お父さんの花火
お母さんに手を引かれて、からころと夜の通りを歩く。
昼間の刺さるような暑さに代わって、川べりから吹いてくる涼しい風が、なんとも言えず気持ちいい。
「美夜ちゃん。川原についたら、お母さんの手を放しちゃだめよ」
「あたしもう小学生のおねえさんになったんだから、大丈夫だよう」
「そうだったわね、でもお祭りの日は人がたくさん居るから、迷子になっちゃうわよ」
「はあい」
小学生のあたしにとって、お祭りの日は特別がいっぱいだ。
夜に外に出られるのも特別、お小遣いをもらえるのも特別、お気に入りの金魚の浴衣を着られるのも特別だ。
お小遣いで何が買えるかな? アイスキャンディとか良いな。
遠くから、軽快な太鼓や笛の音が聞こえてきた。いつもは、男の子たちがボールを追っかけて遊んでいる川原は、今日は数え切れないほどの人でいっぱいだった。暗闇に慣れた目に、屋台の明かりがとってもまぶしい。
「ねえ、おかあさん。このひとたち、みんな花火を見にきてるの?」
「そうよ、みーんなお父さんの花火を楽しみにしてるのよ」
あたしのおとうさんは、花火を上げるのをお仕事にしてる。おとうさんの、おじいさんから、ずーっと続いてるお仕事なんだって。前におとうさんが自慢げに話してくれた。
おかあさんも、おとうさんのお仕事は好きみたい。にっこり笑って答えるおかあさんを見てると、あたしも嬉しくなってくる。
その時、どーんという大きな音と、それに負けないほどの歓声が上がった。
「あ、たいへん! もう花火が始まっちゃった!」
あたしは、お母さんの手を引いて大慌てで走り出した。もうアイスキャンディのことなど頭から吹っ飛んでしまっている。
あたしたちがお気に入りの場所に着く頃には、夜空一杯にお父さんの上げる大輪の花が咲き乱れていた。
……
…………
「みやー! 起きないと遅刻するわよー!」
階下から聞こえる母親の声に、まだ半分寝ぼけ眼のあたしは、枕元の目覚まし時計を見た。
あたしを起こすという本来の目的を果たしてないそいつは、無情にも八時過ぎを指している。
「やっばい、遅刻!」
たった今まで見ていた懐かしい夢の余韻から、一瞬にして意識が覚醒する。
ベッドから文字通り飛び起きたあたしは、着替えもそこそこに机の上のカバンを引っ掴むと、階段を駆け下りた。
「ようやく起きてきたのね、朝ごはんは?」
「いらない、時間ないの」
「高校生にもなって、まだ寝坊の癖がなおらないのね。だいたい昨日の夜だって……」
「小言は帰ってから聞くから、いってきまーす!」
家から学校までは急げば十五分くらい、あたしは全速力で走りながら、慣れた手つきで手早く髪を縛ってポニーテールにする。
後できちんと直さなきゃなと思いつつも、そこそこ見られる形にできてしまうのが、自慢でもあり、情けなくもあり。
走ってきたそのままの速さで教室に飛び込んだのは、予鈴とほぼ同時だった。
席について、息を整える暇も無く先生が教室に入ってくる。やれやれ、どうにか間に合ったみたい。
「よう、今日はずいぶんとぎりぎりだったな」
先生が今朝の連絡事項を話して教室を出て行った後、一時限目の授業が始まる前のわずかな時間に、あたしに話しかけてくる男の子が居た。
「うっさいわね、まるであたしが毎日遅刻してるみたいじゃない」
「毎日みたいなもんだろ」
「失礼ね、一昨日は遅刻してないし、今日だって間に合ってるわよ」
うう、自分が遅刻常習犯だってことを否定できないのが情けない。
それを聞いて、やれやれとばかりに大げさに肩をすくめている彼の名前は、江藤和也と言う。
中学の時に席が隣になったのをきっかけに知り合って以来、なぜかずうっと同じクラス。
高校進学の時も志望校が同じってだけで驚いたのに、教室でばったり出くわした始業式の衝撃は今でも忘れられない。
……お互いに指差し合って大声上げたせいで、クラス中の注目を浴びたせいなんだけどね。
居心地が良いんで、良く一緒に居るせいか、あたしたちが付き合ってるんじゃないかって言う人も居るけど、カレシとか恋人とかっていう感じとはちょっと違うと思う。
なんとなく波長が合うっていうか、良く聞く「幼馴染」って、こんな感じなのかも。
「で、なんか用なの、和也?」
「あ、そうそう忘れるとこだった」
和也は、わざとらしく、ぽんと手を一つ打つ。
「ほら、今週末のお祭りで花火大会があるだろ。ダチに聞いたんだけど、美夜、お前があの花火打ち上げてるってほんとか?」
和也の興味津々な目を見て、あたしは大きな溜息をついた。
