掃除のあと
今回はお父さん以外の視点で。
瞬間的に意識が途切れた。
そう気づいたのは、眼の前に広がる光景、つまり私と弟のロジーの居た場所が変わっていたからだ。
あの、すえた臭いのした檻から、ディンブラ家の馬車の中に戻っていた。
それだけなら、ひと時の悪い夢か何かだと勘違いしていただろう。
賊に殴り飛ばされ気を失ってしまった筈の弟には怪我一つ無く、私の隣で静かに寝息を立てている。
しかし、剥ぎ取られた服も、破壊されたはずの馬車の扉も、何事も無かったように戻っていたにもかかわらず、護衛の1人がその扉の脇で息を引き取っていた。
袈裟斬りにされ、胸を突かれている。
漂う血の臭いが、アレが夢ではないと私に警鐘を鳴らす。
私は息を呑んで、そこで近侍のベアウェルがいないことに気付く。女中のカロリナもだ。
馬車の扉に近づくと、突然その扉がノックされ思わず体が強張った。
「ウォルトリム様。ベアウェルで御座います」
聞き馴染んだ私の近侍の声に私は安堵した。
「爺やか、良かった……外はどうなっている。私は……眠っていたのか?」
「申し訳ございません。わたくしにもなんとも……少なくとも賊が現われたというのは夢では無いようで御座います。護衛の者達は残念ながら……」
どうやら護衛に雇った者たちは皆亡くなっているようだ。
「賊はどうなっている。外は大丈夫なのか?」
ベアウェルに戦闘能力は無い。普通に考えれば外に賊はいないということになる。
あるいは私を外に誘い出そうと無理矢理しゃべらされているか……だが賊ならそんなことせずとも、夢で見たように手斧で扉を破壊すればいいはずだ。
「賊は何者かによって捕縛されて、檻に閉じ込められておりました。ですが全員かは判断しかねます。危険ですのでそのまま車内でご辛抱を……」
そこでベアウェルの声が途切れる。
「どうした」
「山側の道から何者かが近づいております」
「賊か」
「いえ、二人の……親子のようで御座います。今カロリナが相手をしております」
◇
「どうやら、この先にいる者達は山賊に襲われたようだ。四人の魂が散ってしまっていた」
父さんが音も無く戻ってくると、広場の様子を俺に教えてくれた。
俺は……きっとひどい顔をしている。見知らぬ人とはいえ、やっぱり誰かが死んでしまうのは辛い。
「そんな……山賊は……?」
俺は、気分を取り繕おうと、父さんに問題の山賊の様子について尋ねた。
「取り敢えず捕縛は済んでいる。他に仲間もいないようだから、あのまま放っておいても大丈夫だ。怪我人も治癒しておいたが……小屋に戻るか?」
父さんは相変わらず仕事が早いようで、もう俺にできることなんてなんにもなかった。その上で殺し合いのあった場所に、死体のある場所に行くのが辛いなら戻ってもいいと、俺のことまで心配してくれている。
父さんが過保護だなんて、俺にはとても言えない。
父さんからたくさんの魔法や体術、物凄い短剣までもらったけど、所詮は無力なただの子供だ。誰かを助けるどころか自分の身も守りきれない。
実際、俺は既に父さんを一人残して二回も死んでいる。
何もできずに殺されている。
そりゃ過保護にもなるよ。
「俺……戻らない」
「いいのか?」
俺は、意を決して顔を上げる。
「死んでる俺が、ほかの死体を怖がってちゃダメだしね! ちゃんと暖かく、迎えて……見送ってあげないと……」
「……そうか。なら行こう」
「うん」
父さんが俺の頭をぽんぽんと軽く撫でてくれる。それだけで、俺は心が少し落ち着く。
「5分ほど歩けば広場が見えてくるはずだ」
父さんは、先に見てくると言って姿を文字通りに消してから、10秒くらいで戻ってきた。
……どうして歩いて5分かかる場所に行って、山賊の捕縛と怪我人の治療をして戻ってくるのを、10秒くらいでできるんだろう。
やっぱ父さんだからかな?
……普通じゃ、ないよね。たぶん。比べられる人がいないからよく分かんないけど……父さんみたいな人が他にいっぱいいたら、世界が大変なことになると思う。
「カイル。山賊の件は特別に伝えたが、本来俺達はこの先の広場で起きていることを知らないはずだ。それが普通だ。その辺りは注意してくれ」
「分かった。気を付けるよ」
父さんは弓矢の一式を魔法の袋から取り出して装備した。狩猟を生業とする猟師の格好だ。
しばらく歩いていると、木の隙間から光が見えてきた。
先にいる人達が焚いているのか、もしかしたら父さんが用意したのかもしれないけど、広場の真ん中で野宿のための火が燃えていた。
すると突然父さんが俺を抱き寄せて、俺のものより大きくて使い古された短剣を振るった。
「うぇ?!」
俺がおもわず声を上げると同時に空中で金属音と共に火花が散り、何かが後方へと飛んでいった。
「危ないですね。何事でしょう?」
父さんの口調がいつもと違う。声もなんだか田舎臭い。声が田舎臭いってどういうことなのか俺にもよく分からないけど、何故かそう感じる。
どうやってるんだろう?
