06 忘れ物〜石芝 渡の場合〜
お盆の季節ですね。
皆さんの家にも、知らない誰かが入ってきてはいませんか?
時は数時間前に遡る。
僕、石芝 渡は大学生だ。
長所は物事を慎重に進められること。
友人からは度を越した性格であると批判され、「石橋を叩きすぎて壊している」と評価されたが、別に悪くはないだろう。
全てにおいて準備万端にしようとする心構えが、間違ってるはずがない。
「……まあ、それでも失敗は付き物だ」
12時前の講義が終わり、僕は友人Aと食堂にいた。
丁度他の学生も授業を終えたらしく、100人が座れるはずのテーブルも埋まりかけていた。給仕のおばちゃんは厨房の中を走り回り、受け取り口に並ぶ長蛇の列を必死にさばいている。座る席がない学生が屋外に溢れ、随分と騒がしい昼飯時となっていた。加えて今の季節は盛夏。どこもかしこも蒸し暑い。
目の前で友人Aが湯気立つラーメンを啜りだしたせいで、僕の身体はとろけ出していた。
「この暑さでラーメンを選ぶとか、お前の身体が心配だよ」
「馬鹿野郎ッ!!暑い時こそ食べるのが乙なんだ!!バーベキューしかり、焼きそばしかり、カキ氷……は冷たいが、折角美味しいものを美味しく頂けるシーズンなんだ。食わなくてどうする」
友人Aは僕を叱咜すると、油ぎったスープをゴクリと飲み込む。
納得はしないが、僕も自分の弁当を取り出そうとした。
中身は早朝に作り上げたサンドウィッチである、はず、なのだが
「……どうした石芝?お前、昼飯食わねえのか?」
「忘れた」
友人Aはしばし固まる。僕の言葉を理解できなかったようだ。
キョトンとして首を傾げた後、一気に目が丸くなった。
「超心配性なお前が……未だに持ち物全てに名前を書いているようなお前が……忘れ物だと!?今日は雪が、いや隕石が降るのか!?」
「大袈裟すぎるよ。僕だって最近は引越しで忙しかったんだ、ミスも出るさ」
失敗のない人間はいない。いくら注意したとしても、頭が回らなかった部分は出てしまう。少し神経質なだけの僕も、隣人の嫌がらせで疲れていては、間違いを犯すのは必然だったのだ。
「いやいやいや、それにしても珍しいことだぞ。普段なら弁当に、もう一つ予備の弁当を用意してるだろ?」
僕はどんな人間だと思われているのだろう。
いくら僕でも、早朝に合計二人分の弁当を作る暇はない。
仕方がないから学食を購入しよう。立ち上がって食堂のレジを見る。先ほどから続く列の最後尾を確認するためだ。
「大体10分くらいは待ちそうだな。けどまあ、しょうがないか」
荷物を席に置いて、僕は混雑した食堂の奥へと入りこむ。とりあえずメニューをみて、早く完成しそうな料理を選ばせてもらおう。完売したかどうかは、券売機を見れば一目瞭然だ。ええと残っているのは、『真夏のスパイシーカレー』、『唐辛子特盛りラーメン』、『麻婆豆腐〜鷹の爪を添えて〜』に『激辛キムチ鍋』。
……昼飯を忘れただけで、かなり面倒なことになったな。
何で誰も食べないのに辛いメニューを出すのだろうか。キムチ鍋とか、冬物だろ。
季節感を考えて欲しい。
僕は溜め息をつきながらも、財布を取り出した。その時だった。
ピッ
……『激辛キムチ鍋』のボタンを押した人がいた。
僕は思わず顔を確かめてしまった。
相手もこちらの視線に気付いたらしく、二人で見つめ合う形となった。
「あら、貴方は……」
最初に、ふわりとした髪のシルエットに目がいった。
艶やかな黒を肩まで垂らし、水色のヘアピンで整えている。
色白で、少しだけ日焼けした肌を服から覗かせ、彼女は僕に尋ねた。
「石芝くん、で合ってるかしら?」
