チップの精算
俺は魔力操作で自分の再生力を一時的に阻害して、親指の腹を軽く噛み切り素早く血を取り出す。その僅かな血を霧状にして、満遍なくクリフの傷に塗布した。
俺の血には数々の実験で取り込んだ再生治癒関係のポーションが山のように溶け込んでいる。そこから成分を選択的に調整すれば大抵の治療ができる。
息子が不老不死の秘薬の材料なら、俺はあらゆる病と傷を癒やす万能回復薬の材料だな。
阻害していた再生力を解放すると、俺の指の傷は即座に消え失せる。同時に、俺の血の中のポーションも再活性する。
骨と肉が元の形を思い出していく。それを覆う生まれたての肌は滑らかで周りよりもワントーン明るい。
瞼がその内の膨らみを思い出していく。それは残された右目と同じ鶯色の瞳を宿して再び光を迎え入れる。
「三叉神経解放、痛覚感覚質経路解凍。ほら、もう動ける」
「なっ……??!!」
拘束の魔法が解けたはずのクリフは、しかし湯船の水面に映る姿を見て再び体を硬直させる。
恐る恐る目元に強張る手を近づけて、跡形もないただの皮膚をペタペタと触る。
ゆれる水面には、しっかりと両の目がある姿が見て取れ、何より──視えていた。
「なん、で」
「嫌がっていたからだ」
「……え……?」
俺は、クリフの左目とその周辺が綺麗に再生されたことを確認すると少し離れる。そして、意味深にクリフの頭上に視線を向ける。
「クリフ。お前は死にたがっているようだが、お前の両親や姉、弟はそれを嫌がっている。お前に生きていて欲しい、とな」
俺の言葉にクリフの顔が一段と歪む。
今まで共に歩んできた右目も、一度は潰され今新たに生み出されたばかりの左目も、同じように光を揺らしている。
「今は守護霊みたいなものだが、お前も家族を悪霊にしたくはないだろう」
「そんな……ぼく、ぼくは、すぐに会えると思ってたから、がんばれた、のに……」
これで良かったか? そう俺は息子に訊こうとしたところで。
静かに嗚咽を上げるクリフの下へ息子が駆け寄り、抱きしめた。
いや、あれは、息子なのか?
「〈ごめんなさいクリフ。あなたを一人にしてしまって。無責任なことだと思うし、いくらでも罵っても恨んでもいい。それでも、どうか、生きて……ずっと待っていてあげるから〉」
「……か、あさん……」
「〈そーだよにーちゃん! それまでかーちゃんはぼくんだから! そんなすぐきちゃやだよ!!〉」
「コタ……ぅえ゛ッ?!」
抱きしめた後すぐ突き放したと思ったら今度は素早く後ろに回り込んでチョークスリーパーをキメだした。
「〈クリフあんたアタシに庇われておきながら何さっさとくたばろうとしてんの、気合足りてないわね殺すわよ〉」
「姉ぇ゛ぢゃ、ん、ギブっ、ギブ……ッ」
すると今度はその腕を解き、そのまま後ろからそっと抱擁して頭を撫でている。
「〈すまない……もう私達はお前とこうやって触れ合うことも、言葉を交わすことも、できない。お前は意地っ張りで恥ずかしがり屋だから、一人でずっとがんばってただろ。見てたぞ。でもな、まだ子供なんだ。折角良い人達が周りにいるんだから、もっと甘えていいんだ。そして、いつかお前が誰かを甘やかしてやれるようになればいい〉」
「…………父さん……」
「〈でもそういうとこ、昔のお父さんにそっくりよ〉〈はは、でも顔は、特に目元なんか母さんにそっくりだ〉〈そうね。本当に。綺麗に治って良かった〉」
息子が、そっとクリフの左頬にキスをする。
おい! 人の息子の身体で勝手に何してんだ!!
「〈愛してるよクリフ〉」
「ぼくも……大好きだよ」
「『白昼夢』、『転寝』」
抱きつくように、クリフは柔らかな微睡に落ちた。
◇
「──フ…………リフ……! ……クリフ……!」
「っ……ん……ダ、ン……?」
あれ……ぼく、いつもみたく風呂掃除して、早風呂のお客さんの背中流して、それで……
「ダン、ぼく、どうなって」
「浴槽で急に倒れて、お客様が介抱してくれたんだ」
顔に手を触れてみると、いつもの包帯が左目を覆っている。けれど、そこには苛むような痒みも痛みもない。
「大丈夫?」
聞きなれない男子の声。そういえば、お客さんって親子連れだったっけ。
「ごめんなさい、ご迷惑をかけ、て……」
その顔は全然似ていないのに、父さんや母さん、姉さんや弟の姿がダブって見えた。
「こちらこそ、無理させちゃったみたいでごめん。これ、お詫びも込めてちょっと多めに渡せって父さんが」
そう言って手渡されたのは500セイル大銅貨。僕だけに限らず、孤児院暮らしの人間からすれば充分な大金。
けれど、ぼくはそんなお金の重さを手で感じながらも、お客さんの俺と同じくらいに見える子供の顔から目を逸らせないでいた。
「ク、クリフ、今日はもう休んでろ。食事は持ってってやるから」
ダンの目が赤い。
泣いてた?
