勝負
マミー・オブ・マミーの右手首の包帯から黒い炎が噴き出し続け、うねるように揺らめく。
それが巨大化すると同時に再び闇が活気づいた。
部屋自体がマミー・オブ・マミーの優勢をみとめたのか、彼女の背後に控えていた闇の空間がもう一度前進を始める。室内の光が闇に食いつくされていく。
オレたちがマミー・オブ・マミーを追い込んで広げた光の領域は、一瞬にして失われた。
球状の部屋のほとんどが闇で満ちる。
振り返ると、ほとんど点に等しい光がオレとテティの後ろにぼんやり浮かんでいた。
室内の九割以上が暗闇に飲まれた状態。
ただし巨大な黒い炎が闇を照らしているため、敵と味方の位置は分かる。
このあとマミー・オブ・マミーはオレたちに炎をぶつけるだろう。
間合いをあけていても、たぎるような熱が向こうから伝わってくる。マミー・オブ・マミーのドレスの切れ端だけでは防御できないほどの超規模炎熱。右にも左にも逃げ場がない。当たったら、オレたちは終わりだ。
圧倒される――。
そんなときだった。
炎に向き合ったままテティがオレの左隣に立ち、片手をつついてくる。
「ジェドさんや。こんなときに、なんですが」
かれんで小さなテティの顔は、オレと出会ったころと同じように落ち着きをまとっていた。
黒いロングヘアとリネンのドレス、そしてドレスのスリットからのぞく太ももの包帯が黒い炎に照らされ、光る。
闇のなか、静かに言い放つ。
「勝負しません?」
「乗った。ルールは?」
迷うことなくオレは答えた。
なぜ今そんな勝負を仕掛けるのかと問い返す意味はない。マミー・オブ・マミーの黒い炎に圧倒されているオレの心を鼓舞するためにテティがそのような挑発的な発言をしたのだとすぐに分かったから。
テティはオレの左手の指先をなぞりつつ小声を漏らす。
「マミー・オブ・マミーの最後の包帯を先に取ったほうが勝ち、というルールでどうです」
「異存はないさ」
オレがそう言った瞬間。
マミー・オブ・マミーの揺らめく黒い炎が膨張を終え、オレたちに向かって発射された。
炎を噴出させる右手首をマミー・オブ・マミーはいったん持ち上げた。それが振り下ろされると同時に、炎の塊が飛んだのだ。
輪郭と模様を乱雑に躍らせながら黒い炎が突進してくる。高温となった空気が押し出され、こちらの体を圧迫する。闇のような光には強弱の波があるため部屋の明るさが無秩序に狂っていく。
黒い炎は、音をまったく発さなかった。
しかし動じずテティがさけぶ。
「では勝負開始です!」
かけ声と共にテティとオレは炎に背を向け、走りだした。
もはやこの戦いはマミー・オブ・マミーとの最終決戦以上の意味合いを持つ。
テティというミイラとオレというミイラ取りとの、単純なぶつかり合いでもある。
(さてと、ミイラVSミイラ取り! 最後に勝つのはどっちかな!)
背後から迫る炎が超規模の熱と衝撃波を発生させる。
衝撃波は無音でオレたちの背中を押した。
横たわっているスコルピオンに走り寄って彼を右わきにかかえたあとオレは球状の室内を駆け上がる。
(左右に逃げ場がないのなら上に行くまでだ)
もちろん普通なら球形の部屋を上るにしても限界がある。進むごとに勾配が増し、さらには表面がこちらにせり出してくるからだ。
だが今は、黒い炎の衝撃波がオレたちを押している。その力を利用して走れば球体内部を駆け上がることは可能――。
(なによりオレたちは体に水分のないミイラ。そのぶん体重は生者よりも軽い。だったら風にあおられるように壁を上ってしまえばいい)
テティもネフェルを横抱きにし、オレの左隣の壁を駆け上がっている。
そして黒い炎がぶつかりそうになる寸前。
手前にせり出した壁面をオレたちは足で蹴り、ほとんど逆立ちの状態で上に向かってドーム型の天井を走り始めた。
黒い炎の衝撃波は上の方向にも及んでいるようであり、その衝撃波の圧力が天井に向かってオレたちを押した。よってオレもテティも逆立ちのまま天井を走ることができたわけだ。
直後、巨大な炎の塊が壁面に衝突する。その壁面は、ちょうど点のような光の領域が浮かんでいる箇所でもあった。
部屋全体が勢いよく揺れた。
衝突に伴い、相応の反動も発生する。この反動が天井のオレとテティをさらに押し上げる。
押し上げられたオレたちは逆立ちのまま走り、球形の室内のもっとも高い場所に着く。
その表面にオレとテティは足裏をふれさせた。
すかさず蹴る。下へと跳躍する。
一方壁面に当たった黒い炎は衝突と共に勢いを失い、しぼむように消滅した。あたりは闇につつまれた。
しかし黒い炎を飛ばしたマミー・オブ・マミーの位置は、炎を回避する前に確認している。
かなりの規模の炎を放ったのだ。すぐに動けるとは考えにくい。