「冗談! あれはお父さんの仕事よ、あたしは手伝ってるだけ。ま、それも去年までの話だけどね」
「手伝ってるってだけでもすげえよ、でも去年までって、なんでだ?」
「このまえ花火師の仕事を継ぐとか継がないとかって話で、お父さんと大ゲンカになっちゃって、で、今年はこれよ」
あたしは、手で首を切るような仕草をしてみせる。すなわちクビ、お役御免というやつである。
実は、毎年この手伝いのおかげで友達とかの誘いを断らなきゃいけなかったんで、花火大会って聞くだけで憂鬱になってたんだけど、それも去年まで。
肩の荷が下りて自由な気持ちのはずなんだけど、何となく寂しくて、ちょっと複雑な気分。
あたしのそんな微妙な表情をよそに、和也の顔がちょっと明るくなった。
「じゃあさ、今年は暇なんだろ? 俺と一緒に祭り見物行かねえか」
世間一般では、こういうのをデートと呼ぶはずなんだけど、こいつの誘いってなんか気軽で、そんな気負った感じがしないんだよね。
「ん、別に良いけど?」
「土曜日、どうせなら花火も見たいから、6時に待ち合わせな」
「わかった、お小遣いたくさん持ってきてね」
「ひっでぇ、タカる気かよ」
「そんくらいの甲斐性は持ちなさいってことよ。ほらほら、先生来たわよ」
廊下を歩いてくる先生の影に気付いたあたしは、まだ何か文句を言いたげな和也を席へと追い立てた。
楽しみな日を待つのは、なんでこんなあっという間なんだろう?
お祭りの当日、あたしは浴衣姿に巾着を持って、河川敷で和也を待っていた。
……ちょっと時間早すぎたかな?
ずっと見られなかった夏祭りの景色は、昔とちっとも変わらない。
川べりから吹く、ちょっとだけ涼しい風、屋台のお店から聞こえる威勢の良い声、そしてお父さんの花火を待ちわびる人たち。
今日は何しようかな。まずアイスキャンディは基本として、それから、お好み焼きにクレープにリンゴ飴、あそうそう、あいつ輪投げが得意とか言ってたから、ぬいぐるみ取ってもらっちゃおうかな。
二人で遊ぶのなんて、これが初めてってわけじゃないんだけど、夜店の喧騒のせいかな、いつもよりわくわくする。なんだか不思議な感じ。
あたしが和也を今か今かと待ち構えてると、たまたま近くに居た人たちの会話が聞くともなしに、あたしの耳に流れ込んできた。
「そういえば、今年で花火大会が終わるかもって話、聞いた?」
「聞いた聞いた、それほんとかな?」
「花火師さんが引退するから続けられなくなるとかなんとか」
あたしは耳を疑った。
え? お父さんが引退? でも昨日も全然そんな話……。
混乱した頭を抱えながら、あたしは走り出していた。
花火の打ち上げ会場は、川にかかる橋を渡った向こう側だ。
「ああ、もう!」
普段なら何てことは無い距離なのだが、浴衣のおかげで、走りにくいことこの上ない。
お父さん、もしかしてどっか病気で体が悪いんじゃ、いや、あたしが後を継がないって言ったせいで落胆しちゃって、それで。
心の中には不安の黒雲がとめどもなく湧き上がって、押しつぶされそうになる。
一刻も早くお父さんに事情を聞きたい。噂なんて嘘だって言って安心させて欲しい。あたしは慣れない草履で足が痛くなるのも構わず走り続けた。
ようやく辿り着いた頃には、もう打ち上げ予定時間は目の前だった。
「お父さん!」
叫んだものの、息が乱れてその後の言葉が続かないあたしを、お父さんと手伝いの人たちが驚いた顔で見ている。
「なんだ美夜? びっくりさせんな」
お父さんが不思議そうに尋ねた。今年は来なくて良いと言ってあった娘が、浴衣姿で血相変えていきなり現れたのだから、無理もない。
「どうしたのじゃないわよ! お父さん花火師引退するって本当? そんなことしないよね?」
お父さんは、最初きょとんとした顔をしていたが、いきなり大声で笑い出した。
「そんなわけないだろう、父さんが花火師やめたら、誰がお前たちを食わせるんだ?」
「だって、会場で噂になってるって……」
「ああ、祭りの打ち合わせで、もう歳だって話もしたが、そいつに尾ひれでもついたんだろう」
「そっか……よかった……」
あたしは思わずその場に座り込みそうになった。安心のあまり全身の力が抜けそうになる。石か何かで切ったみたいで、今さら足がずきずきと痛んできた。
「まあ、いつまでやれるか、わかんねぇがな」
不意にお父さんは寂しそうな表情になった。
「え? だってお父さんまだまだ元気じゃない」
「年々無理がきかなくなってきてるしな。そうじゃなくても危険な仕事だ、一つ間違うと手の一本くらい簡単に持ってかれる。そうなったらもう続けられねぇ」
