55:刻印(2)
天幕から出て、すぐにGさんに追いつき並んで歩く。
僕は少し気になっていることをGさんに尋ねてみた。
「あのアーティファクトのメイス、『輪廻の槌矛』って名前みたいですけど、見た目も名前も、何となく死者の王とイメージが合わない気がするんですよね」
するとGさんは何かを考えるでもなく、さっと返答した。
「まあ、わしらの感覚からすればそうじゃが、神の考えることを理解するのはどだい無理な話じゃ。
あのメイスが仮にオリハルコン製であっとしても、死者の王の関与を否定はできん。
オリハルコンは太陽の象徴ではあるが、同時に神性の象徴でもある。
名前も輪廻を語るのであれば、死者として現世に留まることを意味しておっても、祖語はなかろう」
言われてみれば、確かにその通りだ。
僕の頭で仮にも神の考えを理解すること自体が間違っている。
僕の先入観が、理解を妨げかねないということだ。
今僕は蠍神と戦おうとしているのだから、こういう部分は十分気を付けねばならない。
「で、ヴェルの蠍。あれをどう見ているんです?」
僕は一番気になる話題を切り出す。
Gさんは少し考えてから、僕の問いに答えた。
「あれは、ヴェルの中にあるもう一つの命、のようなもの。すまん、少し曖昧な表現じゃな。
詳しい理屈はわからんが、この世界と別の世界の合間に存在するものが、ヴェルとこの世界の合間に存在しておるのではないか。そう考えておる」
「ごめんなさい。聞いた僕が間違ってました。
今の話だと分かったような、分からないようなで、混乱に拍車がかかりました」
「そうじゃろうな、わしもわかっておらんのじゃから」
一見からかわれただけのような会話だが、今の会話で分かったこともあった。
Gさんが『わしもわかっておらん』と言ったのは本音だし、僕の質問に現時点での可能性なんかを語ってくれている。
Gさんは僕の及ばないところで思考して結論にたどり着こうとしているのだ。
僕の頭じゃ無理だ。
他力本願ではあるが、今はこの人が唯一の頼りだ。
15分ほどで、旧セーブポイントに到着する。
僕は南門のあった付近へと移動した。
周囲ではまばらではあるが、ドロウたちが再使用可能な資材の回収を行っている。
「ありました、これです」
僕はそこに倒れたままの『災いの剣』を見つける。
膝を折り、地面に平伏するような姿で倒れている。
昨夜絶命した時のままだった。
「これ、死体を調べるの、かなり難儀しますよ。硬直してるし、この姿勢を変えるのは、本当に骨が折れます」
多分、胸部を調べたいのだと思う。
だけど、膝を抱えるように前に倒れている状態では、足を延ばさなければならない。
硬直した死体は力業が必要になる。文字通り骨を折ったりすることが必要だ。
僕の言葉にGさんは少し考えていたが、荷物の中から巻物を一本取りだした。
「聖職者の目の前で、死体を弄るのは気が進まんが、これも必要じゃ。ワシの代わりに神に赦しを乞うてくれ」
Gさんが僕にそう言ったので、僕は祈りを捧げるために荷物から小瓶を取り出す。
その時、Gさんの声が響いた。
「アレン、聖水は使うな。別の影響が出てしまう可能性がある」
そう言われたので、聖水で清めを行うことをあきらめて、その場で膝をつき、神に祈る。
「月の神よ、これから行います死者の冒涜とも言える行為をどうかお許しください。
また、これなる者が御身の導きによって正しく健やかに輪廻の輪へと還りますように」
そう言って聖印を切る。
Gさんはその動作が終わると、巻物を開いて読み上げ始めた。
短い魔法語の詠唱が終わると、巻物は一瞬輝き、そして塵と化した。
それからGさんが、『災いの剣』の死体に手をかざすと、死体が宙に浮かび上がり、向きを変えた。
さらに手を動かして、両足を伸ばす方向に引っ張っているようだった。
念動の魔法のようだ。
かなりの力で引っ張っている様だが、急に股関節が伸びたかと思うと膝も伸びた。
その後その死体を地面に降ろした。
僕は再び死体の脇にしゃがみこんで、胸のプレートを止めている留め金を4か所外して、プレートをめくり上げる。
さらに厚手のコットン製と思われる鎧下をダガーで切裂く。
そこにある光景に僕は言葉を失った。
胸に大きな穴が開いて、僕の手のひらよりも大きな蠍が一匹いた。死体に頭を突っ込んで、食事を行っているように見える。
「……実体化している?!」
「アレン、魔方陣を内向きに!」
立ち尽くす僕にGさんの指示が飛ぶ。
僕はその意図を汲み取って、すぐさま聖印を切ってから祈り、奇跡の行使を宣言する。
「対悪防御陣!」
展開時に内向きでの効果を願い、それはすぐさま光の輪となって現れる。
「あの蠍が、ただの蠍なら、この魔法時から出られる。放置しても害は少ない。
じゃが、この魔方陣で閉じ込められるようなら、それは危険な存在と言えよう」
Gさんがそう言ってから、魔法感知の呪文を使い、観察をしたのちに次の呪文を唱える。
思考感知の呪文のようだった。
蠍の思考を読む?Gさんの意図がよく分からない。
「面白い。この蠍は明らかな魔法の影響を受けた存在で、しかもこやつは、わしらの存在を認識したうえで
『急いで食べて、戻らなければ』と考えておる」
「そりゃ蠍でも周囲に警戒はするでしょうし、食事もすれば、巣にも帰るでしょう?」
僕の意見にGさんは続けた。
「それはその通りじゃが、この蠍は、特におぬしに脅威を感じておる。おぬしを月の神の使徒と、認識しておるようじゃ。
おぬしから漂う神の匂いを感じておるのじゃろう。
普通の虫であれば月の神の気配を恐れることはなかろう?
