サクラ[1]
ボクは叫び続けていた。
「トモ、トモ、トモっ!ねぇ、ねぇ、起きてよ、起きてよ、起きてよっ!!」
騒ぎ続けるボクを注意しに、近所の人が尋ねてきた。
「ちょっと、あんた、うるさいよ。静かにしてよ」
ドアをドンドンと叩く音が聞こえる。
「………」
外部から音が聞こえる。ボクは息を飲む。気付いてしまった。
「これは……」
床に一面に広がる赤い血の海。全身を赤で支配している服。トモの血がべったりと付いた刃物。この現場を見て、誰もがただごとじゃないことがわかる。日常の香りは一切しない。
「どうしよう……」
頭を悩ませた。
さっきからトモは言葉を発していない。虫の息。でも、病院に行ったら助かるかもしれない。可能性は無きにしも非ず。でも、今の景色を見られてしまったら、どう思うだろう。ボクは、日常に帰れなくなるんじゃないか。だったら、トモがいなかったことにして、雑巾で玄関を掃除し、トモを埋める。そうすれば、この惨状は見られなくて済む。ボクは決断を迫られている。ボクは選ばないといけない。
「トモが、いなくなる?」
考えると怖くなった。唯一無二の友達を失うこと。ボクは誰も失いたくないのに、ボクの周りでは人が消えていく。ボクは誰も死んで欲しくないし、ボクを守って欲しくない。ボクが犠牲になっても助かる見込みがあるのなら、助けるしかない。
「助けて、助けて、助けてよっ!!」
ボクは叫んだ。ボクは叫ぶことしかできなかった。
「どうしたの?何かあったの?」
ドンドンと扉を叩いていたおばさんが聞いてきた。ボクは言葉を忘れてしまったように同じことしか呟いていなかった。
「助けて、助けて、助けてよっ!!」
心配になったのか、おばさんは庭にまわり、窓から家に入り込んできた。リビングを抜け、廊下を走り、ボクの元にやってくると、言葉を失った。血の気がどんどん失せている。顔が青く、蒼く、変貌し、絶叫した。
「キャアアアアアアアアアア」
おばさんは驚いた。当たり前だ。ボクはそれでも「助けて、助けて、助けてよっ!!」と訴え続けた。おばさんはボクの姿を認識し、嗚咽を催す。立っているのが辛そうで、フラフラしている。ボクのことを人間だとは思わんばかりに、白い目で見て、落ち着く。おばさんは、電話を探しにリビングへと向かった。30分後にパトカーと救急車が来た。トモは病院に運ばれ、ボクは警察の人に保護された。ボクはずっと言い続けていた。
「助けて、助けて、助けてよっ!!」
次の日、ボクはトモが死んだことを知った。奇跡は起きなかった。
**
病院でのトモの顔は綺麗だった。深く眠りにつくお姫様のように神秘的だった。
「トモ、ごめんね、ごめんね」
僕は謝ることしかできなかった。僕は誤ることしかできなかった。
もし、あの時、自分のことを考えずに、トモを助けることを選択していたら助かったかもしれない。小学生の僕が刺した傷など、些細なのかもしれないのに。僕は泣きながら謝り続けた。
トモの母さんは、「こんな友達ができて、トモは幸せだったと思います」と泣く。
違う、違うんだ。覚えはないけど、僕が殺したんだ。僕の他にトモを殺せる人間がいるわけがないんだ。
そして僕はトモにはっきりと言われた。
「世界で一番……お前が…キライ」
トモが僕といて幸せなわけがないんだ。それなのに「ありがとう」と涙を流しながら言われると、反応に困ってしまう。悪いのは僕なのに、僕の悪口を言う人間はいない。罵倒してくれたら、少し心が軽くなると思うのに。
数日後、トモの葬式が行われた。トモは写真の中で幸せそうに笑っていた。僕は親友として手紙を読むことに弔辞を読むことになったけど、最後まで読むことはできなかった。涙がポロポロと落ちてくるんだ。たった数日前までは元気だったトモが、居なくなってしまうなんて信じられなかった。僕はどこかで生きているんじゃないかと思ってしまう。病院でのトモの姿は偽者で、本当は元気に遊んでいるじゃないかって願ってしまう。けど、天国に向かってトモに話しかけることは、もうこの世にはいない。僕は過去に話しかけることが辛くて辛くて、死にたくなってしまう。僕はしゃがみ込み、泣き続けた。
僕は葬式が終わり、火葬した後に、頼み込んでトモの骨の灰を貰った。たとえトモがこの世にいなくなったとしても、僕と一緒に生きている、トモという友達を忘れることはしないんだ。
僕はその晩、トモが出てくる夢を見た。
「トモ、トモ、トモっ!ねぇ、ねぇ、起きてよ、起きてよ、起きてよっ!!」
ボクが呼びかけると、起きるんだ。ボクは嬉しくて、抱きしめて、泣いてしまう。
「トモ、トモぉ……」
トモは目を開けると、言うんだ。
「お前、俺のことを殺しといてなにを言ってんだ?」
立ち上がり、ボクを見下したような目で見つめる。
「わかんないよ。いきなり起きたらトモが……」
死んでいた。ボクはトモを殺したシーンを覚えていない。ボクが覚えているのは、トモの家で映画を観ていたシーンまでだ。
「死んでたよなぁ?あの家には俺とお前しかいないよな?だったら殺したのはお前だ」
「………違う」
ボクは言い返す。状況を見る限り、ボク以外に犯人が見当たらなかったとしても言う。大好きなトモをボクが手を下すなんて信じたくない。
「違わない、お前だ」
「違う違う!ボクは何もやっていない」
「人殺し」
「違う!」
ボクは事実だとしても否定した。否定しないと心が折れそうだから。自分を守るためには、事実を認識するわけにはいかない。
「父親を殺して、母親を殺して、友達を殺して。殺人鬼がまともに見えてくる。身近な人間ばかり殺して、犯して、踏みにじって。お前は救われなくらいに凶悪で害悪だ。死ねよ、さっさと」
「違う!!」
ボクはトモの首を全力で掴む。力いっぱい、持てるもの全てを吐き出す。トモが悪口をいうわけがない。トモは大切な友達で、トモはボクの親友で、トモはボクの。
「………」
トモは抵抗することなく、意識を失った。口からは血が飛び出している。下半身からは、ぶりぶりっと音が聞こえ、嫌な匂いが漂っている。手元には刃物があり、ボクはトモの脇腹に丹念に、執念に、規則的に刃物を刺していた。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ」
ボクは、ボクは、ボクは。人を殺すような人間じゃないんだ。