表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

02 猫とミルク〜父親の場合〜

今回の視点は、別の住人です。

私の1日は、妻の鉄拳から始まる。


ボカンッと良い音を立て、私の胸に打撃が入った。

思わず悲鳴を上げる。


「痛いッ!?」


そんな私の声に、妻は目を覚ましたらしい。

ベットから身を起こし、一つ大きな欠伸をする。

そして眠気の抜けきらない声で、私に尋ねた。



「アナタ……どうして胸を抑えているの?」



……君のせいだよ。

だが毎朝同じような質問を繰り返されれば、自然と慣れてしまうから不思議だ。

むしろ妻の寝ぼけ顏を見れてラッキー、などと思ってしまう。


「ほら、昨夜に君が朝早く起こしてって頼んできたから、肩をさすって声をかけたんだ。それで……」


セットした目覚まし時計のアラームでは熟睡から起きれない。

それではスーパーのセールに間に合わない。

だから早起きの貴方が自分を起こしてくれれば助かるのよ、彼女は確かにそう言った。


妻は説明を聞いてもキョトンとしていた。

それでも何十年、同じやり取りをしてきたのだ。

彼女の顔は段々と意味を理解し、そのまま青く染まっていった。

次の瞬間、慌てたようにベットから飛び降り、流れるまま床に手を突いた。


「ご、ごめんなさい!!アタシったら貴方のことを、また殴って……!!」


その涙目になった姿は本当にすまなそうなので、私はポンと肩を叩いた。

顔を上げた彼女に、慰めの言葉をかける。


「君は寝ぼけていたんだから、仕方ない。気にするな」


「でも、これって『どめすてっく・ばいおれんず』なんでしょ!?」


「ドメスティック・バイオレンスだろ?」


相変わらず片仮名が苦手らしい。

思えば大学時代でも、彼女が間違える単語は外来語ばかりだった。

それは今でも変わらない、なんて思うと可笑しくなる。


「良いか?私と君は数十年の仲だ。これぐらいのこと日常茶飯事で慣れっこさ」


少し臭い台詞だが、彼女には効果てきめんだったらしい。

ポロポロと涙を零しながら、嬉しそうに微笑んだ。


「……ありがとう」


ドキンと、心臓が年甲斐もなく跳ね打った。

結婚してから程々経ったというのに、彼女の笑顔に慣れることはない。

何だか照れ臭くなって、視線を逸らす。


「ええと、そうだな。もし目が覚めたんだったら、朝食の用意を頼むよ。私はゴミ捨てにでも行ってくるから」


そう言うな否や、私は玄関へ駆け抜けた。

このままでは、朝から理性が吹き飛びそうだ。

出社のついでに持って行こうと考えていたが、熱くなる顔を冷やそうと外へ抜け出す。


全く、彼女の美貌は十数年を経ても変わることがない。

赤く艶のある髪、女性らしく引き締まった筋肉は、日頃の柔道によるものらしい。

左目の下にある黒子がチャームポイント。

傍目からは二十代後半に見えるのだが、実年齢は三十後半。

これは私の色眼鏡によるものでなく、本当に若く見えるのだ。

スポーツ好きのためか化粧を好まず、そのくせ顔に染みやシワは一切なく、柔らかな朴が印象的だ。

一週間前に立ち寄った東京で、読者モデルにスカウトされた、という話も信じ込めてしまう。

そんな彼女に私がゾッコンなのは言うまでもない。


「はあ……」


夏の早朝ほど気持ちの良い空気はない。

薄ら寒い気温も、気を引き締めるには丁度良いな。

蝉の鳴き声が響く人通りのない道は、新しい1日を迎えようとしていた。

脇の街路樹が、穏やかな日光に照らされて背伸びをする。

塀の上に居た猫も、一緒になって背伸びをしては、僕の横を通り過ぎた。


「今日は良い天気になるな」


独り言をつぶやき、両手に持ったゴミ袋をブラブラと揺らす。


そうして私は歩き続け、200メートル先の収集場までゴミを運び込む。

灰色のコンクリで作られた空間には、既に黒い袋が3つほど置いてあった。

こんな朝早くからご苦労様……なんて人のことは言えないか。


早々に仕事を終えた私は、駅に向かって歩いてみた。

何となく嫌な予感がしたからだ。

途中ですれ違う僅かな人と会釈を交わす。

ランニングをするお爺さん、宅配便の人、スーツケースを引きずる青年……



ピロリン



携帯に着信音。

胸ポケットから取り出して中身を確認する。


「ええと、『愛するアナタヘ、シリアルブレイクに使うミルクが切れたので買ってきてください』」


……ほーら、見事に当たってしまった。

私はすぐさま返信を打つ。



『了解。それと『ブレイク』じゃなくて『フレーク』です。朝食を粉砕しないで』


パタンと携帯を閉じ、私は少し足取りを速めた。

確か今日は、新たな入居者が来る日のはず。

それを知った妻が妙に張り切っていたので、私が手綱を引かねばならない。


彼女は暴走しがちなのだ。

恐らく、また家族の写真を押し付けようとするに違いない。


そう言えば、昨日家族アルバムが届いたと嬉々として話していたな。

もしや他の住民に配布する予定なのかと焦りつつ、私と一緒に配るよう伝えた。


……その方が、アルバムを回収しやすい。


何故彼女は、あの迷惑極まりない本を発行したがるのだろうか。

私と住民が前日に打ち合わせをし、妻が配り、後日私の方で回収する。

毎年の恒例行事となりつつある。




……コンビニで買い物を終え、背後で閉まる扉の音を聞く。


はあ、妻は大人しく待っているだろうか。

それが淡い期待であることを知りながらも、私は切に願う。


(頼むから、朝食を作って二度寝でもしていてくれ)



そうして再び、ごみ捨て場の前を通ったときだった。

一瞬だけ甘い香りが漂った。

そして……



「……ウッ!?」



それを上回るツーンと嫌な臭いが、鼻に入る。

腐った肉を嗅いだような、ドロリとした腐臭と酸っぱくなるような臭み。


(何だ、朝っぱらからヤケに臭いな)


私はその臭いの元……即ち、ゴミの山を見る。


そこに積まれた袋に数は、先ほどと同数。

私の家庭から出たものと黒い袋のみ。


何だか、鉄分を含んだような臭いもしてきた。



まるで大量の血が流れたかのような……






ゴソリと、あの黒い袋が動いた。





「!?」




私の身体は強張る。




一秒……二秒……三秒……



袋は全く動かない。

あいも変わらず、幾つものゴミと共に、回収を待つばかりである。


……見間違いか?




「……ハハハ、疲れているな」


私は自分の考えを笑い飛ばした。

朝から血の臭いなどとは、朝っぱらから何とまあ捻くれた思考である。

やはり、妻の行動に気を使い過ぎなのだろうか。

私の頭は随分と物騒になってしまったようだ。今日は早く寝るべきだな。


軽く嘲笑した後、私は妻と朝食の待つ『裏野ハイツ』へと足を進めた。








夕暮れになり聞いた噂によれば、



近所のごみ捨て場に、猫の屍体が捨てられていたそうだ。



どうやら深夜に捨てられて、朝のゴミ収集で発見されたらしい。


四足は切断され見つかっていないとか。

犯人は、猫の血で文字を書いたとか。



あらぬ噂が街に広がっていく。

全く頓珍漢な話だ。一体誰がどうして、こんなとんでもない噂を考え出したのだろう。

主婦も子供も学生も、この街の住人は次々と信じていく。


私はそれを、笑うことしかできなかった。















少しずつ、事件に関わる人物を増やしていきます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