64:生存者
夜。
僕はふつふつと考えていた。
軍議で語らなかった、想定し得るリスクに関して。
僕が想定しているリスクは全部で6つある。
最も大きなリスクは、『蠍』が即座に僕を排除するために、持てる最大戦力を投入すること。
すなわち、今この瞬間を狙って、ドロウレイスを全員派遣してくることだ。
正直に言うと、これには対処のしようがない。
ただ、奴の性格を考えるとこの可能性は低いと考えられる。
僕たちパーティと、聖炎のパラディン4名をうまく倒せたとして、ドロウレイスも無傷とはいかない。
ドロウレイスが何人残るかわからないが、多く残るドロウや聖炎の一般信徒たちを皆殺しにする力まではないだろう。
そうなれば、生き残った者たちは撤退を選択することになる。
ストームポート近辺まで撤退となれば、奴は別の勢力ともことを構える必要が出てくる。
次に懸念されるのは投入されるドロウレイスの数。
ヴェルの話だと現状残るドロウレイスは6名。もちろんこの10年で増えている可能性はある。
ただし、増えていても一人か二人。
ドロウレイスが存在する理由が、自らの後継者育てが目的であるなら、全員投入する選択はないはずだ。
奴の性格を考えれば、いざという時のために手元においておくことも考えられる。
今僕が考えている対策だと、3名までなら確実に勝てる。それ以上だと条件が難しくなり、6人を超える数が投入されれば、おそらく勝てなくなる。
一番現実的に懸念される点だ。
3つ目に大きなリスクは、ドロウの軍勢とともに『蠍』自らが出陣してくること。
そうなれば、奇襲は難しく、できたとしても随行するドロウたちにも大きな被害が出るだろう。
対応策は考えてはあるが、それはできれば実行したくない。
それに、その可能性も低いだろう。
これも奴の性格によるものだが、ドロウの前に姿を見せるとは思えない。
このタイミングで姿を現すのであれば、本拠地を秘密にしている理由がない。
奴は基本的に臆病と言ってもいいくらいの慎重な性格だと思う。
以上3つが最も懸念すべきリスクだ。
それ以外にも考慮すべきリスクがある。
4つ目が、近隣氏族から逐次投入してくる戦法。
戦術的に愚策だ。それくらいは奴も理解するだろう。
ただ、奴が心理的に僕を追い込もうとするなら、可能性がないとは言い切れない。
実際、僕にとって最悪の事態でもある。解放したい相手と戦わざるを得ないからだ。
5つ目が、こちらに内通者がいて、こちらの動きが筒抜けだった場合。
これは可能性がゼロではないが、極めて低いと考えている。
聖炎の中に、蠍神に通じる者がいるはずがないし、クァルテレンダは内通者の掃除は終わっている。
ヴィッシアベンカには可能性があるものの、少なくともガルスガは蠍神に通じているとは考えにくい。
自らのプライドのために、ラッシャキンを騙し討ちしようとしたスコーロウを切り捨てるくらいだ。
6つ目は奴がこちらへ対して侵攻を諦めた場合。
これは正しくはリスクではない。むしろ僕たちにとって有利ですらある。
ドロウの他の氏族との交渉を進める時間を確保できるし、よりドロウレイス対策を進めることも可能になる。
奴を奇襲で討てる可能性が一度消えるという点での懸念だけだ。
投入されるドロウレイスの数には不安は残るものの、他の点は可能性はほぼ無いか、低いと見ている。
6人以上のドロウレイスが一斉に投入した場合を除いて、対処可能だ。
僕は確認し終えると、そのまま瞑想に入った。
ちゃんと休まないと、朝の祈りに障る。
それは避けなければならない事態だ。
まだ真っ暗な時間だが、僕は瞑想から抜け、動き始める。
天幕の入り口にヴェルが座っていた。
「ヴェル、休んでいないの?」
僕が声をかけると彼女は笑いながら答える。
「これから休ませていただきます。お休みの間にガルスガ族長から2回ほど連絡がありました。
一つは命令通り、アウロシルヴァエへの連絡を行ったチームが帰還したこと。
もう一つは、監視を行っているチームが、一斉にスコーロウの動きを確認し、追跡している、ということでした」
「そう、ありがとう。これからはたたき起こしてもらうから、ヴェルもちゃんと休んで」
「はい、そうさせていただきます。そう、あと、ガイアは途中で座標の連絡が入りましたので、朝は少し起きるのが遅くなるかと思います」
「了解だ。まあ、Gさんは朝弱いのはいつものことだしさ」
そう言って僕は天幕から出た。
聖域に入り、少し早い朝の祈りを始める。
祈りに入る前に、明日からはここに天幕を移して、全員で寝るようにした方がいいかな。
そんなことを思った。
祈りを終え立ち上がる。
周囲はまだ静かだ。
ドロウの居留地からは、少しずつ朝の動きが感じられる。
コマリも起きて呪文の準備をしているようだった。
変化のない水面を眺めている僕の脇に最初に訪れたのはバドリデラだった。
