーは機微に敏いからな。俺やカイルの反応からして、“昔の家”があまり良い場所じゃないと思ったのかもしれない。
あとは今朝、朽ち果てた自分の家だったものを目の当たりにしたばかりだというのもあるだろう。
少々大人びているところがあるとはいえ、ディルマーはまだまだ幼い子供。
なのに、両親も親友も見知った隣人も、身の回りの故郷その全てが崩れ去り、失う辛さを真正面から目にしてしまった。
それをすぐ払拭出来なくても、受け止められなくても誰も責めない。
他ならぬ俺など、結局最後まで受け止められなかったのだからな。
まぁともかく、良い場所じゃないのは事実だ。
ただ、どちらかと言えば俺の50年分の妄執の黒歴史がこびり付いているから、今更カイルと一緒に帰るには抵抗があると言った方が近い。
「いや、いつかは片付けないといけなかったんだ。些か現実逃避しすぎた俺が悪い」
「……」
「だからそんな時化た顔しなくていい」
「なんだよしけた顔って……ってやめっ、やめろっ! わしゃわしゃすんな!」
カイルは細く柔らかい髪質で撫でるとサラふわという感じだが、ディルマーはやや太めで弾力性に富んでいるから撫で応えがある。
いいな。実にいい。
「はーなーせー! はーなーせーっ!! んっぎぃぃッ、マジでビクともしねえなクッソ!! ン゛ンッガァアァァア゛アッ!!」
んん~、動物を飼う奴の気持ちも何となく分かるというものだ。
◇
「あ、父さん。もうディーの部屋は完成?」
「そうだな。あとは実際に使ってて問題があったら対応するだけだ」
「そっか、それで……ディーはどうしたの? そんな……時化た顔して」
そう言えば顔がしわくちゃになっている。老けたか?
アンデッドだからそんなわけないが。
「萎びた陳皮……いや、烏梅かの」
アカーラはよく分からんことを言っているが、多分しわくちゃなものだろう。
「……べつに。オレの頭の上がしけてたんだよ。おおしけってヤツ」
「ふうん? あぁ、そっか」
そうは言うが、ディルマーの髪は乱れていない。寧ろ撫でる前より整っているぐらいだ。
だがカイルはすぐに何かを察したようだ。察しがいい!
「ディーってなんだか撫で心地いいもんね」
そう言って、カイルの指がすっとディルマーの耳元に伸びる。
「なっ、兄ちゃっ! ぁあ、んっ! ふぎゅ、くゥン……」
何だ今の甘い声。明らかに俺の時と反応が別物だぞ。
「よ~しよしよし~」
「くぁっ、ふ、あぅんん……──ハッ!」
顎下と耳の生え際を柔らかくカイルの指が滑る度にディルマーは瞳を細め、言葉にもなっていない縋るような切なげな音を喉から零し──途中で俺達の視線を思い出して我に返ったようだ。
「ぐ、ぅ……そ、そんな犬っころ見るような目でオレを見んなァああッ!!」
湯気でも出さんばかりに耳の先まで真っ赤になったディルマーは、「ウワァァァアアアアアーーーーンッッ」と喚きながら早速出来立てホヤホヤの部屋に駆け込むと、そのままベッドの中に潜り込んで行った。
……泣いてるな。しばらくそっとしてやろう。