巻きなおす
天井からそそぐ雨のような水は、その後も穴に落ち続けていた。
オレは穴のそばでターバンをほどいて広げ、その上に腰を下ろしている。
テティをあお向けにして、彼女が意識を取り戻すのを待つ。
なおターバンを始めとするオレの服はぬれていた。
よって、きつく絞って水分をできる限り落としておく。カバンとその中身についても同様の処置をほどこす。
ただし部屋の外に続く扉からマミー・オブ・マミーが現れる可能性もあるので、気は抜かない。しかもその扉は、オレたちのすぐ近くに設置されている。
(扉があいた瞬間に、なかに入ってきたマミー・オブ・マミーを水面にたたき落とす)
――そのくらいの気構えで、左手にかぎ縄を握っていた。
水のたまった穴が隣にあるこのフィールドでなら、オレにも勝機がある。マミー・オブ・マミーもオレとテティが助かったことを把握しているはずだが、この状況であれば簡単には手が出せない。
(例の粘土板を使用してこの水責めの空間を作ったとすれば部屋の構造はしばらく変更できないはずだし、その点でも安全は保障されている)
もちろん湿気が多いのは不愉快だ。
とはいえテティが復活するまでここを動くべきではない――そうオレは判断した。
今も穴に水が満ちていく。その四角形の穴は、オレの身長の三倍以上の深さを有する。
穴というより、もはや池だ。
オレとテティは、そんな池のほとりに二人でいる。
* *
幸い、池があふれかえる前にテティが目をひらいた。
彼女が上半身を起こす。
「……おや、ジェドさんや。無事でしたか。なによりです」
ついで自分の太ももをさわる。
「これは、わたしの――」
テティは太ももに巻かれた白い包帯をなで、鼻を近づけた。
「くんくん……。どうやら本物で間違いないですね。欠けた部分もありません」
やはりリネンのドレスのスリットから左右の包帯がのぞく。
両方のにおいをかいだテティが、オレと目を合わせる。
「ジェド、あなたが取り返してくれたんですね。ありがとうございます」
「違う」
オレは少し目をそらし、斜め下から彼女を見た。
「おまえから包帯を取ったのは、オレだ。なのにバカな話だ。なぜか巻きなおしてしまった」
ザアアア……。
落下する水音が、どこかうるさい。
まばたきをくりかえしたのち、テティが自分の体を確認する。
「時間経過により、熱は下がっているようですね。しかし」
身をひねり、背中まで見る。
池の湿気のせいでふやけた部位もあるが、おおむねテティの体はいつもどおり生前の人間の見た目である。
「どういうことです。さっき水を思いきり浴びたわりには、腐敗が進行していないような……」
「灰さ」
カバンから袋を出し、オレはテティに渡す。
中身はすでになくなっている。……いや、わずか数粒だけ灰がこぼれた。
テティは右手の親指と人差し指で、灰をつまんだ。
「なるほど。これはミイラから水分を奪い、乾燥を保つための灰。ピラミッドの安置室で仕事をやってもらう際に、あなたに使わせていたものですね」
「前にオレがトンズラしようとしたとき、いきがけの駄賃としてカバンに突っ込んでいたやつだ」
オレは微妙に目をそらしたまま、テティの細い指に視線をやった。
「そのあとは存在をすっかり忘れていたが、あのときオレが灰をカバンに入れていなかったら今ごろおまえもすでに腐り果てていただろうな。灰用の袋は水に強い素材なんだろ? 外側がぬれても、中身は問題なく使用できた」
「……そうですか、ジェド」
頭を低くし、テティが上目づかいになる。
「あなたはわたしを水から引き上げるのみならず、腐りかけの体に適切な処置をほどこしてくれたんですね。重ねて、感謝をさせてくださいな」
心なしか、妙に優しい声だ。
「ジェドはわたしの体の水分を拭き取ったうえで、包帯と全身に灰をすり込みましたね。自分自身にも、そうしたのでしょう? だからわたしたちの体は腐り果てずに済んでいる」
「おまえに対しては、灰をふりかけるだけにしようかとも考えた」
口をとがらせ、オレは言う。
「とはいえ、それだけじゃ水分をすべて飛ばせそうになかった。服を絞ってその布地にも灰をすり込んでいる。……屈辱か? コマのオレに、そんなことされて」
「いいえ。自分を救ってくれた人間を責めるほど、わたしが愚かに見えますか?」
胸に両手を当て、テティが小さく息をはく。
「ともあれ全身にふれたということは、わたしのサラシも目にしましたね」
「……おまえの魂をとどめる包帯は、スリット越しにのぞく太もも以外にも巻かれていたって話だな」
オレは少々ぼかして答えた。
(確かに今まではテティの太ももに巻かれた包帯ばかりに注目していた。左右のそれらを取ってしまえば、彼女は魂をとどめられなくなって停止するはず――そう思い込んでいた)
しかし動くミイラにとって、包帯は弱点でもあり生命線でもある。
ミイラになって日の浅いオレや生前の思考を再現できない個体ならともかく、ミイラとして成熟したテティがその弱点をすべてさらした状態で人前に姿を見せるだろうか。
ネフェルのように全身に巻いたりマミー・オブ・マミーのように首と四肢の五箇所に分けたりすれば包帯を一気に取られる心配はないが、テティの包帯は左右の太ももに集中している。公開するのは危険と言える。
(よって「テティは太ももとは別の部位にも包帯を巻いている」と考えるのが自然だった)
オレもさっきテティの体を拭くときに気づいた。
彼女は胸部にサラシを巻いていた。そのサラシに包帯が使われていた。
つまり魂をとどめる包帯は最初から、テティのドレスの下にも巻かれていたのだ。
(太ももの包帯を取られてもなおテティがオレのもとまで動けたのは第三の包帯を胸に隠していたから)
もちろんマミー・オブ・マミーに高められた体温を冷ます時間もテティには必要だったのだろう。だから即座に動くこともできなかったわけだ。
(そういえばネフェルが初めてオレたちに姿を見せたとき、あいつはテティの背中をなでていた。どこに包帯を巻いているのか気になった――という発言もしていた)
思えばテティはネフェルに背中をさわられて過剰に驚いていたが、あの反応はサラシとして胸部に巻いていた包帯がバレそうになって焦ったから起こったもの……と考えれば納得がいく。
(あの時点でヒントはあったんだな。それを知っていたらオレはさっきの個室でテティのサラシも取っていたんだろうか。まあ考えるだけ無駄か。今さら気づいても、なんにもならない)
オレは言葉を発さずに立ち上がろうとした。
瞬間、テティがオレの右手首をつかんだ。
「わたしは、本当は愚かだったのかもしれません」
その顔が、うつむき加減にかたむく。
「……いえ、愚かでした」
次回「ミイラは腐らず干からびる」に続く!




