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「つまり、それがお前の疑問の答えなのだと思うよ」
氷浦教授がそう言って、マグカップに新しいコーヒーを注いだ。
豆から挽いたコーヒーに特有の芳香が辺りに漂った。
サイフォンの中でまだぐつぐつ言っている黒い液体を、氷浦教授はフォウと和彦のコップにも継ぎ分けた。すみません、とフォウが恐縮した。
昼下がりの休憩タイム。
ひとしきり研究室でデータの整理をしていた氷浦たちと、庭仕事をしていた和彦が、ちょうど同じタイミングで仕事がひと段落したのだ。
台所へ手を洗いに来た和彦を見かけた氷浦が声をかけ、珍しく三人でコーヒーブレイクをとることになった。
思い思いの椅子に腰掛けてあれこれよもやま話をしているうちに、その話題になったのである。
「平行世界からデュアルの元に集まってきた者は、なぜ誰もかれもがヒューマノイドなのか、ということについてですよね?」
和彦は少し首を傾けて言った。
「父さんの考えとしては、話が逆だというわけですか。宇宙にはもっと違った生物もたくさんいるが、デュアルが狙うのはヒューマノイドが繁栄している世界だけだ、と?」
「そう考えるほうが合理的だろう」
氷浦教授は飲みかけたコーヒーのカップを持ちあげて、和彦とフォウの前にかかげた。
「このカップには断熱材として繊維状にしたケイ素が含まれている。そのケイ素は、我々炭素生物と似たような機序を持つ生命となる可能性を秘めた元素だ。SF小説に出てくる荒唐無稽な存在ではなく、科学的にも研究されている。もっともカール・セーガンあたりは、ケイ素の結合は不安定すぎて高等生物にはなり得ない、と言っているがね」
「ケイ素って、シリコンとかのことですよね。あれが生物になるのかあ」
「あくまで机上の論だよ、フォウくん。とはいえ、我々はたまたま、水という媒体の中で最も有効に進化する炭素という元素があったから、この形の生物となっただけかもしれんのだ。
宇宙にはその他にも、無限の可能性がある。そんな深遠なところまで話を広げなくとも、地球のすぐご近所にいる木星や土星の衛星にだって、メタン生物がいるんじゃないかと大真面目に主張する学者もいるくらいなのだ。ましてやこの議題には、全ての平行世界を含むのだからね。そんな多様な世界で、繁栄しているのがみんな同じような外見をしたヒューマノイドばかりというのも、考えてみればおかしな話じゃないか」
「おかしいと言い出したのは僕のほうですよ、父さん」
和彦が笑った。
植物と昆虫のはびこる世界から来たジャメリンも、精神世界のミリシアも。もちろん極寒の地リューンも。
デュアルの部下となるのは大きさや色や形状に若干の違いがあるだけで、どれも同じような身体構造をしている。
それを大雑把にヒューマノイドと名付けるとしたら、偶然にそういうタイプの生物ばかりが集まったというよりは、選ばられていると考えることも思考の飛躍ではない。
「もしくは、それぞれの世界で知的な高等生物として繁栄するには、我々のような人型の生物が最もふさわしいのか……というのは、ドレイクの方程式やフェルミのパラドックス、最近でいえばレアアース仮説とかですでに様々な面から論じられているのだがね」
氷浦教授はコーヒーの香りをひとしきり楽しんでから、おもむろに議論を再開した。
「むろんこれは、自分たちに見えているものだけが全てだという観測バイアスによるものだ、という反論もある。人間原理という言い方もある。宇宙は人間に適している、なぜなら宇宙を各側できるのは人間だけだ、というわけだ。これが歪んだ方向に発展すると、宗教に科学の仮面をかぶせただけのインテリジェント・デザイン理論になってしまう」
「ああ、それ知ってます。生命は、より高次元の何かによってデザインされたものだっていうやつでしょ? アメリカの科学者の中には、大マジメでそれを論じているやつもいましたね」
話しながら、フォウは肩をすくめた。
「進化論を信じてない人のほうが多いっていう国民性ですからやむを得ないのかもしれませんけど、相手の意見をガンとして聞き入れないところが科学っぽくないんですよねえ。要するに、科学と科学の隙間に神様が隠れてると言いたいわけですから。あれ、宗教者にも評判悪いって聞きましたよ」
