84:本質
僕たちはトルカンディアの遠征軍の進行ルートに沿って飛行し、何度か地上を探索して、移動の痕跡を見つけた。
そこからさらに進み、進行方向に先回りして地上に降りる。
「少し近すぎたかもしれません。ドロウの斥候と思われる気配があります。おそらく2名。
排除しますか?」
実体化してすぐにヴェルが僕に告げた。
「だったら、見つけてもらって、族長の所に案内してもらおう。
むしろその方が大きなトラブルにならないと思うし」
僕がそう言うと、すぐにヴェルが声を上げる。
「そこにいるトルカンディアの斥候。こちらはドュルーワルカの族長ラッシャキン様とアナトランダの族長クェルシャッシャ様である。
重要な用件がある。急ぎトルカンディアの族長に取り次げ!」
その声に反応して、ジャングルの中からドロウが一人ゆっくりと姿を現す。
「今の話は本当か?」
「嘘をついて何になる。お前はドロウレイスの言葉を疑うのか」
ヴェルは苛立った口調で斥候に答えた。
わざわざドロウレイスと名乗ったので、それが演技であることはすぐにわかる。
だけど僕個人としては、頷けないというか納得できないというか。
昨日のバドリデラの時もそう思ったが、ヴェルはすでにドロウレイスではないし、蠍神もいないというのにドロウレイスを名乗る必要はないはずだ。
だが、ヴェルがドロウレイスを名乗ったのは、ことのほか効果的だったように見える。
斥候の態度があからさまに変わった。
「失礼いたしました。ご案内いたします。先導しますのでお続きください」
そう言って頭を下げた。
斥候は自分の右側に何かの合図を送ると、背を向けてジャングルに向かっていく。
ヴェルは斥候は二人だと言っていたので、恐らくもう一人に先ぶれに行くよう指示をしたのだろう。
僕たちはその後ろをついていく。
ヴェルもラッシャキンも、悠々と歩いている様だが、周囲に対して警戒は怠っていないようだ。
ほどなくトルカンディアの本体に遭遇した。
視界の悪いジャングルの中を、やや散開した状態で進行していたようだ。先ぶれの情報だろう、進軍を停止させて待っていたようだった。
僕たちが彼らの先頭に接すると同時に、ドロウたちの間から蠍の甲殻を使った鎧を身に付けた人物が出てくる。
「トルカンディアの族長、ギアランダロだ。用向きを聞こう」
堂々たる態度だ。ドロウレイスと聞いて態度を変えた斥候とはわけが違う。
僕は感心していたのだが、ヴェルが少しカチンときているのではないかと頭をよぎる。
だが、僕の心配は杞憂に終わった。ヴェルが冷静に話し始める。
「私はヴェルヴェン。元ドロウレイス。今日はドロウの王の名代としてここに来た。ドュルーワルカ、アナトランダの両族長も同様である。
まずは重要な情報を伝える。
トルカンディア集落を監視していたスコーロウは先ほど殲滅した。当面集落を攻撃する者はないだろう。
スコーロウの軍勢も大半は討ち取った。
そして蠍神はもうこの世にはいない。王が討ち取られた。
その際に救出した貴殿らの集落の子供が一名おり、我々が保護している。
誤解の無いように言うが、これは人質ではない。貴殿の行動に関わらず、状況が落ち着き次第貴殿らに引き渡す」
「元ドロウレイスか。なるほど。
蠍神を討ち取るなどと虚言を吐く者に仕えるドロウレイス。
虚言を吐く者には、同類が仕えるのだな」
ギアランダロと名乗った男は、明らかに挑発と取れる言葉を選んでいるように見えた。
まあ、一筋縄ではいかないよね。
どう交渉に持ち込むか、そう考えていると……。
「そうですか。虚言かどうか、身をもって知りなさい」
そう言うとヴェルは即座に動いた。
圧倒的スピードでギアランダロに肉薄する。
その動きは僕の目には辛うじて追える速度だったが、ギアランダロは反応すらできなかった。
とっさにロングナイフを抜こうと柄を握った時には、ヴェルの握る三日月刀が首元に当てられ、皮一枚が切られた状態で静止している。
「その程度の腕前で族長を名乗るな、痴れ者が。
茶番はもういいでしょう。そろそろ姿を見せたらどうです。トルカンディアの族長よ」
え?
ギアランダロは族長ではない?
