水責め
マミー・オブ・マミーの声と同時に、天井から水が落ちてきた。
まるで、雨のように。
「ジェド――君はわたくしをコケにしておいて、本当にタダで済むと考えていたのですか」
穴の底にいるオレを、壁の上からマミー・オブ・マミーが見下ろす。
「助かったと君が思ったタイミングで、容赦ない現実を突きつける……! これぞ、真の鬱憤晴らしです。この程度の罠も見破れないとは、よほど自由に目がくらんだものと見えますわね」
「ちっ……」
オレは斜め下から、マミー・オブ・マミーをにらみつけた。
「テティの包帯を見せれば、きっちり地上に帰してもらえるんじゃなかったのか」
「もちろん帰しますよ。君が腐り果てたあと、彼女と共にポイですわ」
……大粒の雨がオレをたたく。
穴の底に水がたまり始める。
なおマミー・オブ・マミーの立つ壁の上の天井からは、水が落ちてきていない。
「降水量は、やや抑えめです。水分は体を腐敗させるもの。ゆえにミイラは水にも弱い……。その身がじわじわ腐っていく恐怖を、思う存分味わいなさい。ぶざまに鳴いてもいいですわよ。君の包帯を取るのは簡単ですが、それではスカッとしませんからね」
雨の向こうで、マミー・オブ・マミーが笑っている。
「にしても部屋が水っぽくなってきて、いけませんね。別室で君を観察しましょうか。このピラミッド内であれば、遠隔の映像を壁面に映すことは造作もないのです」
ガシャアーン……。
人工的な雨のなか、扉の閉まる音がした。
(出ていったな、モム)
水位が、どんどん上がってくる。
ミイラである今、窒息のおそれはない。しかし分かる。水がオレにふれるたび、皮膚が異様に膨らみ、やわくなる。変色していく。腐敗臭が、鼻孔に侵入してやまない。
水底では、ゆかに映ったミイラがまだオレの両足を固定している。
先ほどからオレは靴だけでも脱げないか試している。
が、強い力で押さえられているため、それすらかなわない。
(まずい。とにかく水から、のがれないと。だが水をはじくシートはピラミッドに入る前にアムウに使ってしまった。そのあとレインコートを雑に脱ぎ捨てたのもバカだった。いや、今さら言ってもしょうがない)
肩にかけたカバンからかぎ縄を取り出す。かぎを壁の上に投げ、穴のふちにひっかける。
それを思いきり引っ張り、縄を上ろうとした。
が、ゆかのミイラがオレの足をつかんで離さない。その場から動くことができない。
(どうすれば……)
オレは腰まで到達した水に向かって、ため息を落とした。
(いや、これでいいのかもしれない)
オレはミイラ取りだ。最終的には味方まで裏切った。
ミイラ取りがミイラに殺されてミイラになるのが当然の末路なら、死んだあとに腐って終わるのも、また必然。
「どうやら年貢の納め時ってやつらしいな。最後まで一筋縄ではいかない、おもしろい時間を過ごせたもんだ」
かぎ縄を投げるのさえ、オレはやめた。
すると周囲の壁とゆかに数多くのミイラが映り込んだ。
彼らの顔はあたりの水のせいでよく見えなかった。
だが声を立てて笑っていた。一人残らず、オレをあざけっていた。
きっと別室にて、マミー・オブ・マミーも腹をかかえていることだろう。
それを意識したとき、オレの心が変わった。
(気に入らないな……。なんでオレが、こいつらのオモチャみたいになっているんだ)
腐りつつあるこぶしを握る。
(そもそもオレは自由とかおもしろさとか――そういうものを自分勝手に求めていたはずだ。なのに、なんで悟ったように現状をみとめているんだよ。元からオレはミイラ取りだ。人の思いを平気で踏みにじる悪人だ。だったら最後まで……生きていようが死んでいようが、意地汚く、この世に存在するだけだろうが!)
水位はすでに、肩まで達している。
オレはカバンからナイフを取り出した。
(惜しんでいる場合じゃない。こうなったら足を切り落とす。腐りかけているから切断は容易なはず――)
しかし刃先を足首に当てるべく上半身を沈めようとしたとき――。
ドボン!
という音が後ろから響いた。
なにかが水に落ちたのだろうか……。
オレはいったん手をとめ、音のしたほうに目をやった。
雨をかき分け、人影が泳いでくる。
そいつの鼻先が、オレの鼻先に当たった。
(……テティ?)
目の前には、オレが包帯を奪って完全に停止させたはずの彼女の小さな顔があった。
どうやら幻覚ではないらしい。
テティがオレにしがみつき、植物でも引っこ抜くように持ち上げる。
結果、オレの足が靴から抜けた。ミイラの束縛を脱したのだ。
そのままテティはオレの全身を、穴の上へとぶん投げる。
(出会ったときも、そのきゃしゃな手にやられたっけな……)
オレは雨のなかを斜め上に飛んだ。
マミー・オブ・マミーの閉めた扉に当たり、ゆかに転がる。
やはり穴の外の天井からは、水が落ちてきていない。
全身を大きく震わせ、オレは体の水気を払った。
ついで穴のふちから下をのぞき込むと、水面にテティが浮いていた。
格好は、うつ伏せ。まったく動く気配がない。
ゆかのミイラに捕らえられるのは回避したようだが、オレを投げたことで力つきたらしい。
オレの脳裏に混乱が去来した。
(なんであいつ、包帯を失ったのに動けていたんだ。いや、そんなことより……まさかオレを助けたのか? オレに裏切られたと気づいていないのか?)
ここまで考え、かぶりを振る。
(違う、あいつは分かっている。オレの額に自分の包帯が巻かれていると……においだけで確信したに決まっている)
テティが雨にたたかれ、水面を揺れ動く。
(バカが……)
助けるなよ。見捨てろよ。
容赦なく、オレをミイラにしたくせに……。
気づけばオレは、かぎ縄を斜め下に飛ばしていた。水面のテティにひっかけ、引き寄せる。
いったん彼女を壁に近づけたあと、もう一つのかぎ縄を使って水面まで下りる。
テティをかかえて縄を上り、穴のふちまで戻る。
その際、壁に足をふれさせたが……壁面に映ったミイラには人を捕らえる能力がないらしく、オレたちに手出しをしてこなかった。
オレは穴から出たあと、頭のターバンをほどいてじゅうたんのように広げた。ただし完全に広げると帯の形状になるので、適度に折る必要はある。
その上にテティを寝かせた。
ゆかに映り込むミイラを警戒したためである。
ついでテティのそばに腰を下ろし、彼女の様子を確かめる。
びしょぬれで、腐りかけだ。肌がふやけ、変色を始めている。
さわると、いまだに高熱が伝わってくる。
おまけに彼女の目は、すでに閉じた状態――。
(待て、どうしてオレがこいつの様子を気にしているんだ。オレがテティを心配しているっていうのか……。ついさっき、裏切ったばかりのはずなのに)
ひたすら頭のなかで、混乱が募っていく。
分からない。魂が腐ったみたいだ。
「なんてことはない――」
額に両手を当て、オレはうめいた。
そこにはテティから奪った包帯が巻かれている。それを力なくなぞった。
「――オレのほうが、よっぽどバカじゃないか」
次回「巻きなおす」に続く!