ここで、オレの右わきのスコルピオンが体を揺らす。どうやら意識が戻ったようだ。
「……ん、この腕は男のそれだな。ああ、ジェドか。なんかさっき妙に体が震えた気がしたが。あたりは暗いし、どういう状況だ」
先ほど炎が壁面に当たったときの衝撃でたたき起こされたらしい。
オレは宙で体を縦に回転させ、足裏を重力のほうに向けた。ついでつま先で、マミー・オブ・マミーがいるとおぼしき方向を指す。
質問を無視し、オレはスコルピオンに言う。
「すぐに真正面の斜め下にオレを投げろ。角度は――」
「いいぜ! 事情は知らんけどな!」
スコルピオンがオレの右腕から離れる。空中でオレの背中に回り、こちらのうなじを右手でつかむ。
そのまま指示どおりの方向にオレをぶん投げる。
オレの体の前面が一挙に風圧を受ける。
同時に、後ろの闇からテティのささやき声が聞こえた。
「ネフェル。わたしを真下に落としてくださいな。たたきつけるように」
言葉から察するに、テティのかかえていたネフェルも意識を取り戻したらしい。ネフェルはマミー・オブ・マミーの白い雲のせいでその身をぬらし、腐りかけていた。だが巨大な黒い炎の熱を受け、体が多少は乾いたのだろう。
少し目が慣れてきた闇のなか、女が女を真下に投てきするシルエットをオレはのけぞりながら見た。
(とはいえ先にマミー・オブ・マミーのもとに到達するのはオレだ)
スコルピオンのバカ力により、オレは斜め下の標的へと一直線に飛んでいく。
ねらいは当然、巨大な黒い炎を発生させた右手首の包帯。オレは肩にかけたカバンを空中でまさぐり、三つ股のかぎ縄一つを取り出した。
マミー・オブ・マミーのシルエットを捉えた瞬間、縄の先端のかぎを飛ばす。
しかしマミー・オブ・マミーは見切っていた。
両手首を重ねるようなポーズをとり、再び黒い炎を発生させる。小規模ではあるが確かに揺らめくその炎を冷静にかぎの軌道上に立ち上らせる。
かぎと連結する縄が燃えた。そしてあっさり焼き切れる。直後マミー・オブ・マミーは黒い炎を出すのをやめた。
(これでオレは二つのかぎ縄を失ったわけか)
代わりに、黒い炎もはじくマミー・オブ・マミーのドレスの切れ端をオレは右手に握り込んだ。ネフェルが白い雲にやられたあと、彼女のそばに落ちていた切れ端をオレは拾っていたのだ。
着地後、即座にマミー・オブ・マミーの右手首に接近する。
(今までの戦闘でモムは、暗闇の領域が広がった際にもその暗所を積極的に利用しなかった。つまり暗いところでの戦いに慣れていないと見ていい。金と銀の交ざった鏡面のようにきらびやかなピラミッド内部でずっと暮らしてきたからだろう。炎もすぐには出せないようだし、有利なのはオレのほう)
オレの手の平と同じサイズの切れ端越しにマミー・オブ・マミーの右手首をつかむ。
が、感触が変だ。そこにあるのは、ただの細腕。
右手首に包帯が巻かれていない。
(こいつ! オレたちが巨大な炎をよけている隙に右手首の包帯の位置を変えやがったな)
先ほど両手首を重ねるようなポーズをとって黒い炎を発生させていたことから察するに、包帯は左手首に移されたと推測できる。
(妙なポーズのせいで右手首に包帯を巻いたままと勘違いさせられたが、逆にそのおかげで包帯の位置を特定することもできたってわけだ)
案の定、マミー・オブ・マミーの左手首から黒い炎が噴き出す。
そこは元々、白い雲を漏らしていた部位でもある。
(オレに包帯の位置がバレたと気づいて新しく炎を出したな。いや、そんなことより)
よけるひまがない。
刹那が永遠に引き延ばされたような時間感覚のなか、オレは死の瞬間を思い出した。あっけなく意識が遠のくあの感覚を……。
ただしテティに殺されたときとは違い、冷や汗が出ることはない。
ここで――。
かれんな少女を思わせるテティのシルエットが視界に入る。
彼女が左からしがみつき、オレの体をその方向へと引いたのだ。
間一髪のところでオレは、向かって右から放たれる黒い炎を回避した。
続いてテティはオレの背後を左から右に過ぎ、マミー・オブ・マミーの左手首に近づく。
やはりテティもマミー・オブ・マミーのドレスの切れ端を使って敵の手首をつかもうとする。
その動きを支援すべく、オレはマミー・オブ・マミーの右半身へとこぶしをくり出す。
心のなかで、悪態のようなものが去来する。
(テティ――おまえ、オレをおとりにしたな。だから一直線にモムのもとに行かずネフェルに真下に落としてもらい、時間差で攻撃を仕掛けたってわけか。本当に、したたかな女ミイラだ。礼は言わんがオレが取るまで誰にもおまえは取らせない)
そして。
マミー・オブ・マミーはいったんしゃがんで右手に武器を持ち、テティの左右の手をつらぬいた。
