粉砕するビジョン
這いつくばっていたマミー・オブ・マミーは正面のオレの両足に左右から突きを入れ、オレを転ばせた。
続いて彼女から見て左に転がり、あお向けへと体勢を変える。
同時に、右足首に残された包帯から白い雲が際限なく発生する。
水分を含んだ雲が重なり、灰色の分厚い塊となった。
今や雲は人一人を悠々と飲み込める大きさにまで膨張している。
マミー・オブ・マミーは右足をいったん曲げたあと、その靴裏をテティに向かって突き出した。
「腐りなさいな」
蹴るようにして、分厚い雲をテティに飛ばす。
しかし届かなかった。
テティの前にネフェルが立ちふさがったからだ。
とはいえネフェルはテティよりも小さい。いつまでも雲を防ぐことはできない。
大量の水分を受けながらもネフェルはひるまず、マミー・オブ・マミーの右足首に再び取りつく。やはりマミー・オブ・マミーのドレスの切れ端を使って足首をつかむ。
そうして、右足首にわずかに残っていた包帯を今度こそちぎり取った。
瞬間、雲は霧散した。
マミー・オブ・マミーはそれを見てすぐに立ち上がり、いったんオレたちから離れた。
一方、テティはネフェルに駆け寄る。
当のネフェルは体を丸め、倒れている。動けないようだ。
大量の水分を受けたことで肌は腐敗を始めているのだろうが、ネフェル自身が肌色の包帯を全身に巻いているためその進行が分かりにくい。
オレもネフェルに近づく。
(ちょっと失敬)
いったんマミー・オブ・マミーに背を向ける。
しゃがんでネフェルの包帯を手に取り、その焦げた素肌を確かめる。腐敗臭がするし、ふやけているが……今のところ腐り落ちる気配はない。
テティもネフェルの包帯の下を確認し、半分安心したような声を出す。
「腐りきってはいないようです。全身の包帯がガードしてくれたんでしょうね。ですが、しばらく絶対安静ですよ」
ついでテティが、ネフェルの包帯を絞りつつ緩める。これ以上ネフェルの素肌に水分を吸わせないためだろう。
オレも手伝おうと思ったが敵に隙を見せるわけにはいかない。
再び立ってかぎ縄を構え、マミー・オブ・マミーをけん制しておく。
テティがぽつりと言うのが聞こえる。
「それとネフェル。先ほどは、かばってくれてありがとうございました」
「あれー……お姉さん、気にしてくれるんだー」
ネフェルが力なく笑う。
「気にしなくていいよ……。なんか、あたしさ……罪のない人をミイラに殺させたりしておいて、ちゃんと罰を受けてなかったじゃん。スコさんとは違ってお姉さんに殺されたわけでもない」
文脈から察するに、スコさんとはスコルピオンのことのようだ。
かすれた声でネフェルが続ける。
「あたし……それだけはモヤモヤしてて。だから腐って終わるのも、別にいいかなって」
直後、首を左右に弱々しく振る。
「……ってなに改心した気になってんの、あたし。やっぱ、やだ……。あたしはやっぱり世界を死者のものにするんだ……マミー・オブ・マミーとは違うやり方で……」
「そうですか」
淡白な調子でテティが応じる。
「野望のほうは唾棄すべきですが、あなたの純粋な魂だけはわたしも嫌いではありません」
テティがネフェルをかかえ、歩く。まだ動けずにいるあお向けのスコルピオンのそばに横たえる。
続いて自分の体の向きを変え、マミー・オブ・マミーと目を合わせる。
そのテティの眼光は鋭かった。
マミー・オブ・マミーは挑発的に、右手首をぶらぶらと揺らした。
「なんでしょうね、その目は。『よくも大切な仲間を!』とか言っておこったりするのですか」
「いいえ」
静かにテティは否定した。
「最初からみんな、マミー・オブ・マミーと敵対する覚悟でここに来ているはずです。結果として傷つこうが当然の流れ。わたしがおこる理由にはなりません」
口角を緩やかに上げ、テティが淡々と言う。
「したがって今のわたしの目には、あなたの野望を粉砕するビジョンのみが映っています」
黒いドレスの切れ端を右手に握り込んだまま、テティがマミー・オブ・マミーに接近する。
ねらうのは、黒い炎を漏らす右手首の包帯。
とはいえ先ほどと同じ手が通用するはずもなかった。つかみかかろうとするテティをマミー・オブ・マミーが軽やかによける。逆にテティの太ももの包帯に両手を伸ばしてくる。
だがここでテティの右腕の軌道が変わった。
マミー・オブ・マミーの右手首ではなく、頭をささえる首そのものをつかもうとしたのだ。
一度テティは首の包帯を取ろうとして失敗している。しかしマミー・オブ・マミーのドレスの切れ端を持っている今なら、あるいは――。
「――成功する、とでも思いましたか」
せせら笑うような言葉がマミー・オブ・マミーの口からこぼれる。
首から発する黒と白のガスの渦巻がギュルンギュルンと回転を強める。
炎と水の性質を持つガスがテティの右手に当たり、ドレスの切れ端ごと手をはじいた。
「右手首をねらうと見せかけて、真の標的は首の包帯だったのですわね。しかしながら何度やっても首まわりのガードは破れません。たとえ小細工を弄そうとも」
それでも突き出されるテティの右手を再び回避しながら、マミー・オブ・マミーがまばたきする。
(……だがそいつばかりに注意を向けていると痛い目に遭うかもな、モム)
オレはテティが交戦しているあいだに、ひそかにマミー・オブ・マミーの背後に移動していた。
カバンから取り出したナイフを右手に持って、うなじに突き刺す――。
(手をはじくことはできても、武器はどうか!)