「早いですね、バドリデラ」
僕から声をかけるとバドリデラは深く頭を下げて、こう答えた。
「陛下こそ随分お早いようですが、ちゃんとお休みになられましたか?」
「ええ、十分に休めています。問題ないですよ。で、朝早くからご機嫌窺いというわけではありませんよね?」
僕が問い返すと、バドリデラは静かに言った。
「警戒に当たっている者からの連絡が入りました。お探しの者が見つかったようです。
報告したものは重傷を負った模様ですが命に別状はないとの事。
現在その屍人を周囲の警戒に当たっていた者たちが追跡しております」
「すぐに行きましょう。案内してください」
僕は普段着代わりの軽装だったが、一刻を争うと判断し、そのまま現場へと向かった。
移動しながら特徴をバドリデラから聞く。
「身に付けている衣服から、族長かそれに近い身分の者と思われます。
屍人で、歩く死体と思われますが、通常よりも動きが早く、打たれ強いと報告が来ております」
死体となっても生前の能力を引き継いでいるのかもしれない。
族長クラスとなると、かなり手強いことが予想される。
30分ほど走り、周囲の監視に当たっていたドロウたちが集まってくる。
「ここは私に任せて、みなさんは周囲の警戒に戻ってください」
そう告げてから、さらに走り続ける。
途中休んでは走りを繰り返し、東方よりのジャングルに到達した。
そこから密林に入ると、程なく血を流し倒れているドロウを見つける。
「大丈夫か?」
そう声をかけるが返事はない。
駆け寄り、状態を確かめる。
胸元に酷い傷。刃物によるものではなく、爪で引き裂かれたような傷だ。かなり深く出血量が多い。
幸いなことに、まだ生きていた。
僕はすぐさま杖を取り出して、杖による重症の治療を試みる。
彼の傷は目に見えて塞がり、意識を取り戻した。
「もう大丈夫。そいつはどっちの方向に?」
そう尋ねると、彼はジャングルの南東方向を指さした。
まだダメージが多く残っているようだった。
もう一度杖を振って治療を行うと、その場をバドリデラに任せて、彼の指さした方向に向かい走る。
すぐに二人のドロウが、1体の死体を相手に戦っている場所に出くわした。
確かに死体にしては動きが早いが、素手で粗暴な動きをしていることから、知性はないことが見て取れる。
二人のドロウは慎重にヒットアンドアウェイを繰り返し、奴の動きを止めながら、確実に削っているように見える。
僕は聖印を前方にかざしながら祈りの詞を口にした。
「哀れな彷徨える魂よ。その呪いから解き放たれ、輪廻の輪へと戻れ。神告浄化」
聖印からあふれる輝きが放たれると、死体はぴたりと動きを止めて、その場に崩れ落ちた。
僕は息を整えながら、ゆっくりとその死体に近づく。
そこにいた二人のドロウはその場に膝をついて頭を垂れた。
「二人とも怪我はない?」
僕の問いかけに二人は黙って頷く。
そこにバドリデラが駆けつけた。
「その衣装は、報告通り族長のものと思われます。もともとの能力が高かったので、陽の光に耐え、彷徨っていたのでしょう」
僕は死体の脇にしゃがみこむ。
死体は殆どが燃え尽きた灰のようになっていた。
体力があり、動きが早くても、死体は死体だったのだ。
僕は聖水を周囲に撒き、灰と化した死体にも聖水を振りかける。
そして周囲に聖句を散りばめた魔方陣を描いた。
「陛下、何を?」
短くバドリデラが問いかけた。
「みんな少し下がって」
僕は短く答え、魔方陣のすぐ外に膝をついて、祈りを捧げる。
「わが神、月の神よ。願わくば我が願いをお聞き入れください」
そう言ってから、祈りの詞を繰り返す。
静まり返るジャングルの中。
静かに祈りを捧げ続ける。
地面に描いた魔方陣が、少しずつ輝き始め、あたりを純白の光が照らし始める。
僕は神からお許しを頂いたと感じた。
ポケットから一粒のダイヤモンドを取り出して右手に握り、その死体に向けてから、最後の言葉を口にする。
「この者の魂を今一度地上へ戻し、断ち切られた刻をお戻しください。蘇生!」
手に握るダイヤモンドが細かな粒子に変わって、僕の手からこぼれ落ちていく。
魔方陣の輝きと、手からこぼれ落ちた粒子が、灰と化した死体に集まり、ゆっくりと生前の形を形成する。
そして強烈な光があたりを真っ白に染め上げると、一瞬にして暗いジャングルへと戻った。
「ここは……」
肉体を取り戻した男はゆっくりと上半身を起こす。
その視線が僕を捉える。
「あなたは……?……エルフ?!」
そう言って飛び上がり腰に下げていたドロウロングナイフを抜いた。
脇に膝をついて控えていた二人のドロウが、僕とその男の間に割って入る。
僕の右後ろにいたバドリデラが一歩前に出て、その男に向かっていった。
「控えなさい。呪われた身を浄化しただけでなく、奇跡の御業をもって貴殿を蘇らせた方に対する態度ですか!
