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百合心中

作者: 蝶代花代

親愛なる莉々子へ


莉々子、莉々子、誰よりも凛として、美しく、けれど誰より、残酷な運命に生まれついた貴女。


わたしたちは世間並みの言の葉を交わすこともなく、口付けをすることもなく、只二人だけの時を過ごしましたね。


貴女がわたしを見つめる度、貴女がわたしに笑いかける度、わたしの胸は赤い糸で雁字搦めに縛られたかのように苦しくなりました。


わたしは最初から死にたかった。もうとっくに、この生を終えたって良かったんだ。それなのに貴女と出逢ったから、貴女と出逢ってしまったから、今まで生き永らえてしまった。


貴女のせいだ。貴女と出逢いさえしなければ、わたしはここまで苦しむことはなかった。……でも、だけど、わたしは貴女と過ごした日々を決して後悔したりなどしない。この世に無駄に生きてしまったことを差し引いても、貴女と出逢えたことは、わたしの取るに足らない一生の中で唯一の、救いだったから。



ねぇ、莉々子。貴女は今、何処にいますか。貴女のいる場所は、この吐き気のする程生き辛い憂き世より、幾分かでも安楽ですか。


わたしは貴女のしあわせを願ってやみません。あなたにはいつだって、嫣然として微笑んでいてほしい。わたしは貴女の幸福を、笑顔を、いつだって護っていたいのです。だからあの話を持ち掛けた。


瞼を閉じればいつだって鮮明に蘇る。貴女の笑顔、貴女の艶やかな黒髪、そして貴女の流した、涙。……あの選択によって、わたしは貴女を救えたでしょうか。わたしを救ってくれた、ただ一人の、貴女を。


わたしも今すぐ救われたい。あれはわたしの手元にあります。今から、莉々子、貴女に逢いに行きます。逢いに行きます。貴女に無事逢うことが出来たら、そうしたらその時は、また笑って、わたしを優しく抱きしめて下さいね。今思えば、わたしは貴女を好きだった。愛していたのです。それを貴女に直接、伝えたいと思います。待っていて下さい。待っていて下さい。どうかいなくならないで、わたしが貴女の元に辿り着くまで。



梨々子

ああ、けたたましい呼び声が耳に付く。脈拍を伝える電子音が耳に鬱陶しい。

部屋に響くのは泣き縋る声、名を呼ぶ声。リリコ、リリコ、リリコ……。

しかしその名前は、

わたしのものではない。



一人目のリリコ


「調子はどう、高梁さん」

主治医の矢賀先生が、今日も気だるそうに尋ねる。今年で勤務七年目というこの人は、一度でも患者に真摯に向き合ったことがあるのだろうか。

「死にたいです」

「そう」

何ということでもないように、ボサボサの頭をガリガリと書いた後、ポツポツとパソコンに二言三言書き込んでいく。最近導入された、ハイテク電子式カルテに、昭和の人間は着いていけないらしい。

「じゃ、朝と晩でデパスを一錠ずつ、寝る前にハルシオン、頓服でリボトリール、出しておくからね。では二週間後にまた。お大事に」

「はい、失礼します」

わたしがいつものようにさっさと帰り支度をしていると、

「あ、そだ、高梁さんちょい待ち」

「何でしょう」

ピラリ、と、先生は一枚のチラシを手渡す。

「今度ウチの科で、懇談会やるらしいんだな。んー、まあなんつーの、患者同士の親睦会みたいな感じ? 俺は関与してないからよく分かんないんだけど、興味あれば行ってみたら」

「ありがとうございます」

「◯二五八番さん、診察室一番へお入りください。……繰り返します、◯二五八番さん……」

次の患者の呼び出しアナウンスが入る。白いイヤホンをした少女は母親に付き添われて診察室へと入っていった。彼女の纏う制服は、まぎれもなくわたしと同じ学校のものだ。

「あらまあ、りりちゃんと同じ学校の子も、来てる子いるのねぇ」

「そりゃ、一人くらいはいるでしょ」

「りりちゃん、お腹空かない? どこかでご飯食べて行こっか? 駅前だとー、ハンバーガー屋さんでしょ、お蕎麦屋さんでしょ、ファミレスでしょ……」

「いい。帰りたい」

「そう? ……そっか、じゃあ、お家で何食べたい? お母さん頑張って……」

「何でもいい早く帰りたい」

「わかった」

わたしの通う病院は、都心でないにしてもさほど開けているため、人通り、車通りが多くいつもせわしない。ガヤガヤとした雑踏の中には極力居たくない。早く帰って、薬を飲んでベッドの中に潜り込みたい。


結局、身体的な空腹感はあるものの食欲がわかず、母の作ったミートソーススパゲティには手をつけなかった。病院で貰ったチラシを何ともなく見やる。

『聖エルジェベト大学附属病院精神神経科主催! 病に打ち勝て!(しあわせ)探しへの旅!』

……なんだか、怪しげな新興宗教の勧誘のようで気が進まない。

精神神経科に通い始めて丸一年が経とうとしている。中学生の頃はこんなものには縁がなくて、ただバカみたく、この世の幸せの全部を享受できているかのように幸せに、幸せに暮らしていたというのに、今や立派な「精神病患者」だ。あれからたったの一年でここまで落ちぶれるだなんて、……情けない。消えてしまいたい。わたしなんてなくなってしまえばいいのに。

