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 薄い空気は、その組成からしても、地球人の呼吸できるものではなかった。気温もマイナス百度といったひどさだった。

 それでも和彦とフォウは、平気でその星の上に立つことができた。


「呼吸だけじゃなくてさ、大気圏がこんだけしかないってことは、主星から注ぐ放射線もすげえことになってるはずだもんな。宇宙服もなしにこんな星の上に立っていられるという、それだけですげえこったぜ。大気圧のことも気にしないでいいんだろ? 血管が沸騰したりもしないし。こりゃまさに魔術だぜ」


 感心したように周囲を見渡しながらフォウが言う。

 和彦には、フォウの言っていることがよくわからない。たぶんファラとムルスにもわかっていない。純粋科学という面では、リューンは地球よりずいぶん立ち遅れた世界だったからだ。


 巫女の魔術がフォウと和彦を守っているのだそうだ。だから呼吸することもここで行動することも、問題なくできるのだそうだ。

 和彦にとっては、その情報だけで十分である。


 だがその和彦も、ムルスが作った空間の穴をくぐってその場所へ出たときには仰天した。


「これは……」


 唖然として部屋じゅうを見回す。


 フォウもほぼ同じくらい驚いていた。


「襲ってきたのは、氷でできた軟体生物とか言ってたよな? 謎の文明を持つ異星人の置き土産ってのがこれかよ? 冗談じゃねえ、大学の研究室かなんかをここに持ってきたんじゃねえだろうな」


 そんな馬鹿なことがあるはずもない。と頭の半分で思いながらも、もう半分ではフォウの言葉に頷いてもいた。

 実際、この部屋はフォウの言葉どおり、コンピュータ制御としか思えない精密機械が延々と壁を埋め尽くし、あちこちにめまぐるしく電灯が点いたり消えたりしていた。


「そうなのだ」


 沈鬱な面持ちでムルスが頷いた。


「だから我々も、最初はシラドを頼ろうとしたのだ。あやつの研究室とこの部屋はとても似ていると、我々も思ったからだ。だがシラトは、この星の環境についてひとしきりデータを集めると、自分には無理だとすげなく断ってきたのだ。我々の役に立つのは科学ではなく魔術だと言ってな」


「あー。まあ、それは妥当な意見ではある」


 フォウが口を挟んだ。


「あいつだって科学者の端くれだから、異星の科学力に興味はあるんだろうけれどさ。あいつも俺たちと同じ地球人だから、この星に来たらあっという間にお陀仏になっちまうもんな」


「僕たちみたいに、巫女の力を借りることもできたはずでは……」


「巫女に自分の命を預けるには、科学者としてのプライドが高すぎたんじゃねえの? あいにく俺たちは片方が霊幻道士だったりするし、魔術には親和性が高い方じゃねえか」


「そんなことより!」


 呑気な二人のやり取りに苛立ったのだろう。残った左目を怒りにきらめかせ、ファラが声を荒げた。


「アイザス様を一刻も早く助けて欲しいのだ! そうしたらこんな星、どうなろうと知ったことではない!」


 そう言いながらファラが指さす方角へ目をやって、和彦とフォウは改めてぎょっとした。


「なんだあ、こりゃあ!」


 和彦が引き留めるよりも早くフォウがそれに駆け寄り、表面を撫でまわす。


「軟体生物の体内に呑みこまれたんじゃなかったのかよ? これはどう見ても、標本ケースのまたいとこって感じの材質じゃねえか」


 やや灰色を帯びたそのケースの表面は半透明になっていて、中に囚われているアイザス・ダナの姿がぼんやり透けて見えていた。

 なんらかの方法で眠らされているらしく、長いまつ毛のその瞳は固く閉ざされ、身動きもしないで直立している。


「おい、アイザス・ダナ! しっかりしやがれ!」


 フォウが乱暴にその表面を叩いたが、内部にはなんの影響も与えられないようだ。苛立ったフォウは、今度は根っこの部分を掴んで揺すろうと試みるが、びくともしない。


 フォウに落ち着けと声をかけようとした和彦は、部屋のあちこちに同じケースが鎮座していることにやっと気付いた。


 どのケースにも生き物が囚われている。

 だが、それを本当に生き物と表現していいのだろうか。あるものは和彦たちと同じような姿をしているが、別のものは見たこともない奇妙な形態である。動物のようなもの、植物にしか見えないもの。なんとも形容しない不定形のもの。

 それらすべてがそれぞれ灰色のケースに入れられ、陳列されているのだ。


「俺たちにも、何がなんだかわからぬのだ」


 苦しげな調子でムルスが言った。


「アイザス様を捉えたのは、確かに生物だと見えたのだが……慌てて我々がここまで追いかけてくると、やつらはアイザス様を包み込んだまま、こんな形の固い容器に変化してしまった。どこにも継ぎ目がなく、開けることができぬ。そうして、何にもつながっていないように見えるのに、上部や下部には定期的に光が点滅している……シラドに説明してみたところ、やつの意見では、これは標本ケースではないか、というのだが……」