それに、さっきも言ったが、こやつは『二つのこと』を同時に思っておるんじゃよ。
わしが知る限り虫の類の意識は、本能由来なら一つだけ。食うか、逃げるかのどちらかなんじゃ。
つまり、この蠍は知性を有しておる」
知性を有する蠍?
僕がそれがどういうことなのか、どうすべきなのかと困惑していると、Gさんは言葉を続けた。
「この蠍は危険なものじゃ。今処分するのが適切じゃろう」
そう言って唐突に呪文の詠唱を始める。
すると蠍は貪っていた死体の中へともぐりこんだ。
「もう一つ分かった。これは人語を理解しておる。そしてわしが何を言って、何をしようとしたのかを理解しておる。
いまのは処分とは言ったが、魔法を実際には使う気はなかった。ふり、だけじゃよ。つまり蠍はわしの言葉で危険を察したという事じゃな」
「この蠍の知性がかなり高いことはわかりましたけど、そういう魔法的な蠍がいてもおかしくはないでしょう?」
「確かにその通りじゃ。うむ、確かに……」
僕は取り立てて変わったことを言ったつもりはない。だがGさんは僕の言葉を聞いて考え込んだ。
少しの間を置いて、Gさんが再び口を開いた。
「この蠍を捕獲して、もう少し調べたいところじゃが、リスクが高い可能性がある。
わしはこの場で蠍を処分することを勧めるが、同意してくれるか?」
蠍が危険なものであるなら、この場で始末した方がいいだろう。
僕はGさんの言葉に首を縦に振り、同意の意思を示す。
Gさんは大きく頷くと、両手を宙にかざす。それを左右に開くと、その動きに呼応するかのように死体の胸部から腹部にかけて大きく裂けた。
その中に蠢く黒い塊に向かい、魔法の矢の呪文を放つ。
5発の紫の光弾が黒い塊に当たると、その塊は死体から飛び出して、逃走を始めた。
外からの攻撃によって、魔方陣は檻としての役割を失っているので通過し、蠍は南へと一目散に移動していく。
だが、再び放たれた魔法の光弾によって、その動きを止めた。
「あの、死体を裂く必要はなかったんじゃないですか?」
Gさんが不必要なことをするとは思っていないが、やはり死体を粗雑に扱うことには抵抗がある。
Gさんは蠍の死体に歩み寄りながら答えた。
「分解光線で消してしもうたら、この蠍の死体は回収できんじゃろ?」
そう言って蠍の尻尾を掴んで拾い上げて、大きめの保存瓶のようなものに放り込んだ。
「魔法の矢の呪文は、死体の損傷が小さいからな。調べる余地もある。現にこれはわしの魔法の矢の一撃に耐えきったのじゃぞ。
さて、そこのドロウの死体から、指輪と手甲、ブーツは回収じゃ。魔力を帯びておるから、ちっとは研究費の足しになるじゃろう」
Gさんは『災いの剣』の死体から、手甲を外し、ブーツも脱がせる。指輪と手早く回収する。
先ほどの魔力感知でそれも調べていたのか。
少し感心しながら、その様子を眺めていると、Gさんは回収を済ませてから、僕に歩み寄り、
「とりあえず、今の出来事はヴェルには告げんぞ。刺激が強すぎるでな」
そう言ってから、手招きし、歩き始める。
僕はそれに続いて歩くと、旧セーブポイントを抜けて、爆発の影響のなかった辺りで湖脇に腰を下ろした。
「まあ、座れ」
僕はそれに従い、Gさんの脇に座る。
旧セーブポイントと今の宿営地の中間ぐらいで、どちらから聞こえてくる音も少し遠く感じる。
目の前の湖は湖底に広がる結晶の反射を受けて、濃い赤紫に見える。
太陽はすでに高くまで上がっていて、肌を焦がすようだった。
「今後の方針に関して、少し話をしておきたい」
Gさんは湖面を見ながらそう言った。
ここで話すという事は、僕の王になるという話が関係しているのだと思った。
Gさんは続ける。
「まず、ここに確保しておる『輪廻の槌矛』に関してじゃ。これは蠍神の一派は回収しようとしているようじゃし、魔法で追尾することも可能じゃろう。
ここにあることで、セーブポイントに悪影響をもたらす」
「そうですね。正しい使い方ではないのかもしれませんが、少なくとも大量のアンデッドを制御下における力があるのは間違いありません。
