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彼女は、ある国の人身売買組織について取材をしており、その組織に近付きすぎた為に何らかのトラブルに巻き込まれたのではないか、と言うのが現地の警察と大使館の言い分であった。
知らせを受けて暫く立っても彼女の消息は杳として判らず、居ても立ってもいられなくなった私は、大使館や彼女の家族と連絡を取り、彼女の契約していた出版社やジャーナリスト仲間に話も聞き、人を雇って現地で調査を依頼するなどして、考えられるあらゆる手を尽くして彼女を探したが何の手がかりも得られなかった。
彼女が消えてから一年が過ぎ、万策尽きて途方に暮れていた私は、この頃から彼女に関わる悪夢を見るようになった。彼女が消えた国の路地裏で遂に私は彼女と再開を果たすのだが、その姿は無惨に変わり果てていて……そして私は悲鳴を上げてベッドから飛び起きるのだった。
日本だるま……昔、学校で聞かされた下らない与太話だ。
日本人の新婚夫婦が新婚旅行で訪れたある国で、妻だけが行方不明になる。夫は手を尽くして妻を探すが一向に見つからない。数年後、まだ妻を探し続けていた夫は“日本だるま”と書かれた見世物小屋を目にして、気晴らしにと小屋の中に入る。
すると、そこには裸にされて手足を切断され、誰とも判らぬ仔を孕まされて醜く膨れ上がった腹をした、文字通り、だるまの様な姿にされた妻が見世物にされていた。哀れな妻は既に正気を失っていて、夫を見ても誰だか判らなかったと言う……
馬鹿馬鹿しい……と以前の私なら一笑に伏しただろう。だが、夢の中に現れる彼女の無惨な姿はあまりにも生々しかった。
薄暗い見世物小屋の舞台の上で、見物人の好奇の視線に晒されて彼女の裸身……手足を失い、腹の膨れた、文字通りだるまとしか呼び様の無い……が白く浮かび上がっている。呆然としてただ立ち尽くすだけの私を、呆けた顔をした彼女は光を失った虚ろな眼で私を見て、表情を変えないままに……助けて……と呟くのだ。
彼女が消えたのが、この都市伝説の舞台として良く引き合いに出される国だったのも、私の不吉な妄想を補強した。
そして遂に私は悪夢と妄想に駆られるままに、周囲の制止を降りきって件の国へと旅立ったのだ。
勿論、何の手掛かりがある訳でもない。ただ、それでも私には何かの予感があったのだ。私は彼女が最後に確認された街に宿を取り、通訳の出来るガイドを雇って、警察に現地の新聞社、そして彼女が取材に訪れそうな場所等を次々と訪ねた。時には危険だと警告された場所にも足を運んだ。
だが、警察や探偵が探し回って判らなかった手掛かりが素人の私に見つかる筈もなく、無為に歩き回るだけの日々が虚しく流れて行き……とうとう帰国を翌日に控えた、あの忘れがたい日を迎えた。
その日も、当てもなく街の郊外で成果の上がらない聞き込みを続けていた。そしてある裏通りに差し掛かると、地べたに座っていた乞食の少女に小銭をねだられたのだが、その少女には両足が膝から無かった。
事故か何かに逢ったのだろうかと唖然とする私を余所に、ガイドが煩そうに現地語で怒鳴り付けてその子をあしらうと、今度は日本語で私に警告した。
「相手しちゃいけませんよ。あいつらは生活の為に乞食の元締めに雇われてるみたいなもんで、あの足も同情を引くために元締めに切り落とされたんですよ。うっかり銭でも恵んでごらんなさい、路地の奥からどんどん似たようなのが涌いて来て切りがありませんよ。まあ、気にしない事です」
私はこの国に来て以来、至るところで乞食を見かけたが中には手や足を欠損した者が結構いた事を思い出した。事故や病気でそうなったのだろうと漠然と考えていたのだが、まさか故意に切り落とされていたとは思わず、私は信じられない思いでもう一度足の無い少女を見た。
するとその姿が、夢で見た手足を失った彼女の姿と重なって見え、思わずまさか彼女も……と口走った。するとその声が聞こえたらしいガイドが苦笑しながら私に語った。
「それは無いでしょう。日本人の女性で、まして美人が足の無い乞食なんてやってたら、流石に目立ちすぎて噂くらい立ちますよ。考えすぎです」
そうかも知れない。では彼女はどこにいるのだろうか? と、私は暗澹たる思いで裏路地を後にした。
結局全ては徒労に終わり、私は心身ともに疲れ果ててホテルに戻った。私は今まで世話になったガイドに礼を言って別れると、そのまま部屋に戻ってベッドに突っ伏した。だが、神経が昂っているのか中々眠れなかったので、私は気晴らしにホテルのバーに降りて軽く寝酒を取ることにした。
しかし、見つからない彼女への思いと何も出来ないでいる自分への苛立ちから、軽くどころか結構な量を呑んでしまい、元々酒に強くない私はかなり酔ってしまった。軽く目眩を感じてきた私は、流石に部屋に戻ろうかと考えていた。その時、不意に背後から流暢な日本語が聞こえてきた。
「……さんを捜していると言う日本人は貴方ですか?」
いきなり彼女の名を耳にした私は思わずストゥールから立ち上がって振り向いたが、酔いのせいで足がもつれて倒れそうになり、カウンターにもたれ掛かりつつ声の主を見た。
私の目の前には、スーツ姿の白人の男が人懐っこそうな笑みを浮かべて立っていた。彼は酔った私の醜態を気に掛けるでも無く、その笑みを崩さずに私に自分の名を名乗った。
しかし、今では彼の名前を思い出せないでいる。確か、ニコルだったかニコラスだったか……そんな名前だったと思う。とりあえずNとしておこう。
私は、そのNに彼女を知っているのかと詰め寄ると、彼は笑みを浮かべたまま頷いた。私には、そんな彼の笑顔が何やら仮面じみて見えたのを覚えている。そして彼は私にこう言ったのだ。
「彼女は生きています。そして貴方に会いたがっている。よろしければ、これから私が彼女の元へ御案内しましょう」