途端に呼吸が荒くなり、左胸が素早く脈打つ。勉強机の引き出しにしまい込んでいたカッターを掴み取り、服をはいだ左腕を、剥き出しにした刃に突きつけたその時、母親がノックの音と共に部屋に乱入してきた。

「りりちゃん?! 何してるのやめて、やめなさい!!」

「うるさいな離して! わたしもう嫌なの離せクソババア!!」

「落ち着いて、りりちゃん、落ち着いて、お願いだから落ち着いて……!」

「いやって程落ち着いてるよ! だから離せっつってんだろ!!」

「落ち着いて、落ち着いてりりちゃん、落ち着いて……!」

何を叫んでも、どう暴れても、腕を振りほどく事は出来ない。泣きながら、落ち着いて、としか言わない母。こんな風に生まれたいんじゃなかった。母親をこんな風に悲しませるような奴に、なりたいんじゃ、なかったのに。

だけどそんなことを言えば、わたしをこれまで生み育ててくれた母を責めることになる。口が裂けたって言えやしない。ああ、駄目な奴、駄目な奴、駄目な奴。死んでしまえ。わたしさえいなければ、皆皆しあわせになれる。お母さんだって泣かない。お父さんだってまた、心から笑えるようになる。

気が狂ったように(或いはもう狂っているのか)叫び出したかったけれど、これ以上母を悲しませたくなかったから、とりあえず見かけだけでも平静を装うことにした。呼吸をゆっくりと整えて、クシャクシャになった顔を戻して。次第に母の表情に安堵の色が満ちていく。

「ハァ、ハァ……、ッ……」

「りりちゃん、落ち着いた……?」

ゆっくりと頷いた。心の中はまだグチャグチャだけど、早く母に安心してもらわなくては。

「お薬飲める? 飲んだ方がいいわ、持ってくる?」

再び頷いた。薬さえあれば、どんなに心がかき乱れたって、全部全部なかったことに、悪いことが消えてしまったように、思えるんだ。現実には、何も変わっていやしないのだけれど。

母の持ってきた薬のシートから白い錠剤を二錠取り出し、口に含み水で押し流す。本当はもうコツを掴んでいて、唾だけでも飲み下せるのだが、やはり水はあるに越したことはない。

「どうしたの、って……、聞いてもいい? 何があって、こんな風になっちゃったの? 何で、……なんで、死にたいだなんて、思うの……?」

母の瞳からまた大粒の涙が零れる。……そうやって泣かせてしまうからだ。あまりにわたしは周りに対してお荷物で、迷惑ばかりかけて、いてはいけない存在のように思えてくるからだ、なんて言えない。

「……、って……」

「なぁに?」

涙を拭き、極力冷静に私の声を聞き取ろうとする母。

「なかなか、治らない、のが……、申し訳ないな、……って」

「なんで申し訳ないなんて言うの? 自分の子どもが苦しがってたら、助けるのなんて当然でしょう。それにね、病気は、……特に、りりちゃんみたいな、目に見えないところの病気はね、治る早さに個人差があって当たり前なのよ。だからそういうことで悩んだりする必要はないのよ」

再び私の目に涙が溢れてきた。……どうしてこんなに優しくて、あったかい人の子どもに、わたしなんかが生まれてきちゃったんだろう。もっと優秀で、どこにも欠陥なんかなくて、たくさんたくさん、親孝行できるような子どもが生まれれば良かったのに。それか、わたしがそんな風になれたら、良かったのに。

母はあたしの涙を拭って、そのままふと、わたしが丸めたチラシに視線を移した。丁寧に皺を伸ばし、ゆったりと語りかける。

「ねぇ、りりちゃん。……お母さんね、この会、参加してみたらいいんじゃないかなって思うの。お母さんは、りりちゃんのことを分かりたいし、他の人よりは十二分に分かってるつもりよ。でもね、りりちゃんと同じような病気にかかったことはないから……、同じようなことで悩んでたり、苦しんでたりするお友達ができたら、支え合って頑張ろうって思えたり、そうでなくても、気晴らしくらいにはなるんじゃないかなぁって思って……、どう? あんまり気乗りしない?」

わたしは一瞬躊躇した。本心を言うと、気乗りしないというか行きたくない。でも、お母さんが良かれと思って勧めてくれているのなら。……顔を出すだけでも、少しは安心させられるだろうか。

「わかった、……行く」



もしここで行かないと言っていたら、何かが変わっていただろうか。……否、何も変わりはしなかっただろう。貴女とわたしはあまりにも接点が多すぎた。学校は同じだし、通院している病院も、主治医も同じだし、考え方も、趣味も、好きなものも嫌いなものも、そして、そう、……名前も。

わたしたちは出会うべくして出会った。そうなるべくしてあの日々を辿り、今へ到る。

始まりのあの日が懐かしい。少しの喧騒と、定期的に鳴る確かな鼓動の電子音の中で、あの日の記憶は憎らしいほど冴え冴えと蘇る。



二人目のリリコ


懇談会は次の週の日曜日に行われ、その日はすぐにやってきた。病院の会議室の机を並び替え、花と、菓子と、ジュースとを配置し、ナース達がぼやきながら作ったであろう折り紙の鎖で飾られた室内は、さながら小学校のお誕生日会のようだった。

集まった参加者は、学生は私と、例のイヤホンの少女と、今にもテレビ画面から這い出してきそうな凄みと長い黒髪を持ったセーラー服の少女。他には社会人と思しき男性が二人と、女性が一人、初老の男性が三人に女性が二人。