お父さんの言葉は、あたしの胸に思ったよりも重くのしかかった。
そりゃあ、人間は歳をとるもんだし、花火師なんて体力勝負なところもある仕事だ、いずれは辞めることにはなるだろう。
頭ではわかっていても、なんだかずうっと先の話で、お父さんはいつまでも元気で花火を打ち上げてると思ってた。ううん、たぶんそう信じたかったんだと思う。
「どうした、美夜。神妙な顔つきして」
「だって寂しいじゃない! あたしは一番近くでお父さんの花火を見ていたいの! あたしだけの特等席が無くなっちゃうなんて嫌よ!」
思い切り叫ぶ、思わず涙声になるのも止められない。
「なに言ってやがんだ、夏祭りに行けないから、手伝いなんてまっぴらごめんだって、ダダをこねてたのに」
「せっかくのお祭りに友達と遊びに行けないんだから、あたりまえじゃない! でも、お父さんの花火が見られなくなるのも嫌なの!」
あたしはたまらなくなって、その場で泣き出してしまった。
「わかったわかった、引退なんて当分しねぇから、だからこんな所で泣くな」
「ほんと?」
困り顔のお父さんに、あたしはしゃくりあげながら問い返す。
そういえば、お父さんって、昔からあたしの泣き顔に弱いんだっけ。
「ああ、本当だ」
我ながら子供っぽいなとは思ったが、そう言いながら、わしゃわしゃと頭を撫でてくれる、お父さんの無骨な手の平が、今はちょっと心地よかった。
「おっと、こんな時間か、あんまり遅くなっちまったら、お客様に申し訳ねぇ」
既に打ち上げ予定時刻を過ぎている時計に気づいたお父さんは、慌てて発射台の方に向かった。
「美夜! そこの一番から三番の玉を全部並べろ、始めるぞ!」
「うん!」
あたしは、涙を拭うと、番号順に並べられた玉の方に駆け出す。お父さんが、あたしを頼りにしてくれているのが、なんだか堪らなく嬉しかった。
「よし! 次はスターマインだ。タイミングはずすんじゃねえぞ!」
「わかってまさぁ!」
お父さんとお手伝いの人たちが、ずらっと並んだ打ち上げ筒に次々と火種を投げ入れる。
立て続けに轟音を上げて打ちあがった花火は、夜空を一面の花畑へと変えた。川の向こう側から、ひときわ大きな歓声が上がっていた。
「ふう、ようやく半分か。年々きつくなってきやがるな、おい美夜、バテて無いか?」
「もっちろんよ、何年手伝ってると思ってるの?」
「頼もしい限りだ」
一休みしているお父さんを横目に、あたしは次の花火を抱えて打ち上げ筒へと運ぶ。
「それにしても、もうちょっと女らしく育てとけば良かったなあ」
「何よいきなり」
あたしが戻ってくると、お父さんは急にそんなことを言い出した。最初は冗談かと思ったけど、目が笑っていない。
確かに、ススまみれで花火玉はこんでる姿は、おしとやかとは言い難いだろうけど。
「活きの良い婿養子でも掴まえて来てくれりゃ、跡取りにしてやるんだが、こんな男勝りが良いなんて物好きは居ねえだろうなあ」
「しっつれいね! あたしにだっていずれ……」
「ま、楽しみに待ってるぜ。さて、上の煙も晴れたようだな、後半いくか!」
こうして、今年も河川敷には、お父さん手作りの大輪の花が夜空を彩った。
「まずったなぁ……」
花火大会も終わって、とっぷりと夜も更けた頃、ようやく開放されたあたしは、橋の上をとぼとぼと歩いていた。
最初はちょっとだけ手伝って、キリの良い所で抜け出そうと思っていたのだが、気が付いたら最後の後片付けまできっちりと手伝って、祭りの喧騒もすっかり一段落した後だった。
「和也、怒ってるだろうなぁ」
学校で約束した時の、あいつの笑顔が浮かんできて、余計おちこんだ気分になった。
やっぱ、あたしが悪いんだし、ちゃんと謝らなきゃね。意を決して巾着袋を開ける
取り出した携帯電話は、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで鳴り響いた。
夜のせいか、やたらと響き渡る着信音に、取り落としそうになりながら出ると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「もしもし、美夜?」
「和也! ごめん!」
「いきなり大声出すなよ、びっくりするだろ!」
「怒って……ないの?」
意外だったあたしは、こわごわ聞いてみる。
「そりゃまあ、ちょっとは怒るさ。でも、花火の手伝いしてたんだろ? だったらしょうがねえじゃん」
「え? ちょっと待って、なんで和也がそんなの知ってんの」
「ん? そっちからは聞こえないのか?」
え? 聞こえないって、何が?
