不死者の力
息子と共に、俺はその何もないように見える場所に近づく。
広場中央の焚き火の向こう、小奇麗な馬車と汚い馬車の間。血濡れだった地面。俺が掃除してなんの変哲もなくなった地面。
なんか小娘が警戒しているが無視だ。
息子は、何もないように見えるその空間に手を伸ばす。
そして握った。
「!」
まるでステンドガラスが砕けるように、霧が晴れ空気が澄み渡るように、世界という幕に隠された真実が解き放たれるように。
それらの人の姿は眼前に顕れた。
死霊魔法の研究に手を出し、霊魂を知覚できる俺には、はっきりと4人の男の姿が視えた。先程まで視えず、還った筈の者達の姿。
ありえないことだ。
ここは霊的にも魔術的にも密封されていなければ、時間も経ちすぎている。魂を現世に繋ぎ止める要素がない。
強大な魔力を持った者がさらに強固な意志や強烈な未練を持たなければ、或いは外部から事前に魔術的な細工をしていなければ、肉体が死んだ時点から一刻程度で魂は拡散する。
そうなれば、いくら肉体を復元したところで蘇生はできない。放っておけば衰弱死する、眠れる人形にしかならない。
それが250年前、『黄泉還りの術』と共に得られた結論。
命は甦らず、時は巻き戻せず、死は無かったことにできず、魂は呼び戻せない。
手遅れだった。
あの時俺が死ななかったのは、唯一回収できた息子の僅かな遺骨が、その意味を失ってただの骨片になるのが耐え難かったからか。息子や妻が最初からこの世界にはなかったようになるのが悔しくて腹立たしかったからか。
今となっては分からない。
だが、考えてみればそうだ。
高位のアンデッドは、他のアンデッドを従え、新たなアンデッドを生み出すことができる。
それは無から魂を作り出しているのではない。どうにかして死者の魂を呼び戻しているということだ。
つまり、私がすぐにアンデッドとして大成すればよかったのだ。それが正解だった。もう息子も妻も生まれ変わっているはずだから遅いのだが。
次回に活かそう。
と、どうでもいいことを思索しながら、俺は息子とその霊魂を見やる。
4人の魂はその全身を黄金色に煌めかせている。
〈こ……は……?〉
〈……れ……達……んだ……じゃ?〉
〈そ……り……ジー……は……じ…………か?〉
〈なん……れ………ちゃ……っ……る〉
何言ってんだかよく聞き取れない。もっとハキハキと喋れないのかこいつら。
すると、察しのいい息子が彼らをフォローする。優しいなあ。
「たぶん、魂だけで喋るのに慣れてないんだよ」
そういう発想もあるのか。流石、俺の息子は天才だ。
なるほど、そういうことなら俺も肉体無しで発声する練習をした方がいいかもしれない。念話の応用か、風魔法で直接空気を震わせるのもありだな。
「やっぱ、元の体があったほうが話しやすいかな……」
「それはそうだろうな」
小娘が、馬車を挟んで反対側で少年──確かロジーという名だ──に付き添っている男へ、風魔法で合図を送っている。
こんな雑なのではダメだ。もっと人の声を模して、一から空気を震わせなければ。
潜入任務の時は変装魔法で喉や骨格の形を直接変えることで声も別人にしていたから、繊細な音波の制御は究めていない。肉体無しの発声は今後の課題だな。
「この人たちの体って……」
「そこの馬車の裏だ。さっきの二人もそこにいるだろう」
〈ま……、お……た…………か?〉
何言ってるのかさっぱり分からんな。
◇
「護衛の任は断ったと伺いましたが、何用でしょう」
使用人らしい格好の男が、少年を庇うように前に出た。少年の方は、顔をこちらに向けずに目元を袖で擦っている。
「私達ではありません。彼等があなた方に用があると言っているのです」
俺が指差すのは霊体の方ではなく死体。俺の目にも見えるようになったとはいえ、悪意や怨念がない幽霊というのは現世に干渉する意志が弱いものが多く、それなりの修練や才能がなければ知覚できない。
