魔法を練習しよう
「『縮地』ッうォアっ?! ぶべッ!」
ディルマーが盛大に転んで、顔面から地面と激しく愛し合っている。
静止状態で成功したからと調子に乗って、走りながら転移するからだ。
単純な空間魔法での移動は、単なる座標の変更にすぎない。その前後の運動量は変わらず維持される。運動の向きも速度も変わらない。
移動先の地面を上手く認識できていないと高低差で踏み外したり躓いたり足が埋まったりするし、体の向きだけ変えると運動の向きだけそのままで体勢を崩すことになったりするわけだ。
そしてその性質上、こういった転移の繰り返しだけで空を飛ぶと、物体は延々と重力で加速し続け最後には地面にクレーター作るか空気摩擦で燃え尽きる。だから結局加速を打ち消すだけの力魔法が別途必要になるわけだが……まあ、今は関係ない話だ。ディルマーには一応注意点として話してある。
この術式の利点は、自分に掛けるものであるため妨害を受けにくく距離減衰も小さい点と、即座に自身の得意な間合いに持ち込める点。
如何に接近し、大威力の攻撃を叩き込むかが重要な近距離型の魔法適性とは極めて相性が良い。
そしてより効果的に運用する為に、光や熱、匂い、音などの物理的な存在の偽物を発生させる幻影術式『妖精の幻島』と、自身のそれを隠す隠密術式『妖精の瓦紛れ』、脚力強化と気流操作、慣性制御付きの高速移動術式『俊足』も渡してある。
特に『俊足』は、『縮地』と同時に自身の運動量を変化させることで意表を突いた攻撃と、それに伴う注意力の飽和を狙える。
実際に速く動く上に幻術と転移が織り混ぜられれば、大抵の相手は成す術もないだろう。
「じゃなんで親父はオレを捕まえられるんだよッ」
ぶっすーと、微笑ましく頬を膨らませているディルマーは、俺の拘束術式『在り得ざる鎖』によって簀巻きにされている。M字開脚縛りや亀甲、菱縄縛りじゃないんだからそう怒らないでほしい。
「ははは、そりゃディルマー。転移先に視線を向けて、ご丁寧に『縮地』と口に出しているからな。
でもって『妖精の幻島』の偽物は、物理的には一見本物と見分けはつかないが、見た目が明らかに同じなら誰だって警戒して本物かどうか確かめようとするだろう。例えば各々違う場所に小石や砂、適当な魔力弾なんかで刺激を与えれば、本物と偽物じゃ何らかの反応の差が出るからそれで見分けが付く。
『妖精の瓦紛れ』程度の術式で俺から隠れられると思っているならその認識は改めると良い。物理的には隠れていても何もない所に魔力反応があるんだからバレバレだぞ。
そこまで分かれば、あとは本体が転移するタイミングと合わせて転移先に拘束術式を展開すればいいだけ。簡単だろう?」
「ぐ……、思ったよりまっとうな理屈かよ……! クソォッ! もう一回!!」
「ディーがんばれ〜! 父さんはお手柔らかにね〜!」
もう少しハンドクリームでも塗り込んで、柔らかくしておこうかな?
◇
今朝起きてすぐ──正確には時間1億倍修行を8か月程していたから0.2秒ほど後だが──に宿を出て、俺達はクソ町から少し離れた適当に人気のない林に来ていた。
ディルマーの適性と戦闘スタイルに合わせて渡した術式を実際に使わせて慣れてもらおうというやつだ。
まずは俺がやって見せる。
応用性の高い高速機動、『俊足』。単純な瞬間移動、『縮地』。物理的実体を伴う偽物を作る幻術、『妖精の幻島』。自身の物理的実体を消し去る『妖精の瓦紛れ』。
次にディルマーにやらせる。カイルと同じようにキーワードから術式を即時展開できるのだから難しくない。
何度か使わせて小慣れてきたところで、助長しないよう鼻をへし折っておく。
「俺に、どんな攻撃でも構わない。一度でも当てたら合格だ。渡した術式でもなんでも組み合わせて構わない」
「無理だろ」
おいおい、鼻を折る前から諦めるなんて気が早いぞ。
「ハンデとして、俺はこの円の外には出ない」
「いや聞けよ親父」
俺はめげることなく、足元の地面を圧縮して平坦にした円を作る。肩幅にも満たない直径だ。
「その上で、ディルマーの魔力量を上回るような術式は使わない」
「……近寄る前につぶされるオレが目に浮かぶぜ」
ふむ、尤もだな。
「俺が魔法を使うのは5回まで、種類は3種までとしよう。どうだ? もっとハンデが欲しいか?」
「チッ……分かったよ、やればいいんだろ、やるよ!」
そうそう、男の子はそれぐらい元気で威勢が良くないとな。
あん? カイルはかわいいからいいんだよ。なんか文句あるのか??