初めは意外に思ったが、精神神経科には認知症などによって、思春期の若者よりも老人の方が圧倒的に多く来院するものらしい。(思春期外来なども存在するが、私には悉く合わなかった)社会人男性一人を除いて、皆それぞれの引率者を引き連れていたため、小さな会議室の人口密度はそれなりに高くなった。

ノックの音と共に、懇切丁寧な診察で有名な精神神経科長の楠先生が入ってくる。

「はじめましての方もいるかな? とりあえず、こんにちは。今日はお集まり頂きありがとうございました。僕はこの会の主催者の楠朝登です。では皆さん、適当に席についてください。自己紹介から始めましょうか。」

わたしは目の前の席についた。すると部屋の対角線上にいた、イヤホンの少女がこちらにツカツカと歩み寄り、わざわざわたしの隣に腰掛けた。黒髪の少女は一瞬残念そうな顔をした後、その隣に座る。

「では、そうだなぁ、まずは最年長の永井さんから……」

「ハイッ!!」

やたら元気な、……否、元気過ぎる返事をして白髪の老人が椅子を蹴飛ばし立ち上がる。そんな調子で自己紹介は進み、次はイヤホンの少女の番になった。渋々といった風に立ち上がり、小さいがよく通る凛とした声で言った。

「タカハシリリコ。……十八。高二。よろしくお願いします」

心臓がドクンと波打った。

「じゃあ次、最後。二人が並ぶなんて思ってなかったなー、ちょっと皆びっくりしちゃうかもしれないけど。さ、どうぞ」

「は、はい……」

わたしは横の少女を気にしつつ、小声になりながら口を開く。

「たかはしりりこ、です。……高校二年生です。あ、十七歳……、よろしく、お願いします」

横の少女、タカハシリリコはアーモンド型の目をまんまるに見開いて驚いた。あたしも思わず彼女を見つめる。

「そう、この二人は同姓同名なんだなー、まあ漢字は違うけどね? この際だから、どんな漢字書くのかお互い確認してみなよ。仲良くなれそうじゃない? どっかの漫画みたいに、さ」

タカハシリリコは、手元の紙に黒いボールペンで「高橋莉々子」と書いた。私も自分の前に置かれた紙に「高梁梨々子」と書く。

「へ、へぇ……、あんたも、リリコ、っていうんだ、って、えへへ……」

黒髪の少女、前田霞の言葉に応答する者はいない。徐々に強張った顔になり、その顔は髪に隠れ、肩は必要以上に縮こまっていった。姿が全て髪に隠れてしまいそうだ。

「さて、お菓子とかジュースとか、楽しみなことはたくさんあるんだけど、先ずは隣のリハビリ室に移ってもらいましょう。皆でちょっとしたオリエンテーリングをして、緊張感を解いていくよ。さ、同伴の方もご一緒にどうぞ」

皆が立ち上がろうとしたその時、隣の高橋莉々子に左手をむんずと掴まれ、そのまま手を引かれ、気づいたら会議室を飛び出していた。

「リリコ!」

二人の母親の声が重なる。

「あっ?! ちょっと、待ちなさい! 走っちゃいけない!」

高橋莉々子は幽霊のように周りの人間をかわし、かわし、風のように廊下を走り抜けた。鈍足の私が転ばずついて行けるのが奇跡的なくらいだ。みるみるうちに楠先生の姿は遠ざかり「だ、誰か捕まえてくれ~っ!」という情けない声だけがこだました。


あっという間に病院の自動ドアを抜け、薬局を過ぎ歩道橋を渡り、連れて来られたのは川の土手だった。一本だけ咲く桜の花びらがはらはらと舞っている。

「ハァ、ハァ、ハァ、……ッ!」

日頃の運動不足が祟り、抗議したくとも息が切れて言葉が出ない。

「ここは何処? あなたは誰? 一体何のためにわたしを連れてきたの? あなたは何がしたかったの? わたしはあの場に居たかったのに、巫山戯んじゃないわよ、……言いたいことは容易に想像がつくわね」

唄うようにして高橋莉々子は言う。

「ッ、ハァ、……最後のだけは思ってないから、問題ない」

「そう」

ようやく息が整い、彼女の姿を改めてまじまじと見つめる余裕がうまれた。背中まで流した黒髪は、先ほどの少女のように鬱陶しくなく洗練されて美しく、アーモンド型にくり抜かれた目の奥に埋まる瞳は、黒曜石のように黒く、そして深かった。立てるかと差し出す左手首には、白いアラベスクの躊躇い傷が浮かんでいる。

立たなくてもいいわね、と自身も腰を下ろした高橋莉々子は、血を思わせるほど赤く薄い唇を開いた。

「自己紹介はさっきしたわね、私は貴女と同じ、私立星南高等学校の二年生、高橋莉々子。同学年に同姓同名の子がいるって話、知らなかった?」

「わたし、クラスメイトと馴れ合ったりしないから」

「そ。おんなじね、私もよ」

高橋莉々子は深海のような色合いの黒髪を気持ち良さげに風に遊ばせた。その姿に思わず見惚れ、自分の抗議がまだ終わっていないことを思い出す。

「ねぇ、ここは何処、と、一体何のために、がまだ残ってるんだけど」

「あら、ごめんあそばせ」

やけに古風な話し方をする奴だ。

「ここは多摩川の土手。一本だけ咲く桜の樹の下。それは見ればわかるでしょう? ここね、結構穴場なのよ。誰もこの桜のことなんて気に留めないの。私のお気に入りの場所。」

「そう。……それで?」

「あんな馬鹿らしい会、時間の無駄だと思ったのよ。それでサボタージュしようかと思って。迷惑だったかしら? ……でも貴女、同じ制服を着ていたし、何より退屈そうに見えたから。後々言い訳し易いでしょう、お互い。同じ学校の生徒を見つけて、親近感を持ったから、って。……なに、病人の言うことを真剣に聞くような奴なんかいやしないんだから、心配しなさんな」

何か言い返したいような、言い返せないような。つまりあたしは、高橋莉々子のサボタージュに利用されたってことなんだろうか?

