契約しよう
「とまぁ、我の昔話はそんなところかの。嗚呼、其方の話はよい。何せ『黄丹』は望む天下の万事を知る事が出来る故な」
アカーラは俺にそう言うと慈しむような眼差しで、寝息を立てている息子達を見やる。
んあぁ~かわいっ、かわいいなぁ~~っ! 抱き寄せあっとる~~!
生来の兄弟でも中々こうはならんだろ~~~!!
っと、ついつい現実逃避してしまった。いや、息子たちが可愛いのもまた眼前に広がるれっきとした現実。少しばかり別の現実に注意を向けただけだ。
さて、俺がアカーラの話を信じる信じないはあまり関係ない。
何せ千年単位の話だ。俺にその真偽を確かめる術などないし、真偽に依らず信じ込ませることも造作なくできるだろう。俺ですら記憶や精神に干渉する術式を扱えるのだから。
それよりもずっと重要なのは──
「くくく、何、そう肩を張らずともよい。大した事では無い。先の完全回復薬。生き血にも優る、比肩無き美味であった。千の年月ぶりの満足と飢餓を我に想起させる程にの」
「は、はぁ」
「我は仙人ではない故、欲を捨てきれておらぬ。是非とも、また味わいたい。其れだけの事」
俺は黙って完全回復薬の『原石』を作り出す。さっきは直接作ってしまったが、恒久的に要求されるならこちらの方が良いだろう。
「これでいいだろうか」
「ほぉ……!」
深紅に輝く親指ほどの大きさの『原石』をアカーラは受け取った。
◇
アカーラは早速空中に水球を出現させると、そこに『原石』を放り込み魔力を注ぎ込む。
仙人といえば、それこそお伽噺の存在だと思っていた。単に長命で魔力で食事を補えるようになった者を、一般人がそう呼んでいるに過ぎないのだと。
だが、その仙人に至れていないと語るアカーラの魔力ですら、確かに人間やそして魔物のそれともかけ離れている。“自然”そのものが放つ力に近い質だ。
とはいえどんなものであれ、魔力でさえあれば『原石』は問題なく完全回復薬を生み出すはず。しかして水球は瞬く間に赤く透き通った球体に変わった。
そこから小さな水球が分裂し、アカーラの口に飛び込む。
「ふむ……美味いが、少々風味が違う気もするの。いや、十二分に美味なのは確か。単なる生血よりも濃厚で鮮烈、しかし無駄な雑味が徹底して削がれ、洗練された淡麗さよ」
アカーラがそう口を動かす間にも、どうやってか吸収しているのだろう。澄んだザクロ色の水球は気付けばどんどんと小さくなり、ついには『原石』だけが残って宙を漂う。
「気質が風味の違いに現れとるのか。どれ、少し変えてみるか」
「ッ!?」
いつの間にか俺とアカーラは、魔力断絶で周囲との繋がりを完全に断たれている。脱出のための空間魔法もまるで使えない。
「そう身構えずとも良い。此れより少々物騒な類の力を出す故、気遣っただけの事よ」
アカーラの所作は先ほどと同じにも拘らず、俺は強烈な怖気を覚える。冷や汗が止まらない。生存本能、というものが俺の中にまだあったのだと久しぶりに認識できた。
魔物の魔力、などと言うレベルではない。比類する表現があるとするなら、稚拙だが『魔王』だろうか。世界そのものを滅ぼす終末の化身だと言われても納得ができる。
気が付けばアカーラの手元には、まるで人一人をジューサーで搾り潰したような、淀んだ赤黒い水球が出来上がっていた。
「ふむ。癖が強い味わい……此れは此れで面白いが、少しばかり個性が喧嘩しとるの。……おや、此れは俗人の子が飲めば死んでしまうのか。いかんいかん」
そう言いながら水球がやはり見る間に縮んでいく。
気づけば死を直感させる程の濃密な魔力は、既に何事も無かったかのように消え失せている。
水球も消失したかと思えば、アカーラは再び新たな水球を生み出した。
「では此れはどうかの?」
不可解なことに、その水球は無色のまま、赤い光を纏いだした。その上、辺りの空気が霊峰の滝壺のように、教会の聖域のように清浄になっていく。……この力は、聖属性か?