渾身の力を込めたナイフは……。
結局刺さることなく黒と白の渦巻に跳ね返された。
「浅いですわよ、ジェド!」
半端に振り向いたマミー・オブ・マミーの横顔が、接近したオレを見据える。
「得物を使ったところで渦のガードは鉄壁です! しょせんミイラ取りの浅知恵では……う!」
瞬間、彼女の表情が崩れる。
背中の上部になにかが突っ込まれている……ということに気づいたらしい。
炎の性質をも持つ黒と白の渦にあぶられたため、すぐにそれは正体を見せた。
マミー・オブ・マミーの背中に突っ込まれているものは、三つ股のかぎだ。
オレは左手でその根元を持ち、マミー・オブ・マミーの一対の肩甲骨のあいだにかぎの先端を刺している。
そもそもオレの持つ二つのかぎ縄の片方は戦闘序盤で黒い炎に焼かれ、かぎと縄の連結を失っていた。
(このあとオレはかぎ単体を回収してカバンに入れておいた。そして、そのかぎにネフェルの包帯を巻いた。さっき彼女の近くでしゃがんだときに一部だけ失敬させてもらったんだよ。ネフェルの包帯を巻いておけば武器も視界から消せるからな。オレがそのときモムに背を向けてしゃがんだのも、包帯を巻く瞬間をオレ自身の体で隠すため。そして包帯の巻かれたかぎは周囲の景色に溶け込み、見えなくなっていたってわけだ)
テティおよびナイフにマミー・オブ・マミーの注意を向けさせている隙に、オレはその見えないかぎを背中の上部に突っ込んだ。
確かに渦巻により、首のガードは完璧だ。しかし渦巻は首の包帯を守っているにすぎない。首のすぐ下――背中の上部にまでは防御の範囲が及ばない。
であれば、たとえば肩甲骨のあいだにかぎを刺すことは可能。
かぎは物体にひっかけられるように先端が曲がっている。
現在のかぎは、マミー・オブ・マミーの首に近い体内で上向きに湾曲している状態。
この先端をさらに持ち上げて手前に寄せるように回し、首の内側から包帯を引きちぎる……!
(渦巻は外に向かって、はじき飛ばすような力を働かせている。ただし内側に対しては圧力をかけていないと思われる。もしそうならモムの首が圧迫され、戦いどころじゃないはずだからな)
根元を持ったまま肩甲骨のあいだに刺したかぎを充分に持ち上げ、そのまま手前に思いきり引き寄せた。
ベリベリッ……!
マミー・オブ・マミーが抵抗するひまもなく皮膚ごと首の包帯はちぎれ飛んだ。
どうやら渦による守りが強固だったぶん、包帯自体はきつく巻かれていなかったようだ。
彼女の首から発生していた黒と白の渦が消え去る。
「ぐっ! 内側から破くとは! やってくれましたわね、ミイラ取り」
首を破損させられてもミイラなので血が出ることはないし致命傷にもならない。
だがマミー・オブ・マミーの首の包帯を取ったことで俄然勝利はこちらに近づく。
その証拠として、室内の光の領域が一気に広がった。
球状の部屋の半分以上を支配していた闇が後退し、オレたちの優勢を示す光が前進する。もはや光と闇の割合は八対二といったところか。
残るマミー・オブ・マミーの包帯は、右手首にある一つだけ。
彼女は、小さくなった闇の領域の近くまで一足飛びにしりぞく。
闇を背にして、右手首の包帯から黒い炎をさらに噴出させる。
「すごいですわね、君たちは。わたくしの包帯を四つも奪うとは。とはいえわたくしもミイラの母。……勝ちますよ。威厳を保つためにもね」
炎が激しく揺らめき、限りなく膨張していく。
「ここまでやるとわたくしにも悪影響が出るので使わないつもりでしたが……もうリスクを考えている場合ではありませんよね」
まるで背後の闇を守るかのように黒い炎を広げるマミー・オブ・マミー。
黒い光に照らされて、彼女の黒いドレスが躍る。
炎の揺れと同化するようにミディアムヘアがなびく。つぼみのような唇と高い鼻が艶めく。慈愛に満ちた瞳が爛々と輝く。
すでに彼女の美は完成されていた。そのはずなのに。
今のマミー・オブ・マミーの姿は、今までで一番美しい。
次回「勝負」に続く!