「ひ、標本!?」


 慌てて和彦はもう一度、林立するケースを見回してみた。

 動物、植物、虫に菌類。そういわれでみれば、ケースに封入されているのは、多種多様な生物の一覧表ともいえる。


「それが、滅びを迎える者に共通の感情だとシラドは言った」


「滅びを……」


「自分たちの世界を保存したい。消えてなくならないように、残しておきたい。そういう思いで、この星の生き物が最後に作っていたシステムではないか……。

どんな生物がこの世界を支配していたのかは知らぬが、その気持ちは我々にも、わからぬでもない。今となっては、リューンの記憶を残しているのは我々と、そしてお前だけだからだ、リューン・ノア」


 しかも、リューンの状況は、この星よりも悲惨だったといえた。千年をかけて徐々に攻略され、最後はデュアルの軍団によって完膚なきまでに叩きのめされたのだから。そうして、リューンが存在していた宇宙そのものと共に、消えてしまったのだから。


 もしかしたら、と和彦は思う。

 今の自分がアイザス・ダナを救ってやりたいと思うのも、その根底に流れるものはこの星の住人と同じ。

 リューンという世界のよすがとして、同胞を失うことを惜しんでいるから、かもしれない。


「ってのはつまり、アイザスはここの星人が残したシステムをうっかり作動させてしまって、標本にされちまったってことかよ。どうせお得意の風でも使ってみせて、こりゃ珍しい生物だとか思われたんだろうよ」


 フォウが呆れたように頭をかいて、改めてアイザスの閉じ込められているケースをあれこれといじり始めた。


「だめだ、ボタンやレバーに似てるものはなんにもついてねえや。壁の点滅してる機械ともつながってないけど、他のケースの生き物たちが原型を保ってるところを見ると、標本を保存する機構はちゃんと動いてるんだろう。俺たち地球人とは全然違う科学を発達させた種族ってことなんじゃないかな」


「それにしては、この部屋全体の雰囲気は、どうしてこんなに地球の科学室に似ているんだろう」


「そういうのを文明の平行進化というらしいけどな」


 フォウはそのもっともらしい単語で、あっさりと全ての不審を片づけてしまった。


「なんでもいいんだよ。とにかく、このケースの中からアイザス・ダナを助け出せばいいんだよな?」


「だが、そのケースは切っても突いても傷ひとつつかないのだ」


 悔しそうにムルスが言った。


「わかってるよそんなこと。あんたらのとこの巫女とやらが、リューンの腕輪の力が必要だって言ったんだろ? 俺たち二人をここで生きて活動できるようにしてる巫女の言葉だ。信用してやってもいいんじゃないかな、和彦さん」


 和彦はフォウに頷いてみせた。

 アイザスを助けることの是非を疑いもしないフォウのためにも、やらねばならぬ。


 この世界では、水ではない物質が凍って大地を覆っている。

 フォウの言によれば、それはメタンだとのこと。宇宙ではありふれた物質の一つであり、地球が属する太陽系の中にも、凍ったメタンで覆われた星は多いのだという。

 そして、メタンの大地の下には液体の水で満たされた海が存在すると、地球の科学者は信じているのだそうだ。

 ならば。


 和彦は左腕を伸ばし、腕輪の嵌まった手首をしっかりと右手でつかんだ。

 大きな力を使うためには、和彦自身も精魂の限り腕輪に向かって念をこめなければならない。


 水よ。


 念じた。


 遠く、大地の奥深くから確かな感覚が返ってきた。

 その感覚に力を得て、和彦はさらに精神を集中させた。目を閉じて、はるか地底の奥深く、その水の塊へ意識を飛ばす。


「危ないっ、和彦さん!」


 いきなり、突き飛ばされた。


 精神の集中が乱れ、意識の中で掴みかけていた水がするりと逃げ出した。

 床へ投げ出された和彦は、かろうじて受け身の形をとって立ち上がった。


 驚いた。


 何者だ、この女は。


 フォウが手の中の炎をその見知らぬ女へぶつけたところだった。

 だが、女は冷笑と共にその炎を自らの体からはたき落とした。

 炎はなおも女の足もとから這い上がろうとするが、彼女の肌にも、身につけている衣裳にも炎は弾かれてしまう。


 年齢不詳の美女、という言葉が似つかわしい姿をしていた。

 グラマーな肢体を強調するべく、面積の少ない肌の露出した服をまとっている。背後に伸びた長い裳裾が彼女の動きに従ってひらめく。柔らかそうな材質に見えるのに、決して燃えることがない。


