60:信仰
「それじゃ脱走じゃないか!」
司令部となっている天幕の中に、大きなデニスの声が響き渡る。
「声が大きい。それに脱走とは人聞きが悪い。原隊復帰しただけだ。ギヴェオン司教の命令書もちゃんとある」
ソウザがさらっと言ってのけた。
「そう怒らんでやってくれ。そうでもしなければ、わしも戻って来れんかったわけじゃし」
Gさんが少し困った様子でデニスをなだめようとする。
その言葉を聞いて、デニスは一旦怒りを鎮めたように見えたが、実際には怒りのやり場を失っていたのだろう。
小さく呟く彼の声を、僕は聞いた。
「どうすればいい。どうすれば……」
話は少し遡る。
族長たちを見送った後、僕たちは本格化したセーブポイント再建に向けて汗を流した。
囲い地に防御柵を立て直し、撤収時に回収した天幕や、予備のものを張った。
再利用した木材で、簡素であるが調理場の設営もできた。
1000人単位で作業員がいる状態だ。手分けして作業をすると恐ろしい速度で準備が整っていく。
以前のように立派な城壁までは準備できないが、聖炎の人々を守る柵や、ドロウたちが雨風を凌ぐための簡易な小屋などが、瞬く間に立てられていく。
ドロウの区画は無秩序に見えたが、整理する際には壊して作り直せばいいそうだ。
夕刻になり、今日の作業はここまでとなってから、ドロウの狩人たちが、ジャングルに入っていった。
食料を確保するためだ。
ヴィッシアベンカは家畜もある程度は連れてきたが、全部食用に回してしまう訳にはいかない。
これからしばらくはここに拠点を置くことになるので、彼らも計画的に狩りをしている。
水に関しては、目の前の湖の水があるので問題ない。
水質が飲用に適しているかというと、川が流れ込むわけではなく、雨水がたまった巨大なため池なのでそのままでは飲めない。
だが、幸いなことに開拓村に比べて聖職者の数は多い。飲めるように浄化するのはお手の物だ。
僕たちは夕食の準備を始めていた。
持っていた根菜類はそこをついているので、ロングコーンと小麦をブレンドした粉で焼いた即席パンと、バドリデラが差し入れてくれた小型のキジのような鳥。丸焼きするには、きっと手間も時間もかかったに違いない。
昼間のうちから僕たちのために用意してくれたんだろう。
3人で食べるには少し多かったので、聖炎のパラディン達も一緒に火を囲む予定だ。
早ければ夕刻にもガルスガは戻ってくるのではないかと思っていたが、もう少しかかるのかもしれない。
相手のある交渉事だ。さすがにすぐにとは行かないか。
奇跡の効果時間のうちに戻れればいいが、そうでなければ歩いて帰ってこなければならない。
「ねえ、ヴェル。ジャルカランデとアナトランダの集落って、ここからどれくらいの距離にあるの?」
事前に確認しておくべきだった。
今更聞いても仕方のないことだが、気になったので聞いてみると、
「アナトランダの集落の方が遠くて、私の足で7日ほど、ジャルカランデでしたら5日くらいでしょうか。
おおよそですが、ガルスガ族長でしたら、私とそれほど変わらないと思います」
そう教えてくれた。
ジャングルの生活に慣れた、最高の戦士でそれくらいはかかるということか。
風渡りの奇跡の移動速度なら、十分に二つの集落を回ることが出来る。
できれば今日中に戻ってくるといいな。その方がガルスガは絶対に楽なはずだ。
そんなことを考えていると、デニスとエウリが酒瓶を手にやってきた。
「まさか、司教のお酒じゃないでしょうね?」
僕は真っ先に疑いの眼差しを向ける。
するとエウリがすぐさま反論した。
「さすがにあれ以上はマズいからな。これは俺たちの私物だ。ごちそうになるのに手ぶらというわけにもいかんだろ」
そう言って焚き火の前に座り込む。
そして彼らは祈り始めた。
「今日も暖かな炎の恵みをお与えくださいましたことに感謝申し上げます。
大地の恵みを分け与えて下さったことに感謝申し上げます。
神の御光により、闇からお守りくださることに感謝申し上げます」
聖炎の食事の前の祈りを初めて聞いた気がする。
僕は彼らの祈りに合わせ、静かに手を組み、目を閉じた。
