39:聖印と影
コマリが出発するのと同時に、風渡りの奇跡の力で僕とローズは気体化する。
ザックに目で”行ってくる”と合図すると、彼は頷いて答えてくれた。
僕たちは飛空船へ向けて飛び立つ。
ローズと事前に手筈は打ち合わせ済みだ。
目標は二つ。
一つは飛空艇のエレメンタル機関……エレメンタルを捕縛、閉じ込めて、動力源としている魔晶石の破壊か無力化。
もう一つは船上にいるであろう高位の魔法使いの無力化だ。
飛空艇が目前に迫ると、ローズは船首方向に、僕は船尾方向に移動して様子を伺い、船上に降り立った。
ガス化した状態で待機する。
すると少し経ってから船首方向で大きな騒ぎが起きたようだ。
手筈通りローズが実体化して戦闘を開始したようだ。
僕もここで実体化する。
実体化するのに30秒。奇跡の行使をするのに10秒ほど必要だ。1分ほどはローズ一人で持ちこたえてもらわねばならない。
兵士の能力は交戦で分かっている。ローズなら20や30の兵士がいたところで問題はないが、魔法使いが出てきた場合は話が変わる。
そのために僕は速やかに船を無力化する必要がある。
実体化が完了してから、すぐさま宙に月の聖印を描き、奇跡を願う。
「魔力遮断の空間」
僕の真下に白い魔方陣が輝くと、僕の周囲に淡い光の粒となって広がった。
この奇跡は『全て』の魔力を遮る空間を作り出す。ゲイザーの視線と同じような効果だ。
もちろん僕自身も奇跡の行使はできないし、身に付けている魔法の装備も効果を発揮しない。
だが、敵も同じだし、僕の足の下1~2フロア下に、魔晶石でもあれば、勝負が決まる。
この船の戦闘要員が僕に向かって切りかかってくる。
盾にショートソード、革の軽装鎧。典型的な軍隊の兵士のようだ。
魔法の効果が一切なくても、今の僕なら十分に戦えるはず。
兵士はベテランと呼ばれるくらいの腕前はあるように思うが、それでも僕にはその剣は届かない。
これでもいくつも修羅場を潜り抜けて来たんだ。兵士の短剣の突きを盾で逸らして鎧のない脇腹を付く。
三日月刀の切れ味は魔力を失った状態でも十分に鋭く、よく切れる。
兵士は両手で脇を押さえながら転がった。
「長生きしたければ出て来るな!」
僕は叫んだ。
今の様子を見ていた兵士たちの動きが止まる。
僕はゆっくりと前進する。そこに魔力の矢が飛来する。
魔法使いが放ったであろう5本の魔力の矢は僕の少し前で消滅した。
飛翔した方向にローブを着て杖を持つ男。
5本の魔力の矢を一度に放てることから、名の知れた冒険者クラスの実力の持ち主。
初手で周囲に被害の出ない魔力の矢を放ったのは船の上での戦闘を熟知していると思われる。
僕は周囲の兵士を無視してそちらに向かって走る。
その動きに周囲の兵士たちが反応して切りかかってきた。
「警告はした!」
脇から突っ込んでくる兵士を盾で受け止め、容赦なく首元に刃を走らせる。
僕は慎重に兵士たちと戦う。能力的に問題はない。だけど、素の筋力では彼らにかなわないのも事実だ。
複数同時に相手にすると、僕は身動きが取れなくなるだろう。
雑に動けないため進行速度が落ちるが、やむを得ない。
船のへりに移動しながら、囲まれないように一人一人撃破して魔法使いに近づく。
魔法使いは僕が魔力遮断の空間にいる事を認識している様だった。接近しようと前進するが、確実に後退されてしまい、距離が詰まらない。
そこにウイザードは何かの呪文を唱えた。
甲板上にあった樽が勢いよく僕の方に飛んでくる。
とっさに飛びのいて、直撃を交わした。
念動力の呪文か。手慣れてるな。
僕より3m以上離れれば魔法は阻害されない。そこで念動力を使って手近な重量物を僕にぶつけるつもりだ。