そういえばダンって、怪我してるやつが死んじゃうたびに、いっつも泣いてたっけ。
……あぁ、そっか。ぼくがこのまま死ぬかと思ったんだ。ばかだなぁ。赤の他人なのに。年長だろうがなんだろうが、金のない子供なんて、なんもできないのが普通なのに。
第一そんな簡単に死ねるわけないだろ。父さんと母さんが悲しむし、弟には文句言われるし、姉ちゃんにはボコボコに殴られてぶっ殺されるよ。
ははっ。
……なんで今になってそんな風に思えるんだろう。
そんな景色が、他人の顔が、見えるんだろう。
なんで今更。
「立てるか?」
差し出されたダンの手を、ぼくは握ってそのまま引っ張り寄せた。
「うあっ?! クリフどうしっ」
ぼすりと倒れてきた体に、ぼくはそのまま抱きついた。
大した筋肉もなければ、脂肪もない。
ちょっと汗臭くて、温かい。
父さん、運動得意じゃなかったな。なのに無理して真っ先に飛び出して。あっさり死んじゃってるし。
あぁ、だめだ。目が熱くなる。
「……」
ダンは黙って、僕の背中に手をまわして、優しく抱き寄せてくる。保護者ぶっちゃって、なんか腹立つなあ。
と思ったら急に引き離されて、涙でかっこ悪くなっている顔が晒されてしまう。
「クリフ! 左目!」
そう指摘されて、左目の包帯が濡れていることに気付いた。
それはいつもの膿のような感じとは違う。けれど、どんどん広がっていく染みを見て、ダンはますます慌てているみたいだった。
そこに倒れたぼくの容態を診にパサナさんがやってきた。
「あぁあぁぁッ! パサナさん! クリフのッ! クリフの左目が、ぐちゅぐちゅになってってる!!」
あまりの情けない様子に涙が引っ込む。
……そういうとこ嫌いじゃないけど。
パサナさんが僕の前に来ると、少し濡れた包帯に触れて目を細めた。
「ダンは少し落ち着きなさい。クリフ、包帯を外しますね」
ぼくが頷くと、パサナさんが包帯を解いていった。
◇
クリフが倒れたと聞いて、私は救護用具一式を持って脱衣所に向かいました。
近隣の山には多くの猛獣や魔獣が潜み、多くの恵みを齎すと同時に、多くの人々が亡くなっては孤児が増え、子供まで怪我を負っていることも少なくありません。
これまでも、大きな怪我をした子達を出来うる限り治療はしてきましたが、限られた設備と援助では限界があります。
何人も何人も見送ってきました。
小さな瞳から光がなくなるのを、小さな手から力が抜けるのを、小さな命が消えていくのを、何度も何度も。
できることと言えば、その最期を安らかに、孤独でないようにすることだけでした。
そんな中で、同じく大きな怪我を負っていたクリフはかなり長く保っている子でした。
時折熱にうなされ、傷からは定期的に膿が溢れていましたが、それでも教会で備蓄している薬での処置で何とかなっているように見えていました。
傷の乾燥が障ると気付き、共同浴場の掃除を任せるといった対処もしました。
それでも。
やはり駄目だったのかと。
私は神に祈りながら、駆けていきました。
いざ着いてみると、そこには狼狽えた様子のダンと、涙の跡が見えるクリフ。そして……たしか宿泊客のカイ君だったでしょうか。
クリフは意識が朦朧としているのか反応が薄いように思えますが、そこまで酷い様子には見えず私はひとまず胸をなでおろしました。
しかし、ダンが慌てているように、クリフの左目の包帯には染みが広がっています。膿が酷い時は熱も出やすいので、確かに心配ですね。ですが実際に触れてみると、膿と違ってさらさらとしています。
クリフに断りを入れて包帯を外すと、それは信じ難い、神の奇蹟と言っていいものでした。
「傷が……無い……?」
いえ、傷が無かったことになっているわけではないのはよく見るとわかります。僅かに肌の色が違うのです。それはまるで今しがた生まれ変わったばかりの赤子の肌を思わせます。
ですが、それだけではありませんでした。
クリフの左目がゆっくりと開かれ、右目と同じ明るい灰緑色の瞳には私の顔が映っていたのです。
「クリフ!!? おま、その目どうし、いや! それより、ちゃんと見えてるのか?!」
「うっさいなさっきから。見えてるよちゃんと」
クリフ君の約一年前の家族構成
父:ストーニー(31)
母:ランカ(33)
長女:カリン(15)
長男:クリフ(10)
次男:コタ(7)