僕は心の中で月の神に恵みを感謝し、聖炎の神にも感謝の言葉を申し上げた。
祈りが終わり、火の前で温められていた鳥を、コマリが切り始める。
ナイフが鳥に入れられると、中に詰められていた野菜の湯気が上がり、香ばしい鳥の香りと共に広がった。
手際よく鳥をばらしながら、取り分けてくれた。
胸肉の厚い部分を一口大にカットし、鳥の中に詰められていた根菜と一緒に皿に盛って、デニスとエウリの元にヴェルが運ぶ。
添えられたフォークだけで食べられるように配慮したようだ。
僕の所にも中に詰められた根菜と、足が一本。
デニスたちが持ってきた酒がカップに注がれて、皆に振舞われる。
「まだ十分にありますから、お変わりは遠慮なくおっしゃってくださいね」
コマリのその言葉で、それぞれが食べ始める。
僕は手で足を掴んでかじりつく。
パリパリに焼けた皮と、噛んだ瞬間に溢れ出る脂分が、最高にうまい。
セーブポイントでの食事も保存のきく物が中心だし、山岳地帯を移動する間は保存食。
巨人族の雷の砦に滞在した際は、保存食ではなかったが、正直、味を覚えていない。
精神的にいっぱいいっぱいだった。
勿論、塩漬け肉も、根菜のスープも、おいしいと思うが……
なんだか食べることの幸せを再認識させられる思いだった。
「うん、うまいな。こんな豪華な食事はどれくらいぶりだ?」
エウリも鶏肉を堪能している様だった。
コマリとヴェルは何かを話しながら、鳥のあばらの脇の肉を骨を手で持って、こそぐように食べていた。
「食べやすいところから食べていいんだよ?」
僕が声をかけると、コマリが笑いながら返した。
「アレン様も召し上がります?骨の脇が一番おいしいのですよ」
そう言うとコマリは肋骨の部分を切り分けてくれたので、僕はそれを手で口に運ぶ。
思ってた以上にそこには肉があって、味が良いのかは分からなかったが、食べ応えは十分にあった。
何より、肉の塊を食べているのではなく、鳥の命を分けてもらっている気がした。
「奥方、申し訳ないが私もその部分を分けてもらえるかな」
エウリがコマリにそう告げる。コマリは笑顔で肋骨の部分を切り分けて、エウリの皿にのせた。
エウリシュアが、それを手づかみで食べている。
デニスは羽の部分をやはり手づかみで食べていた。
「アレン、どうした?そんなに意外か?」
僕の顔を見てデニスが言う。
いや、その通りなんだけど。
聖戦士って、いつもお行儀がいいってイメージがあったから、正直言って手づかみで肉を食べるとは想像していなかった。
「教会や人里では手づかみは確かにないな。だが、我々もまた方々を旅する。
当然、そこの流儀には従うものだ。ここはドロウの領域。であればこれが礼儀だろう?」
そう言いながらデニスは美味そうに皮の多い羽根の部分をバリバリと食べていた。
僕がふと笑った瞬間に、天幕の向こう側で光の柱が上がるのを目にした。
「瞬間移動呪文ですね、Gさんが帰ってきたみたいですよ」
僕がそう言うと、ヴェルが確認に向かう。
『わしも腹が減った。何かよこせ』とか言いながら、Gさんが現れると思っていた。
予想通りヴェルに案内されてきたGさんは、少し深刻な表情に見える。
そして、同行者はソウザ一人のはずだったが、そこにはもう一人別の男がいた。
Gさんの後ろから現れたのはソウザと、マッカラン。
「マッカラン?!」
かつての同僚の姿にデニスとエウリが驚きの声を上げた。
「ちょいとヤバい事態かもしれない。とりあえず、人目のつかないところで話がしたい」
ソウザが言う。
僕たちは頷き合い、後片付けをコマリとヴェルに頼んで、司令部の天幕に向かった。
天幕内に移動して、椅子に腰かけると、真っ先にデニスが言った。
「マズいことって何があったんだ。説明してくれ」
その言葉にソウザが説明を始めた。
「ガイア殿の瞬間移動で、無事にルミナムの郊外へと到着した。俺たちはその足で大聖堂へ向かった。
予想通り向こうにも神の声は届けられていて、事態の説明を求められたんだ。
4人の枢機卿の前で宣誓し、俺が目撃したことを全て語ったよ。
すべてを語った後に、俺は即座に拘束された。
正直意味が解らなかった。
