父
「俺もついにお父さんになる日が来たのか」
「ええ、そうね」
彼女は病院の分娩室の中で、静かに呟いた。
隣には、たった今、生まれたばかりの息子がいる。
「あなた、名前は何てするか決めましたか?」
彼女は質問をした。
「そうだなぁ……男の子なんだから、タクヤってのはどうだ?良い名前だろう」
俺は悩み、苦しんだ名前付けを、明るく答えた。
「悪くはないけれど、どことなくありふれた名前ね」
「なんでも、今年の一番人気の名前らしい」
俺の顔をじっと見つめ、「…名前はあとで決めましょう」、と呆れれていた。
適当に付けたように伝わってしまったようだ。帰って一緒に決めるとしよう。
「とにかく元気で育ってくれればいいけどな」
我が息子の顔を覗く。
「当たり前じゃない。あなたの子なのよ」と、笑みを浮かべた。
3人で幸せになろう。
**
「パパ~おんぶして~」
「はいはい」
息子が幼稚園に通うことになった。明日は入園式となる。
今思えば、ここまで来るのはあっという間だった。初めての子どもであり、戸惑うことが多かったけれど、二人でじっくりと育ててきた自慢の息子だ。
守るものが出来てしまうと無茶ができにくくなってしまったが、息子の表情を眺めていると、それでもいっか、て気がする。
幸せを感じて生きている。
「パパはそろそろお仕事に行くの?もっと遊んでよぉ」
ぐいぐいと袖を掴んでくる。遊んでやりたいところだが、上が許してくれない。
仕方がないな。
「この人形をパパだと思って遊んで」
買っておいた人形を息子に渡す。息子は喜びの笑みを浮かべていたが、しゅんとしていた。複雑な気持ちを肌で感じている。
「…分かった!お仕事がんばってね!」
「いってくるよ」
「いってらっしゃ~い」
現場へと向かった。
俺は警察官で、割と良い立場にいる。給料も安定しているし、やりがいを持った仕事が行えている。今日も明日も大変ではあるものの、平凡な毎日を過ごしていたい。
そんな時に、事件は起きた。
何でも立て篭もっている男を説得しろということだ。普段は別の人間が説得に当たるのだが、不幸か幸が俺が現場に駆けつけることになった。
相手との交渉の末、無事に犯人を捕らえることができたと思っていたら、バン、と、隙を狙い、俺の心臓目掛けて打ち込んできた。
雨の日の出来事だった。
**
「人を殺してしまった……人を殺してしまった。人を殺して……うわぁぁぁぁあああああぁぁああ」
犯人は錯乱しているのか、誰でも聞こえそうな雄叫びを上げていた。
「一人殺ったって、二人殺ったって」
焦燥感溢れる表情を向けている。顔面が青く、蒼く、変化をしている。
油断をしてしまったと感じていた。まさか、打ち込んで来るとは思わなかった。
「こんなのは嫌だ……して……死……っう」
ぶつぶつと喋りながら、再度、銃を俺に向けてきた。
周りが犯人を抑えようとしているが、俺が奴にキツく、お灸を添える必要があるだろう。
「動くな。銃を棄てろ。さもなければ撃つぞ」
民間の人間に手を出しては欲しくない。今なら止められる。
「落ち着け。俺は、まだ死んでない。ほら、ピンピンしているだろ?」
「死にぞこないがいる……俺は、人を殺すこともできないのか。やめろ、やめろ。俺は、俺は、俺は、中途半端な人間じゃない!!!」
ニ発目を直で食らった、俺は倒れた。俺は、死ぬのか?
「助けてくれ。助けてくれ」
犯人の悲痛の叫びが聞こえる。今さら遅い。お前は、人殺しだ。
バン。
遠くから発砲の音が聞こえる。犯人は不気味な笑顔をこぼし、倒れた。
俺の命もそう長くはない。救急車のサイレンが遠くから聞こえる。
「俺の人生もここまでか」
振り返ってみれば、俺は幸せだった。妻と息子に囲まれて、平和に暮らしてきた。
「パパはそろそろお仕事に行くの?もっと遊んでよぉ」
今朝の言葉を思い出した。もっと遊んでやりたかった。幼稚園に入り、元気な息子を見届けたかった。上手い酒を飲み交わし、結婚し、立派な大人になる姿を、俺は見たかったんだ。
死にたくない。
覚悟をした上で警察官の仕事をやっているが、思う。
妻と息子を残して死にたくない。
俺は、俺は、俺は。
「大丈夫ですか?しっかりしてください」
微かに聞こえる声を聞き、意識を失った。
「たのんだ…」
意識の外で、俺はそう呟いた。