過ぎ去った時を思い起こそう 1
「んん~~っ」
若人を見送り、我は其の身を猫の如く伸ばす。
あのグレンデールなる者は、中々手際の良い男のようで、既に此の教会と孤児院、その関連施設に居った一時の幼き同胞達は別の町に移されておる。我が出て行けば其れで終わりと云う訳よの。
それに、あの煉丹術。
霊力の密度だけで言えば仙薬、金丹『五霊丹』にも比肩しておる。霊質が仙気より俗気に寄っているが、其の分俗人には仙薬よりも扱い易かろう。
仙人に成れこそせぬであろうが、服せば万人の万病万傷万穢万詛を癒し祓える。
我の呪詛さえ濯いでしまえるのだから驚きじゃな。
物質として存在しておる以上、外丹──外界の材料を霊力で火を焼べて煉り丹を成す技──に相当するが、俗人に成せる範疇の外丹では此れ程のものは煉れぬ。
真の仙人の成す外丹は、丹砂や汞、黄金や霊芝等、世にある霊験灼たかなる物、神妙なる物、高き不変性を持つ物から、其の“意味”を熔かし出し煉り上げる。
此等の原材料の多くは俗人、と云うより多くの生物にとって劇物故に、確かに服せば仙人に成れるが、正確には「仙人になれる者が服せる」と云った方が良かろう。
だが先の丹薬──視た処、完全回復薬なる物らしい──は違う。正真正銘の無毒。俗人を俗人のままに救う窮極。
体内で気を煉り丹を成す内丹の技法と組み合わせ、丹田の鼎に直接外界の材料を取り込み、気と共に煉り上げる。そうして初めて至れる極致。
内丹の物質化、とでも云えようか。
普通の仙人であれば其の発想には至らぬ。仙人は須らく求道者であり、己を窮める者。そして人の数だけ真の道は在るがため、目指すきっかけを与える事は出来ても道そのものは他者には教えられぬもの。他者から与えられた道は却って歪みを生み出し、本来その者の往くべき正しき道を阻んでしまう。
宇宙との合一への術である内丹は、則ち其の道を進むための術理そのもの故に、本来は他人と共有できぬ。
物質化して分け与えるなぞ、ある意味俗人こその発想か。
「く、ふははっ」
嗚呼、駄目じゃ。笑みが溢れてしもうた。
言葉を、理屈を、幾ら並べたとて意味など無い。其れは真理ではない。
我は何を取り繕っておるのか。
斯様なこと、全く以て些事よの。
「──美味かった」
そう。美味かった。
兎に角、美味かった。
芳醇にして馥郁たる余韻、濃厚にして奥深き滋味。
僅か一雫であった其れは、久しく続いておった我が喉の渇きを瑞々しく圧倒せしめ、忽ち慰めおった甘露。
うむ、涎が止まらぬ。
胃は熱く、血潮は燃え滾り、完全に身体が疼いておる。
これだから永劫我は仙人に至れぬのじゃな。
◇
俺は、結局誰一人救えなかった。
ディルマーから生まれた新しい株の原種がそうであったように、一見そうは見えなくとも彼らには意識があった。そう見えなかったのはゾンビ化前までの薬による調整や、ゾンビ化後の従魔化により意識そのものを変質させられていたからだ。
だがそれでも、嬲られ辱められ弄ばれ踏み躙られ続けていた時も、意識があった。
何度となく殺され、何度となく蘇り、何度となく殺される。それを認識できていた。
「……」
既に聖魔法による『浄化』で事切れていた子などは、まだマシだったと言える。
俺の完全回復薬やカイルの聖液は、健常な状態に戻す。思い通りに身体が動くようになる。思い通りに言葉を発せられるようになる。正常な思考で、意識があったときのことを思い出せる。何を考えどんな行動をさせられていたか。
「ぼ、ぼくだけ、なんて。むりだ、むりだよ。ぼくも、とうさんとかあさんのところに、いか、いかなきゃ……」
命令に従い自分の手で、親を犯し、犯され、殺し、貪る。
「なん、で、こんなの、ウエ゛ッ! く、くるってたままのほうが、よかっだァ……ッ!! ゥエッ! ォエ゛ェ゛ェエエッ!!」
弟妹が、生きたまま餌として開頭され、晒されたその中身を空になるまで食べるよう指示される。
そんな自分も開頭され晒され、そこへと欲望が指し挿れられる。
俺は──彼等がせめて苦痛を感じぬよう、『転寝』による深い眠りの中、魔力路の切断で静かに解放して回った。
何人かの貴族等が一夜にして消滅したことなどどうでもいい事だし、ただの憂さ晴らしだ。
本当に、それ以上の事は何もできないまま、俺は顧客リスト全員分を処理し、結局外出から2時間足らずで息子達の眠る宿に戻った。
息子達は眠っている。
気配に敏いであろうディルマーが目覚めないのは、眠らされているからではなく、高い気配遮断の技術によるものだ。
「おかえり」
当然の様に椅子に腰掛け俺を出迎えてくれたのは、アカーラだった。
「早速、つまらぬ昔話をしようかの」
◇
アカーラと云うのは、元は「カーラくん」と云ったところの意味であった。“カーラ”と云うのも、悪しき霊に攫われぬようにと付けられた忌み名。故郷にて“時間”を意味する死を連れる旧き神を意味する名の一つよ。
当時の故郷の村は、優秀な道士を多く帝都へ輩出する村であった。両親も仙人とまでは行かずとも、其の肉体の外見は老いを殆ど忘れておった。
実際、我には兄上が一人居ったのじゃが、歳が五十程も離れておったし、両親も兄上も容姿は殆ど青年と変わらぬ程の若々しさを湛えておったもので、我は年齢は見た目で判断できぬのが普通だと思っておったものよ。
しかし戦場へと招喚された両親は、それきり戻ってくることはなかった。我が二歳の時であった。
兄上曰く、父上も母上も元より既に天命が近かった。両親共、兄上にはよく「死の瞬間こそ、真理に最も近づける時。運が良ければ尸解仙になれるかもしれない」と笑って云っておったらしく、最期まで道士として誇り高く道を窮め続けておったのだと、墓参りの度に教えられた。
そうして兄上は、手塩に掛けて我を育て上げた。
眠る前には、不思議な旋律の子守唄を慈しむように毎日歌って聞かせくれた。
流行病が村に広がりかけた時は、寝る間も惜しんで薬を作り、それでも死にゆく幾人かの友を最期まで看取り、その死を偲んで埋葬まで率先して手伝いながら、我の心を慰めてくれた。
我は……兄上を心から尊敬しておった。
亡き父上母上同様に優秀な道士であった兄上の手解きによって、十年経つ頃には村の子達の中では並び立つ者の居らぬ、一番の道士見習いに我は成っておった。
そんなある日、十年前から続いていた父上母上に死を齎した永き戦禍がこの村にまで及ぶかもしれぬと噂になった。
「兄上、これは?」
「金丹『九光丹』の『青丹』・『黒丹』・『黄丹』というものだ。三日前までならば死者をも蘇らせ、望む万物を生み、望む万物を知るに至るという程の仙薬。アカーラ、お前はこれを飲んでおけ。戦の魔手が幼きお前にまで伸びて万一の事があれば、俺は亡き父母に顔向け出来ん」
兄上は嘘を吐かなかった。
だが真意も口にしておらなんだが為に、我は気付かぬまま、言葉通りにその仙薬を服した。