85:希望
ネルヴィアテスの遠征軍は、推測した位置通りに進軍していた。
トルカンディアの時同様に、少し先回りしてから地上に降りる。
もちろん、十分に離れた位置に。
トルカンディアの時は問題なかったが、今回も同様にうまくいくとは限らない。
日没直前ということもあり、降り立ったジャングルの中はかなり薄暗い。
僕たちは慎重にネルヴィアテスの遠征軍に向かい、警戒しつつもあくまで堂々と進んだ。
「斥候が俺たちを見つけたようだな……本隊に引き返したようだ。
内容までは知らんが、何か歓迎があると思った方がいい」
ラッシャキンがそう呟く。
歩きながら僕は一つ頷いた。
それから少し進んだ後に、ヴェルが一同を制止させる。
「本隊ですね。こちらを意識して陣形を広げているようです」
何者かわからない相手に対して、当然の対応だと思う。
僕たちも準備はするべきだろう。
「コマリ、矢除けの呪文をお願い。
ヴェル、包囲するような動きはある?」
コマリは一人ずつ矢除けの呪文をかけていく。
ヴェルに尋ねると、彼女は周囲の気配を注意深く探ってから、
「半包囲でとどまっているようです。今のところ包囲の意図はなさそうですが、すぐに包囲することも可能でしょう」
「ありがとう。みんな、接触時にはくれぐれも密集隊形を崩さないで。
万一交戦になるようだったら、手筈通り逃げるからね」
一同が頷く。
緊張感の中、僕たちは歩を進める。
すぐに前方から声をかけられた。
「そこの者たち、その場で止まれ!」
声と共に、数人のドロウの戦士が姿を見せる。
密集する木々の影響もあり、正確な数はわからないが、目視できるのは7、8人。だが本隊であるなら400人近くが周囲にいるはずだ。
「何の権限があって、止まれと命じるのか」
ラッシャキンがその戦士たちに向かって問うと、
「我々は蠍神の命により逆賊討伐の任に当たっている。
そのようなときにこの辺りをうろつく貴様らは明らかに不審だ。
どこの氏族の者か!」
改めて問いただしてきた。
ラッシャキンが振り返り、目でどうするのかを聞いてくる。
僕が口を開くよりも先にヴェルがラッシャキンの肩を叩いて、交代の意思を示し前に出た。
「蠍神に従うというなら、ドロウレイスが命じる。
ネルヴィアテスの族長に重要な話がある。この場に呼べ!」
ヴェルの有無を言わせない威圧的な言葉に、ドロウの戦士たちは動揺を隠せなかった。
自分たちで対応するわけにはいかないと判断したのだろう。
「この場にてお待ちを」
一人がそう言い残して、奥へと走り去っていった。
この場に少し特殊な緊張感が漂う。
数的に有利で、包囲体制に近いネルヴィアテスの戦士たちが、酷く緊張しているのが伝わってくる。
一方ヴェルを筆頭に僕たちに緊張感はなかった。
正確に言えば僕は十分に緊張していたのだが。
まもなく、数名の戦士達が現れた。
大蠍の甲殻で作られた黒い鎧の戦士たち。
先頭に立つ男は金色の縁取りの施されたひときわ目立つ鎧を身に付けていた。
「ドロウレイス殿、私が族長のボルビレスだ。
ご用向きを伺いましょう」
落ち着いた堂々たる態度を崩すことなく、その男ボルビレスはヴェルに言う。
僕は一瞬、また偽物なのではと勘繰ったが、その物腰や、連れている戦士の雰囲気から、そうではないと判断した。
ヴェルは臆することなく口を開いた。
「ネルヴィアテスの族長ボルビレス。
いくつかの情報を伝えるために我々は訪れた。
まず第一に、貴殿らより先行していたスコーロウの軍勢、約200は壊滅した。
次に、ネルヴィアテスの集落を監視していたスコーロウは殲滅した。
最後に、蠍神と、その配下のスコーロウはすべて討たれた。
もはや蠍神は地上には存在しない。よってその命令に従う必要もない。
なお、その際に救出された子供の中にネルヴィアテスの子供が一名いたので我々が保護している」
「異なことをおっしゃる。蠍神無くしてドロウレイスもありますまい。
いささか矛盾してはいませんかな」
「私は正確に言えば元ドロウレイスだ。今はドロウを統べる王に仕えている」
「なるほど。おっしゃりたいことはわかりました。
ですが、今お伝えいただいた情報は、信じるには突飛すぎる。
それを誰が証明してくれるのですかな」
「私の言葉が信じられないというのであれば、自らの目で確かめてもらうしかない」
ヴェルがボルビレスにそう言ったところで、ラッシャキンが話しに割って入った。
「俺はドュルーワルの族長ラッシャキンだ。
ここにいる5名すべてが、その名と誇りにかけて誓おう。
我々はその場にいた。
ドロウの遠征軍も、蠍神直属のスコーロウも、ドロウレイスも。
そして蠍神も死んだのを確認している。
これでも不服か」
ヴェルの言葉にラッシャキンが重ねることで、周囲に動揺が広がる。
ラッシャキンの狙いを察したのかボルビレスは、ひときわ大きな声で言った。
「なるほど。逆賊のドュルーワルの族長か。そうやって我々をペテンにかけるつもりか。
ここにいる5人?一人はエルフではないか。
そのようなものの言うことを信じられるとでも思ったのか!」
僕はベルの肩に手を乗せて彼女を制する。
彼女は振り返って僕に何か言おうとしたが、僕の目を見て黙った。
僕は一つ頷いてから、口を開く。
「ボルビレス族長、お初にお目にかかります。
私はアレン・ディープフロスト。
貴殿に族長によって構成される評議会への参加を求めるためにここに来ました。
