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 シラドは話を半分も聞かないうちに、ファラとムルスを下請けに出した。


 曰く、その世界に興味がないわけではないが、自分の手には余る。ましてや自らその世界を訪れることもできない。

 それをするには魔法の力が必要だ、という。


 そうしてファラたちが連れてこられたのは、床ばかりか壁にも天井にも得体のしれない記号の並んだサークルが描かれた、薄暗い部屋だった。


その幾つものサークルがそれぞれ赤や青の色とりどりの光を放っているので、辺りの様子はなんとなくわかる。


「ミリシア、ミリシア!」


 部屋に入るなり、シラドは大声で呼ばわった。


 呼びかけに応えて、ぼうっと床のサークルの一つが輝いた。

 と見るや、何重もの円の中央に人影が現れた。

 女だ。

 輝くような白い衣裳を身につけている。肌も白に近く、髪の毛も銀色にきらめく白だ。美女というにはやや幼く見えるその顔にはなんの表情も浮かんでいない。


 いや、シラドにちらりと目をやって、ほんの少し嫌そうに眉をひそめた。


「今度は何の用なの」


 シラドは返事をしなかった。

 ムルスとファラを彼女のほうへ押しやり、後はくるりと背を向けて、ムルスの作った空間の穴の中へ戻っていった。


 ミリシアと呼ばれた女はふうと溜息をついた。

 優雅なしぐさで腕組みをして、正面からファラを見つめる。

 彼女の薄い水色の大きな目に縫い留められそうになり、ファラはぐっと拳を握ってことさらに胸を張った。


「私はリューンの女戦士、ファラ。アイザス・ダナ様の親衛隊で、誉ある隊長の役目を仰せつかっている者だ」


「そう」


 感情のない声で女は応えた。


「私はエメロードのミリシア。その力で自らの世界を滅ぼし、今またデュアルの魔女の元でたくさんの世界を滅ぼそうとしている、巫女」


 つまりはこの女はアイザス・ダナと同じく、自らの世界を背負っている存在ということだ。

 ジャメリンが個人的に拾ってきたシラドは元より、ファラやムルスとも格が違う相手だ。


「無礼をお許しください」


 ファラは慌てて片膝をつき、礼を示す姿勢を取った。


「しかし、どうか私の話を聞いていただきたいのです。我が主アイザス・ダナが見知らぬ世界で危機に陥っております。先程のシラドが、あなた様なら我らを助けてくださると申しましたので、失礼を承知でまかりこしました」


 ミリシアは相変らずの無表情で、しかし、ほんの少しだけ首を傾げて見せた。

 そのかすかな動作に一縷の希望をかけて、ファラはいきさつを口早に語った。


「ふうん」


 奇想天外なその話を、なんの感動もなくミリシアは聞き終わった。

 するりと自分の顎を撫で、ついさっきシラドが消えていった空間をほんの少しだけ剣呑な目で睨みつける。


「相変らず、面倒なことばかり持ち込んでくる。そのくせ、私の期待するほどの悪者にも成長しない。やはり、私の眼鏡違いだったということかしら」


「わ、悪者に成長?」


「そうよ」


 そっけない口調でミリシアは言った。


「私の存在はは悪だから。私と同じように、悪者になろうとする者になら味方をすることにしているの。そういう意味では、シラドはなかなかよい素材に見えていたんだけど。最近は私を失望させるばかり」


「悪者……」


「あなたは、悪者?」


 真っ向から問われて、ファラはたじろいだ。


 リューンの兵士は騎士道を重んじる。騎士道とは勇気と正義を旨とするものだ。自ら悪であることを求めるのは、それはまったく違った価値観である。

 そもそもどうしてそんなことを求めるのかということさえ、ファラには理解できない。


 ふふ、と声だけでミリシアは笑った。


「あなたは悪ではない。悪にもなれない」


「そ、そんなことは……!」


 反射的にファラは言い返した。

 ここで自分が悪になれないと認めることは、アイザスを救う手段を失うのも同然だと思ったからだ。

 嘘をつくことも、リューンの騎士道には反する。だからといって、騎士道を貫くことで自らの主君を見捨てるのでは、本末転倒ではないか。


 ふふん、とミリシアが鼻を蠢かせた。

 俄然、ファラに興味を抱いたようだ。

 じろじろと頭のてっぺんから足のつま先までを観察した挙げ句、ずばりと言った。


「あなた、恋をしているのね」


「なっ……!」


 今度こそ、ファラは言葉を失った。


 赤くなったり青くなったりした挙げ句、何か反論しようとして喉を詰まらせ、派手に咳込んでしまう。

 慌ててムルスがその背中をさするのを見物して、ミリシアは朗らかな笑い声を上げた。


「なるほど。ちょっとだけ、面白くなったわ。でも」


 水色の目にキラリと鋭い光が走る。


「お前たちのような兵士風情が、私に頼みごとをするとはおこがましい。まずその罪の報いを受けてもらわなくては」


「アイザス様をお助けいただけるなら」


 ムルスを押しやり、ファラは頭を下げた。


「どのようなことでもいたします」


「あら、そう」


 ミリシアは冷たい目でファラを見下ろす。


「本当に、なんでも差し出せる?」


「はい」


 頷いたファラは、きっとミリシアを見上げて言葉を続けた。


「私がアイザス様のお役に立てなくなるようなことにならない限り、なんでも」


「そんなに大事なの、アイザス・ダナが」


「大事です」


 そのやりとりを、ムルスはファラの背後でハラハラしながら見守っていた。

 正直、アイザス・ダナがそれほどの思いを捧げるべき相手かどうか、ムルスには確信が持てない。

 自分が第二王子の親衛隊に抜擢されたことには誇りを感じてもいるし、その名誉に見合っただけの働きをする覚悟もある。リューンの兵士として、主君に絶対忠誠を誓うのも当然のことだ。その主君の器量について論評することも、リューンの騎士道は禁じている。