それは先ほど焼き切れて縄から外れたオレの三つ股のかぎだった。ゆかに落ちていたかぎを拾われたということだ。
マミー・オブ・マミーがなぎ払うようにかぎを動かし、テティの持つ切れ端を裂く。吹き飛ばす。
加えて左手首の包帯から再びすさまじい量の黒い炎が現れ、闇を照らす。膨張していく。
この規模の炎をもう一度放たれればオレたちに勝機はない。
ついでマミー・オブ・マミーは右手から左手にかぎを持ち替え、右半身に打撃を加えるオレの手を刺す。オレが手に持っている切れ端も破れて散る。
刹那、吹き飛ばされていたテティが前方に跳ぶ。
切れ端のない左右の手でじかにマミー・オブ・マミーの左手首の包帯をつかむ。黒い炎を生み出し続けるその部位を。
静かに力強く、自身の両手の指をマミー・オブ・マミーの包帯にひっかける。
「ジェドに気を取られていましたね。やっとつかめました」
「なにをしているのです、テティ!」
マミー・オブ・マミーは焦りをにじませつつ、声を荒らげた。
「熱いでしょうが! また動けなくなりますわよ!」
事実、テティのつかむ左手首からは黒い炎が絶えず漏れ出し、テティ自身をもなめつくす勢いである。
だが、そんな状況のなかでも……。
テティは鋭く言い返す。
「このあと動けなくなっても、それであなたをとめられるなら!」
今度はテティがマミー・オブ・マミーを圧倒する番だった。
テティの両手にオレも左右の手を重ね、熱を受けつつ力を込める。
するとオレたちの後ろから光が差してきた。
同時にオレとテティは両手を後方に引き、最後の包帯を引きちぎった。
黒い炎が途端に消え去る。
包帯を失った手首をなでたのち、一瞬だけマミー・オブ・マミーが目を閉じる。
「そうですか、テティ……いや、君たちは」
ふらつくマミー・オブ・マミーが、しっとりとした声音で言う。
「母を超えたのですわね」
直後、ほとんど点に等しかった光がオレたちの背後から容赦なく部屋じゅうに拡大し、闇の領域を駆逐する。
すぐに室内は光でうめつくされた。
闇の領域が余さず消えると共にマミー・オブ・マミーが倒れた。
彼女は、丸いゆかに右半身をふれさせたあと立体感を失った。
鏡面のような白っぽい表面に吸い込まれ、そのなかにマミー・オブ・マミーの姿が映り込む。
「見事でしたわ」
丸いゆかに映ったマミー・オブ・マミーがさびしそうに微笑する。
「君たちの領域――光が室内をくまなく満たしたので、わたくしの敗北です。約束どおり敗者のわたくしはピラミッドに取り込まれました」
映像のなかで、軽く両手をうち鳴らす。
「そして勝利した君たちには『鍵』が与えられます。この球状の部屋から脱出するための鍵です」
オレの前に、さびた鍵が落ちてきた。
その鍵をオレは拾った。「それを揺らしてみなさい」とマミー・オブ・マミーが言うのでそのとおりにすると、オレたちの左横にある壁面の一部が倒れ、正方形の穴があいた。
奥は通路のようだ。続いて鍵が、砂となって霧散した。
オレはその場に腰を下ろし、片ひざを立てて目を細める。
「モム。おまえがここまで律儀に約束を守るとは思っていなかった」
「ミイラたちの頑張る姿は、母の喜びですからね。報いなければなりませんわ」
映像のマミー・オブ・マミーは明るい部屋を見回し、にこりと笑う。
「いけませんね。夢を砕かれたというのに、そちらの喜びのほうが勝ってしまうとは」
「なるほど、マミー・オブ・マミー」
息をはくようにオレは笑い返した。
「おまえは魂の髄までミイラの母なんだな」
「……おや? もしかしてジェド。やっとわたくしを尊敬する気になりました?」
「まさか。腐ってもミイラ取りが、ミイラに敬意を払うかよ」
「ですよねー」
「分からんミイラだな、おまえは……」
立てていた片ひざをオレは倒した。あぐらをかき、体を回転させて周囲を見た。
テティもネフェルもスコルピオンも、横たわったまま動かずにいる。
まあオレもほとんど同じような状態だが、とりあえずあお向けのテティに声をかける。
「マミー・オブ・マミーの最後の包帯を取ったのはオレもおまえも同時だったな。よっておまえがさっき持ちかけた勝負は引き分け――と言いたいところだが、オレはおまえに便乗しておまえの手に自分の手をかぶせたようなものだ。したがって……みとめたくないが、最後の包帯を先に取ったほうが勝ちっていう例の勝負はオレの負けってことになる」
返事もできずに口から息だけをはくテティに、乾いた笑いをこぼす。
「今回もおまえの勝ちだったな、ミイラの墓守。ミイラ取りとして、ますます取ってやりたくなったよ」
するとオレの言葉に応じるように、テティが右のこぶしをかかげた。
ほんの、わずかに――。
次回「ドライ」に続く!




