禁忌の魔術
キメラ共を倒しきり森に身を潜めていると、見張っていた洞窟から今回の依頼の標的が出てきた。
そう、出てきたのだ。一人で。
だから捕縛は容易かった。
件の錬金術師は獣使いを装って各地を転々としていたため足がつきにくかった。今回は本当に偶然と言えるだろう。頼りのキメラ共も先に始末していたのが功を奏した。
錬金術師を縛り上げ、その腰に括っていた五つの革袋を確認する。
あぁ、嗅ぎ慣れた……鉄の臭いだ。
不自然なまでに温かい。
容積拡大や状態保存などは高度で高価だが、保温程度の魔法の袋なら安価だし作るのも容易。材料を用意して、それこそ錬金術で自作でもしたのだろう。
手早く魔法陣を描く。
未公表の『静止の陣』だ。
領域内のほぼ全ての性質と座標を固定する。時の流れを止めるわけではないが、同じく未公表の『再起の術』を施さない限り、内外のあらゆる干渉、魔力を含む一切の状態変化を許さない。
なにより生体にも利用できる。
(だが、こんなものは、結局役に立たなかった)
俺は首から掛けた小袋を握り締め、素早く洞窟の奥へと進む。
入り組んでいるが迷わない。臭いが強い方に進めばいいだけだ。
◇
「ああ……クソッ……!!!」
分かってはいたが、それでも岩壁を殴り悪態をつく。
俺は、あの錬金術師が洞窟に入るタイミングには間に合わなかった。
だから手遅れだと分かっていた。
そこには、少年だったものが横たわっている。
腹を切り裂かれ、材料となりえるモノが抜き取られている。
それらは今、錬金術師から剥ぎとった俺の手元の革袋の中だ。
両目を失った少年の顔は、まだ血と涙で濡れている。
今まではあのキメラ共が、即座に跡形もなく食い尽くして始末していたのだろう。
少年の身体はまだ温かい。
本当に、ほんの少し前まで、彼は生きていたのだ。
そして、その少年だったものは──かつての息子によく似ていた。
息子はもういない。妻もだ。
戻ってきたのは頭蓋と毛髪の一部だけ。
それでもそれが息子だと俺には分かった。そんな事が分かったところでどうにもならないのに。妻は戻ってすら来なかった。
だからその骨片を納めた小袋は、常に身に着けている。
そしてその仇はもういない。国もない。
もう全て終わっている。もう何も無い。
「……間に合うかも、しれない」
革袋に抜き取られていたものを、丁寧に少年の身体へ戻す。
この洞窟は組成に魔石を含むからか、魔素の濃度が高い。魔術的には密閉されていると言っていい。
物理的にも空気は淀み、風魔法を纏っていなければ酸欠の危険性があるだろう。
まだ魂が散っていないかもしれない。
俺は魔術錠のかかったケースから、スクロールを取り出す。
それは、一時は賢者候補とさえ持て囃された男の執念、妄執の成れの果て。
厳重な封を焼き切り、広げる。
更に即席で魔法陣を素早く描く。周辺の魔素を抽出し、スクロールへ流し込む『汲取りの陣』だ。
スクロールはもう起動している。
魔法陣は光り輝き、膨大な魔力の流れに耐え切れず、次々火を吹く。周囲の岩盤は魔石分が消失したことで脆く変質していく。
崩落するかもしれない。
それでも俺は手を止めず、『汲取りの陣』を十、二十と描き続ける。
魔石が消失し脆くなった部分を魔法陣ごとを蹴り飛ばしては、新たに露出した岩盤に再度描く。
どれほど時間が経ったか。
少年だったものの地面以外の岩盤は削られ抉られ、洞窟の行き止まりは不可思議な石の塔が一本立つ巨大な空間を形成していた。
あちこちに描かれた魔法陣が星のように瞬いている。
俺は限界を迎えて倒れていた。だが、スクロールはもう安定した。
『汲取りの陣』も数が増えて汲み取り速度と釣り合い、各々が岩盤の深部まで魔力を吸い出している。