私はクァルテレンダの族長、バドリデラ。
こちらの方は我々が主と頂く、ディープフロスト王です」
「エルフが、ドロウの王、だと?」
男のその一言がバドリデラを激高させた。
「一族に滅びをもたらしたに相応しい愚か者め。自らの愚行を悔いなさい!」
普段のバドリデラからは想像できないほどの強い口調に少し驚いたが、バドリデラが自分のドロウロングナイフを躊躇なく抜くのを見て、僕は冷静になる。
「バドリデラ、落ち着いて」
僕の前に立つ二人のドロウは、構えを解かずに男と対峙している。
バドリデラはその男を睨みつけたまま、僕に答えた。
「陛下、しかしながら……」
「蘇生直後で混乱しているだけだ。事情が分かればちゃんと話ができるはずだよ」
「一族に滅びをもたらした……?
……そうだ、死者の群れ!スコーロウども!!」
彼の顔は、怒りと、悲しみと僅かな混乱が入り混じった表情だった。
彼が命を落とす直前の光景を思い出したのだろう。
「俺の顔がわかるか、ドミンツェバェ」
僕の後ろから声がした。
ガルスガだ。さすがというべきだとは思うが、気配を消して背後から近づくのはやめてほしい。心臓によくない。
ガルスガは僕の脇に膝をつき話しかけてきた。
「陛下、お出になる際は一言お声をかけてください。
走っていくあなたを見かけたものから報告があり急ぎ追いかけてまいりましたが、御身に何かあれば我々は路頭に迷うことになります」
「ガルスガ、済まない。以後気を付けるよ」
「お分かりいただければそれで」
そう言ってからガルスガは立ち上がり、男の方に向き直る。
「ガルスガ……ヴィッシアベンカのガルスガか?」
「俺の顔を覚えていないのか?ドミンツェバェ。もうろくする歳でもないだろうに」
「貴殿に送った使いはどうした?」
「申し訳ないが、何のことかわからん。かれこれひと月前には集落を引き払ってるんでね。
陛下、この者はジャルカランデの族長、ドミンツェバェと申す者。現時点で確認できる唯一の生き残りです」
その言葉にドミンツェバェと言う名の男が先に反応した。
「唯一の生き残り、だと?一族は、ジャルカランデはどうなった?」
その問いにガルスガが答える。
「記憶があるのだろう?屍人の群れに飲み込まれた集落がどうなったか」
「いや、確かに私を含めて戦士は助からなかったかもしれない。だが、大半の女子供は脱出できたはずだ」
「事実か?」
「ああ、間違いない。集落外れの洞窟の奥に避難場所がある。
そこに逃げたはずだ。10日程度ならそこに籠っていられるはず」
「10日だと?それは間違いないのか?」
ガルスガが興奮気味にその言葉を問いただす。
「ああ、緊急時に備えて退避場所は決めてある。土地勘のあるものでなければ分かるまい」
「陛下、僭越ながら、ジャルカランデに生存者がいる可能性があります。確認のために何名か派遣する許可を頂きたい」
ガルスガの言いたいことはわかった。逆算すればまだ生存者がいる可能性は高いと思える。
「許可をします。ですが、一度居留地に戻り、すべきこともあります。
その後に確認のために赴きましょう」
「分かりました。ではそのように」
「待ってくれ、今すぐ俺を行かせてくれ!里の者でなければ隠れ家は見つけられん!」
必死の様子のドミンツェバェ。もちろん気持ちはわかる。
だけど、僕にも為すべきこと、優先順位がある。
「気持ちはわかりますが、我々にもせねばならぬことがあります。
それに、あなたが今ここで集落に向かうよりも、早くたどり着けることは保証します」
僕が何をしようとしているのかを予想できたガルスガとバドリデラは少し笑ったように見えた。
ドミンツェバェは状況が今一つ飲み込めずに困惑しているようだった。
「わが王に従え。そうすれば万事うまくいく」
ガルスガがそう言い放ち、歩き始めた。
僕は一度ドミンツェバェを振り返ったが、彼が歩き始めたので、そのまま歩く。
普通に歩いて戻ると3時間はかかるので、途中からは走ることになったが、幸いなことに途中までコマリが馬で迎えに来てくれた。
それでも宿営地に帰り着くころには僕はへとへとで、少し休憩を取らせてもらったことは、伏せておきたい。