 女はきらきら光る剣を片手に振りかざしていた。


「横取りしようってのかい! そうはさせないよっ」


 美しい顔に見合わぬ蓮っ葉な啖呵を切り、女はフォウの足もとを剣で薙ぎ払った。

 鋭い一撃だが、フォウのほうがさらに素早かった。

 鮮やかな跳躍で切っ先をかわし、とんぼをひとつ切って着地する。


「グランロゼ!」


 ムルスとファラが異口同音に叫んだ。


「ヒトの名前を気安く呼ぶんじゃないよ、三下どもが!」


 目に怒りをきらめかせてグランロゼが怒鳴り返した。


「さしずめ、アタシとジャメリンの話を盗み聞きしたに違いないよ。薄汚い盗人どもが! 阿呆なジャメリンに任せっきりにしなくて幸いだった。ちっとも進捗しないから、どうなってんのか様子を見にきたらこの有様だ! アタシの宝をどうするつもりだい!」


「お前の宝など知ったことか!」


 ムルスが負けずに言い返す。

 正確に言えばアイザスがその宝を欲しがったところから話は始まっているのだが、確かにムルスやファラにとっては、宝など単なる迷惑の種でしかない。

 彼らの願いはアイザス・ダナを取り戻すことだけだ。


「ごまかそうったってそうはいかないよッ、この薄汚い有機生物どもめ! アタシの欲しいものに手出しするなんて、命はいらないってことだね! 覚悟おし!」


 そうわめくなり、グランロゼはいきなり自らの剣をフォウに投げ付けた。

 フォウは難なくそれをかわしたが、そのはずみに背後の壁へ背中をぶつけた。


 そのとたん。


 フォウの背後の壁がぐにゃりと歪み、そこが膨らんだかと思うと、不定形の塊となって覆いかぶさってきた。


「わわっ! な、なんだこれ?」


 きわどいところでフォウは前方に跳びこむようにして灰色のアメーバ状のものから逃れた。

 ムルスが恐怖の声を上げた。


「こいつだ! この生き物がアイザス様を包み込んだのだ!」


 ムルスは和彦の腕を掴んで思い切り引いた。

 和彦はたたらを踏んで、前のめりになった。

 その頭上を、別の不定形のものがかすめて飛んだ。


 今や、あらゆる壁が動き出していた。

 次々と灰色の生き物が生まれて、和彦たちに向かってくる。

 これもまた、異種の生物を発見し、それを保存するために未知の文明が作り出したシステムの一部に違いない。


「ムルス、リューン・ノアを守れ!」


 ファラが短剣を抜いた。


「私はこの女を食い止める!」


「なんだってえ? このっ、片目の小娘が!」


「炎使いも、リューン・ノアを頼む! ノアがこの部屋の動きを止めて、アイザス様を救い出すまで、ここは私に任せろ!」


 振り下ろされたグランロゼの剣を、ファラの短剣が受け止めた。

 火花が四方に散った。

 返す刀で、ファラがグランロゼの胸突きを入れる。

 しかし短剣の先はあっさりと跳ね返された。キインという固い音があたりに響いた。


「ファラ様、お気をつけください!」


 灰色の生物を金属義手でふり払いながら、ムルスがファラに声をかけた。


「その女の体は機械ででぎております! なまじっかな武器は通じません!」


「き、機械の女ぁ!?」


 炎を灰色生物にぶつけようとして、フォウが驚きのあまり空振りした。

 あんぐり口を開いてグランロゼを凝視していて、ムルスに背中を小突かれる。


「手を休めるな、小僧! いいか、絶対にそいつらを切断するような攻撃はするな。切ったら切っただけ、分裂して敵が増えるだけだからな!」


「うへえ、なんて星だよまったく!」


 ムルスとフォウはめまぐるしく和彦の周囲を駆け巡り、灰色生物を押し戻す。

 一方、グランロゼとファラは部屋の反対側で互いに切り結んでいる。

 圧倒的に不利なのはファラだ。

 金属の体を持つ相手にはどんな攻撃も効果がない。そのうえ、まだまだ壁から現れる灰色生物は、ファラにもまとわりつこうとする。

 そのくせ彼らは、グランロゼを完全に無視するのだ。


「あはは! あたしは機械人だからね! こいつらの求める、有機生命体ではないから、標本にはされないのさ!」


 グランロゼが哄笑した。


「そのことは、最初にこの星を訪れたときに確認ずみさ! あたしを相手にして、このシステムは発動しないんだ。だからジャメリンをうまいこと丸めこんで、あいつをオトリにしてシステムを発動させようとしたんだよ! そういう意味では、あんたらがそのかわりをしてくれたんだから、あたしとしてはお礼を言うべきなのかもしれないね!」


