麓の町
人目を忍びつつも馬車を抜き去る程度の速さで山道を突き進み、俺達は麓町“バーノン”に到着した。
関所は偽造の狩猟免許証を見せてさくっと通過し時刻は昼前。出店が立ち並ぶそれなりの雑踏の中、息子の手を引いて歩く。
「こんなたくさんの人の声聞くの、俺、久しぶりかも」
「はぐれないように気をつけろよ」
「うん」
息子の手は微かに強張り、横を人が通り過ぎる度にビクリと震えている。
山の麓に暮らす男と言えば、樵だとか猟師だとかが大半だ。それなりに屈強な見た目の者が多く、小柄な息子には少し威圧的に感じるだろう。
──こういう体格のやつが、息子の客にもいたのかもしれない。
……いかんいかん、殺意が漏れそうになった。
早めに人混みを抜け、肉を卸せそうな店へと足を運ぶ。“マンサ精肉店”、ここでいいだろう。
「いらっしゃい! 初めて見る顔だね。その感じだと買取りかい」
威勢のいい声だ。
恰幅の良い壮年の女性が、三角巾から溢れるうねった赤毛を揺らしながら、肉の並ぶガラスケースの前に出てくる。
「えぇ。大きい方から、熊2頭、猪2頭、鹿4頭、雉2羽、兎5羽。血抜きと解体は済んでいる」
「へぇ、随分と多いじゃないか」
「息子に教えつつ手伝わせたもので。ほら、カイ」
俺は偽名で息子を呼ぶと、ひょこりと俺の背中から顔を出し、ぺこりと頭を下げる。
「こんにちは、おねえさん」
「あらまあ坊や、こんにちはっ。もうアタシはおねえさんなんて歳じゃないけどねえ! かわいい猟師くんに免じて、サービスしようかね?」
女性が豪快な笑顔でウィンクをすると、店の奥に向けて声を投げ掛けた。すると息子より3つほど歳上であろう少年と、壮年の男性がやってくる。
「肉は外か?」
「いえ、この中にある」
壮年の男の問いに、俺は腰につけた革袋を指差した。
「魔法の袋か……そんだけ入るもんなら、売れば一生困らんだろう。貴族の道楽か?」
男が俺達に向けて怪訝な顔を向ける。
山道を駆け抜けたとはいえ、魔法のおかげで俺も息子も小綺麗だ。そこに魔法の袋もあれば勘違いもするか。
貴族に対して良い印象を持った庶民などそうそういないだろうから、彼の反応も仕方ないと言えよう。
「ははは、売れれば楽なんだがね。こいつは呪われた家宝で、売ろうにも代々うちの長男にしか使えん代物ときている。やむなく積極的に使い潰してるところだ。幸い、仕留めた獲物を放り込んでおく分には使い物になる」
いつもの口から出任せだ。
「あとは死んだ親父からもきつく言われてきたもんで。“汚い体で肉を汚すな”と」
「くはははっ! そりゃいい親父さんじゃないか! そら、アンタ、いつまでも突っ立ってないで、とっとと裏の精肉場に案内してやりな」
女が男の背を叩く。……背中に赤い跡が付きそうな音だ。どうやらこの店は彼女の立場が強いらしい。ここの店主なのかもしれない。
◇
俺は案内された先にあった金属製の精肉台の上に解体済みの肉を取り出して行く。
男の方は目利きと重さの記録をして、少年の方は肉を置くバットや吊るし上げるフックを用意する。
目利きの終わった肉は少年によって、次々と保管庫に運び込まれていった。
ちなみに、袋の中には提示した数以上の肉がまだ残っている。
息子に何かあった時のための予備や、『骨抜き』で全身の骨が歪んだ猪のように、人目に触れれば魔法の内容が推測されるリスクがあるものだ。
一通り肉の検品と査定が済むと、男がやって来て頭を下げてきた。
「さっきは悪いことを言った。良い肉だったよ。そいつは鮮度も維持してくれるのか」
「呪われてるだけあって高性能なんだ。代わりに、こいつを手放すと抑え込まれていた分の時間が俺に襲い掛かる、らしい」
「らしい?」
「確かめようものなら、かわいい息子を一人残すことになってしまう。コイツがどれだけの時間を塞き止めてるのか分かったもんじゃない」
「あー、そりゃ無理だわな」
息子を見遣る。どうやら肉加工品に興味があるようで、様々な種類のソーセージやハムを見つつ、女店主(推定)に説明を受けている。
今の俺達は基本食べる必要がないが、料理好きだもんな。
お、こっちに駆け寄ってきた。どうした?