蠍神が討たれた今、我々が戦う理由はもうないでしょう。
私に屈して軍門に下れというつもりはありません。
ドロウ同士で争うことなく、未来を築くために、評議会に参加していただきたい」
そう言って頭を下げる。
それを見たラッシャキンとクェルシャッシャが共に驚きの表情を浮かべ、口々に小さく声を漏らした。
「おまえ……」
「陛下……」
僕の言葉を聞いたボルビレスは、一瞬驚きと戸惑いの表情を見せたが、すぐに真顔に戻り言い放つ。
「蠍神を討つなどと言い、ドロウの王を名乗るのがエルフだと?」
そして大きく笑いながら続ける。
「とんだ狂言だな。いや、エルフらしいというべきか」
その言葉を聞いたヴェルとラッシャキンが殺気立つ。
僕は再び手を伸ばして二人の肩を掴み、自制を促すとともに、ボルビレスに向かって言う。
「貴殿が事の真実を見抜けぬほど愚かであるなら、ネルヴィアテスはいずれ滅びるでしょう。
あなたが滅ぶのはあなたの勝手ですが、族長として氏族を道連れにするのは、看過できません」
「看過できぬだと?面白い。口の達者なエルフらしい物言いだな。
ドロウは戦いに生き、強きを目指し続ける。
エルフ如きに何がわかるか!」
「だから滅ぶと言っているのです。
いいでしょう。
自分が何も見えていないことを知りなさい」
僕は素早く月の聖印を宙に描き、奇跡を乞う。
「月の神よ、御身の威光をお貸しください。神威!」
そう口にすると、僕の体は白く眩い光を放ち始める。
その光にすべてが霞み、こちらを見ていたネルヴィアテスの戦士たちは腕で目を覆う。
その輝きが爆発するように周囲に広がると、僕の周囲に神の威光が放たれた。
神の圧倒的な存在感が、周囲を威圧する。
ネルヴィアテスの戦士たちの多くが、立っていることすらできずに、地に膝をついた。
神の威を借るエルフでいい。
誰も傷付けずに済むならそれが一番だ。
「今一度、月の神の名に誓って、あなた達に伝えましょう。
蠍神は死んだ。
ドロウはその生き方を変える時なのです。
判断はあなたたち自身でするといい。
あなたたちが、賢明な判断をすることを、切に願います」
そう言ってから、周囲の仲間たちに向かって言う。
「伝えるべきは伝えました。帰りましょう」
そう言ってポケットからGさんのお守りを取り出して起動すると、奇跡の行使を宣言する。
「帰還」
僕たちを幾重にも光の輪が包むと次の瞬間、僕たちはセーブポイントの聖域に立っていた。
神威の奇跡を解いて、ふうと一つ大きく息を吐く。
するとラッシャキンがすごい勢いで僕に苦情を言った。
「いきなりなにすんだ。こっちが驚いたじゃないか!」
どうやら、さっきの神威のことを言っているらしい。
「まあ、概ね当初の想定通りでしたし、結果的に良かったんじゃないかと……」
「いや、あれ程頭が固いんだ。少しは痛い目を見せた方がいい」
どちらかと言えば、ラッシャキンもボルビレス寄りだと思うけど……もちろんこれは口には出さない。
「痛い目を見せちゃダメでしょう?態度を硬化させるでしょうし、けが人か、場合によっては死人が出ます」
「そりゃそうだが、言って分からない奴は殴らないと……」
「ラッシャキン、この話は終わりにしましょう。
十分に効果があったはずです」
そう、先ほどの神威で何か考えるきっかけになれば、それでいい。
一度集落に戻って議論にでもなれば、目的の半分は果たせたと言っても過言じゃない。
仮に、進軍を続け、セヴスクムカウダと合流すれば、今回語った内容の一部が事実であることを知ることになる。
セヴスクムカウダはスコーロウの軍勢が殲滅されたことを知っている。
情報は共有されるだろう。
その結果、両氏族が無駄な争いを避ける選択をしてくれれば、最高だ。
さすがにこれは望み過ぎだとは思うが、士気が下がってくれれば、その分だけ激突した際に双方の被害を減らせる。
「予定より早く戻れましたし、目的は達せられたと思います」
僕の言葉にヴェルがそう続け、クェルシャッシャが頷く。
「そうですな。他の氏族も多かれ少なかれ似たような反応を示すでしょう」
クェルシャッシャがそう言っても、ラッシャキンはどうにも収まりがつかない様子だった。
だが、クェルシャッシャの手前、駄々を捏ね続けるようなこともできないようだ。
「アレン様、よろしいですか?」
その様子を見ていたコマリが、僕に声をかけてきた。
「もちろん。どうしたの?」
「先ほど神威の奇跡をお使いになられましたが、私には以前お使いになった時と少し違う感じを受けたのです。
うまく言葉で表現できないのですが……より光が強く、より月の神様の気配を強く感じた気がしました」
コマリはこの中では一番魔力に敏感だ。
それに見習い程度ではあるが、月の聖職者でもある。
僕自身は気がつかなかったが、彼女は何かを感じた。
「そうなんだ。でも僕自身はよくわからないんだよね。
あの時は少し怒ってたのかもしれない。
でも、今はラッシャキンが代わりに怒ってくれているから、冷静になったよ」
コマリの感覚が気にはなったが、今考えても答えが出るとも思えなかった。
特に問題になるとは思えないし、気に留めておけば大丈夫だろう。
クェルシャッシャに司令部への報告を頼んで、僕とコマリとヴェルは天幕に戻ることにした。
何日かぶりのゆっくりした夜の時間が過ごせそうだ。




