80:残霧
一息ついてから、僕たちは迎撃地点へ戻る。
まだ風渡りの奇跡の効果が残っているので、わずかな飛行時間で戻ることができた。
戦場に展開されている霧の呪文類は比較的効果時間が長いため、戦場の全容はまだ見渡せない状態だった。
崖上のキャンプ地に戻ると、真っ先にクェルシャッシャが声をかけてくる。
「陛下、この度の大勝利お慶び申し上げます。これも聡明なる陛下の御采配があればこそ。
このクェルシャッシャ、感服するばかりでございます」
僕の前に跪き、そう述べる。
大仰な挨拶など必要ないのにと思うが、ここで最も新参である彼が必死なのも理解できる。
もともとの彼の性格も政治的だと思えるし、僕は彼の言を軽く受け流すことにする。
「クェルシャッシャ、ご苦労だったね。とりあえず堅苦しいのは抜きにしよう。
ガルスガ、バドリデラ、ドミンツェバエ、そしてラッシャキン。
みんな、よく働いてくれました。クェルシャッシャも含めて、皆の協力があればこそうまくいきました。
改めてお礼を申し上げます」
僕はそう述べて頭を下げる。
族長たちも頭を下げると僕は彼らに歩み寄って、ラッシャキンから順番にハイタッチを求めた。
ラッシャキンは僕の意図を理解してすぐに応じたが、他の4人は何のことか分からずに、ラッシャキンの動きを慌てて真似た。
そのギクシャクした対応が、少しおかしかったが、あくまで笑顔を崩さずにハイタッチを続けた。
それから聖炎の面々と握手を交わす。
「デニス、協力に感謝します」
「改まってなんだよ。困ったときはお互い様だ」
そう言って最後に手を握った。
今日は魔法も奇跡も使えるものがほとんど残っていないので、とりあえずここで一泊するしかない。
祝杯をあげたいところだが、当然ながら酒類もないので、今日はおとなしく過ごすことになる。
その場を解散としたが、見える範囲にみんないる状態だ。
「アレン、捕虜はどうするんだ?」
ラッシャキンが僕に話しかけてきた。
もちろん考えてある。
「もう少ししたら魔法の霧が晴れるでしょう。その光景をよく見てもらって、その後は解放します。
蠍神はすでに討たれ、加護はない。交渉に応じるなら戦う必要はもうないってメッセージを伝えてもらうつもりです」
「少しばかり甘くないか?奴らは教信者と言ってもいい。そう簡単に交渉に応じるとは思えんが」
「僕の腹は決まってます。既に5氏族の運命を預かる立場ですからね。
可能なら戦いたくはないが、もし交渉に応じないのであれば放置しますよ。
セヴスクムカウダだけで好きに生きていけばいいと思います。
万一、彼らが敵対するのであれば、容赦はしません。
ここで捕虜を帰して兵士が2人増えたところで、戦局には影響しませんからね」
僕の言葉にラッシャキンが息を呑む。その顔には驚きの色が見えた。
多分、彼の想像した僕の答えとは少し違ったからじゃないかと思う。
少し間を置いて、ラッシャキンが話し始めた。
「いや、必要なら俺がセヴスクムカウダの族長と一騎打ちをするというのもありかと考えていたんだ。
それで俺が勝てば、連中を併合でだろう。
もっとも、どうやって一騎打ちに持ち込むか考えなきゃならんがな」
「それじゃラッシャキンが悪役になりますよ。
それにその方法は確かに早く落ち着く可能性はありますが、約束を反故にしてあなたを闇討ちされる可能性だってあります。
一番問題なのは、未来に遺恨を残すことですよ。
多少のいざこざであれば簡単に解決するでしょうが、一族の恨みともなれば、容易には消えないでしょう。
そういう意味では氏族の併合は悪手だと思います。時間をかけて結果一つになるのが理想ですね」
「遺恨……か」
ラッシャキンが少し遠くを見て、何かを思ったようだ。
その表情から内容までは伺い知れない。
「……おかしなことを言うようですが、対善の手段とか最善の手段とか、そう言うのって結局人によって違っちゃうんですよね。
仮ですが王という立場になってみて、気付いたんですよ。
理想と現実のギャップとでも言うのでしょうか。正しいことが最善の手段とは限らない。
場合によっては悪いことだと理解していても手を下さなければならない。それが人の上に立つということなのかなって。
ギヴェオン司教は秩序と善行を両立しておられる。
僕にはとてもできませんよ」
ラッシャキンは僕の言葉を聞いて、改めて目の前の戦場に目を向けた。
少し何かを考えてから、僕に語りかける。
「なあ、アレン。
あいつは確かに強い。偉業を成し吟遊詩人に歌われるのも頷ける。
だがお前はあいつとは違う。あいつと比べても意味はない。
お前は歴史を作る立場にいる。今までも、これからもな」
「なんだか、賢者のような物言いですね」
ラッシャキンの言葉が少し気恥しい。
僕自身はそんな大層なことはしていないつもりだったから。
でも、それが僕がそう思いたいだけだったことも今はわかる。
王を名乗ることが大層でないわけがない。
「こう見えて50年も族長をやってんだ。少しくらいは知恵もつく。
まあ、お前には敵わんがな」
「ラッシャキン、ありがとうございます。
少し心が軽くなりました。話せてよかった」
「なに、義理の息子にいい話の一つもできたんなら、俺も面目が立つ。
さて。他の族長にも声をかけるか」
「何かするんですか?」
「いや、捕虜に伝言を託すんだろ?