「要するに、科学が宇宙の謎を解き明かすたびに、神の存在できる隙間が減っていくわけだからね。神も窮屈でしかたがないだろう」
氷浦教授も笑った。
「大事なのは外見よりもその知性の中身なんだろうけれど、それでも、自分たちと似たような姿を持つ相手なら、互いにわかり合えるような気がするものじゃないか」
「あ。それめっちゃわかります」
急に熱心にフォウが言い出した。
「香港では生け簀にいる生きたシャコを自分で選んで料理してもらうのが海鮮料理の定番なんですけどね。でっかい体でもぞもぞ動くシャコを見るたびに、ああこいつがたとえ知性を持って文明を築いたとしても、きっと人類とは分かり合えないだろうなあと思うんですよね」
「ちょっと待ってくれよ。なんでそこでシャコなんだい」
「そうだよフォウくん。そういう言い方をするなら、エビやカニやクラゲだって、とうてい人類とは分かり合えそうにない姿形だと思うけどなあ」
「和彦さんも氷浦教授も、香港のシャコを見たことがないからそんなふうにいうんですよ」
と、フォウは頑強に反論する。
「日本の寿司屋でちょこんと飯粒のてっぺんにのってるあんなちっちぇえのとはモノが違うんですから。まさに宇宙からの侵略者っていう感じなんですよ」
「それを定番に食べるのかい」
「これがまた、さっきまで生きてたやつをオーブンでチーズ焼きにするとメチャうま! 二匹食ったら腹いっぱいになりますよ。今度二人が香港に来たら、俺が生け簀のある海鮮料理店に連れていきますからね」
結局、深遠な科学談義は香港の美味しい料理の話になって終わった。
自分からその話題を持ちだした結果、なんだか腹が減ってきたなあというフォウに苦笑しながら、和彦は夕食の仕度を始めることにした。
「さっきの話の後では、みんな海鮮の気分ですよね。とっときのカニの缶詰を開けましょうか。いいですよね、父さん」
「ああ、田村さんからお歳暮にいただいたやつかね。いいなあ、チーズグラタンにするのはどうかな」
氷浦教授もフォウの話術にはまって、カニとチーズの取り合わせに心が動いているようだ。
いいですとも、と請け合って、和彦は椅子の背から自分のエプロンを取り上げた。
シンクで手を洗いながら、密かに考える。
この人たちが自分と同じヒューマノイドであってよかった。
さまざまな文化上の差異はあれど、リューン人と地球人は姿形だけでなく、同じことに笑い、同じことに悲しめる精神を共有している。
だからこそ和彦はフォウと出会い、親友となることができた。
「違っているのは……」
缶切りを戸棚から取り出し、和彦は独りごちる。
太陽光の少ないリューンの地に特有の、青みがかった肌の色くらいか。
それでも王族である和彦やアイザス・ダナは極地に暮らす地球人と似たような象牙色の肌をしているので、あまり人目を引くことはない。それどころか、なぜか薄い肌の色が尊ばれるらしい日本では、うらやましがられることの方が多かったりもする。
庶民の肌は青い。出自が低い身分であればあるほど、その青色は深く濃いものになる。
アイザス・ダナの親衛隊長も、元は奴隷階級の出身だった。あどけなさを残した美少女ではあるが、肌が濃い青色だというだけで、リューンでは蔑まれ忌避される対象だった。
それでも彼女が兵士の中で最も高い地位を得たのは、もちろんその腕の冴えが一番の原因ではあるが。
アイザス・ダナへの思慕の心。
本人に尋ねれば頑強に否定することだろうが、あの娘は間違いなく、アイザスを慕っている。身も心も捧げて悔いがないほどに。
それゆえに、何があろうと彼女はアイザスの傍らに控え、決して離れることはない。
僕も。
和彦は思う。
僕も同じだ。地球を慕い、この世界の人々を慕っている。
わけても、こんな得体のしれない自分を拾い、自らの息子としてくれた氷浦に。
故郷の世界を裏切って逃亡してきた自分を信じ、背中を預けて共に闘おうとするフォウに。
僕もまた、身も心も捧げて悔いはない。
気が付けば料理をしながら笑顔になっている自分に気付いて、和彦は自分で自分に苦笑した。
そう。僕は。
悔いはない。迷いもない。
この地球で、地球人として生きていく。




