包帯を取る
部屋のなかでテティが、目をひらいた状態で倒れている。
右の脇腹をゆかにつけた格好だ。瞳の焦点は合っていない。
オレは膝をつき、テティに話しかける。
「おまえ、意識はあるのか……?」
しかし反応はない。
肩にふれる。妙に熱い。思わず手をひっこめる。
それから、軽く揺すってみる。だがテティは人形のように沈黙したままだ。
ドレスのスリットからは包帯の巻かれた左右の太ももがのぞく。その太ももが、力なく揺れる。
(魂をとどめる包帯を奪われたわけでもないのに動けなくなっているのか。どうやらモムがテティになにかしたらしいな。……ん?)
ここでオレは気づいた。
テティのそばに、一枚の紙が置かれている。
それを拾う。紙面に文字が連なっている。
(置き手紙か)
優美な書体が目に入る。
手紙は次の言葉から始まっていた。
――ミイラ取りのジェド。これはわたくし、マミー・オブ・マミーからのプレゼントです。
黙ってオレは文面を追う。
――テティには常温の二倍の熱を流し込みました。すでにご承知でしょうが、ミイラは体温調節が苦手なため高熱には弱いのです。現在のテティは意識もなく、動けません。
心臓が高鳴る代わりに、オレの全身が振動した。
――好機ですわよ。君はテティに魂をとどめる包帯を分け与えられたのでしょう。それも、彼女からは離れられないかたちで。よって君は考えたことがあるはずです。おおもとである彼女の包帯を取って自分に巻けば、自由になれると。今が、そのときなのですよ。
オレは右目で字を読みながら、左目でテティの太ももの包帯を見つめていた……。
――わたくしがこんな提案をするのは、一種の鬱憤晴らしのためです。正義のミイラ取りを気取ってわたくしの化けの皮をはがした君が、結局は薄汚いミイラ取りの一人にすぎなかったとみずから証明してくれれば、わたくしの魂は気持ちよく晴れ上がるに違いありませんわ。
(モムの気持ちなんて知ったことじゃない。だが、オレがミイラ取りなのも事実)
――さあ、今こそ自分のためにテティの包帯をすべて取るのです。そのあとは、奥の扉から通路をまっすぐ進みなさい。その先にわたくしがいますわ。そして奪った包帯を直接見せてほしいのです。そうすれば、君を地上にきっちり帰してあげますよ。晴れてミイラ取りのジェドは自由の身というわけですね。
手紙は、ここで終わっていた。
文面で言われているとおり、オレたちのいるこの部屋の奥にも扉があった。
いったんオレは立ち上がり、扉をあける。その先に、細い通路が延びていた。
扉と通路を確かめたのち、あらためてオレはテティを見下ろした。
彼女は眠っているのではない。ただ、停止しているのだ。
脈もない。発汗もない。干からびた肺でおこなう普段の呼吸が、今は完全にとまっている。
(これが、オレを殺した女の姿か)
目を細め、凝視する。
(モムの思いどおりに動くのは気に入らないが、確かにチャンスではあるな。今までオレはテティのコマとして、墓守ごっこに興じていた。だがそれは、忠誠を誓ったからじゃない。テティから確実に包帯を取ることができる瞬間を待っていただけだ。悪いな。一緒に行動するうちに情が湧くなんていう――そんな変化もオレの心には起こっていない)
マミー・オブ・マミーの本性を暴いたのも、テティを思ってのことではない。
妙にお高くとまっている二人の心をひっかきまわせば、おもしろいものが見られるはず……。
その程度の、下卑た欲望が根底にある。
オレはしゃがみ、テティの太ももにふれた。
包帯越しでも、熱かった。
右と左、両方の包帯をほどいていく。
どちらも、見た目からは想像もできないほどに長かった。人の腸の長さを超えている。
それらをオレは、額の上に巻きつけた。
まだ熱が残っていたが、オレが動くのに支障はない。
(これでオレは、本当の意味で自由に動けるミイラになったわけだ。そして包帯を失ったテティは、二度と動けない。しかし……やっとテティから包帯を奪ったっていうのに、思ったよりも達成感がないもんだな。まあいいさ)
オレは勢いよく立った。
(さて、モムに会いに行くか。テティの体をあとで売り飛ばすのはミイラ取りとして当然だが……運ぶのは、あとにしよう。勝手に指示以上の行動をとれば、モムの機嫌を損ねる可能性があるからな。テティの身柄についてはモムと直接交渉して確保するのが無難だな)
横たわったテティをその場に残し、部屋の奥の扉に近づく。
そのときテティの右手がぴくりと跳ねたような気がしたが……あらためて彼女を見下ろしても人形のように横たわったまま動かない。
(気のせいだったか)
扉を閉め、オレはその先の通路を進んだ。
* *
しばらく歩くと、突き当たりにぶつかった。
そこに扉が設けられていた。
オレはゆっくり、扉を押した。
扉の向こうの部屋も、金と銀の交ざった鏡面のような内装だった。