族長5人が一堂に会して言った方が説得力があるし、その場にお前はいない方がいいだろう」
「え?それは何でです?」
「すっかり忘れてるようだが、ドロウはエルフを毛嫌いする奴が多い。
その場にお前がいたら、『エルフのドロウ王』を見ることになる。
まだ伏せておいてもいいだろ?」
「それはそうですね。では先ほどの伝言を含めて、解放はお願いします」
僕はそう言ってラッシャキンと握手を交わす。
ラッシャキンはキャンプに向かい歩いていった。
30分ほど経つと、魔法の霧が消えた。
そこにはかなりの数のスコーロウの死体が散らばっている。
僕たちが戦っていた場所の周りがひときわ多いが、そこにたどり着く前に魔法によって死んだ数も相当なものだ。
人間よりも二回り大きなスコーロウの死体だ。とにかくそこら中びっしりと、折り重なるように死体が転がっていた。
……どうあれ、あまり気持ちのいい眺めではない。
5人の族長が揃って歩いていくのが見える。
少し離れたところに縛り付けている斥候の元に向かうようだ。
僕は少し離れた木の陰から成り行きを見守ることにする。
彼らに任せた訳だし、心配はしていないが……気になるものは気になる。
まず5人の族長が順番に氏族と自らの名を名乗った。
捕虜からすれば、その光景は異様なものに見えたに違いない。
複数の氏族の族長が同じ場所に存在すること自体が稀なのに、5人もいるのだから。
ラッシャキンが捕虜に話しかける。
「まずは、今何が起こったのかをその目で確認しろ。それが斥候としてのお前らの仕事だろう」
そう言って縛り付けていた木から捕虜たちを崖下が見える場所に誘導した。
そこに広がる光景を見て、捕虜は愕然としているようだった。
「お前らに教えてやる。
『蠍神』は死んだ。我らの王によって討たれたのだ。
『蠍神』の加護があるスコーロウ達が、僅かな戦力の我々に大敗した。
この意味がお前たちにもわかるだろう。目の前の光景がその証拠だ」
静かに淡々と語るラッシャキン。
少しの間を置いてからバドリデラが話を続ける。
「我らが王は慈悲深いお方だ。真にドロウの未来を案じておられる。
そのうえで、ドロウは一つにまとまり氏族は協力し合うべきだとお考えだ。
お前らに言ってもわからんかもしれんが、『蠍神』にとってドロウは家畜でしかなかった。
少なくとも我々は『蠍神』の呪縛からは解き放たれた」
ガルスガがバドリデラの言葉を引き継ぐ。
「王は服従を求めてはおられん。協力を求めておいでだ。
族長に伝えよ。王はまず対話を求めておられる。そのうえで氏族の未来を判断すれば良かろう。
交渉に訪れるのであれば王の名において身の安全は保障する。
もちろん、我ら5氏族長も名誉にかけて、約束は必ず守ろう」
ガルスガがそう告げると、ラッシャキンがロングナイフを抜いて、捕虜を縛っていた縄を手早く切った。
「さあ、行け!お前らの仕事を果たせ!
自ら見たこと、耳で聞いたことを報告しろ!」
ガルスガの声に、捕虜は困惑しながらゆっくりと去っていく。時折振り返りながら、去っていく姿が印象的だった。
崖の縁まで進み、下へと降りていった。
それを見送った族長たちがキャンプへと向かっていく。
「アレン、今ので問題ないな?」
不意にラッシャキンに声をかけられ、僕は驚いた。
「僕がいることに気がついてたんですか」
「そりゃな。セヴスクムカウダの斥候も気がついていたんじゃないか?誰が見ているのかまではわからんだろうが」
僕は木陰から彼らの元に歩いていくと、ラッシャキン以外の4人が軽く会釈をしてくれる。
「少し話を盛り過ぎな気もしますけど。蠍も神ではなかったわけだし、それを殺したのは僕たちじゃないし」
「別に嘘って訳じゃないだろ。奴らにとっては未だに『蠍神』だからな」
「それに、蠍を殺した『次の蠍』を始末したわけですし、その点も嘘ではありません」
ガルスガとラッシャキンがそう言ったあとに、ドミンツェバェが続けた。
「今は蠍が何であったかを説明したところで、彼らの頭には入らないでしょう。
神と信じているわけですし、今はそれでいいのではないですか?その方が衝撃も大きいでしょう」
確かにこの場で詳細に説明したところで、理解はされないだろう。
『蠍神』は死んだ、この一点に集中してもらった方が確実に思える。
「そうですね。彼らがここで見て聞いたことを伝えてくれるでしょう。
あとは向こうの出方待ちですね」
そう言うと5人の族長はそろって頷いた。
僕たちはキャンプに戻り、少しのんびりとした時間を過ごした。
まだやらねばならないことは残っているが、明日にならないことには始まらない。
二つ目の山を乗り越えることができた。
そんな確かな手ごたえを僕は感じていた。




