お泊りしよう
さて、買い物も済んだしさっさと帰路についてもいいのだが、おそらく時刻的に言えばあのディンブラ家の馬車がまだちんたらと山道を下っている頃だろう。
俺は息子と共には適当な魔法を付与してとっとと駆け抜けたおかげで朝と言える時間帯のうちに麓の町に到着していたが、まともに行けば馬車でも半日弱だろう。
つまり今あの山道を行けば、再びかち合うことになる。
それは御免だ。
かといって昼過ぎのこの時間帯。
普通なら腹が減ったと食い処に駆け込むのだが、親子揃って基本食事不要ときている。まぁ、どこかで食ったそぶりをしていれば変な目で見られることもないからいいが、暇だな。
「父さん、今日ってこの町に泊まるの?」
「そうだな、どっちでもいいんだが……カイは泊まりたいか?」
「えっ、あ……うん。ちょっと、泊まってみたい……」
適当な宿で一泊するのもいいな。
前世じゃろくに外に連れ出してやれなかったし、今世でも宿に泊まる機会はなかったのだろう。息子はなんとなくそわそわもじもじとしてしまっているのを自覚して、頬を少し赤くして照れ笑いを俺に見せた。
ふーー、この可愛さは何なんだろうな?
俺はどちらかといえば無愛想でやや短気だし、妻も殴られる前に殴り飛ばすようなかなり苛烈で勝ち気な性格だ。
息子のこのほわほわした小動物のようなか弱さ、聖母のような優しさ、時たま見せる勇気と包容力は何処からやってきたものなのだろう?
宇宙か??
おっと、俺が考え事をして変な間を作ったせいで、息子が不安そうに小首を傾げている。完璧な角度だぞ。かわいさが留まるところを知らないなまったく!
「そういうことなら今晩の宿を探しておくか」
俺はいつも通り平静を装って息子の要望を受け入れ、宿探しを始めることにした。
◇
「父さん……別に無理ならいいよ……?」
空いている宿はあったのだが、寄りにもよって教会の隣だった。
俺の顔に不機嫌さが滲み出ていたのだろう。息子が遠慮してくれている。
だがこの程度の事で息子の願いを無碍にするわけにはいかない。
「大丈夫だ。なんとかしよう」
最悪、教会を無かったことにすることも視野に入れておく。
淡い黄色の薄汚れた三階建ての外観だったが、中に入ると清潔感のある白の内装で明るい雰囲気。質素な陶器の花瓶には季節の花が生けられ、細やかながら彩りのアクセントとなっている。
そして所々に天使の彫像や宗教画が飾られていた。
天使の彫像? 宗教画?
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか」
フロントのカウンターの人影から透き通った声色で呼び掛けられ、俺は一応確認のため尋ねた。
「ここは宿ではないのか?」
「宿でございますよ? ここは“安らぎの光亭”です」
そう答えるその女性は、儚い色味の灰緑の瞳がしかし凛とした力強さを湛えている。そして、それ以外の特徴が捉えられない。
なんせ修道服に隠れている。
どう見ても修道女だ。
彼女も俺の視線で勘づいたのか、宿の説明を始めた。
「ここは元々教会に併設された孤児院だったのですが、孤児たちが自立できるようにと宿として改修したものなのです。今は買い出しや休憩、幼い孤児の世話で席を外していますが、普段は私ではなく孤児の年長組が対応しております」
「……なるほど」
孤児院であれば、教会の術式が干渉してくる可能性は低い。今は運悪く修道女が出張ってきているが、基本的には孤児たちが応対するのなら、警戒しすぎても不自然だな。
「一泊いくらだ?」
「今ですと一人部屋2つを合わせて1400セイルでご利用いただけますね。四人部屋もございますが、こちらは2000セイルですので、御二人ですと少々割高になります。お食事については別途、朝食は100セイル、夕食は200セイルで提供しております。入浴に関しましては共同のものを、入浴料50セイルでご利用いただけます。また、100セイルで洗濯の代行サービスも行なっております」
“セイル”はこの辺……確かセイロン国の通貨だ。ひと月の一人分の収入が職によるが10万セイル前後、食費が大体2万セイルといったところか。ここは首都からそこそこ離れた山の方だから、もう少し収入も物価も低いだろう。