ですので、可能であれば破壊してしまう。破壊ができないようなら『ソウルイーター』と同様に封印してしまうのがいいでしょうね」
「うむ。『ソウルイーター』もまだここにある状態じゃからな。そのためには塔に戻って、このメイスも封印を施さねばならん。
そうすれば魔法での追跡は事実上不可能になる」
「最後に反応があった場所、Gさんの塔が狙われるんじゃ?」
「まあ、簡単に侵入されることはないじゃろうし、最悪塔ごと破壊されても、今のレベルなら再建は容易じゃ」
「まだ話はしてませんが、聖炎にも話を通しておいた方がいいでしょう?」
「そこは……そうじゃな。これがどういうもので、蠍神が回収を目論んで居ることは伝えておこう」
「という事はGさんは塔に戻る、んですよね?」
「そうなるな。おぬしもストームポートに戻るんじゃろ?」
「ええ、戻る必要がありますね。まずはラッシャキンに話を通さないと」
僕の言葉にGさんが頷いてから、Gさんの表情が変わる。
「アレン。これはまだ推測の域を出ん話じゃ。じゃが、おぬしの心づもりに影響を与えるかもしれんので、先に話しておく」
そう前ぶりをしてから続けた。
「結論から言う。蠍神は強力な力を持っておるのじゃろうが、『神』ではないかもしれん」
もし、この場にドロウがいたら、激怒するか、気を失うか。
それほど衝撃的な発言だった。当然僕にとっても想像だにしていなかった言葉だ。
「ちょっと待ってください。どうしたらそうなるんですか?そうだとするとドロウは今まで何のために生贄を出したり、奴らの指示に従ったりしてきたんですか」
「落ち着け。感情と理論がごっちゃになっておる。残念ながら状況証拠しかないが、説明はつくんじゃよ」
僕はその言葉で、少し落ち着きを取り戻した。
確かに感情的になっていたと思う。
僕の様子を見てGさんは話しを続けた。
「前々から違和感はあった。なぜ信仰の中心地である聖地とも言える場所が、ドロウに知らされていないのか。
蠍神の直轄ともいえるスコーロウにも、集落のようなものは存在せんようじゃしな。
これも生物としておかしな話じゃとはおもわんか?」
確かに。
信仰を集めるためにその中心地は信者に対して開かれていないとあまり意味がないと思う。
スコーロウも、ドロウとの共通点、主に上半身にあるが、にも関わらず、奴らが生活する場は不明だ。
「もう一つ。蠍神は割と頻繁に生贄を求めておるようじゃ。
じゃがドロウに生贄を求めておる。これは信仰とのトレードオフの関係であるはずじゃ。
それでも頻繁に生贄を求める理由が今一つ分からん」
「そこは神の考えることは僕たちには及ばないってことじゃないんです?」
「まあ、そうだとして、それでもそこに何らメリットがなければせんじゃろう。もちろんわしらの気づかぬようなメリットがあるかもしれん。
ここで、仮に蠍神が神でないと仮定したら、それが考えることはわしらにも理解できるはず」
「鶏が先か、卵が先かみたいな話になってません?」
「茶化すな。
神でないと仮定した場合、多くのことに辻褄が合うんじゃ。
第一に聖地の場所を秘密にしておるのは、奴が用心深く、身の安全を優先しておるから。
さらには信仰そのものはそれほど重要ではないことを示唆しておることになる。
第二にそもそもスコーロウという種族は存在しない。スコーロウはドロウの生贄と蠍の類の合成生物なのではないか。
普通に繁殖して増えぬのであれば、減った数は補充せねばならんだろう。
寿命や能力を考えればそれ程大量に必要という訳ではないだろうが、定期的に一定数は必要になる。
第三にドロウレイスの蠍。ドロウレイスは蠍神の試練を乗り越えられるドロウに与えられる訳じゃ。言い方を変えればドロウの中でも優れた個体。
それに自分の一部を与える。それによってドロウは超常の力を得る。
そしてその割には、ドロウレイスに課せられた義務は少ない。