……まあ、良いだろう。わたしも元々母親を安心させるために行っていただけだし、正直、スキあらば本でも読んでいようかと思っていたところだった。そしてその本は、今ここに、私の手元にある。たまには外での読書も悪くないかもしれない。

「あ! その本!」

「普通の文庫本だけど……、どうかしたの?」

「それ、ウチの図書室で借りてずっと返してないやつでしょ? 予約入れたって一向に返って来やしない、貴女が持ってたのね」

本の最後の頁を捲ると、返却期限はもう二ヶ月も前であった。よくあることだ。

「ごめん、つい何回も読んじゃって。いる?」

「ありがとう」

高橋莉々子は何の躊躇もなく本を受け取った。あーあ、又貸し。

「貴女、この本好きなの?」

「好きだよ、とても」

「私もよ」

「え、もう読んでたの?」

「発売日に買ったもの」

「じゃあ、図書室で借りる意味ないじゃん!」

「ばかね、文庫版にはハードカバー未収録の特別エッセーが入ってるのよ、読まずにいられるもんですか」

「熱心だねぇ……」

もうわたしの言葉など耳に入っていないらしい。頁に齧り付くようにして本に没頭している。数秒に一頁のペースで紙を捲る彼女に、気になって尋ねてみた。

「ねぇ、……ちゃんと読んでるの?」

「うるさい黙って」

「すみません……」

跳ね除けられてしまった。暫くして、三十頁弱の短編は直ぐに制覇されてしまった。本を抱き締め、しばしの余韻に浸る高橋莉々子。ずい、といきなり本を突き返してくる。

「ありがとう、とても素晴らしかったわ」

「せっかく貸したんだからそのまま返却してくれればよかったのに……」

「あら、私は今ちょっと借りただけだもの」

「はいはい」

「はいは一回」

「へーい」

「……っていう遣り取り、ノンフィクションでやるだなんて思ってなかったわ」

「わたしも」

「在り来たり過ぎよね」

「自分で言ったんでしょ」

わたし達は顔を突き合わせ、同時に吹き出した。

「ねぇ、貴女はこの本についてどうお考えなの?」

「どうもこうも……、そうだなぁ、この作者の言ったことにはもう手放しで歓迎、って感じだから、反論とかは無いんだけど、ほらあそこの『長く生きるということは、それだけ老人でいる時間が増えるということである』って言葉あったでしょ、あれはイイって思ったなー」

「そこ私も良いと思った! だったら早く死んじゃいたい、って思わない?」

「そうでなくともいつも思ってるよ」

「私もよ。……なんだか貴女と話してると、お互い共感ばっかりね」

「ホントだね。……ねぇ、高橋さんはさ、」

「莉々子でいいわ」

「……莉々子、はさ、どうしてあんな退屈な所に? やっぱり親?」

「父親の差し金よ。……私の父、私の病のこととても疎んじてて、心の病は心の甘え、だなんて考えてるくらい古風な方なんだけど、一刻も早くその腑抜けた状態を叩き直してこい、お前がやっているのはそういう奴らの真似事なんだぞ、その目でしかと見てこい、だなんて言って。……『そういう奴ら』の『真似事』って、……なんなんでしょうね、お笑いだわ」

莉々子は自嘲気味に笑った。なんだかわたしまで胸の奥がざわつくような心地がした。

「貴女は?」

「わたしは母親。この前自己嫌悪でパニック起こしちゃって、それを見兼ねてか知らないけど、行ってみたらって言われて。まあ、お母さんが安心してくれるならって。行ったからって良くなる訳じゃないんだけどさ」

「お母様思いなのね」

「別にそんなこたないよ。ただ、普段から迷惑かけまくってるから、出来るだけのことはしたいなって。……結局何も出来てないけど」

「なら、そろそろ戻った方が良いかしら。ウチの親はともかくとして、貴女のお母様はきっととても心配しておいでだわ」

「莉々子のお母さんだって心配してるよ」

「……さあ、どうかしらね。ウチの母親は、父親の影に怯えて、ただ言いなりになっているだけだから。父の望む通りに、私を正常に戻したいだけなんだわ」

「そんなこと……」

「兎に角戻りましょう! ほら、早く行くわよ! あ、ちょっと待って」

彼女は胸ポケットから濃紺色の生徒手帳を取り出し、鋭利なボールペンで何かをサラサラと書き記し、紙を引き千切ってわたしに手渡した。書かれていたのは、住所と電話番号とメールアドレスだった。