動かしてしまえば、魔法じゃなくても物理的に飛び続ける。
だが精緻にコントロールされてない樽は、僕に向かってきていた兵士を直撃する。
お返しに僕はポーチから瓶を一本取り出して、魔法使いの手前の床を狙って投げつける。
瓶は砕けて油が飛び散ると、一気に火が広がった。
錬金術師の炎と呼ばれる火炎瓶だ。高可燃性の油と、空気に触れると発火する物質が栓の内側に仕込まれている。
すぐに船体にも火が回り始める。
飛空船と言えど船体の多くは木製だ。
もちろん連中は同じものは持っていないだろう。船の上で使うのはご法度だ。
僕の周りにいた兵士の半分は慌てて消火に向かった。
近くにいた兵士にフェイントをかけてから、僕は進行方向を変えて船の中央部分に向かう。
魔法使いは僕が死角に逃げると思ったのだろう、火を避けながら前進したようだったが、それ以後、魔法使いの姿を見ることはなかった。
僕の視線には、後方から敵の間をすり抜けて接近してくるローズの姿が見えていた。
「この状況を一人でどうにかするつもりだったのでしょう?」
「言わないでよ、感謝してるから」
ローズが素早く僕の後ろに立って後方を警戒してくれた。
断言してもいい。魔法が一切効果を持たない状況で、ローズに勝てる兵士はここにはいないだろう。
さらに数歩船の中央部に進むと、突然ガクンと船がバランスを崩し、横倒しになった。
あまりに急だったので、僕とローズは船から地面に放り出される。
甲板上にいた何人かの兵士も同時に地面に落ちたようだ。
僕たちは素早く立ち上がって周囲の状況を確認する。
船体を取り巻いていた炎の輪が消えている。
「上手く行った。コアを一時的に停止させたみたいだ。撤退するよ」
僕はローズに声をかけると、足早に移動を始める。
兵士たちもまた一斉にその場を走り去り始める。
船体の上に荒れ狂う巨大な炎が姿を現した。
超大型の炎の精霊だ。
コアが一時的に魔力を失って、そこに捕縛されていたエレメンタルが外に出たのだ。
エレメンタルは周囲の兵士たちを容赦なく攻撃している。
自分を長く閉じ込め、虐げて来た者たちへの復讐だろう。
その場を急ぎ足で離れようとしていると、前方から聞き覚えのある声が聞こえた。
「師匠、ご無事でしたか!」
「ザック?!」
ローズが先に声を出す。
「話はあとで。急いでここを離れないと、炎の精霊に攻撃されることになるよ」
ザックと合流してから、僕たちは急ぎ足で外に向かう。
途中でカニが暴れている光景を目にした。
そうか、ザックは陽動を狙ってカニを引き連れて来たのか。
そんなことを思いながら僕たちは防御柵の外に出た。
陣地内は酷い混乱の状況となっていた。
巨大な炎の精霊が暴れまわり、一方でカニと兵士が乱闘している。
追撃してきた数人の兵士がいたが、ローズの放った矢が、その足を止めさせた。
5分ほど走り続けると、前方に二人の人影が見えた。
「アレン様、姉様。ご無事で!」
コマリの声が僕たちを出迎えてくれる。
結果的に目論見は成功した。
どれくらいが生き延びるかは分からないけど、少なくともケイニスの連中はこの大陸を出る手立てを失った。
連絡の手段があれば救助隊が来るだろうが、飛空船を使ったとして1週間以上は必要だ。
次の手を講じる時間的な余裕はできたことになる。
すべてが終わったわけじゃないけど、とりあえず一息つきたいと思った。
僕たちは周囲の警戒をしながら海際から遠ざかる。
少し歩いて開けた場所に出る。特に危険は無さそうだと判断して、僕たちはようやく腰を下ろした。
言葉は少なかったが、自然と皆の表情は和らいでいた。
僕の独断では成功しなかっただろう。
全員の協力があってこその、パーティとしての勝利だった。




