最後の選択
前回から書いている魔王と勇者のお話の最後のお話です。
この次がラストエピソードです。
勇者の判断は間違っていた。いや、勇者の予想として「明日の朝には馴染客の顔を見られない」事は事実だった。ただ、自分の命が明日の朝まで保たないという点が違っていた。余命幾ばくもない勇者と女騎士を女魔王は冷たい目で眺めていた。
身じろぎも出来ない勇者がすべての力を込めて霊薬の瓶を掴んだが手から滑り落ちた。女騎士は霊薬の瓶を掴むと生きる屍と化した勇者に縋りつき、必死で霊薬を飲ませようとするが、中々上手くいかない。呼吸をするのも一苦労の勇者の喉は霊薬の瓶を傾けても嚥下してくれない。思いあまった女騎士は霊薬を自ら口にすると勇者を抱き起こして唇を交わした。
その途端、冷たい目をしていた女魔王の瞳に怒りの色が沸き上がった。
腕を一旋すると勇者と女騎士は壁に叩きつけられた。
霊薬の瓶は壁に叩きつけられ砕け散り、中身が辺りに散らばる。体を壁に叩きつけられた女騎士は血塊を口から吐き出しながらも、手の甲で血を拭って立ち上がる。背後の勇者を女魔王から庇うように。立ち上がった女騎士は剣と楯を構えてファイティングポーズを取る。しかも楯の構えは女魔王の攻撃が来ても勇者を守れるようにだった。
――大したものだ。
女魔王は内心、素直に女騎士の健闘を讃えた。
痛みと恐怖で震えながらも立ち上がる女騎士に女魔王はこの戦いが始まって以来、初めて女騎士に話しかけた。
「大したものだな。その献身。貴様、その男のなんだ? 恋人か」
女魔王の問いかけは知らぬ人が聞けば、命がけで勇者を守ろうとする女騎士の覚悟の出処への質問に聞こえたろう。
だが女騎士と魔王の無言の空気は「貴様はいったい勇者の何なのだ」という怒りの叫びを意味していた。
女騎士は口角を歪めて不敵に返した。
「貴様に答える義務はない。私を殺したくば私を殺せ」
言外に潜む「勇者の命は私が守る」を女魔王は悟った。
女騎士は挑発しながらも、楯の陰で密かに左手を動かして腰の雑嚢からアイテムを掴んだ。
――時間を稼いで発動までの隙を見つけなければ。
女騎士は額から流れる脂汗と血を瞬きもせずに受け止めて目の前の魔王に集中した。
「探しものは見つかったか」
女魔王が指先に摘んだものを女騎士に見せつけた。
――そんな、さっきまで手の中にあったのに。
「なに、基礎的な魔法の遠隔瞬掌アポーツだよ。女らしさを捨てた筋肉だけのお前には理解できないだろうが。これで切り札は無くなったな」
転移の魔法力を込めたアイテムを握りつぶす女魔王。
ぐっと歯噛みする女騎士。
彼女の表情を見て初めて女魔王が笑った。
「我が口上を邪魔した罪深いお前でも慈悲深い妾は情けをかけてやろう」
魔王の『我が腕の中で』という口上を邪魔した事を女騎士は思いだした。
次の瞬間、黒檀の短剣が女騎士の楯を装備した左手の中にあった。
「それが何かわかるか。その黒檀の短剣には二度と蘇生出来ない呪いが掛かっている。お前が生き残りたくば背後の死に損ないをその短剣で刺し殺せ。ならばお前を見逃してやろう」
元より女魔王に女騎士を見逃すつもりはなかった。ただ命惜しさに勇者を刺し殺そうとした瞬間、より深い絶望を与えて殺すつもりであった。
そうすれば勇者は女魔王のものになる。今がまさにその時だった。
「この短剣で刺せば見逃してくれるのか」
震えながら女騎士は訊ねた。
右手の剣の角度が段々と下がってきた。
女魔王は内心ほくそ笑みながら返した。
「勿論だ。魔王の名にかけて約束は守ろう」
女魔王の応えに合わせて女騎士は頷いた。
「本当に約束は守ってくれるのだろうな」
「くどい、魔王の誓いは絶対だ」
「わかった」
女騎士は右手の剣を手放した。
ガチッと石畳を魔法で鍛えられた剣先が削った。
主を持たない剣が石畳を叩くのは戦いが終わった時を意味していた。
黒檀の短剣を逆手に握った女騎士は震えながら短剣を天に翳した。
女魔王は無詠唱の即死魔矢の呪力を指先に集めた。
胸甲が床に落ちる音がした。
戦いで破れたアンダーウェアからは貧相な乳頭が覗いた。右手でアンダーウェアの残りを破ると女騎士は胸を剥き出しにした。
女魔王は息を呑んだ。
「勇者、お前の為ならいつだって私は死ぬ気だったよ。この旅が終わったら私はお前にプロポーズする予定だったんだけど、もう叶いそうもないな。さらばだ、勇者よ」
「……!」
女騎士の胸に突き立てられようとしていた黒檀の短剣は、次の瞬間、女魔王の胸に刺さっていた。
女騎士と女魔王は目の前で起きたことを信じられなかった。
黒檀の短剣ダガーオブエボニーは女魔王の心臓に深く刺さり、永遠の命を約束する蒼い血を流していた。
女騎士の背後には起きあがった勇者が居た。霊薬は僅かではあったが勇者の蘇生を促したのだった。そして五指を開いた手からは最後の魔力を込めた術煙が上がっていた。勇者の手から放たれた魔法力が女騎士の黒檀の短剣ダガーオブエボニーを弾き飛ばして女魔王の胸めがけて突き刺したのだった。
女魔王は信じられないという貌を勇者に向けた。
哀願にも似た彼女の眼差しから勇者は目を逸らした。
女魔王の唇が言葉を発しようと形作る。
「勇者よ、見事だ。私の愛しい……」
「それ以上は言わせない!」
女騎士がチャージを掛けて女魔王の胸に突き立った黒檀の短剣を深く押し込んだ。
「ぐぁぁぁっ!」
「滅びろ、魔王!」
女魔王の呪力が篭った血潮が女騎士の顔や胸を濡らす。
事切れた女魔王を見下ろした女騎士が笑う。
「終わったな、勇者」
「ああ……」
だが勇者の顔は勝利の歓喜とは程遠く、笑顔を形作る口角とは裏腹にその目は沈んでいた。