「……準備いいね」

「生徒手帳はたまたまよ。ボールペンはいつも持ってるわ。いつでも首を掻き切れるように、ね」

ボールペンを首に突き立て、頸動脈を切る動作をしてみせた。

「私、貴女ともっと話がしたいわ。これからも会いましょうよ。学校では騒々しくて話す気が起きないから、放課後。素敵なカフェーを知っているのよ」

そう言って、莉々子は来た時と同じようにわたしの手を掴み、強引に病院の方へ歩いて行った。彼女の黒髪に桜の花が留まっていたが、そのままにしておいた。


リリコの住処


先日受け取った紙に記されていた住所は、私の家からバス停三つ分しか違わないところだった。病院ですれ違うまで殆ど面識が無かったのは何故だろうと彼女に問えば、私たちはお互い精神に疾患を抱えているため、登下校時間がまともではないことが所以なのではないかという答えが返ってきた。実に的確だ。

そんなに家が近いのならば、という私の提案で、二人とも最後まで学校に残れた日に限り、一緒に帰ることになった。莉々子はいつも校門の柱にもたれて本を読んでいる。満開の桜の木の下、元が美人な彼女は益々絵として映える。羨ましい。

「莉々子」

駆け寄ると彼女は顔をあげる。黒髪がふわりと風に舞った。

「ねぇ梨々子、今日は体調どう?」

「え? 元気だけど……、珍しいね、どうしたのそんなこと聞いて」

「今日はとても気持ちの良い陽気だから、前に話したカフェーに貴女をご招待しようかと思って。如何かしら」

「え、私あんまりお金持ってないよ」

「お茶代くらい出すわよ」

「乗った」

こうしてわたしたちは、いつも乗っているのとは違うバスに乗った。硬いシートに何度も尻を突き上げられながら、古ぼけたバス停を数個過ぎ、降り立ったのは閑静な住宅街だった。

「こんなところにお店があるの?」

「まあついてらっしゃいな」

莉々子は迷うことの無い足取りで進んでいく。彼女はいつも凛としている。彼女はいつも胸を張っている。彼女はいつも、わたしなんかとは大違いだ。

「さ、ここよ」

随分と角を曲がって現れたのは、古びた木造の建物だった。その壁は漆黒に塗られ、二つある入り口の両方に花を模したランプシェードが掲げられている。昼と夕方の境目の今、この黒いカフェーは影のようにのっそりと聳え立っていた。

「……ねぇ、ここ大丈夫なの?」

「あら、怖気付いたの?」

「そういうわけじゃ……」

心なしか楽しそうに莉々子は笑う。

彼女に続いて扉を潜ると、中もまた黒塗りであった。テーブルや椅子はアンティークのような深いブラウンのもので統一され、真っ白なテーブルクロスがその上で仄かに輝いて見える。しかし江戸川乱歩全集、数々の美術書などが本棚に溢れ、図書館なのかカフェーなのか一見見分けが付かない程だ。カウンターの奥に置かれた骨格標本と並んで、店の中にはマスターが一人と、なにやら壁に向かってブツブツと独り言を繰り返す女の客が一人。……怖い。怖気付いた。帰りたい。

「こんにちは、マスター」

「ああ、どうも」

長身で白髪混じりのマスターが莉々子を見て片目を瞑った。ボサボサの長髪はうなじの辺りで纏められ、見た目からは年齢が判別できそうもない。二十代と言われれば頷けるし、六十代だと言われても違和感は無い。何だか一気に不思議の国に迷い込んでしまったようだ。

わたし達がテーブル席に着くと、マスターが水とメニューを持ってきた。珈琲やココアは種類が豊富で、ベルギーやフランス、イタリアのココアなども取り揃えているらしい。他にはジュースやパイ、ミネストローネなども頼めるようだ。澄まし顔の彼女の向かいでわたしが悩んでいると、暫くしてマスターが注文を取りにきた。

「いつものをお願い。貴女はどうするの?」

「じゃあ、オランダのココアで」

「かしこまりました」

マスターは手に持ったメモ帳にブルーのボールペンで注文をメモし、テーブルに置いてカウンターに去る。莉々子がそれをテーブルの隅に置く。どうやらこれが伝票代わりらしい。

「今日はどうだった」

いつかどこかで聴いたことがあるような幻想的なピアノの中で、音楽とよく調和する透き通った声で彼女は言う。その調和を壊して私も口を開く。

「別に、特に普通。……莉々子は?」

「貴女に何も無い時は、私にだって何も無いんだわ」

「わたしに何かあった時は?」

「それは私にとっても有事」

二人してクスリと笑う。胸の奥がくすぐったいような心地がした。

「熱いのでお気をつけてどうぞ」

マスターが注文の品を持ってきて、そう言い残して再び去っていった。慣れると落ち着いていて、この空間だけ世界と切り離されて存在しているかのように、時がゆったりと流れているかに思えて、とても居心地が良い。莉々子がマスターの真似をして片目を瞑った。必死に笑いを堪える。