同時にガイア殿も拘束されたようだった」
そこでGさんが合の手を入れる。
「客室じゃったがな、いい部屋じゃったよ。なんせ魔力遮断の空間まで完備されておったからのう」
ソウザが続けた。
「俺は懲罰房だったけどな。そこで牢番に聞いたんだ。
俺は何で拘束されたんだって。
そしたらそいつは、『自分の犯した罪も知らないのか?この恥知らず』とぬかしやがった」
ソウザの話にデニスが割って入る。
「結局何が起きたんだ?要点を話せ」
デニスの言葉を受けて、マッカランが「俺から話そう」と言い、話し始める。
「少し遡るが、ギヴェオン猊下に召還がかかっただろ?あれは上が『異端』を疑ったかららしい。
勿論、猊下が異端な訳がないことは俺たちがよく知っている。
だが、『純教徒』どもはそうは考えなかったようだ」
僕は聞きなれない言葉に、思わず尋ねてしまう。
「今の『純教徒』というのは?」
エウリがその質問に答えてくれた。
「聖炎の内部の恥をさらすようだが、聖炎も一枚岩という訳ではないんだ。
聖炎の神の神託を、より厳密に解釈しその意に沿うことを最善とする一派が『純教主義』を掲げて、一定数存在するんだよ」
僕が頷くと、マッカランは続ける。
「猊下はセーブポイントの変遷とここで起こったことを、正確に報告しておられた。
純教徒はその報告書を猊下の異端の証拠として枢密院に告発したんだ」
枢密院……聖炎の上層部の組織だろうか?少し曖昧だが、再び話を遮ることが躊躇われたので、今回は我慢する。
「裁定は比較的早く下りた。『異端にあらず』。
だが、純教徒どもは納得せずに、猊下を暫くルミナムに留めるように画策したようだ」
マッカランは怒りの感情を隠しもせずに続ける。
「そこに今回の神託だ。
奴らは声高に叫んだ『為すべきはドロウを滅ぼすこと』とな」
「そんなバカな話があるわけないじゃないですか!」
僕は思わず叫んでいた。
獣人に行われた酷い弾圧が、今度はドロウに行われる。
そんなことは絶対に起きちゃいけない。させちゃいけない。
自然と力が入り、強く拳を握りしめる。
「アレン、落ち着け。俺たちもそんなことはさせない。
俺たちはここでドロウの暮らしと、そこに暮らす人々を知っている。
中には聖炎の信徒となる者もいるんだ。それを守るのが、俺たちの務めでもある」
ソウザの言葉に、僕は少し冷静さを取り戻した。
「申し訳ない。僕はあなた達をよく知っているのに、取り乱しました」
僕がそう言うとマッカランは一つ頷いて話しを続けた。
「そこにソウザとガイア殿が訪れた。さっきのソウザの説明の通りだ。
ギヴェオン猊下は状況を考えになられた結果として、俺に2通の命令書を手渡された。
1通が監禁状態にある2名の解放。
もう一つが、ソウザと俺の原隊復帰命令だ」
デニスが大きく声を上げたのは、その時だった。
デニスの小さな呟きは、彼の苦悩の表れだったとも思う。
僕は衝撃的な言葉で冷静さを失ってしまったが、今はそれを取り戻していた。
彼らは僕たちの味方だ。
それは間違いようのない事実だと思う。
天幕に居座る重い空気。
デニスが再び口を開いた。
「命令が正式なものであるだけに、問題は複雑だ。
ギヴェオン猊下の責任が問われることになるだろう。
それを黙って見過ごすことはできん」
再び沈黙が場を支配する。
だが、その沈黙はすぐに破られた。
エウリが静かに語り始める。
「猊下はご自身の考えで、為すべきことを成されたんだ。
ガイア殿、ソウザとマッカランをここに戻すことが最善と考えられた。
その意図は、誰の目にも明らかだろう。
我々は当初の目的に従い、この地に拠点を築き、神を騙る者を討つべきだと思う」
「しかしそれでは猊下を見捨てることになる。
お前はそれでいいのか!」
エウリにデニスが感情をぶつけた。
エウリは少し淡々と、感情を殺すかのように答える。
「いいわけがない。だが、猊下が決定なさったことに異を唱える訳にもいかない」
その言葉にソウザが続けた。
「俺たちはあの光景を見た。
3神が次々と顕現され、神託を下された。
最後にわが神は『為すべきことを成せ』と仰せになったんだ。
あの流れでだぞ?