そして変わった構造をしている。
ゆかの大部分が、巨大な穴なのである。
穴のかたちは四角形。
(深さはオレの身長の三倍以上ってとこか……。おまけに、内部の壁は垂直だな)
上から部屋全体を見ると縦長の長方形になるだろう。
その上底と下底に、通路と同じ高さのゆかが横向きに設けられている。
(ただし残りのゆかは、すべて深い穴)
穴の向こう側にも扉が見えるが、飛び越えられる距離ではない。
いったん落ちてから、かぎ縄で上るのがよさそうだ。
オレはかぎ縄を穴のへりにひっかけて底に下りた。
そのまま進み、向こう側の壁に近づく。
ここで、壁の上から声がした。
「――ジェド。テティの包帯はすべて取ってきましたか」
透きとおるような声だ。
黒いドレスをまとった女が、穴の上からオレを見下ろしている。
美の化身に似たその女こそ、先ほどまで姿を見せていなかったマミー・オブ・マミー。
いつの間にか壁の上に立っている。彼女のそばには扉がある。
顔を上げたオレは、大きめの声で返答する。
「見ていたんじゃないのか、モム。このピラミッドの内部で起こったことは、残らずお見通しなんだろう?」
「今回はあえて監視しませんでしたわ」
彼女の声が、はずむ。
「事前に結果が分かっていたら、つまらないではありませんか」
「あっそ。テティの包帯は、オレの額に巻かせてもらった」
頭部のぐるぐる巻きの包帯に、オレは指をすべらせた。
このあとマミー・オブ・マミーは手をたたいた。
そばの壁面に、全身に包帯をつけたミイラの姿が映り込む。
その映像だけのミイラが、彼女になにやら耳打ちした。
「……なるほど、そうですか」
マミー・オブ・マミーが小刻みにうなずく。
「確かにテティの包帯はなくなっていると」
瞬間、マミー・オブ・マミーは沈黙した。
が、すぐにその身を震わせ、楽しそうに手を何回もたたきだした。
「わたくしは今まで、テティに包帯を巻いたのは失敗だったと思っていました。世界をミイラに蹂躙させて支配しようというわたくしの夢を、彼女は決して許さないから。……そのテティが、ようやく停止したのです! しかも自身がコマにしたミイラ取りに包帯を奪われて! 痛快、極まりないですね!」
軽くゆっくり丁寧に、拍手の音を響かせる。
「お礼を言いますよ、ジェド。放心状態のテティを行動不能に追い込むのは、たやすかったですわ。君が軽率にわたくしに突っかかってきたからこそ、結果的に彼女の心は深い傷を負いました。そこを突かれてテティは――永遠に、動かぬミイラになったのです」
じきに手をたたくのをやめ、マミー・オブ・マミーが優しげな声を出す。
「君が薄汚いミイラ取りにすぎないとも分かりましたし、わたくしの魂は悦楽でいっぱいです」
「そりゃ、よかったな」
適当にオレは調子を合わせた。ついで切り出す。
「ところで相談なんだが、テティの体を持っていってもいいか」
「構いませんわよ。好きにしなさいな」
「……どうも」
これで言質は取った。あとは道を引き返して……アムウに地上まで運んでもらうだけ。「テティの包帯は取り返せたが、本人はマミー・オブ・マミーによって完全に停止させられた」ということにすれば、反発は受けないだろう。
確かにここでテティを見捨ててマミー・オブ・マミーを放置すればその野望が進行し、世界は混乱するかもしれない。
最終的には、そこらへんの砂漠をミイラが歩くつまらない世になるだろう。そういう気持ちがあったからオレはネフェルにも反抗したわけだ。
とはいえ自由と引き換えなら、事情も変わってくる。
オレはオレのためにテティを捨てる。だいぶ惜しいがマミー・オブ・マミーを見のがす。この先もテティのコマとして過ごすよりは、よほどマシだ。
(どうせなら、これからの世界を楽しむまでだ。手の平返しなんて言うなよ、元からオレはテティの毛嫌いしている悪党のミイラ取りにすぎないんだ。むしろ混乱に乗じて、ミイラを取りまくってやる。最近、ご無沙汰していたからな。死んでからずっとミイラを取っていなかったんだ。その閉塞を破る最初のミイラが、テティ――おまえってわけさ)
テティの横たわる個室に戻るべく、オレはきびすを返す。
この瞬間、違和感を覚えた。
足がこれ以上、進まない……!
「なんだ?」
足元に、なにかある。
金と銀の交ざった鏡面のようなゆかに、一人のミイラが映し出されている。
映像だけで存在しているはずのミイラが、オレの右足と左足の裏を両手で押さえつけているのだ。
「……くっ、こんなことまで、できるとは。モム、おまえの命令だな!」
オレは首だけを動かして振り向き、マミー・オブ・マミーをもう一度見上げた。
彼女が冷たく言い放つ。
「それ以外に考えられますか?」
突き放すような口調とは対照的に、瞳は慈愛に満ちている。
「ミイラ取りのジェド。君はここで……腐りましょう」
次回「水責め」に続く!




