昼を征き夜を統べる者
「吸血鬼……なのか?」
あどけない少年のように見えていたはずのアカーラは、しかしその身に人間とは比べ物にならない魔力を湛えている。
魔力量の規模で言えば、Sランクの魔物相当。
冒険者ではない。魔物だ。
魔物と冒険者のランクというのは、当然相性もあるが、『束になって組織的に戦えばその魔物を倒す上で勝機を見出だせるとき、その魔物と冒険者達は同じランクである』と定義されている。ランク間の尺度で言えば、1つ下であれば1パーティで、2つ下なら単騎で倒し得る、というような具合だ。
つまりSランクの魔物というのは、同じSランク冒険者以上のみの集団か、SSランク冒険者のみのパーティであれば、討伐の見込みがある、という意味になる。
Sランク冒険者など一つの国に一人二人いれば良い程度。SSランクなど一つの時代に一人いるかどうか。
そんな者を集団で揃えられるわけがなく、事実上の討伐不能。
人類にギリギリ何とかできる魔物はAランクまでだ。
具体的には最高位の龍種、原始龍辺りがSランクの代表格。強制討伐対象にすらならないし、できない。
天災そのものであり、とにかく遭遇しない・刺激しないよう、彼らの領域には近寄らないというのが基本方針だ。
ちなみに、吸血鬼は本来C〜B、稀にAランク。
精々死霊王と同等か、それよりは討伐が容易なアンデッド系の魔物だ。Aランク冒険者と専門家を必要数を揃えれば、それなりに勝算がある。
しかしアカーラは。
眼前の少年の形をした者はどうか。
吸血鬼と同じような色をした魔力だが、量も質も隔絶している。半端な人間を数集めても勝算が見出だせるようなレベルではない。
思わず、本当に吸血鬼か、と尋ねるような疑問形になってしまうほどだ。
何よりこの規模の魔力を完全に隠し通せていたのが、無害な人間として紛れられていた事が、既に常軌を逸している。
そもそも冷静に考えて、ここは本来教会。
つまり『聖別』された聖域。
その中枢部と言っていい場所であり、司教が個人的に立ち歩くようなエリアなのだ。そこに魔物が『聖別』の影響も受けず察知もされずに平然と侵入できている。
異常事態も良い所。
俺はそれが出来そうなアンデッドを、息子達以外に知らない。
◇
アカーラが、自虐めいた薄い笑みを浮かべたまま口を開く。
「吸血鬼……ふむ、我の故郷では餓鬼とも呼ばれたが、此方では左様な呼び名か……此の身が血や肉を欲するのは殭屍の性よの。
我を斯様な身に貶すだけで満足しておけば良いものを、無辜の命までを弄ばんとした愚かな邪仙を弑逆し、後に道を窮める機会に恵まれたものの、所詮は歩く死体に過ぎぬ我は尸解仙にさえ至れず、此の性の解決の目処も立たず仕舞い。
其の癖、不死性は上がるばかりときたものでな。師に五百年ばかり神通力を籠めて戴き、純潔無垢なる朝一番の童便に浸し込んだ仙桃の木剣にて心の臓を貫くもなお滅ぶ事は叶わず。
無為に時ばかりが幾星霜と流れてしもうた……
っと、ついつい口が緩む。つまらぬ年寄りの話に付き合せて済まぬの」
「……人間に擬態していたのは、食料確保のため……というわけでもなさそうだな」
真偽を判断できない情報が大量に提示されたが、コイツは強い。それだけは確かだ。
視れば視るほど、ただただ強い事しか分からない。
吸血鬼特有の血と死を孕む魔力に、深山幽谷なる霊峰の帯びる数千年クラスの清浄な魔力が、自然と調和している。
この世界が“生”と“死”を平等に内包しているように、自然そのものと殆ど同一化していることで澄み渡りすぎた力は、濃密にも拘らず次の瞬間には認識できなくなりそうになる。
“自然と区別できない”。これが『聖別』の影響外になる鍵なのかもしれない。
何より強すぎて、本来人間のふりをする必要がない。人前に姿を現す理由すらない。
山の頂上に佇んだまま、国単位、大陸単位で血を啜ることもできるはずだ。
同時に、強すぎて人から隠れる必要もないとも言える。
意図が読めない。
「何、偏に下らぬ我の未練の如きものよ。ひと時の消閑、淡く儚き泡沫。
……迂遠な物言いをしとるが、要は家族と云う柵に焦がれておるのだな。心から人と化し、序に逝ければ万々歳。だが、弱体化した程度では無駄だとも既に分かっておる。
まぁ、他人によって夢から醒めさせられたのは初めてだがの」
そう言ってカラカラと笑う姿だけを切り取ってみれば、無邪気な少年そのもの。
その言葉使いは古風、いや、異国風──強いて言うならば北東に広がる高山地帯を越えた先にある数千年の歴史を持つというキーマン皇国を思わせる──といった様子だ。
永い時を経て異国から渡ってきたのか、領土の変化で異国になってしまう程に昔からいたのか。
少なくとも、俺の知る350年レベルの話ではないのは確かだ。
◇
「して、其方は急いでおるのではなかったか?」
小首を傾げて尋ね返され、俺の思考が現実に引き戻される。
「そう、だな。だが必要なら時間はいくらでも引き延ばせる。大した問題にはならん」
「成る程の。時流を無限遠に引き延ばす術となれば、我も永き放浪の中で『時輪の布帛』の『秘儀』にて学んだ事がある。瞑想以外の実践的な使い手を見るのは久方ぶりだがの。
とは言え、過ぎた時が戻るわけでもあるまいよ。若人を縛り付けるのは好まぬ。心配せずとも、再会の機会は設ける故、早々に済ませるが良い」
小さな手がひらりと虚空を軽く払う。
その莫大な魔力には、しかし魔術的な効果を齎さんとする流れの変化や予兆などまるで無かった。
にも拘らず、俺の目に映る景色は変化した。
いや、俺の身体が目的地まで跳ばされたのだ。
「他人に空間魔法で転移させられるとはな。いや、この程度、造作も無いんだろうな……」
俺が息子達と一緒に転移しているのとはワケが違う。
俺は、空間魔法をそれなりに使える。
火魔法の熟達者を火ダルマにして焼き殺すのが現実的ではないのと同じ理屈だ。それこそ彼我に隔絶した力量差が無ければ不可能な所業。
つまり彼は、希少で困難な空間魔法さえ、俺以上に極めている。他の魔法など言うまでもない。
「……考えても仕方がない、か。ここは先達の言葉に従うとしよう」
彼が「機会を設ける」と言ったのだから間違いなく再会する。
ならば俺も早々に終わらせて応えるべきだろう。
ショタジジイ^〜