何を疑う余地がある。
我々は『蠍』を討つべきだ。
それこそが、『正義であれ』と仰せになる神の教えに最も適う行いだと思う」
ソウザの言葉の後に続く者はおらず、再び天幕が静寂に包まれる。
僕は立ち上がり、彼らに話しかけた。
「聖炎内部の話ですし、僕がここにいたら話難いこともあるでしょう。
なので、僕から一つだけ言わせてください。
ギヴェオン司教は確かにご自身の為すべきと考えることを成されたのだと思いますが、それをあなた達に理解して引き継げとは仰らないと思います。
猊下でしたらきっと、こうおっしゃるのではないでしょうか。
『自ら考え、為すべきことを成せ』と。
僕も、あなた方の決定を尊重したいと思います。
あなた方がどのような決論に達しても、僕はそれを受け入れます。そのうえで僕の為すべきことを成すでしょう」
4人のパラディンはその言葉を聞き、何かを考えている様だった。
僕はそのまま天幕を出ようとしたが、ふと立ち止まる。
「そう、僕の為すべきことを一つしておきましょう」
そう言ってからマッカランの脇に立ち、月の神の聖印を空中に描き、静かに祈ると、マッカランの肩に触れた。
「聖炎の神にこの者を癒すことをお許し願います。わが神よ、友の失われた右手を、再びかの者にお与えください。再生」
静かにそう告げると、淡い緑の光が僕の手からマッカランへと伝わり、彼の失われた右手の輪郭を形成していく。
その輪郭に周囲から細かな光の粒子が集まっていき、徐々に実態を形成し始めた。
程なく戦いで失われたマッカランの右腕が、再生される。
「では、僕はこれで」
そう言ってGさんと共に天幕を後にした。
「Gさんもお腹が空いてるんじゃないですか?少し食べたほうが良いですよ」
僕が話しかけるとGさんは言った。
「おぬしの言ったことは正論じゃとは思うが、その、少々薄情ではないか?」
僕はその言葉が少し意外に思えた。いつも理路整然としたGさんから感情的とも思える言葉が出たからだ。
「確かに薄情に映るかもしれませんね。
でも、聖炎の神がどうとでも取れる神託をなさるのは、人に常に問うておられるから、そんな気がするんです。
それに、僕は薄情でなければならない。
そんなことはないって信じていますが、それでも彼らがドロウの敵となる可能性を考えないわけにはいきません。
僕はドロウの王を名乗っているのですから。
今は彼らがどういう結論に至るのか、待ちましょう。
ガルスガが戻らないことには、次の段階に進めませんからね」
焚き火の前に戻ると、鳥は綺麗に骨と肉に分けられて、一部は焼き立てのパンにはさまれて置いてあった。
「おお、うまそうじゃのう。もろうても良いか?」
Gさんがそう言って火の前に座り、コマリから鶏肉が挟まれたパンを受け取り頬張っている。
僕もその隣に座って、中断していた食事を続けることにした。