組合にある俺の口座から適当に降ろしてもいいが、折角息子と荒稼ぎした残りがまだ7万ほど残っているからそれで払おうか。
それにしてもサービスがなかなか手広いな。孤児たちに仕事を与えるためだろうか。
「俺達は一人部屋1つで構わない」
その言葉に、修道女はちらりと息子を見やる。その息子はというと、修道女の説明で何かが気になったのか少し考え込んでいるようだった。
「そうですね、少々狭いかもしれませんが、そちらのお子さんとでしたら並んで寝られるかと思います。もし追加の寝具が必要でしたら御申しつけください。貸出いたします」
その後、記帳と夕食・朝食・入浴料込みの支払いを済ませて部屋の鍵を受け取る。
「外出は営業時間内でしたら自由ですが、その際はフロントで部屋の鍵と割符の交換をしてください」
そう説明を受けていると、奥から素朴な身なりの少年が出てくる。歳は15ほどだろうか。
余り手入れされていないであろう眉や思春期らしいそばかすが、少年の垢抜けなさを際立たせている。
「あ、いらっしゃいませ!」
「ダン、デルグ様とカイ様です。202号室まで案内して」
「分かりましたパサナさん。デルグ様、カイ様。202号室は二階にあります。ご案内しますね!」
にかっと裏表を感じさせない笑顔を見せたダン少年の後についていき、俺達は宿の階段を上った。
◇
「へぇ~、猟師さんなんですか! 僕、狩りとかもう全然下手くそで! 今はこの通り接客がんばってるんですよ。あっ、こちらが202号室です」
ダンという少年は、なかなか人懐っこい子だ。
間を持たせ、自身の情報も適度に出し場を和ませつつ、こちらの警戒心を緩めさせて情報を収集する。それでいて、プライベートな部分には不用意に立ち入らないよう雰囲気で察する。そういう話術が自然とできるというのはなかなかの才能、あるいは努力の賜物なのだろう。諜報なんかも向いているのではないだろうか。
まぁ、嘘や演技の類は苦手そうだから、厳しいのかもしれないが。
案内された部屋の中は、ベッド、机、椅子が1つずつ。あとは服を掛けるハンガーラックや、荷物を置く棚、貴重品を入れる小型金庫なんかがある。
この部屋は通りとは反対側にあるようで、窓からは教会の中庭が見えた。
「今日はもう外に出る予定はない。手洗いと浴場の案内を頼んでいいか?」
「大丈夫ですよ!」
というわけで引き続きダンの後ろを追って宿の中を進む。
水回りは一階にあるようで、トイレと風呂だけでなく食堂や洗濯場もあった。息子と同じくらいの背格好の孤児達が野菜や肉を下拵えしたり、洗濯しては中庭に干したりと忙しそうだ。
「こちらが浴場です。ちょっと待っててください。おーい!」
浴場の脱衣所の前には、“掃除中”の札が立てられていた。
ダンは構わず中に入って、掃除している従業員に声をかけた。
「ダン? どうかしたー?」
「掃除いつごろ終わる?」
「んー、あと半刻くらいかなー。もしかしてお客さん?」
「そーそー。今案内してんだー!」
声変わり前の少年の声と、声変わりしたばかりのダンの声が良く響いている。別に浴室まで言って直接会話したらいいと思うが、濡れたり作業を邪魔することを懸念しているのだろうか。
「俺、一番風呂じゃなくてもいいよ?」
「あぁ……そうだな」
どうやら息子は、彼らが風呂掃除した者の特権として、普段はそのまま一番風呂を堪能しているのではないかと考えたようだ。その楽しみを奪うつもりは確かに俺にもない。
「ダンちょっといいか」
「あっ、はい! なんでしょう」
「今掃除している子達は、普段いつ入浴するんだ?」
「え、あーそれは……」
どうやら息子の予想は当たっていたらしい。ダンもうっかりしてたという顔だ。
「時間の都合もあるだろう。共同の浴場なのだから彼らが一緒でも構わない」
「そうですか? お気遣いありがとうございます」
どちらかというと、他の成人客と混ざる方が息子のトラウマを刺激することになるかもしれない。子供達との方がまだいいだろう。
物価的には宿泊施設や肉、野菜自体は安いけど調味料は高価。海からも遠く、岩塩もあるにはありますがそれほど多くはないです。
ハムもどちらかというと塩が高いという感じ。
グレンデールとカイルくんが売った肉は、鮮度や血抜きの状態が良かったので相場よりは高めになっていますが、それ以上に物量の多さが収入に反映されています。