「と、父さん……その……あのハム」
「その生ハム原木、丸々一本買おう」
「えっ」
ん? 間違えたか?
「もしかしてその左のやつだったか?」
隣には火の通ったタイプのハムが並んでいる。
「あ、ううん、あってるけど……」
「金か? 別に気にしなくていいぞ。かわいい猟師殿が稼いでくれたからな」
「そっか……ならいいけど……その、かわいいって言われるのちょっと恥ずかしい……俺、男なんだし……」
その顔を赤らめさせて恥ずかしげに翡翠色の丸々とした潤みがちの瞳を上目遣いして見つめるの。俺以外にやってないよな?
大丈夫か??
……おい、そこの少年。
気持ちは分かるが、それ以上俺の息子を凝視するならしばらく視力を失う覚悟をしろ。
少年が俺の視線に気付いてそそくさと店の奥に下がる。
俺はため息を付いた。
「……難しいリクエストだな」
「むぅぅ……」
かわいいのは事実だからな。そのちょっと頬を膨らませて眉をがんばって吊り上げてるのもかわいいからな。いったいどうなっている?
小柄とは言え、息子は女子に見えない程度には男子らしい顔付きだ。同時に、まだ子供にしか見えない。まあ12歳じゃそうだろう。
だからこそなのか、息子はなまじ身体を売ってきたこともあり、下手な娼婦よりも色気や背徳感の漂い方が凄まじい気がする。
おかしいな……その辺の子供と同じような服装で、変に着崩している訳でもないのに……なんかフェロモンでも出ている? あるいは魅了の魔眼か?
アンデッドというより淫魔の類だが、そういう特殊能力も無いことはない。一度ちゃんと調べるべきか……
しかし精査するとなると教会の設備が必要になる。
息子がアンデッドだとばれたり『聖痕』に反応するかもしれなかったりとリスクがあまりに高すぎる上、俺だけでも年齢だとか色々な情報が漏れると不味い。
「あ、そうだ。父さん、俺、調味料とか小麦粉とかも欲しいんだけど……」
「店主、良い店を知ってるか?」
おっと、考え事をしている内に息子から新たなリクエストだ。今はそちらを優先しよう。
「調味料と香辛料なら、ここを出て通りを右にちょっと進んだら向かいに“グアンダ”って店がある。ちょっと値は張るけど、良い物が揃ってるよ。粉物だと、この通りの一本向こうにある“ミラ製粉”って店が良いかね」
「なるほど、ありがとうございます」
俺は軽く会釈し、息子を引き連れ店を出た。
◇
順調に買い物を終えて、息子もホクホク顔だ。
勧められた“グアンダ”の品揃えは確かに感嘆するものだった。
息子にとっても250年経って時代も国も文化も変わり、勿論香辛料も調味料も様変わりしている。
昔は塩と砂糖と酢と酒にいくらかのハーブぐらいのものだったが、棚一面に並ぶ数々の香草や遠方の国々の発酵調味料を前にして、料理好きの息子はあれこれ手に取っては目をキラキラとさせてはしゃいでいた。
世界が煌めいているとはああいうことなのだろう。
息子の笑顔が眩しくて目がくらむ。
俺もそんな煌めきを浴びて、ついつい財布の紐が緩んでしまった。別に金など普段使うようなものでもないから何の問題もないが。
現実逃避するように冒険者稼業やら傭兵まがいのその日暮らしを続けた結果、使っていない金があちこちに大量にプールされている。たまには適度に使って経済に還元するのは悪くない。