天井部分は『固定の陣』で位置を固定している。少なくとも少年の身体が埋まることは無いだろう。
一条の光が俺と少年の間に結ばれる。
そしてスクロールは一際輝くと同時に、燃え尽き塵と化した。
◇
俺は、有りがちな話だが、死者の蘇生を本気で研究していた。
愛する妻と息子に、ほんの一瞬でも
だが分かったのは、魂が散って世界に還ったのなら、もうどうしようもないということだった。
妻も息子ももう戻って来ないという当たり前の事だった。
魂の拡散条件も調べた。単純だった。時間経過だった。
調べて調べて調べ尽くしたその全てが。
俺がもう独りだと残酷に告げていた。
残ったのは出来損ないの死霊魔法のようななにか。
こんなもの使えば、国や魔術協会に聖神教会から総攻撃を受けるだろう。使おうにも相手などいないが。
俺は全てが嫌になり、国を出奔した。
本気を出せば平和ボケした国で痕跡を残さないなど容易い。でなければ息子より俺が先に死んでやれただろう。
海を渡り山を超え、遥かな異国で冒険者まがいに身を貶した。傭兵の方が近いかもしれない。異国で情報収集もしたことがあった経験もあり、言語も習得した。顔も名前も変えて……だが首にかけた小袋だけは身に着け続けた。
俺が自死を選ばなかったのは……その度に、息子に止められている気がするからだ。
もう聞くことのできない声とぬくもりが、もうただの骨片でしかないはずなのに、俺に死を選ばせず生かし続けた。
◇
今回のこれは依頼というよりも通報と言ったほうがいい。
偶々酒場で見かけた妙な気配の人物は、魔術で隠蔽されているが歪な獣と、血の臭いがした。
酒場に入り浸っていたらしい男と意気投合した様子のそいつは、小さな貸し馬車でその男と共に家へ行くと、男が笑顔で子供を差し出し金貨の入った袋と交換していた。
胸糞悪いが珍しくもない口減らしだ。
だが金額が高すぎる。
離れていく馬車を追いかけ、男の家が見えなくなったぐらいのタイミングで、騒音と異常な魔力反応に思わず踵を返してしまった。
今思えばこの判断が間違いだった。
その男の家は魔獣に襲われ、何故か干涸らびた男も喰い散らかされていた。周囲はパニック状態で、俺もその場で何体かの魔獣を始末した。
魔力反応から察するにあの金貨袋の中に仕込まれていたのだろう。
それ自体は魔力を持たず、魔力や生命力を周囲から吸収し芽吹く。『汲取りの陣』と同じ理屈のもの。それゆえ起動するまでは察知がしにくい。
事態を収拾した俺は、衛兵と冒険者ギルドに通報。どうやら各地で同様の謎の魔獣と子供の失踪が報告されていたらしく、そのまま俺に捕縛の依頼が来た。
結局、この時間稼ぎは錬金術師の無駄な足掻きに終わったのだが、それでも少年を救うには間に合わなかった。
◇
魔力回復のポーションを飲み干すと、俺は身体を起こす。
石の塔に登り、そこに横たわったままの少年を抱きかかえる。
服は引き裂かれたままだが、傷の跡は殆どない。ただ血色が失われて、その肌は白く唇も青褪めている。
しかし少年は生前のように息をしていた。
俺は魔法の袋から予備のローブを取り出し、労るように少年の身体を優しく包むと、息を呑んで魔法の袋に収める。
入った。
入ってしまった。
これは容積拡大と質量軽減それに状態保存の付与された魔法の袋だ。
そして、状態保存は生き物と相性が悪く、入れようとしても弾かれてしまう。
つまりこの少年は──生きていない。
死体だ。
俺は己のやった事を、禁忌と言って差し支えない事を胸に留めて、洞窟を後にし、そのまま崩落させた。『固定の陣』を解いただけだ。
身ぐるみを剥がし魔術的にも拘束した錬金術師をギルドの下で衛兵に引き渡す。後は彼等に任せよう。俺は報奨金の受け取りと件の錬金術師についての情報を提示して、街を出た。