僕が当惑していると、ヴェルの言葉にもう一人、ドロウたちの間から出てくる人物がいた。
「試すような真似を致しました事、まずはお詫び申し上げます。
私が一族を預かる、セドゥウィンと申します。お見知りおきください」
高齢の男性。しかも右足が棒、義足だ。
僕が知る限り健常でなければ族長の座には着けない……いや、言い方を変えれば、足の一本がなくとも強ければ族長になれるということか。
高齢であることを考えれば、氏族内の政治力が高いのだろう。クェルシャッシャの例もある。
ヴェルは刀を鞘に納めると、ギアランダロに背を向け元の位置に戻り始めた。
「こ、このぉ!」
ギアランダロはロングナイフを抜いて、ヴェルに切りかかった。
完全に頭に血が上っている様子だ。
ヴェルは慌てることなくゆっくりと振り返り、刀の柄を握る。
僕はその先の光景が目に浮かんだが、予想とは違っていた。
「この愚か者が!」
セドゥウィンが掌をギアランダロに向けて叫ぶと、ギアランダロはロングナイフを振りかぶった姿勢で硬直した。
「この馬鹿者を縛り上げてそこらに転がしておけ」
近くのドロウにそう告げる。
僕には神力の呪縛の奇跡に見えた。
ドロウは魔法への抵抗力を持っているが、彼の魔法はまったく影響を受けなかったように見えた。
おそらくは抵抗貫通、呪文に対する抵抗力を無効化する技術を持っている。
セドゥウィンが呪術師かなにか、魔法を使う職能を持っていることは間違いない。
彼が族長である理由を目の当たりにした。
「重ね重ね無礼をお詫び申し上げます。
不肖の息子にございます。責は私目に取らせていただければ幸いでございます」
セドゥウィンはそう口にし、深く頭を下げた。
おそらくヴェルに言っていると思うので、僕は口出しせずに様子を見る。
「実害は何もありません。氏族内の裁きは族長に一任されるべきでしょう」
ヴェルがそう言って僕の脇に戻る。
セドゥウィンが再び口を開いた。
「寛大なお言葉に感謝いたします。
また、貴重な情報を下さったことにも。
一族の子供が無事であったことは、何事にも変えられぬ喜びでございます。
お礼の言葉もございません」
再び深く頭を下げると、一度姿勢を正しその場に膝をついた。
そして言葉を続ける。
「ご挨拶が遅れました事を改めてお詫び申し上げます。
ディープフロスト王」
その言葉は明らかに僕に向けられたものだった。
今回は僕は何も言っていないし、バドリデラみたいに臭わせることも言っていない。
なのに、なんでバレてるの?
僕が困惑しているのを見取ってか、セドゥウィンは言葉を続けた。
「非常に優秀なドロウレイスが黙ってあなたの脇に立つのです。
あなたが王であらせられることは、自明の理でしょう。
それに……あなたから神の香りを感じます。
私はこうして御前に跪くべきなのです」
僕はセドゥウィンの冷静さと観察眼に感心した。
そもそも僕が名乗らないのは、万一の事態を想定しての事だ。
族長たちにそうするように言われ黙っているのだが、こう簡単に正体が見抜かれてしまうのでは意味がない。
僕はそれ以上にセドゥウィンの『神の香り』という表現が気になったので、カマをかけてみる。
「なるほど。あなたは蠍神を信じていなかったわけですね」
「はい。おっしゃる通りです」
あっさりと肯定する。彼は蠍神が討たれたことを疑っていない証明でもある。
そして彼が蠍神以外を信奉する聖職者だと確信した。
「族長と言えども、異端であり、口には出せません。
蠍神と決別など、今のドロウには不可能でした。私もまた、奴らに抗う術が無かったのです」
「あなたのように、蠍神を信じなかったドロウは、他にもいるのですか?」
僕の問いかけに、セドゥウィンは首を横に振る。
「まったくいないわけではありませんが、圧倒的な少数派です。
私の周囲に数名居りますが……息子は、むしろ蠍神を強く信奉しております。
表立てば立場はおろか、命すら危ぶまれます。
他の氏族のことはわかりませんが、いたとしてもごく少数でしょう。
立場のあるものは、他にはおりますまい」
「ありがとう、事情は分かりました。
私が今日ここを訪れたのは、先ほどの情報を伝えるためと、ドロウの氏族長による評議会への参加を要請するためです。
全ての氏族を集結させて、協力体制を築きたい。私はそう思っています」
その言葉を聞いたセドゥウィンは驚きの表情を見せて、問いかけてきた。
「王は、自らの力を求めて……ドロウを従えるおつもりはないのですか?」