「ねぇ莉々子はさ、お昼ご飯いつも何処で喰べてるの? 一人なら一緒に喰べようよ」

「私、お昼は喰べないのよ。騒々しい所って、食欲湧かなくて。ご飯は一日一食、夜だけ少し」

「……お腹空かないの?」

「もう慣れちゃったわ。多分胃袋が縮んだのね。でも、お昼を一緒に過ごしたいと言うなら私は構わないわよ、ちょっと不機嫌な顔してるだろうけど、それで良かったら」

「そっか。……なら、そうして貰いたいかな」

「分かったわ。ただし教室以外ね」

「いつも地学室講義室で喰べてる」

「あそこは良いわね。鉱石に貝、文学的だわ。生物講義室の方がもっと好きだけど」

「ホルマリン漬け見ながらご飯喰べたくないよ……」

彼女は笑いながら珈琲カップに口をつける。私もココアを一口飲んだ。

そのままの笑みで、莉々子は尋ねる。

「ねぇ梨々子、この間貴女、いつだって死にたいよって、そんなような事言ってたわね」

「それがどうかしたの?」

わたしはいたって普通に返した。まさかこの莉々子がお説教を垂れるなんて思わないからだ。そして案の定その予想は的中する。

「貴女、もし自殺するとしたら……、どんな方法をとりたい?」

「自分がもし自殺するとしたら、か……」

暫し考えた後、

「そういや、人生の全部に絶望した時は、全財産を麻薬に使って、ラリったまま事故って気持ち良く死にたいなーとか考えたことはあるね」

「今もその気持ちは変わらなくて?」

「うーん、何か厨二っぽくてダサいかもって思ってきた」

「私は出来るだけ、自分の死体が綺麗に残る死に方をしたいわ。まるで生きているように死にたいの」

「綺麗だもんね、莉々子」

「……は?」

キョトンとした顔をする。

「……何か勘違いしているようだけどね、私は見せつけてやりたいのよ。高橋莉々子は死んだのよ、って。見せつけてやりたいの」

「誰に?」

「家族に」

私は一瞬息が詰まった。自分の死を見せつけてやりたい程の家族。そんな家族と毎日一緒にいなくてはならない彼女は、いったいどんな風にそのストレスと向き合っているのだろう。

「だから、すぐに発見されるような死に方が良いわ。死ぬまでは発見されなくて、死んでからすぐ、出来れば家族に見つかる方法って言えば、浴槽で溺死、とかかしら。何だかお年寄りみたいねぇ」

「それか、風呂場で手首切って浴槽に漬けとくとかね、いっぱい出血するらしい」

「それも良いわね。……嗚呼、ここで考えてても良い案が浮かばないわ。また読み返してみたくなってきた」

「何を?」

彼女の会話は時々不明瞭だ。聞き返すと、口許に手をやってヒソヒソ声で話す。

「万全自殺手引書、って、貴女知らない?」

「知ってる」

わたしは即答した。万全自殺手引書。ドラッグストアで買える薬物の自殺法から、最も難解な自殺法まで、絞殺、轢殺、刺殺、餓死、人間が思いつく限りの自殺法が書かれた本だ。今は絶版になっていて、モノの本を扱う古本屋でもない限り手に入れられない代物である。

「どうしてそんなもの持ってるの?」

「S駅前の古本屋で、ね。あそこって今じゃ珍しく、不気味な本ばかり扱っているでしょう、奥の本棚で埋れていたの。もう三年も前の話だから、その時は貴女まだ中学生ね」

クスクスと笑う莉々子。こんなにもこいつを羨ましいと思った日はない。いっそ家族の前で刺し殺して本を奪い取ってやろうか。

「どう、貴女も読みたい? 読みたいわよね? 眼がそう言ってるわぁウフフおっかしいの」

「じゃあいいよ読みたくない!」

「そんな怒らないでよ。ごめんね、一緒に見ましょう、ね? お願いっ」

わざとらしく両手を目の前で合わせてみせる。そんな幼児を扱うような真似で動くわたしではないが、本は読みたい。すごく、とても、腑から手が溢れ出るくらい、読みたくて読みたくてたまらない。

「……分かったよ、仕方ないから見に行ってあーげーる」

「ありがとうございます、梨々子様」

あしらわれたような感じが半端じゃない。これが歳上の余裕なのか、一つだけ上だからってくそう腹が立つ。

「じゃ、いつにしましょうか」

「明日。土曜だから半日授業でしょ?」

「分かったわ、部屋片付けておく」

「莉々子の部屋って散らかってるの? なんかいつも整ってるイメージだったんだけど」

「私の兄、何か気に入らない事があると物に当たるんだけどね、自分の物じゃなくて私の物に当たるの。もう迷惑ったらないわ、携帯なんて何度折られたことか」

ケロリとして話す莉々子。愚痴をこぼすことで楽になるなら、幾らでも聞きたいけど、これ以上家族の話をしてほしくないような気もする。聞きたくないのではなく、思い出させたくないのだ。せめて家の外に居る時だけは、安らかな気持ちでいてほしい。友達なんて一人もいないわたしだけど、わたしたちのような関係はきっと友達同士と言えるのだろう。莉々子の友達として、心から彼女の安楽を願った。

「じゃあ、そろそろ出ましょうか。マスター、お会計」

「今日はいいですよ、私の奢りです」

「あら、本当に? やった、ありがとうマスター。大好きよ」

「またいらして下さいね」

笑いかけ手を振るマスターに、二人して片目を瞑って店を後にした。



リリコの暗鬱


「さ、ここよ」

予想通りといえば予想通り、彼女の家は都心の一等地に建つ西欧風の豪邸であった。白い壁に青い屋根が上品な、家というより館、お屋敷という方が相応しいだろうか。フェンスの鍵を開け、指紋認証で家に入り、わたしを手招く。庶民のわたしはおずおずと足を踏み入れた。