実際に命令が下ることは稀だというし、掟が、スコーロウと戦うな、ドロウレイス同士で戦うな、とはかなり緩いと言える。
わしはさっきの蠍を見て思ったんじゃよ。ドロウレイスとは、蠍神の代替わりを支えるためのものではないかとな。
数が少ないのも、生存を優先させているのも、ドロウとは切り離すのにもすべて都合がいい。
ドロウレイスとして生きている間、埋められた次世代の因子も育ち、宿主の死に際して実体化するのではないか。
仮説の仮説という体で、証明には至らん。
じゃが、蠍神が神ではない。死を恐れており、代替わりを必要としているのであれば、すべて辻褄が合う。
どうじゃ?お前はそうは思わんか?」
Gさんの意見を聞いて、論理の飛躍を感じないわけではないが、確かに破綻はないと思う。
全部がGさんの言った通りでないにしても、その確率は高いと思える。
でも、まだわからないこともあった。
「ヴェルの件はどうなのです?今のドロウレイスの説明だと必ずしも現状を説明できないと思いますが?」
「そうでもない。
よいか、ドロウレイスはドロウとは共同生活を送らんのが普通なのだろ。
仮に送っていたとしても、蠍神の声を拒絶し、自らの意思でそれに逆らったヴェルは、強力な呪いを課せられた。
従来のドロウレイスであれば、それはすなわち死を意味するじゃろう。
なんせ、おぬしのような強力な癒し手は、ドロウにはおらんからな」
そうか、だから『災いの剣』はヴェルが動けることに驚いた。
奴は蠍神の意に背いたドロウレイスがどうなるかを、知っていたんだ。
「確かに。蠍神からして、今の僕の存在は予想外でしょうね」
「うむ、奴が神なら何らかの手の打ちようもあるやもしれんが、少なくとも効果的な手は打てておらんように見える。
奴が神ではない証明にはならんが、そこまでの存在ではないことを表しているとは思える。
もう一つ。ヴェルの呪いは、神の呪いにしては軽すぎる。必要十分かもしれんが、少なくとも即座に死に至ることはない訳じゃからな。
今のヴェルの状態は、契約が壊れ、蠍が実体化しようとしているが、ヴェルが生きておるゆえに実体化しきれぬ中途半端な状態ではないか?
こう考えればこれも落としどころとして申し分がない」
「そうですね。ただ、大前提となる、神ではないことを証明できませんよね。
仮定に基づく仮定であることは事実ですから、説得力を持ちません。
特に保守的なドロウの説得材料にはならないでしょう」
僕の意見にGさんは頷いた。
そしてすぐにこう返答した。
「じゃから、ヴェルの呪いをわしらが解けば、奴は神にあらずと言えるのではないか?
最悪でも、蠍神よりもわしらの方が力があるとなれば、説得には十分じゃと思うが?」
「え?ヴェルの呪いを解く方法があるんですか?」
「今思いつくだけで方法は3つある。
一つはヴェルに一度死んでもらい、蠍を実体化させたうえで殺し、ヴェルを生き返らせる。
二つ目が、ヴェルを瞬間移動させる。これは試してみんとどうなるかわからんが、転移の際に分離する可能性がある。まあ、実体化しておらんで可能性は低いと見ておるがな。
三つ目が、力業じゃな。前におぬしが言っておっただろう。解呪に成功しそうな気もする、と。
その感覚は恐らく正しかった。いまは契約が効力を失い、その呪いだけが残っている状況じゃからな。
解呪を行う環境を整えて、神の奇跡の御業が最大限発揮する条件で解呪を行う。
何度か試せば、成功する可能性が高いとわしは考えておる。
そう言ってからGさんは「まあ、ヴェルを一度殺すという選択はないじゃろうな」と付け加えた。
「そうですね。試してみる価値はあると思います。
聖炎にも力添えを頼みましょう。
そしてうまく行ったらその場で……」
僕は声を潜めてGさんに伝える。
Gさんはその言葉を聞いてニヤッと笑うと、
「なかなか劇的な演出じゃな。少し芝居がかっておるが、一般受けはいいじゃろう」
僕とGさんは顔を見合わせて頷き合い、立ち上がって宿営地へと向かった。