「ほざけ、この機械仕掛けのメギツネが!」


 ファラが短剣を投げ捨てた。

 グランロゼに腕を絡ませ、渾身の力で空中へ投げ飛ばす。

 鍛錬の組手の技に、さしものグランロゼが抵抗しきれなかった。

 悲鳴を上げ、床へ叩きつけられる。


 その背中へ、ファラが跳びついた。

 腕をひしぎ、締め上げようとする。


 だが、今度はグランロゼも準備ができていた。

 難なくファラの腕をふりほどき、態勢を入れ替えて組み敷いてしまう。

 強靭な機械の両手でファラの首を掴み、締め上げた。


「ファラ様!」


「く……来るな!」


 ファラが苦しい息の下から叫んだ。


「リューン・ノア! 今のうちに……私がこの女を掴まえているうちに! アイザスさまを!」


 首を締められながらも、下からグランロゼにしがみつき、動きを封じようとする。舌打ちをしたグランロゼが、ますます腕に力をこめる。


「なんなのよお前は! お前ごとき小物が、アタシにかなうはずがないのに……なんでこんなにしぶといのよ! そんなに……そんなに、あいつが大切なの?」


「アイザスさまの、ためなら……」


 ファラはグランロゼを離さない。


「わたしの、いのち、など」


「……ファラ様!」


 助けに行こうとして、ムルスはぎゅっと両目を閉じてその場に立ち止まった。

 義手を肩からひっこぬき、左手でそれをつかんで右へ左へと振り回す。当たるを幸い、敵をなぎ倒す。


「リューン・ノア! ファラ様の、あの思いの強さにどうか応えてくれ! 頼む!」


「和彦さん! 俺からも頼むぜ!」


 無論、促されるまでもなかった。

 和彦は改めて、腕輪を構えた。


 先程の水の感覚を再び探る。

 しかし今度は、呑気にはしていられない。気配に触れたと同時に、渾身の力をこめてその水を自分のほうへ引きずり寄せた。


 轟音が塔全体を揺らした。


 しばしの沈黙。

 そうして、連続した振動が塔の下部からすごい勢いでせりあがってくる。


 床が割れ、大量の水が噴き出してきた。


 ここはマイナス百度の世界だ。リューンの腕輪の力を使うまでもなく、引き寄せられた水はたちまち凍り付き、鋭い角を持つ弾丸となって四方八方へ飛び散っていく。


 剣ではなんの傷もつかなかった壁が。

 粉々に砕けた。


 表面に点滅していた光が奇妙な音をたて、次々と爆発した。モニターらしきものにひびが入った。

 割れて、崩れ落ちる。


「あああああっ!」


 グランロゼが絶叫した。

「アタシの……アタシのすてきな機械が!」


 ファラを床に放り出し、壁に向かって両手を広げる。みるみるうちに壊れていくそれらをつなぎとめようとするかのように、両手で抱きしめようとする。


 無駄だった。


 フォウとムルスを取り囲んでいた灰色生物もまた、ぐにゃぐにゃになって床に長く伸びた。

 フォウがつま先でそれをつついた。そんな軽い打撃でも、生き物は簡単に土くれと化した。


 ハッとしてムルスが振り返った。

 アイザスを包んでいたケースもまた、土くれに変わっているところだった。

 内部からアイザスの上半身が現れてくる。まだ意識は戻っていない。


 ぐらりと倒れかけたのを、跳びつくようにしてムルスが抱え起こした。


「ア……アイザス様!」


 喉を押さえ、ぜいぜいと呻きながらファラがそちらへはいずっていく。

 ぽろぽろと涙を流す。


「これで、こんなクソみたいな世界にはもう用はなくなった! 行くぞ、リユーン・ノア! 小僧!」


 ムルスが高らかに呼ばわった。


 左手はアイザスを支えているが、右手の義手が自動で動いている。付け根の部分からロケットのように推進剤を噴射して高く跳びあがり、その指で空間に穴を開ける。


 次には、フォウがファラの腕を掴んで引きずり起こした。

 小脇に抱えてムルスに駆け寄る。


「和彦さん!」


 もう一方の腕を和彦に差し出した。

 和彦もしっかりとフォウの手を掴んだ。


 二人して、床を蹴る。

 跳んだ。


 ムルスが穴を広げた。

 崩れゆく塔の破片が雨のように降り注いでくる。カーテンのようになったその向こうでは、まだグランロゼが崩壊を食い止めようと、悲鳴を上げながら右往左往している。

 

 振り返らず、手に手を取って穴に跳びこんだ。

 フォウは片腕にフアラを抱えたまま。

 そしてそのすぐあとには、アイザスを抱えたムルスが続く。


 空間が閉じた。


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