「俺も最後まで観たの初めてだから、さっき知ったんだけどな。最後に上がるでっかい奴あるだろ」
えっと、四尺玉のことかな?
「あれの前にアナウンスが入るんだ、打上師誰々が、どこそこ提供の花火を打ち上げますってな」
「ちょっと待って、それじゃまさか……」
「ああ、お前も親父さんの名前も、思いっきり流れてたぜ」
うっわ、恥ずかしい、それってもしかして毎年やってたのかな。
そりゃあたしが花火を打ち上げてるなんて妙な噂が立つはずだわ。
「でもごめん、結果的にはすっぽかしちゃったわけだし」
「ま、電話の一本くらいくれても良いだろって、少しは腹立ったけどな。だから、埋め合わせってわけじゃないけど、これからちょっと付き合えよ」
ええ? こんな夜遅くに、あいつ何やってんの? そういえば、電話の向こうから歓声みたいなのも聞こえるし。
「ダチのみんなと花火やってんだ、お前も来いよ」
「あっきれた、まだ観たりないの?」
「ああ、花火大会みてたら、自分たちでもやりたくなってな、家の前でやってるから早く来いよ」
和也は、あたしの返事も待たずに一方的に電話を切ってしまった。あたし、顔も浴衣もススだらけなのに……。
手近でとりあえず顔だけ拭いてから、和也の家まで行ってみると、確かに数人の男女が花火を囲んできゃーきゃー騒いでいた。こんな時間に近所迷惑じゃないのかなとも思ったけど、祭りの夜のせいか、周りの家々も煌々と明かりがついている。
「お、美夜、遅かったじゃねえか」
初めて会う人とか居たら、ちょっとやだなぁとか思ってたけど、和也と一緒に遊んでいたのは同じクラスの連中で、全員見知った顔だ。
「花火大会観てたら、ばったり会ってな」
「よう、お仕事おつかれ!」
「おつかれさまー」
はあ、事情はもう全員知ってるらしい。和也のおしゃべり!
「で、なんなのこの花火の山は」
あたしは思わず呆れた声を上げた。線香花火から始まって、ロケット花火、ドラゴン、打ち上げ型に、ヘビ玉やパラシュートまである、まるで花火の展覧会のようだ。
「ああこれか? 夜店のおっちゃんが、もう祭り終わりだからって安売りしてくれたんだ。すげえだろ」
「だからって、こんなに買い込まなくても……」
「まあまあ、派手な方が良いじゃん」
和也の楽天っぷりは、相変わらずのようだ。後で小遣い貸してくれって来ても聞いてあげないからね。
「それにしても、すっげぇよなあ」
「え? 何が?」
隣でドラゴン花火の派手な光を見ていた和也が、誰にともなくつぶやいた。
「打ち上げ花火って、あの形にするのに火薬の詰め方とか成分とか全部計算するんだろ?」
「そ、そうね」
あたしも実際には作ったこと無いけど、お父さんが設計図を引いてるのを見た事がある。
「しかも、上げてみるまでわかんねえ一発勝負なのに失敗しないとか、すげえじゃん」
和也の目が、なんか輝いて見えるのは、たぶん花火の照り返しのせいじゃないだろう。
「俺もあんなすげえ事やってみてぇなあ、いっそ美夜の親父さんとこに弟子入りしてみるか!」
「ちょ、冗談でしょう?」
あたしはあまりの突拍子も無い話に慌てた。声が上擦ってるのが、自分でもわかる。
「和也! あんた、それどういう意味かわかってんの?」
「ん? もちろん修行が厳しいってのは、わかってるぜ。なんたって職人だからな」
「もう! そういう意味じゃなくて!」
頬が赤くなるのがわかる。おどけて滝修行の真似をする和也を正面から見られなくなったあたしは、怒ったふりをして、ぷいっと横を向いた。
夜で助かったなと、内心胸を撫で下ろす。
「なに怒ってんだよ」
「知らないわよ! 鈍感!」
困る和也を無視して、あさっての方を見ながら、あたしは胸の中にいる和也の姿が、ちょっとだけ変わったのを感じていた。
読んでいただき、大変ありがとうございます。
最初は「恋愛物」に挑戦するというコンセプトだったんですが、出来上がってみると、何か違う……。
一言でもよろしいので、何か反応などいただけると泣いて喜びます。
改善点でもリクエストでも何でも歓迎です。
では、長々とお付き合いいただいて、ありがとうございました。