 しかし、である。

 アイザスの高慢、我がままな言動。見て見ぬふりをすることは、ムルスには難しい。

 ましてや、彼がリューンを見限ってデュアルの魔女へ投降したことをムルスは決してよく思ってはいないし、そんな彼が第一王子を裏切者と呼ぶたびに、内心では首をかしげてしまう。

 アイザスがリューンを甦らせようとしている、そのせつない思いは理解もし、共感もしている。

 だからこそムルスは、いろいろ気になることはあれど、アイザスの命令に従い、己の身を削ってでもそれを実現しようと懸命に働いているのだ。

 ゆえにムルスは、ファラの無私の献身ぶりを見て、ときには居心地の悪い思いをし、ときには内心で反発する。


 今がまさに、そういう気分だった。


 一見して天女のように気高い雰囲気のミリシアが、実はその奥に底意地の悪い女の感情を抱えていることを、ムルスはすでに見破っている。

 この女は口では面白がってみせているが、本当はファラの無償の愛に嫉妬している。

 己の全てを捧げて悔いのない、ファラのひたむきな生き様に内心では憧れ、それゆえに憎しみを抱いている。


 こんな女の出す条件に従ってはならない。

 ムルスが意を決してそう忠告しようとした、その前にミリシアは言った。


「なら、あなたの片目をもらってもいい?」


「え……」


 ファラが驚きに目を見開いた。大きな空色の眼を白いまつ毛がびっしりと縁取った、印象深い綺麗な瞳である。


「ファラ様!」


 慌てて、ムルスは叫んだ。


「おやめください! そのような者の甘言に乗ってはなりません! 目を差し出せなどと……単にファラ様を困らせ、からかっているだけでございます!」


「あら、そんなことはないわよ」


 涼し気な声と表情で、ミリシアは言った。


「私の使う魔術にとっては、生き物の眼球はとても大切な要素になるの。私の呼びだす地獄の魔物の中には、人の目を食らうのが大好きなものも多いわ」


 ミリシアは身をかがめ、ファラの片目の周囲を人差し指ですうっと撫でた。

 ファラがびくっと身を縮めた。


「でも、いいこと? 兵隊風情の目をもらったからといって、私の魔物を呼びだすことはできないわ。その代償を支払ってお前が受けられるのは、私のちょっとした手助けだけよ」


「手助け、とは。どんな?」


 震える声でファラは問うた。


「あなたのその手助けがあれば、アイザス様を確実にお助けできるのでしょうか」


「できるわ」


 あっさりとミリシアは頷いた。


「私の巫女としての名にかけて、それは保証しましょう。私は現地には赴かない。魔物も繰り出さない。それでもなお、私の力があればアイザス・ダナはきっと助け出せる」


「名に……かけて……」


「お待ちください、ファラ様!」


 ムルスは必死で訴えた。


「その女は我々とは違う世界の住人なのです。我々リューンの者と、自らの名にかけて誓うことの重さが同じであるとは限りません。騙されるにしても、その代償に片目を失うというのはあんまりです!」


「ムルス、控えよ!」


「いいえ、控えません!」


 叱責されてもムルスは引かなかった。自分が涙声になっているのを自覚した。それでも言わねばならぬと己を鼓舞した。


「ファラ様、今一度ご覧ください私の金属の右腕を! これは不可抗力でリューン・ノアめに切り落されたものなれど、この義手を手に入れるまで私の戦闘力がどれほど削ぎ取られたか。ましてやファラ様が差し出そうとしているのは、目でございますぞ。今後、アイザス様のお役にたつことができなくなっても、ファラ様はよいのでございますか!」


「……片目でも、闘うことはできる」


 食いしばった歯の間から、低い声でファラは答えた。


「リューンにも片目や片腕の剣士はいくらでもいた。彼らは闘いの中で失ったそれらを、鍛錬によって補っていた。私に、それができないはずがない」


「ファラ様!」


 ムルスの声はすでに絶叫にまで高まっていた。しかしその場の女二人は、ムルスの声などまったく気に止めてはいなかった。

 強い瞳でファラはミリシアを見つめ、ミリシアは口端に薄ら笑いを浮かべてファラを見下ろす。

 ムルスはついに、頭を抱えて床に伏した。

 ああ。もう駄目だ。


「では、契約は成立ということで」


 とどめのように、ミリシアが言った。


「いらっしゃい、リューンの女戦士。私がお前の目玉の代わりにどんなことをしてあげられるのか、説明しましょう」


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