だから俺は目に見える演出をする。俺が嫌いなやつだ。
「忠信を示した勇敢なる者へ、奇跡と恩寵をここに」
わざとらしく無意味なその言葉は、詠唱でも何でもないただの装飾。
だが、肉体が負った損傷を修復する魔法は本物だ。
「これは……」
「……!」
眠っているだけのようなそれらは、しかし血の色も温かさも失った死体のままだ。
……ところで、アンデッドがアンデッドを新たに生み出すパターンには、有名なものがいくつかある。
直接殺す。アンデッドが殺した者をそのままアンデッド化するというパターン。大体のアンデッドに当て嵌まる。
召喚する。既に死んだ者を呼び戻して配下にするというパターン。特に魔法の才があるアンデッドはこのタイプが多い。……というか息子は既にやりかけているな。
捕食する。身体の一部を直接捕食することで、アンデッド化するというパターン。逆に殺されるだけではアンデッド化しないことが多い。吸血鬼なんかがこのタイプだ。
そして──
俺は懐から液体の入った褐色の小瓶を取り出す。
中身は水ではない。
「聖液に満ちたる貴き御力よ。善なる魂に導きを、善なる命に一時の灯火を」
ガラスの栓を抜き、その中身を4人の口に一滴ずつ垂らす。
白く、とろみのある液体だ。
「……あ、アルトン……?」
異変に気付いたロジー少年が口にしたのは、彼が三歳の頃から世話係を務めた護衛の名。
予想通り、先程の霊魂のように死体が黄金色の光を帯び始めた。
〈……!〉
最後まで何言ってるのか聞き取れなかった霊魂達が、各々の肉体に引きずり込まれていく。
「あぁ、良かった。ご無事で何よりです、ロジー様」
「あ゛るッ、アルトンッ! ぅぁああ゛ぁぁああ!!」
ゆっくりと起き上がる身体に飛び込んで抱きつくロジー少年と、それを優しく抱きとめるアルトン。
「そうか、ウォルトリム様も無事なのか」
「え、えぇ」
他三人は男の使用人の方に駆け寄って、今の状況を確認しているようだ。どうやらあの霊魂だけの状態では、外界の状況をほとんど把握できないらしい。
「そうか……だが馬車の替えに、山賊の捕縛……一体どうやったんだ?」
「増援の気配なんてないよな」
「カロリナさんが隙を見て本気出したんじゃ?」
三者三様に意見を彷徨わせている。こいつらこの蘇生もどきが時間制限付きだと言ったことを忘れているのか?
釘を差しておこう。
「奇跡は成りました。ですがこの秘蹟は、故人と最後の心残りを解消し、きちんと見送るための一度切りの御業。そのことを、ゆめゆめ忘れないでください」
「分かっています」
アルトンがロジー少年の肩を掴んでそっと体から離す。
ロジー少年も気付いているはずだ。アルトンの体自体は冷たいままで、死んだ者のそれだということに。
「私はもうロジー様をお守りすることはできませんが、最期に無事を確認できて本当に良かった」
「あ、アル、そんな……っ!」
「ロジー様。これを」
腰に帯びていた剣だ。
流石に子供には長すぎるだろう。あぁ、短剣もか。
「ずっと剣を振るう騎士に憧れておられましたね。ウォルトリム様と、そしてディンブラ家を守る騎士として、この剣を支えに歩んでください」
「やだぁ……いらない! いらないからっ、まだいっしょにいてよおぉ!!」
「どうかお聞き分けください」
「やだぁぁぁああっ!! ぅぁぁぁあああぁぁ!!!」
ロジー少年にとっての育ての親であり、政務で忙しかった両親や兄よりもずっと長い時間を共にしたんだ。それを一方的に突き放さなければならないのは酷なものだ。それこそ両親との別れ以上に辛いだろう。
と、これだけ騒いでいたのだからまあ仕方ないのだが……ツイてないな。
起きてこっちに来やがった……
「何事だ──なっ、どういう、お前達、死んだのでは……」
面倒な爆弾と対面してしまった。
謎の白い液体の正体とは