夜の取引
別に大した技でもなかった。
ただ速いだけの直線軌道の投擲物など迎撃は容易かったし、万に一つも怪我を負わせる可能性はなかっただろう。
それでも、俺はこの小娘が息子を怯えさせたという事実だけで、悪意を持って対応せざるを得ない。
「申し訳ないが、断らせて頂く」
「理由をお聞きしても?」
空気が張り詰めそうになるが、俺は気にせずそれを緩める。相手のペースに乗るつもりはさらさらない。それよりも息子の安らかな眠りの方が大切だ。
焚火を見張る俺の後ろには、一見するとぼろ布にしか見えないローブでその身をくるんですやすやと眠っている我が子がいる。
かわいい。
寝かせて正解だ。
当然その布は例によって俺の魔法が付与してあり、山奥のあの小屋と同レベルの快適な環境と安眠を息子に齎している。
「ようやく助け出せたばかりの息子と、今また離れるわけにはいかないからです。これから少しずつ人に慣らしていくところですので」
嘘ではない。むしろ限りなく真実だ。
だからこの手の目を持つ人間にはそれが効く。
「やはり、武人ですか」
「とても……昔の話です。息子の心と身体の傷を癒やすのは、武や魔を究めてきただけの私にはとても難しい……あなたのその脚程度ならどうにでもなるのですがね」
俺の言葉が予想外だったのだろう。その小娘は面白いように目を見開いて反応する。
そうだ、俺の言葉は嘘ではない。それが分かるから、疑うよりも先に驚かざるを得ない。
この手の攻め方をされたことがないのかもしれないな。ならこのまま押し切ってしまおうか。
「護衛を断る代わりに、あなたが主人を護衛できるようにしましょう」
「……この傷は、治癒魔法でどうにかなるものではないですよ」
「ええ。ですからこれは、『再生魔法』と名付けた別種の魔法です。息子を守れなかった、つまらない出来損ないの魔法ですが」
俺は無造作に、魔法の袋から町に卸す予定の肉の一部を切り出して、その肉片を腰の短剣で貫きそのまま地面に突き刺す。一から造ることもできるが、息子以外に回す魔力は最小限でいい。
肉片は瞬く間に光る塵へと変わる。それらは短剣の周囲に円環状に漂いぼんやりと輝く。
「痛みますがよろしいですか?」
「構いませ……ッ!」
やる前に尋ねただけ俺も丸くなったのだろう。答えが帰ってくる前に始めたが。
円環が2つに分かれ、小娘の両脚に枷のように纏わり付くと、無数の微細な針のような残像を描いて塵たちがその抉れた部分へと飛び込んでいく。
痛覚を遮断したり、痛んでいることは分かるが痛いと知覚しないようにしたりもできるが、相手は息子でもなければ息子に頼まれたわけでもない。
さっさと向こうに戻って欲しかったので一気に造った。筋繊維、神経、血管、リンパ管、皮膚。
内臓なんかに比べればずっと簡単だ。
ちなみに、治癒魔法とは違うと言ったが、この魔法でも息子に以前伝えた『骨抜き』や『節霜』の治療はできない。これは欠けたものを補い、元の形にする魔法だ。変質したり侵入した異物そのものは、別の手段で破壊するか取り除く必要がある。
「もう終わりましたよ」
はー、それにしても息子の寝顔は相変わらずかわいいな。俺は自然と息子のふわふわした細い髪をそっと撫でる。
「……あなたは、さぞ名の通った者なのでは」
まだ居たのか。
「いいえ。むしろ名を偽り続け、今や捨てて久しい。あなた方に語る名は持っておりません」
◇
「申し訳ごさいません、ウォルトリム様」
カロリナが頭を下げて跪く。
「カロリナが失敗するとは珍しい。身分を理由に従わせる事はできなかったということか」
私はまだ起きていた。というよりも状況が状況だけに寝付けなかったと言った方が正しいか。
近侍のベアウェルは夜明け前以降にカロリナと交代させるため、既に仮眠を取らせている。今は形だけでも護衛を維持するのが先決だ。
件の親子への説得が上手く行けばと考えていたが、それは挫かれてしまった。
「彼の者は、身分を偽っているようでございますが、国の中枢部にも関わっていた可能性があると、そういう器を畏れながら感じました。
純粋な戦闘力も私の全盛期以上。魔法に至っては……未知の術式を躊躇いなく私に使ってきました」
「何? 大丈夫だったのか」
「いえ、攻撃ではありません。欠損部を復元する『再生魔法』というものだそうで、護衛を断る代わりにと、私の脚にそれを施したのでございます。
『再生』中には激痛が伴いましたが、今は完全に快癒していると言えましょう」
本当だとすれば、それはとんでもない魔法だ。その男を囲うだけで膨大な金を容易く用意できることだろう。
「あの子供を交渉に利用しようとしたのは……愚策でございました。彼は明確に我々を拒み、警告の為だけに、あれほどの術すら“役に立たないもの”と呼び、私へ施したのです。
万事、直すよりも壊すほうが簡単というもの。活かす術理に精通しているならば、殺す術理にもまた精通しているのが道理かと愚考致します」
──息子にこれ以上関わるつもりならまとめて殺す──
そういうメッセージを、カロリナは暗に受け取っていた。
「現にウォルトリム様も、その片鱗を既に味わっておいでです」
「まさか……」
そうだ、私達の置かれている状態には、矛盾と言ってすら良い不可解な空白がある。
襲ってきていた賊が逆に捕われ、殺された護衛以外が何事もなく元に戻っていた、不気味な断絶。
「彼の者が、自分の子供の安全の為だけに、死体を増やさず賊を捕縛したのでしょう。そう考えると、この不自然な状況が腑に落ちるのです。
各国の直属の工作員・諜報員には、記憶操作の魔法に長けた者もいると現役時代耳にしたことがございます」
私もそれなりの伝手がある。そういった存在が噂ながら耳に届くことはあったが、それは牽制のためのプロパガンダだと考えていた。
だが、実際に味わうとこれ程恐ろしいものはない。
何が起こり、何をして、この状況になったのか全く身に覚えがない。何か情報を抜き取られていても、気づいた頃には手遅れだ。
こうなると、わざと気付くように不自然に記憶を繋げられているのも含めて、牽制なのではと疑う。
「彼にとってあの子供は、国を裏切り捨ててまで救い出した存在ということ。であれば、私の提案は余りに浅慮でございました……
彼を敵に回してしまったのは私の落ち度でございます。処罰は何なりとお申し付けください」
国を出奔でき、なおかつ捕まらずに大切な息子を救い出した、底知れぬ強大な戦闘力。その逆鱗に触れるのは……確かに私達諸共消されてもおかしくはない。なら私が助けられた理由は何か。
「……あぁ、そうか……フフッ、その子供の心を傷つけない為だけに、賊も私達も生かされたのか……」
思わず独りごちる。
そうだ、カロリナの言葉を前提に、その息子を第一に行動をとっていたのだとしたら筋が通る。普通の人間には不可能な所業だ。
その理屈で行けば、下手をすれば私達は賊諸共文字通り消されていた可能性もあったが──私の大切な弟の存在が、その判断を止めさせたのかもしれない。
「処罰の代わりに命令だカロリナ。麓の町までの護衛と、そこで新たな護衛の確保をせよ」
「仰せの通りに」