小袖の手
六畳一間のアパートで一人すすり泣く男がいる。
男には将来を誓いあった女がいた。
『いた』と過去形なのは、男の泣き顔から察することができる。
トラック事故であったという。
2人では手狭な部屋だったが、暖かい部屋だった。
しかし、今の部屋は暗く、冷たく、そして広かった。
六畳が八畳にも十二畳にも感じるほどの、空虚感が男を支配していた。
だからだろうか、男は普段しないようなことをし始めた。
寂しさを紛らわすように手に取ったのは、一枚のジャージである。
普段、家にいるときに彼女が着ていたものである。
ラフな格好を好む女であった。
男はこれに袖を通す。
暖かい。
彼女のぬくもりを感じるようだ。
より強いぬくもりを感じるためにも男は両の手を交差させ、自身の体をギュッと抱きしめる。
と、ここで違和感に気付いた。
いや、ここは違和感ではなく、『既視感』といったほうがよいだろうか。
自身を抱きしめる腕の感覚が、彼女の、あの感じに似ているのだ。
視線を下ろし、交差した腕を見やる。
そこにあったのは普段の己のそれより細いが、見慣れた手であった。
馬鹿をしたときに張り倒してくれた
冬場はアカギレに悩まされるわと嘆いていた
一緒にゲームをやり込んでゲームだこを作った
仕事で疲れた肩を揉んでくれた
そして、よく手を繋いだ
『あの手』がそこにあった。
器物に霊が宿ることは、ままあることである。
付喪神然り、傘化け然り、画霊然り。
『小袖の手』もその一例である。
慶長のころ、松屋なにがしという者が古着屋で立派な購入したが、着物を衣桁に掛けると、着物の袖口から女の腕がニュッと飛び出してきたという。
この着物は殺された武家の娘のものとも、非業の死を遂げた遊郭の花魁のものであったとも伝え聞く。
一般には女の無念が衣服に宿り、災いをなすとされる妖怪である。
しかし、妖怪とは気まぐれなものであり、時には文字通り『救いの手』を差し伸べることもあるのだ。