「ええ、少し早急に統一体制を作るべきだと考え、王を名乗ってはいます。
ですが、評議会にすべての氏族が加盟してくれて軌道に乗れば、王など必要なくなるでしょう。
それまでの、いわば『つなぎ役』だと思っています」
「大変失礼なことを申し上げます。先にお許しを頂きとうございます」
「構いません、なんでしょう?」
「あなたは権力を手にするために王になったわけではないと仰る。
それを信じることができましょうか?」
もっともな疑問だと思う。
「私は二人の妻を娶りました。二人ともドロウです。
いずれ子供も生まれるでしょう。
子供たちの時代に、氏族同士での争いが続くようなドロウの社会であってほしくないのです。
いずれ人間との軋轢も生まれるでしょう。
その時に戦う以外の選択肢を作りたいのです。
望まぬ戦で人の命が失われることのないようにしたい。
今それを成さなければ、ドロウの未来は暗いものとなります。子供を生贄に差し出すなんて、絶対あってはならない。
そのために戦い、人が死ぬことは本末転倒だと言われればその通りです。
その責は私が負いましょう。
蠍神を討ち、今のところそれは正しいと思っています」
元をただせばコマリを憂いを断つためという、極めて個人的な理由……僕の我儘から始まった。
だけど、僕はその過程で、ドロウの現状を知り、ドロウそのものを知った。
今の言葉は偽りなく今僕が思っていることだ。
だけど口にしなかった言葉もある。
今でも王様なんてしたくないし、誰か変わってくれるのなら、喜んでお願いしたいと思う。
でも、その誰かはいないんだ。
セドゥウィンは黙ったままだった。
うつむき加減で、その表情は図れなかった。
周囲は静まり返り、風が木々をざわめかせる音だけしか聞こえない。
僕はセドゥウィンの言葉を待った。
「まこと、あなたは神の加護をもってここに遣わされた方なのですね。私はそう理解しました。
個人的にではございますが、私はあなたに忠誠を誓います。
ですが、氏族のことは私の一存で決める訳には参りません。
一度集落に戻り、一同で諮りたいと思います。
ご返答はそれからでもよろしいでしょうか」
「それで構いません。
一つだけ付け加えさせてください。
氏族を無くそうとは考えていません。
もっと緩やかな連携と共存を考えているのです。いずれ氏族という垣根がなくなればいいとは思いますが、それは随分と先のことになるでしょう」
「お言葉、確かに受け取りました。
これよりトルカンディアは帰路につきます。
最善のお返事ができるように尽力いたしますので、今しばらくお待ちください」
「はい。待っています。
それでは僕たちも行きましょうか」
僕の言葉に皆が頷き、セドゥウィンに背を向け歩き始める。
彼らは、その場で僕たちが見えなくなるまで見送っていた。
ジャングルを歩きながら、二人の族長に話しかける。
「ドロウの族長に蠍神を信じていない人がいるとは思いもしませんでした」
「ああ、同感だ」
「確かに。ですが、これは特殊な事情と考えるべきでしょう。
他もすんなりと行くとは思わない方がよろしいかと」
「なに。必要なら殴ってでも従わせるさ。それがドロウの掟だからな」
ラッシャキンが、彼らしいがてとんでもない言葉で会話を締めくくった。
頼もしいのは、確かにその通りだが、できれば力づくは避けたいと思っている。
クェルシャッシャの意見も正しいだろう。
ここまでが順調過ぎた。これが続くとは僕にも思えない。
今になって気がついたことがある。
ドロウレイスという肩書が、ヴェルにとって重く捨てることが許されないもので、だからこそ名乗らせたくない、そう思っていた。
だけど、ヴェルはもうそれを乗り越えているのかもしれない。
肩書が何であろうとヴェルはヴェルだ。
本質は変わらないはずなのに、僕がドロウレイスという肩書にこだわっていた。僕が嫌だと思っていただけなんだ。
僕に残された、蠍神の呪いなのかもしれない。
彼女を信じていなかったようで、少し情けない。
少し歩いてから再び風渡りの奇跡で、暮れ時の空に舞い上がる。
次はネルヴィアテスの軍勢を探さねばならない。
比較的近くにいるはずだ。予想では接触するまでそれほど時間はかからないはずだ。
暗くなると探すことが困難になる。
今日中に片付けなければならないわけではない。
だけど流れのいいうちに接触したいのと、前倒しで終わらせられればそれだけ時間が自由になる。
そんな目論見があったのは事実だった。