「……失礼、賊の残党かと」
謝ってきたのは、おばあさん……?
けど夜闇の中、炎を背にして凛と立つその姿には力強さを感じた。よく見るとその立ち振る舞いは何かに仕える人のよう。
「私は構わないのですが、息子には謝ってほしいですね」
何を言い出すのかと思ったけど、父さんの視線が少し後ろを見るので俺もちょっと振り返る。そこには焚き火の炎でゆらゆらと光り輝くものが見えた。
よく磨かれたナイフやフォークが何本か木に深々と刺さっていて、ようやくさっき何が飛んできて父さんに弾かれたのかを理解する。
俺は顔を青くして、ついつい父さんの背に隠れてしまった。
「……おや、ごめんね坊や」
「い、いえ……」
謝りながらも、その瞳はまるで俺達を値踏みするように鋭い。こ、こわい……
「賊というのは、もしやその移送中の者達ですか。俺……失礼、私共を勘違いされたということは脱走でもあったとか?」
山に籠っていて、貴族やその使用人相手の敬語に慣れていないという設定の父さん。
その言葉の内容にうっかり変な反応をしそうになったが、俺は黙っているように努めた。
確かに、今見える情報だけで判断するとそう考えるのが自然だ。俺じゃこんな風に切り返せないから話しかけられると困る。あとこのおばあさんの威圧感がすごい怖い。
「移送中……というわけではありませんが、賊が彼らという認識は合っています。ここに来るまでにあれらの仲間らしき者を目撃したり気配を感じたりは?」
「どうでしょう……何分もう暗くなってしまっていて。ただ、息子以外には人や大きな獣の気配はありませんでしたし、殺気のようなものも先の投擲以外には感じませんでしたね」
「そうですか。野宿の準備もあるでしょうし、これぐらいで一旦切り上げさせていただきますが……後程お願いに伺うかもしれません」
「はぁ」
強そうなおばあさんはそう言って豪華な方の馬車に向かった。
焚き火の向こうでよく見えていなかったけれど、馬車の側には男の人が立っている。目を凝らすとその人も結構な歳のおじいさんに見えた。
そして、馬車の扉の前で先ほどのおばあさんとおじいさんとが何か話をしている。さっきのやり取りの報告かな。
もしかしたら、馬車の中の人とも話し合っているのかもしれない。
◇
「賊とは無関係のようですが、あの男は相当な強者のようです。彼らが山側からやってきた以上、麓の町までの護衛には使えるかと存じます」
――カロリナは元傭兵だ。
彼女が脚の負傷――普段は女中服で隠れているその両脚には大きく抉れた傷痕がある――がもとで戦場から離れるまで、雑兵から旅団長まで多くの者を視て養われたその目に宿る洞察力は、今なお衰えることなく鋭く光っている。鍛え抜かれた上半身はもちろん彼女自身の全盛期とは比べるべくもないが、それでも常人とは未だ隔絶している。
負傷で護衛という任務は満足にできないと言う本人の意を汲んで、彼女はあくまで使用人の立場に任ぜられているが、ウォルトリムは今までに護衛をすり抜けた不審者を予備動作無しに殴り飛ばしたり、ナイフで壁に縫い付けたりしているのを三回は見たことがある。
見ていないところではもっとに違いない。
別に護衛が無能なわけではない。彼が諸事情で何度か危ない橋を渡らなければならなかったからだ。
ともかくそのカロリナが“強者”と評するのだ。かの男は相当な者なのだろう。
事実、彼女は既に出会い頭で“戦えば勝てず、追われれば逃げられず、主人を逃がすこともできない”と直感し、その力量差を評価した上で主人に提案していた。
「そうだな。ではその子供を馬車に乗せよう」
「よろしいのですか? ウォルトリム様」
扉越しに聞こえた主人の考えにベアウェルは形の上でしかないと分かりつつ確認を取る。どこの馬の骨とも知れない庶民の子供らしき者を相席にして良いのか。
「流石に私やロジーの隣というわけではないさ。お前達の場所に乗せてやればいい。カロリナもそう考えているだろう?」
「ご慧眼に感服いたします。外よりも内に置いた方が人質にもなりましょう」
「そういうことでしたら」
「では早速伝えて参ります」
カロリナさんすごく強そうですが、歩くのがぎりぎりでほぼ走れないので、水汲みなどで離れた隙に囲まれた上に、先手で人質を取られると厳しいです。