「お、お邪魔します……」

掃除の行き届いた綺麗な家の中は、しんと静まり返って人の気配がない。まして返事など返ってくる様子もない。ほのかに薄ら寒い心地がした。

「何をそんなに緊張してるの?」

「え? あ、いや、人の家来たのなんて、幼稚園以来だし」

「そう」

青薔薇のステンドグラスのはまった玄関を過ぎ、手を洗い、階段を上がる。莉々子の部屋は三階の隅にあるようだ。ドアの奥から微かに異臭がする。

莉々子は眉を顰め、素早くノブを捻る。取り出した鍵を使うまでもなくそのドアは開いた。

「……!」

毛足の長い黒い絨毯の上には白いローテーブル。黒地に銀の幾何学模様のベッドとカーテン。金の金具の付いた白い家具など、黒と白を基調に整えられた美しい部屋の中は、我が物顔で這い回る無数の蛆によって占拠されていた。中には既に蛹と化しているものもある。異臭は鼻腔の奥までも支配する。わたしは込み上げた胃液を抑え込むので精一杯だった。あまりの衝撃に声も出ない。

「ごめんなさい、少し待っていて」

能面のような表情の莉々子は静かに階段を降り、ゴミ袋、トング、マスクを二枚、ゴム手袋に長靴を持ってきた。それらを装備し、マスクを一枚わたしに手渡すと、部屋に入りドアを閉めた。暫くして出てきた時には、何やら小動物の死骸のようなものが入ったゴミ袋を下げており、それを階下に捨ててきた。わたしはとりあえず、異臭に耐えきれず廊下の窓を開く。わたしたちが会話できるようになったのは、部屋から漏れ出す異臭が殆ど外の大気に流れ出てしまった後だった。

「……ごめんなさいね」

絨毯の一点を見つめて、莉々子が口を開く。

「……なんでこんな事に? 誰が?」

「……多分、兄。……あいつ、私のことが憎くて憎くて仕方ないのね。私を早くこの家から追い出したいんだわ」

わたしは何も言えなかった。発すべき言葉が見つからない。そもそもここで何か声を掛けて良いのかどうかさえ、わたしには判断がつかなかった。

「どうする、今日はもう、帰る? 本当はこんな廊下なんかじゃなくて、リビングでお話できたら良かったのだけれど、生憎私は、食事以外の用事でリビングに入ることを禁じられているの。父に見つかればどうなることか……」

「わたしが来てるってこと、お父さんは知らないの?」

「知っているわ、昨日の食事の後に母に伝えたもの。だから兄はこんな事をしたんだわ」

あ、と顔を上げ、慌てて言う。

「別に、だからと言って貴女のせいでは決してないのよ、私が悪いの、私がもっと、頑張って、家の中で健常者のフリだけでも、できて、いたら……」

莉々子の漆黒の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。とめどなく溢れる雫を拭うこともなく、ただひたすら、ごめんなさい、と呟く彼女の手を握った。両手で、強く、握りしめた。

彼女に同情したわけではない。同情という言葉を使うにはあまりにも、彼女とわたしではその経験に差があり過ぎた。しかしわたしの瞳にも涙が零れてきた。雫が溢れて、溢れて、とまらなかった。彼女の悲しみが、苦しみが、憎しみが、そして遣る瀬なさが、わたしの胸にこの手を通して伝わってくるかのようだった。

「ねぇ」

涙声でわたしは言う。

「わたしたち、一緒に死のうよ」

「慰めなんて要らないわよ」

「そうじゃなくて」

一呼吸おいてから、再び口を開く。

「もう、やんなっちゃったよ。……ううん、とっくにもう、生きてることには、見切りつけてたつもりだったのに、いつだって死にたかったのに、つい、ダラダラ生き残っちゃってただけなの。いつ死んだって良かった筈なのに、ミスって生きちゃっただけなんだよ、あたしたち。……あたしたちは、この世の中で生きてくにはあまりに、不適応過ぎる。それに、そんな所で無理して生きてくことに、なんの意味も価値も見出せないんだもん。……ねぇ、もうやめよ、これ以上生きてくの、やめよう。かっこ悪いかもしれないけど、逃げてるだけかもしれないけど、自分たちを美化する気力ももう、削がれちゃった。わたしもう、とにかく、疲れた。莉々子も、もし、同じように疲れているのなら、ねぇ、……一緒に、死のうよ」

彼女はわたしに抱きついた。わたしも彼女を抱きしめた。彼女の身体は薄くて、か細くて、これ以上強く抱きしめたら粉々に砕けてしまいそうだった。暖かい、命の温もり。優しい、彼女の体温は、わたしと共に消えるのだ。彼女とわたしは、もうすぐこの世のどこにもいなくなってしまうのだ。それがなんだか清々しくて、心地よくて、ざまあみろ、ざまあみろと、泣いていた筈なのに、わたしたちはどちらともなく吹き出して、狂ったように笑いこけた。

「ところでどうする、どうやって死のうか?」

どのくらいの時間そうしていただろう、今まで生きてきた中でこれ以上無いくらい笑った後で、半ば呼吸困難を起こしながらわたしは尋ねた。彼女も憑き物が落ちたかのように晴れやかに笑いながら、一瞬だけ部屋に戻り一冊の本を持ち出して掲げる。

「じゃんじゃじゃーんっ!」

「うわぁ!」

万全自殺手引書。彼女の手の中で、骨のような乳白色をしたそれは、心なしか光り輝いて見えた。

「私もね、……実は、いつからだったかしら、いつか死ぬんだとしたら、できたら、貴女と死にたい、……って、そう思っていたの。それでね、もし、それが叶うのだとしたら、試したい方法があったの」