不安げな口調だけれど、耳がくすぐったくなる可愛らしい声。
確かどこかで聞いたことがらうような、なかったような。
「ほ、ほら私、同じ学部なんだけど!」
彼女は必死に説明するも、僕は全く思い出せない。普段は自分のことで精一杯な人間だから、僕は同級生の顔と名前を把握していないのだ。
けれども、折角女子が話しかけてくれたくれたんだ。無難な対応をしなければ。
「ああ、君か!話すのは初めてだよね」
僕は、さも彼女を思い出したかのように振る舞って、微笑んで見せた。
我ながらひどい誤魔化し方だが、彼女の顔は、ぱあっと明るくなった。
「良かった、覚えていてくれたんだ!」
「もちろんだとも。君は目立つ人だからさ、すぐに分かったよ」
「そうかなあ、私って地味な方かと思うんだけど」
僕には『激辛キムチ鍋』の印象が強烈すぎて地味には見えなくなっている、とは口が裂けても言えない。
「僕は、君を特徴的な人だと思っていたよ。綺麗な髪だし、そのヘアピンもオシャレだよね」
「ほ、本当?よかったあ」
彼女は胸に手を当て、安堵の息を吐く。僕の対応も悪くはなかったらしい。
「私、石芝くんにさっきも声かけたんだよ?けど無視されちゃったから、不安になってたの?」
「ハハハ、それって何時の話さ?」
「本当についさっきよ?石芝くんが講堂でお弁当を食べていたとき」
「……え?」
「だから、授業が終わっても教室に残っていたでしょ?そのときに肩を叩いたんだけど」
ちょっと待ってくれ。
僕が教室で昼飯を食べていた、だって?
そんなはずないだろ、僕は昼飯がないから困っていたというのに。
バッグの中にサンドウィッチがないから、仕方なく学食を買うことにしたのに。
「その話って本当か?」
「う、うん。あれ、もしかして別人だったかな?双子の兄弟とかいるの?」
「僕に兄弟はいないんだよ」
今この瞬間、なぜか僕は恐怖を感じていた。
理由は分からない。ただ彼女の話を聞くごとに、心臓の鼓動が早まっていく。
冷や汗が一粒、ヌルリと僕の額を流れる。
あれだけ賑やかだった周囲の音が遠のき、自分の息づかいが大きく聞こえる。
それでも、僕は彼女に質問をせずにはいられなかった。
「なあ、君の見た僕の……食べていた弁当って、何だった?」
「ええとね、確か……サンドウィッチだったよ?」
視界が真っ黒になる感覚を味わう。
数秒間、地面がどこだか分からなくなった。
全身から血の気が抜け去り、思考が硬直する。
手に力が入らなくなって、指の先から財布がこぼれ落ちる。
ボトリ
「……え、ちょっと石芝くん?大丈夫?」
彼女が僕を心配して、落ちた財布を拾ってくれた。
その優しさにお礼を言ってから、僕はすぐに走り出す。
「ごめん……」
「ううん、別に気にしてなから……って石芝くん?」
僕は友人Aの元へ向かい、遠くから僕の座っていた席を見た。
置いていった荷物が消えている
呼吸が止まった。
寒気が四肢を駆け巡り、喉が引き攣る。
何より、僕が声をかけるより前に、友人Aは独り言を呟いていた。
食堂の喧騒の中で、彼が何気なく発したソレを、僕は聴き逃さなかった。
「石芝の奴、急に家に帰るとか言い出してどうしたんだろうな」
僕は一度たりとも、そんな事を話していない。
それに気付いたとき、僕は家に向かって走り出していた。
新しく借りたばかりの部屋がある、あのハイツへ。
今起きている事を、理解できないまま。
「石芝くん……?財布を置いて、どこいっちゃったんだろう」
食堂に、少女は一人取り残されていた。
一応、8月中をめどに完成させるつもりです。
次の更新は3日以内、にできるよう頑張ります。