「我はまだ何も云うておらんぞ……」
「どうかしたの、父さん?」
「カイルはどうする? 見てるか?」
「うーん、せっかくだしディーが頑張ってるとこ見ておこうかな」
「よーし父さん、張り切って叩きのめすぞ」
ディルマーが苦虫を噛み潰したように顔を顰めている。
頑張れ! お兄ちゃんの期待に応えるんだ!!
何度でも叩き潰してやるから!!!
◇
「ほう?」
今俺に向かって20人ほどのディルマーが突っ込んできている。
「ほど」というのは、増えたり減ったりしているからだ。『縮地』による転移自体を分かりにくくする目的だろう。
近距離型のディルマーだが、それなりに魔力もあるのと『妖精の幻島』自体に攻撃力があるわけでは無いこともあって、視界に収まる範囲程度であれば問題なく使えている。
簡単に行える探知術式で周囲を確認した限りでは、見えないところに不自然な魔力反応はない。見えているこのディルマー達の中に本物が紛れているということか。
使っていい残りの術式は2種、回数は4回。
「なら本物を探そう。『砂利時雨』」
小指の爪サイズの小石を上空に無数作り出し、ただ落とす。
顔面なりに当たればそれなりに体が反応する。偽物は無反応であったりずれていたり、よほどうまくやらなければ反応に違和感があるからすぐにわかる。だが……
「全て偽物……に見えるな」
今ので使っていい残りの術式は1種だけ、回数は3回。
最後は『在り得ざる鎖』で捕縛するのだから、その分を差し引けば、もう他の術式は使えない。回数も2回だけ。
ディルマーの幻影達が、駆け回りながら俺の落とした砂利を無造作に掴み投げつける。思い切り投げたせいか幻影の方が膂力に耐えきれずいくつか壊れている。なるほど、これも立派な攻撃。1つでも当たれば合格だな。
「『砂利時雨』」
そう簡単にはいかんよ。
一つも漏らすことなく砂利を砂利で撃ち落とす。軌道を逸らす。
「……」
ディルマーは……しかし予想していたんだな、動きを止めない。
「『在り得ざる鎖』」
俺は──突如後方から飛んできた木を無慈悲に鎖で受け止める。この程度、不意打ちにも入らん。
どうやら『妖精の瓦紛れ』の効果範囲に木を含めて隠蔽しつつ、丸ごと『縮地』して地面から引き抜き投げたようだ。随分な膂力だな。
そして……
「グッ!?」
「別に『在り得ざる鎖』に1本しか出せないなんて制約はないぞ」
わずかに時間差を持って逆方向から幻影と一緒に突っ込んできたディルマーも捕える。
「だが、『妖精の瓦紛れ』の上から『妖精の幻島』の幻術で覆うというアイデアは悪くなかった」
「そうかよ……ところで親父、この2本の鎖、2回分になるよな?」
「まあ、そうだな。となると丁度5回になるな」
「……言ったな? なら……」
ディルマーは、その時初めて見る表情をした。
獲物を捉えた獣のように、口角を引き上げる。
そして気付いた。ディルマーのその細い腰にある筈の短剣が、消える。いや、初めから無かったんだな。これは幻影──
「オレの勝ちだぜ!!」
「父さん!!!」
空から落ちてきた光条が、俺の肩から股下までを貫き引き裂いたかと思うと足元の地面ごと辺りを吹き飛ばした。
死因:慢心