「どんな方法?」

「名付けて、……百合心中よ」

「百合心中?」

「見て」

手の中の本には、赤い目のウサギの付箋が貼ってある頁があった。そこを開くと『世界で一番美しい自殺法』の文字が。

「ビニール袋や密室にね、百合の花を沢山、沢山用意するの。その中で一晩眠るとね、百合から発せられるアルカロイドが心筋を弱めて、眠ったまま安らかに死ねるんですって。とてもロマンティックだと思わない?」

「思う、すごく。……でも、人が死ねる程の百合ってどのくらい必要なの? 用意できるのかな?」

「花の手配は任せて、小さい頃から貯めてあるお年玉、手付かずのままにしてあるから」

「場所はどうする?」

「そうね……、私の家だと、今こんな状態だし、準備の段階で兄が何を仕出かすか分かったもんじゃないから……、貴女のお家ではダメかしら?」

「多分、大丈夫だと思う。ウチの両親は、わたしが好きでやってることには一切口出ししないから。百合の花はわたしの家に置いといて、で、そこに莉々子が泊まりに来るって形で」

「そうしましょう!」

胸の奥からこみ上げるワクワク感が止まらなかった。やっと、ようやく、この世から去れる。長年の願いがようやく、叶うのだ。



リリコの心中


「改めて眺めると、すごい量ね……」

晩御飯、風呂、家族との交流。泊まり行事ですることを全てこなし終え、今日初めて部屋に入った彼女は感嘆の声を漏らした。死ぬ前に驚かせたくて、今まではずっとリビングにいてもらっていたのだ。

「……ねぇ、この花、幾らしたの?」

「内緒」

わたしのただでさえ狭い部屋は、百合という百合に文字通り埋め尽くされ、足の踏み場も無いような状態だった。一面の白、白、白。まるで部屋の中が西洋式の棺桶のようだ。

「さ、じゃあ、そろそろ」

窓やドアの隙間をガムテープで密閉し終え、完全な密室を作り上げたわたしたちは、部屋の真ん中におもむろに寝そべった。重力で花が沈み、わたしたちの身体が穿った窪みにはらはらと新たな花が零れ落ちる。

重く、甘い、生の匂いは、同時にわたしたちにとっては甘美な死の匂いとなる。彼女はそれを胸いっぱいに吸い込んで、ほぅ、とため息をついた。頬がほの赤く上気している。

彼女がその薄い瞼を閉じたので、わたしも瞳を閉じた。しばらくして、花を掻き分けて彼女の小指がわたしの小指に絡みついてきた。わたしは一瞬、その手に自らの手を重ねたい衝動に駆られたが、敢えて彼女がそれをしなかったことを鑑み、そのままにしておいた。

小指だけつないだまま、わたしたちは、深い、深い、眠りについた。



リリコだけ


……筈だった。

気がつくとわたしは、百合の白く柔らかいベッドの中ではなく、病院の硬いベッドに寝かされていた。誰かの呼ぶ声がけたたましくて、耳障りで思わず目を開くと、その声の主ーー母親は泣き崩れてわたしの無事を喜んだ。

隣に寝かされていたのは莉々子。いや、生前莉々子だったもの。その身体は最早もぬけの殻と化し、莉々子の魂は抜け出た後だった。莉々子は百合のアルカロイドで死んだのではない、いつかのボールペンで頸動脈を掻き切って死んだのだ。白い百合の花が莉々子の血で赤く染まる様を想像し、ぼんやりとした思考の中で、嗚呼それはなんと美しかったろうと思いを馳せる。わたしの母親がわたしたちの様子を見に来た時には、莉々子の身体はまだ暖かかったという。恐らく、母親に発見され助かるのを恐れて咄嗟にとった行動だったのだろう。今となっては、彼女の判断は懸命であったと言わざるを得ない。現にわたしは今こうして、情けなくも生き延びてしまったのだから。眼球の動きに合わせ、ゆったりと頭を隣のベッドの方にもたげる。

白い布に顔を隠された抜け殻に覆いかぶさり、泣き縋る声、名を呼ぶ声。女の甲高い声は耳に付く。リリコ、リリコ、リリコリリコリリコ……。

ああ、しかしその名前は、わたしのものではない。

わたしであったら良かったのに、とは思わない。むしろ、死ねるのがわたしたちのうちどちらか一人だと運命付けられていたのだとしたら、それが莉々子であって良かったとさえ思う。わたしはまた折をみて、後を追えば良いのだ。しかし彼女は、今でなくてはならなかった。今、自らの手で、死ななくてはならなかったのだ。それを成し遂げられた彼女は偉大だ。幸運だ。最後の最後に恵まれていた。

わたしも早く、後を追わなくては。莉々子の元に。早く逝かなくては。流石に一人では心細かろう。わたしがついていてやらなくてはならないのだ。

「りりちゃん、お願いよ、お願いだから、もう二度とこんなことはしないで、約束して頂戴、お願いだから……!」

「うん、約束する、お母さん」

母の震える手を握りしめながら思う。

今度はわたしも、頸動脈を斬ろう、と。

ここまで読んで下さってありがとうございました。期限に間に合わせる為に急いで書いたものだったので、全体的に表現や話のもっていき方等が雑になってしまっていることは申し訳ありません。


また折をみて推敲を重ね、再度アップロードさせて頂きたく思います。本日は本当に、ありがとうございました。

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