「ふむ……解穢の浄火、罪漱ぐ恒河水に近い……か。永命酒に成らぬのは、所詮は俗人の願いという事かの。此の『原石』の効能の本質は、〝穢れを祓う〟であるか。じゃが同時に与えた気に応じた穢れも生み出す。道には道を、邪には邪を、聖には聖を。なれば俗には俗と云う事。かの血潮を思わせながらも其れを圧倒せしめる美味は、俗人の気を以て成せる物なのだの」
「……つまり、人もセットで必要だと」
「うむ。話が早くて助かる。我の気質は金丹と殭屍術のために、俗人の其れとは変じてしまっておる故。此の『原石』が在れば其方でなくとも作れるであろうが、其方が最も美味く作れるの」
あぁ、俺でも分かるぞ。もう回避不能だと。
◇
さっきからそうだが、アカーラ自身は最初から結果が分かっていたはずだ。確かめずとも求めただけで知ることができる力を持っているという、その言葉を信じるならそういうことになる。
なら目の前でやっているこれは何か。
勿論、知識と経験は別物だという理由で実際に味見してみたというのもあり得るが、それ以上にこれは、俺に対してのものだろう。
デモでありプレゼン。実証であり説得。つまり俺と交渉するためのもの。
「無論、我も対価を支払おう。そうさな……其方の望む時に、其方が愛した者の居る場所へ皆を案内するなどどうかの?」
「ッ……そうくるか。いや、そうだな、そう来て当然だな」
妻との再会。これ以上無い対価だ。しかも「俺が望んだ時」と来ている。例えばそう、今はまだ少し早い。
今の状態で生まれ変わった妻に再会すれば、俺はカイルの件で詰られ嬲られ、感度3000倍で辱められ、生きたまま内臓を引きずり出されて、茹で釜か火炙りにされて、最後にアンデッドにされることだろう。
せめてカイルの異常性欲問題を解決させなければ……それかカイルに良い伴侶を見定めて孫の顔を見せてやれば良いだろうか……
「うむ、先の『原石』の礼として、先ずは幾らか言の葉を授けよう。──時間には余裕が在る。が、余り待たせ過ぎても怒りは増長する故、気を付けるが良い。カイルベッタ少年については我の食欲と同じ理屈で、完全に消し去るのは叶わずとも調和を取る事は可能よの。──さて、如何にするか?」
「ぐ……」
見た目はいたずら小僧のような顔をした少年だが、完全にこちらの手の内を見通している。もはや選択肢は無いと言っていい。
元より息子の、カイルの為なら、俺は何だってするつもりなのだから。
俺は──跪いた。
「カイルを……助けてくれるなら、俺はなんだってしよう」
「うむ。其の心意気、確かに聞き届けた。此れを以て契りとしよう……二人には明朝、我の事を話せば良かろう。して、此処でまだやり残しておる事が在るのであろ? しかし、息子の傷を抉る事になる故、手伝わせるのも直接覗くのも心苦しい。ならば夜明けにはまだ早い。代わりに我が視てやろう」
閉口したまま、俺はグラスになみなみと完全回復薬を精製する。本来1人分が小瓶1本で済むのだから、これだけで10人分くらいは軽くあるだろう。
「やはり、此れよの。艶やかな絹を思わせる舌触り、無垢なる童の生き血にも優る純粋さ。其れでいて幾重にも折り重なり熟成された立体感を持った旨味が、得も云われぬ馥郁と馨しく立ち上る香りと共に我の内を満たす」
満足気にアカーラはその一杯を飲み干す。
赤く濡らした口元を、口惜しそうに舌で舐め取りながら、真紅の瞳が納まる目を細める。
「我が一つ残らず捉え、語って進ぜよう。お主の愛しき息子を嬲り弄んだ者の名と居所を。心優しき息子がお主を想って口を噤む、其の狼藉の全てを。余す事なく詳らかにの」